今日は、息子の三者懇談。帰りに見上げると、凄いうろこ雲。
台風が近づいています。
「質」ってなんだろう?
実際うまい人の音は、吹き始めの一音だけでも違うことがわかります。
陶器で言ったら、滑らかな肌合い。
手が掛かっていて、繊細、きめが細かい。
しかし、絵画で見たら、手が掛かって細かいのが必ずしも、いいものだとも限りません。
ここっていうところの、線や、筆の流れ、勢い。
大胆な一筆。
完璧なコントロールがありながら、生き生きとしていること。
それならば、健康で頑健な心身を持つものだけが、到達可能な領域か?と言うと、そうとも限りません。
暗い影、病、苦しみを知らない芸術など、誰が惹かれるでしょう?
赤ちゃんでさえ、泣きながら生まれてくるのに、世界中に涙を知らない人などいません。
天才モーツアルトや、ショパンも、イチローも苦しみを抱え、不完全な身体を抱えながら、なお、求め続けたのではないでしょうか?
それならば、私は、不完全な身体、動きの悪い横隔膜、バタバタ動く指。
不恰好な、ありのままの現実の自分を受け止め、愛する(知る)ことから初めればいいのではないかしら?
お箏と最後の合わせ。
…ですが、まだ楽譜が定まりません。
何箇所か、合わせながら、フルートのオクターブを上げたり、お箏の音を増やしたり。
須山先生の子どもの歌と、秋の子どもの歌は
お箏2面の曲を書き換えるのですから、もともと無理があります。
しかし、5音階の動きは、思ったよりもあわせやすいです。
もともと、どちらかが伴奏という意識がお琴の人にはありません。
和音のズンチャッチャッというような、繰り返しが続くと、母は「つまらん。」と言い出します。アルペジオも、一小節ごとに動くのではなく、第一箏も、第二箏も、同じようなフレーズのスパンで変化していきます。
違う二つのフレーズを合わせるという感じなので、楽器が変っても違和感が少ないのです。
とてもおもしろいと思います。
とは、いっても、この2曲は古典ではないので、伴奏的なところもありますが。
爪で引っかいたり、指の腹で弾いたりし、反響版が大きいのでギターに比べたら、ダイナミズムに幅があります。
編曲していると、ただ演奏する時よりも、楽器の特徴がより理解出来るような気がします。こういう機会は、とても貴重です。チャンスをくれたAさんに感謝。
朝顔 アーリーコールは、熱帯アジア原産ですが、霜が降りるまで咲いているそうです。今日は寒かった。夜になってストーブを入れました。
今日は、ボーンズ フォー ライフ
土曜日に聞いたアドリアンさんの講習での、「横隔膜からコントロールし、そのために上半身を柔らかくすること。」と言われた話を質問してみました。
答えは、簡単ではありませんでした。
普通は、横隔膜と、聴いたら横隔膜を、上半身と聴いたら上半身を動かそうとします。しかし、それは部分。
それでは「質」には、いかない。
運動や、芸術は、予防の分野で、治療は医療の分野です。
痛くなったからとか、動かないものを動かすために使うのは、違います。結果的に治ることはあるけれど、それを目的にするとそこにこだわることになります。
「どうやったら、そこがうごくか?どうやったら、治るか?」というのは、結果主義。
結果にこだわると、動きのプロセスを見なくなります。ありのままのその人のからだのままで、どう言う経過をたどってどんな動きをしているか?
そのことを自覚するだけで、脳は、科学的に動き出します。
より良い方向に動かそうとすることは、今の自分の身体をコントロールしようとすることから、起きるのではなくて、今の自分の身体がどのように動いているのかを脳に科学的に自分の身体を認識させることで、勝手に起きてきます。
脳を目覚めさせるのは、おもしろがること。
こうすべきとか、こっちに動いていけばいいはずだとか、答えを用意したままでは、脳はそれ以上はたらきません。
「やってみようか?」ということで、やってみました。
立ち上がって、片足を動かします。腰幅に立って、かかとを上げます。その時骨盤から動かして、足の指のすぐ下の肉を意識。また下ろします。骨盤の動きが調度わかるくらいだけの量、少し。多すぎてもわからないくらい少なくてもいけない。
足の裏を意識。
これだけで、横隔膜を全くさわらないけれど、呼吸が深くなるのを感じます。
プロセスより、結果が欲しい私。まだまだ、勉強が必要なようです。
23日に、アドリアンマスタークラスに行ってきました。
フェルーの3つの小品
フルートソロは、伴奏のあるものに比べたいくつなので、PFをはっきり、音色、ダイナミックヴァリエーションをもって表現しましょう。
ヴィヴラートはメイクアップ。さりげなく秘密で。
どんな曲も、テンポを下げ、ヴィヴラート無しで練習する。ゆっくり細かく拍を取り練習する。
バッハ無伴奏パルティータ
音を一音づつ唇を変えるのは、大変です。人生難しくなる。
息の柱が終わるところが唇で、お腹が始まり。
唇ではなく横隔膜で訂正しなければならない。フルートのトーンホールまでの長さ分の息の柱が必要です。
下あごは動かさないで、横隔膜でコントロールしましょう。そのための練習で、座って吹き上半身を倒し、お尻をだして立ちあがる。
KEYを閉じる時と、開く時は均等ではない。開く時弾く。
何がどうできてなにができないのか自覚できると一歩
モーツアルトのフルートコンチェルトDdur
1年365日名前の日があって、これはマリアンネの日の歌がモチーフ。
誕生日おめでとう、長生きの喜びを保って
モーツアルトの曲すべてに、隠されたテーマがある。民謡や、言葉など、それを探しましょう。
オーケストラ譜にfと書いてある。ソリストには書いていない。5小節目にはp。
オーケストラは奴隷。ソリストは自由。なので、細かく指示がある。
しかし、それを知って、演奏する。
そのためにも原典版をそろえましょう。モーツアルトconcert テレマンfantasy シューベルトのヴァリエーションなど、フルートにとって大切な曲はそれくらいです。
長い音は、鳴らした後から、吹き込まない。頭が常に一番大きい。
第2テーマはPではじまりとは違うけれど、楽しいままで。
質問
アンサンブルで他の楽器に比べて音が通らないどうしたらいいか?
回答
良いアンサンブルなら、全ての楽器の音が聴こえないといけない。どれかの楽器だけが、大きいのは良いアンサンブルとは言えないと思います。
質問
曲を演奏するに当たって、大事にしていることはなんですか?
回答
作曲家の書いたことを再現することです。
ただ単に楽譜を読むと言うことではなく、日本人がよく言うように行間を見つけるということです。
私が演奏した時、フルートという楽器を忘れ、音楽を覚えているような演奏が出来ると良いと思います。たぶん、私に一生できないかもしれないけれど。
音楽に向かう姿勢は、とても謙虚で真摯に感じられました。素晴らしいレッスンでした。
本当に楽しかった。
プログラムは
クーラウのフルートトリオト長調 op.119
モーツアルトのソナタKV.454
ドップラーのリギの思い出
マルタンのセカンド・バラード
ハイドンのエコー
アンデルセンの軍隊式アレグロ
美しい音、楽しんで演奏しているのが、伝わってくる演奏会でした。
マルタンのセカンドバラードは、日本初演。
重苦しく、暗いテーマの曲を、アドリアンが抑制の効いた緻密な演奏で、客観的に演奏されていて、聴きやすく素晴らしかった。
古典はどれも、軽妙で、華麗。ラリューさんの音にうっとり。
ドップラーはアルトフルートをアドリアンが豊かに演奏して、山の情景が見えてくるようでした。
今回は20周年コンサートということで、おなじみのドルチェ楽器の社長安川さんと、アメリカからパウエル社の方が来てご挨拶なさっていました。
会社を立ち上げ、20年も経営するのは、並大抵のことではないと思います。
ただ楽器を売るだけでもすごいことですが、音楽を愛する人たちが集まってくる場をつくり、誰もが勉強できるように、マスタークラスを開講したり、コンサートを開いたりすること。
こういうことは、きっと一般的に考えられているより、ずっと大切なことだと思います。
音楽をするということは、学んだり成長し続けることだと思います。
楽器を得て、教師と出会い、楽譜を手に入れ、実際に聴いたり、発表したり、情報交換したり、学んだりする場がある。そういう場があってこそ、誰でもがずっと容易に、音楽を人生の傍らに、おき続け、成長することができる。と思います。
何より、店に行くと、「いつでも、力になりますよ。」というスタッフの顔を見るだけでも、安心します。
アドリアンが、アンコールの前に、パウエルフルートに感謝し、そして、ベームに感謝。ベーム無しに、我々は存在しなかった。と言われたのは、本当にそうだと思いました。
素晴らしい演奏に、音楽を支えてきた全ての人々に感謝したくなった夜でした。
父は「おかしいやろ。」と、自慢気。
「育て方調べたら。」と、私の心の声は突っ込みました。が、香り高く、酸味控えめで、これはこれで、食するのにはいいので、ほっとくことにしました。
奄美大島は前線の影響で、大変な被害がでたようですね。住民のみなさんのご苦労、ご心痛お察しします。
夫は、台湾から、TVのニュース画像を送ってきました。台南が前線を刺激した猛烈で大型(こんな修飾語のつく台風、初めて聴いた)台風の暴風圏に入るようです。夫は今夜成田に着き、明日帰宅します。飛行機は台北からなので、支障なく飛んだそうです。
台湾の皆さんのご無事を祈ります。
それにしても、こういうできごとがあると、地球は繋がっていることを実感します。
緒方貞子さんがさっきテレビにでていて、
「一国だけの平和なんてありえない、地球はみんな繋がっている。」
とおっしゃっていました。
エコロジー、非暴力。
いっぱい地球に悪いことしてますが、本当に私に出来ること、何でもしなくちゃ、それも急いで。
実家のオリーブの実、前に来た時には緑だったのが、褐色に色づいていました。
父が「おいしそうに見えたから、口に入れてみたら、苦くてまずかった。やっぱり塩漬けか、油でつけなあかんねんな。」と言っていました。
田舎で農作をしていた父は、植物については自信があるらしく体験主義。
しかし、それにしては失敗して、「枝切りすぎ!」とか、「獲ったらあかんっていうてるのに!」とかよく母に叱られています。
ネットで調べたら、塩漬けはあく抜き半年。苛性ソーダを使えば、1週間くらいで食べられるそう。教えてあげようかな?早くしないと、また父がよくわからないまま出発して、叱られそう。
今日は、30日のコンサートの打合せ。
宮城道雄の「春の海」、「小鳥の歌」。
須山先生編曲の「子どもの歌」「秋の子どもの歌」を無理矢理フルートとお琴に編曲。
「春の海」は、何回も一緒にやっていますが、母は真面目過ぎて、ガチガチにテンポどおりにするので、いつも、「ちょっと、待って。」「そこは早めに。」とか「中指に力を入れて。」とか、大汗かいてあわせてもらいます。ちょっと険悪になる時も・・・。
若い頃はよくけんかしました。しかし、最近はお互い丸くなったのか。寸前までで鎮火。ちょっとは認めてくれているのかな。
「小鳥の歌」は何年ぶりか。こっちはまだまだ。練習することになりました。
須山先生の2曲は、かなり無理矢理。琴の1stを私、2ndを母。変なところは、入れ替えたりしますが、問題は、「秋の子どもの歌」。1stと2ndお琴の調子が違う。つまり、同じ1弦を弾いても違う音が出るので、表記の音符を5線の音に戻して、同じ弦を探します。
学校から帰ってきた姪まで、入ってきて、あーでもない、こーでもないと、論議が始まります。
思い出しました。結婚した相手は、口数すくないので、息子たちも静か。大騒ぎするのは、私だけ。しかし、実家は、みんなうるさい。取り合いでしゃべるので、うかうかしていると、自分の番は永遠にきません。
久しぶりのエキサイト。
アンコールは宮城先生の「チョコレート」にしました。
母が弾いたら、思い出がこみ上げてきました。
4歳の時、初舞台。御堂会館で歌いながらお琴を弾きました。隣にはもう亡くなった祖母。
間違えたら初めから弾きなおして、3回も弾きました。家で弾くのも会場で弾くのもじぶんとしては変らす、祖母はニコニコしていて、終わったら母がソデでまっていて、だれかがくれたかわいい犬のぬいぐるみを渡してくれました。
「大成功!やったー!」っていう記憶です。
こんな感じでお気楽に続いてきたんだなぁ。3回も弾きなおすなんて大失敗の記憶であってもおかしくないのに。まぁ、お気楽な家族のお気楽な妄想ってことで。
からすのエンドウ。春にはこのエンドウのお豆で、こどもたちと笛を作って遊びました。今頃は花の状態です。
今日は梅田でレッスン。
エラートの16番。
この曲は苦手。調整が小節どころか、半拍ごとぐらいに変って行って、何度練習しても混乱してしまいます。
「楽曲分析をするんだよ。」
エラートはスラーや、16分音符の連桁、ブレスを行っています。これが彼のフレーズの切りたいところだと単純に思って、演奏していましたが、先生は違うといいます。
「調整を考えて終止音のところは、前にブレスが書いてあっても、フレーズの終わりでは無いところがあるんだよ。」
それで、演奏してみると、本当先生の言うとおり、ゴチャゴチャして訳がわからなかった音が、きれいに演奏できます。
「楽譜がこう書いてあるから、そのように演奏した。ではあかんのよ。楽譜の奥にある作曲家の言いたいことを深く読み取らないと。」
本当にそうです。まだまだ、勉強することは山ほどあります。
で買ってきた、ピアノ柄のシャープペンシル。
音楽柄の小物。バックや財布、インテリアなどで、演奏のための補助小物の店ではありません。こういうものって、実用性はないけれど、身の回りにおいて置くと楽しくなってしまいます。
店に入ると、さっき聞いて来たコンサートのパユと、リヴェのCD。
コンサート帰りのお客を狙うなら、この気遣いは大当たり。他のものが掛かっていたら、余韻を楽しみたいから、帰っちゃうものね。さすが芸術センターのお膝元です。
日曜日には、3回目のマンドリンオーケストラの合同練習。後1回で本番です。
アンコールの曲を追加。総譜をわたされました。またまた、フルートとピアノの分パートが無いので、またまた編曲。YOUTUBEで他の編曲を参考にしようと、見ましたが、編成が小規模のものばかり、参考にならないです。
仕方ないので、他のパートの分を少しづつ食うことにしました。ごめんさい。
また、機会があったら、大編成の原曲のもの選んでもらえるとうれしいんだけどなぁ…。編曲する手間はいといませんので。実は結構おもしろくなってきてます。
「カルメン」ファンタジーの編曲も、オケの組曲を聴いたり、オペラの方を聴いたり、スコアもダウンロードできたので、調べながら書いたりして、とっても勉強になります。オケでは、OKだったフルートパート、マンドリンオーケストラでは×だったり。
楽譜上であっているはずでも、合奏してみるとうまくかなかったり。
思惑以上にばっちりだったり。
そのたびに、マンドリンオケと、フルートの特性が明瞭になってくる感じでとってもわくわくします。
だいぶパートが固定化してきましたが、今回も新しく、試みて見ました。次で、完成しなくっちゃ。
練習の後、同期の6人と、駅前の喫茶店で、お茶しました。こうしていると、女子大生にもどったみたい。得がたい大切な時を過ごしました。
土曜日に、エマニュエル・パユとクリスティアン・リヴェ(ギター)のコンサートに行ってきました。
ギターが相手とあって、いつものピアノとは、違う空気でした。
日本、インド、ラテン音楽と空気がエキゾチック。
人気のパユで、広い兵庫県立芸術文化センターの大ホールが4階まで満席。
席が前から3列目で、息遣いまで聞こえましたが、ギターのフレットを押さえる音がほとんど聴こえない、丸いマイルドな音を追求したリヴェのギターでした。
そういう意味では「春の海は」少し、ソフィストケイトしすぎの感じがありましたが、お琴のダイナミズムをギターでよく表現していました。
武満徹の「エア」、「海へ」、「すべては薄明のなかで」は、武満のクールな突き放した感じが和らぎ、暖かく軽妙ささえ漂い、私にとっては聴きやすかったです。
ラヴィ・シャンカールの「魅惑の夜明け」はダルシマーの響きをギターで表現すると、やはりタッチが、丸すぎるけれど、とげがすくなく瞑想には最適かも。
ラテン音楽ヴィラ・ロボス「春の分布」は、擦過音や、胴を叩いたり、ギターで、できるいろいろなテクニックを軽々とりヴェが弾いていておもしろかった。
「ブラジル風バッハ第五番」アリアは、このプログラムの中で、もっともフルートとギターの双方の魅力が出ていたように思います。
「モディーニャ」はパユがとても繊細な仕事をしていました。
ピアソラのタンゴの歴史の4曲はとにかく楽しかった。
ギターが相手だと、音量を大きすぎないようにフルートが絞らざるをえないのですが、パユが本当に気を使って音を出していて、総じてpppがとても美しかった。
欲を言えば、プログラムから言えば、もう少し、ダイナミックでも良かったような気がする演奏会でした。