遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

このたびの奈良行きで多くの得るものがありました。あたまのなかで繰り返し 響いたことばがあります。ひとつはフル もうひとつはミズ では最初にオオモノヌシとは.....

大神神社の主祭神 オオモノヌシとはいったいだれか? スサノオ ニギハヤヒ オオクニヌシ とはいったいだれか? これが解けると古代日本史がいくらか見えてまいります。今回の旅で自分なりに気がついたことを書いてみようと思います。古代史については数多くの方がご意見をお持ちです。1300年前 持統天皇の時代 古事記編纂の折 持統天皇は古文書の多くを廃棄しました。すでに確たる証拠がないので推論のひとつ あるいは創作としてお読みください。(私見では古文書のいくつかは天皇陵墓あるいは皇室に眠っている可能性がある)

→ こちら

以下抜粋

記紀は黙秘している、そのうえ古代から各地の神社に祀られてきたスサノオ尊やオオトシ(饒速日=ニギハヤヒ)尊の祭神名の書き換えを命じ、スサノオ・オオトシ(ニギハヤヒ)の史実隠滅を謀ったようである。改竄された神名を集めてみると、

【須佐之男尊(素戔嗚尊):スサノオ】:八千矛、大山津見、家津美御子大神、速玉之男神、熊野速玉大神など。

【大歳(饒速日)尊:オオトシ(ニギハヤヒ)】:大国主、大物主、葦原色許男、日本大国魂大神、布留御魂大神、賀茂別雷、櫛玉、櫛甕玉、鴨大神、事解男命、豊日別、等々である。

とにかく、歴史(記紀)に残すと都合の悪い人物に多くの名前を与え、正体を抹殺するというのが日本書紀の常套手段であるという。

以上

大神神社 日本最古の神社 三輪山をご神体とする。主祭神 大物主大神 (おおものぬしのおおかみ、大和大物主櫛甕玉命) 配神 大国主神(大己貴神)は少彦名神

オオクニヌシはオオモノヌシか?

わたしはオオモノヌシとオオクニヌシは別の存在と考えます。なぜなら オオクニヌシの祀られている出雲大社とオオモノヌシが祀られている三輪山では 「気」 の質がまったく違うからです。オオクニヌシについてはのちに考えるとして....

ではオオモノヌシはニギハヤヒか? 

オオモノヌシの御神名は倭大物主櫛甕魂尊(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)

ニギハヤヒは天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(アマテルクニテルヒコアマノホアカリクシタマノカミニギハヤヒノミコト )

大阪府交野市に磐船神社は「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。神社の起源は不明であるが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまひぎはやひのみこと =ニギハヤヒが天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承がある。オオモノヌシは竜蛇体であり 水の神 雷神でもあり 卵が奉納されていた。ところが磐船神社にも卵が奉納されているいのだそうです。

三輪山はニギハヤヒの墓といわれています。わたしはオオモノヌシはニギハヤヒノミコトと思います。大歳はニギハヤヒの若い頃の名です。紀元前2世紀中頃から同1世紀後半頃 大歳はスサノオの第五子として、出雲で生まれました。同時代の人物の墓碑が、コンピュータ画像解析で明らかになったといいます。これで スサノオ 須佐の男 の子であるニギハヤヒまでたどりつきました。

大和大国玉大神は?

今回の旅で予定にはないが たぐり寄せられるように行った神社があります。大和神社(オオヤマトジンジャ)といいます。→ http://web1.kcn.jp/antimony/niobium/oyamatojinja.html

大神神社の摂社である狭井神社は本は大和神社の別宮だったという。主祭神は大和(日本)大国玉大神.....左神は八千矛の神(オオクニヌシ)右神は御年の神(ミドシ大歳の神の子神)

日本書紀に興味深い記述があります。「崇神天皇の時代 アマテラスと大和大国玉大神とともに宮中に祀られていたが 2柱いっしょでは恐れ多いというので 崇神6年それぞれ宮域外に別に祀ることになった。ところが大和大国玉大神の祭祀を行った淳名城入姫が髪は抜け 痩せ 祭祀がとりおこなえない状態になった。そこで市磯長尾市(スサノオと関連がある)に祀らせたところ ことなきを得た。」

この記述からみると大和大国玉大神がニギハヤヒ・オオモノヌシではないかという感じがとても強くするのです。

一方アマテラスについてはこののち50年にわたる倭姫の巡行がはじまる。伊勢の地にたどり着いてから大嘗祭などの祭祀は三輪山の頂上でおこなわれていたのが伊勢で行われるようになり オオモノヌシはタタリ神の性格につくりかえられた。しかし、作者不詳の三輪」ではキリ(終りの部分)の歌に「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更、なんと、いわくら(磐座・言わくら)や」との言葉がある。伊勢神宮との関係を示唆している。

布留の大神は?

つぎに行ったのが石の上神宮 石の上神宮は日本最古設立の神宮→ こちら  http://www.isonokami.jp/

主祭神は布留御魂大神  神社の方に 「こちらは物部氏の氏神ですか」と伺ったら 「そうです」という答えが返ってきました。ニギハヤヒは物部氏の祖霊といわれています。...ということは布留御魂大神= ニギハヤヒ = オオモノヌシ = 大和大国玉大神。

うーーんつながってきましたね。 オオモノヌシのモノは霊をあらわし 物部のモノも霊をあらわすあるいはもののふのものも物部からといいます。スサノオ ニギハヤヒは出雲の出身 出雲からは銅鐸などが出土しました。奈良のマキムク遺跡などからも大量に出土しています。また 砂鉄の産地もあります。オオクニヌシの草薙の剣 八束の太刀 物部の宝 七支の剣 当時 鉄を制するものが覇権をとった。ニギハヤヒは古代大和王国(日本)を打ち立てたのではないか?

そのあとを襲ったものと対峙したとき ニギハヤヒは戦乱で国が乱れることをおそれ 身をひいたのかもしれません。三輪山の神気はとてもあたたかくおだやかでした。いずれにしても(伊勢系大和)とニギハヤヒのあいだには契約があったのではないか? そのひとつが ニギハヤヒを皇祖として祀ることだったのではないでしょうか?

ニギハヤヒ正式名 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

アマテラス正式名 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命

簒奪したのはダレなのか? 皇室のご先祖にかかわるので 古代史の謎は解明されないのでしょうか?今年でしたか 教科書にふたたび縄文の記述がされるようになりましたが歴史は正しく伝えられるべきだと思うのです。それで皇室への尊崇の念が変わるとも思えません。

 

さて秋田県にも物部にまつわる唐松神社があり もうひとつの天孫降臨がつたえられています。 http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text6.htm

「秋田県仙北郡協和町の唐松神社(天日宮)に古代史に関する文献があるという噂はすでに戦前からあり、同社に伝わる神代文字の祝詞が公表されたこともあった(小保内樺之介『天津祝詞の太祝詞の解説』)。しかし、その歴史関係の文書はなかなか公開されることがなく、ついに一九八四年、物部長照名誉宮司の英断で、その内容の一部が示されることになったのである(新藤孝一『秋田「物部文書」伝承』)。
 それによると、ニギハヤヒは豊葦原中ツ国、千樹五百樹が生い茂る実り豊かな美しき国を目指して鳥見山の山上、潮の処に降臨したという。この鳥見山とは出羽国の鳥海山であった。ニギハヤヒはその国を巡ると、逆合川の日殿山に「日の宮」を造営した。これが唐松神社のそもそもの由来である。ニギハヤヒは御倉棚の地に十種の神宝を奉じ、一時、居住したが、その跡は現在の協和町船岡字合貝の三倉神社として残されている。

ニギハヤヒは東国を平定した後、大和まで進んだが、神武東征が始まるやナガスネヒコを裏切り、神武に帰順するというのは『日本書紀』とほぼ同様の筋書きである。『物部文献』によると、ニギハヤヒは畿内だけではなく自ら平定した東国をも神武に献上してしまった。神武はその恭順の意を容れ、ニギハヤヒの子・真積命(ウマシマヂ)を神祭と武の長に任じた。物部氏はここに始まる。」

.....唐松神社縁起については 物部氏が曽我氏との政争に破れ 逃亡を重ねたすえ たどりついたと伝えられます......それにしても ニギハヤヒが天降ったという鳥海山の神社が大物忌神社だというのがわかりません。大物忌神社の祭神は宇迦之御魂神 ニギハヤヒの兄弟神で稲の神です。一説には オオモノヌシの墓所 一説にはオオモノヌシ封印のため?あるいは大物忌神の異称として瀬織津姫神の名が.....(『玉造郡誌』)。鳥海山においては、瀬織津姫神は現在、一之瀧神社・二之瀧神社に「滝神」としてまつられています。(瀬織津姫はニギハヤヒの后神であったという説があります)

 

 

 

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )