姪の高校のホームカミングデー。姪本人はカナダに留学中ですが、母親の私の妹に誘われて、そこで行われる講演に行ってきました。
模擬店や、ブラスバンド、講演など、いろんな催しがあり、地域の企業の協賛出展もありました。この写真は近くの乗馬クラブのポニー。まだ4歳、中学生位だそうです。どこもかしこも柔らかくて、かわいい。目も大きくうるうる。
講演は、間寛平さんの「アースマラソンの裏側全て話します。」
妹、妹の中学からの親友Mさん、妹の下の娘と一緒に行きました。
シートに座って、待っていると、「お姉さん、同級生のMくんが関電に就職する時に、反対したでしょ。でも、あの時は、大企業だし、うまくやっているからいいやん、って思っていたけれど、こういうことやったんやなぁって。」
ひえぇ~。若気のいたり、悪事千里を走る。Mさんは知っててちゃんと覚えていたのでした。
「えらいこというたなぁって、人の人生に口出しして。今、Mくん大変だし、本当に気の毒に思うわ。」
1970年代は、原発の議論が毎日テレビで活発されていて、私が及びもつかないような、勉強や、研究を長年されてきた先生たちが、「原発は絶対大丈夫。」と、いろいろなデータをあげたり、社会的必然性を理路整然と述べたりしていたのでした。
私は子どもで知識は些少なものでしたが、どう聞いてもその話に納得できなくて。
それは、データとか、理屈というわけではなく、「この世の中に『絶対』なんかあるのかな?」ということと、この原発の「万一を、引き受けたくない。」という、生き物としての直感。
その後、本を読んだり、情報を集めるほど、危ないと思い、就職期には、すっかりピークで、周りの顰蹙をかっていたのでした。
それはともかく、地面に繋がる、生命と繋がった方向で情報を、科学していなければ、どんなに多くの知識や、情報を集めても科学は新たな地獄への門を開く鍵となる、ということを今回のことは示しています。
間寛平さんも、60代。毎日50キロを走るトレーニングを2年して、アースマラソンに臨み、ガンを見つけ、危険な目にあいながらも、生きて元気に世界一周をされました。生きる能力、幸福になる能力。そういう力がこの人には、あると思います。
こういうことを科学していけば、人類はもっと幸福になる?