実家に行くと、母が「お天気がいいからどこかに行きたい。」
というので午後お昼を食べて、夫と次男を誘ってから出発。
「コスモス畑がテレビに出てた。兵庫県野田にいっぱい咲いてるらしいよ。」というので検索。
しかし、午後からでは遠い。
結局、京田辺近辺のコスモス畑を回ることにしました。
上狛駅裏のコスモス畑。村の人達が運営されていて「先週来てくれたら良かったのに。」と言われましたが、
確かに少し咲き過ぎでしたがきれいでした。
次は恭仁京、恭仁小学校
校庭から恭仁京時代の遺跡が出てくるという小学校の前。
それから加茂駅を経由して
蟹満寺近くの田んぼの真ん中のコスモス畑
近場でこんなにたくさんのコスモスを楽しめるなんて知りませんでした。
母もよろこんでいました。
コスモスは宇宙という意味があります。
ジャック オッフェンバック(1819-1880年)ケルン生まれ、パリ没
が1875年、作曲したオペラ「月への旅」はジュール ヴェルヌ(1828-1905年)パリ生まれ没
の小説「地球から月へ」1865年をオペラにしたものです。
ゲテ劇場で初演されました。
エドワード アーノンクール初演時のポスター
オッフェンバックはゲテ劇場の館長でこのオペラ化を提案しました。
ヴェルヌの「80日館世界一周」は1874年彼自身によって舞台化されサン・マルタン劇場で公演され大成功していました。
その波に乗ろうという試みでした。
しかし、結末を見たヴェルヌは結末について不満をいいました。
それは別の作品の結末を持って来たのですが、それについてはヴェルヌと合意があり、円満に解決しています。
フロモン シェレによる荘厳なセット。
パリ天文台、高炉、月面基地、火山はオリジナルの建築デザインでガラスで作られました。
トラップドアは観客を驚かせ、ダクリマタシオン庭からヒトコブラクダを借り、劇場の前には宣伝のために大きな月の模型がありました。
2年間で、247回公演され、大きな収益を上げました。
カプリス王子と父のヴラン王は天文学者マイクロスコープに月に行きたいと頼みます。
マイクロスコープは天文台から大砲の中に入り、月に向かって発射すると言う方法で自分とカプリスとヴランを月に送ります。
月では月の住人セレン人の王コスモスとカウウンセラーが、地球に人は住んでいないという議論の真っ最中。
爆発とともにやってきた3人をコスモス王は拘束します。
娘ファンタジアがやってきて、自分の誕生日なので3人を解放するように頼み、聞き入れられます。
月は国王のために働くことは人気がなく、候補がいないときは最も太った人が選ばれます。
また月には病い以外に愛は存在しないのですが、ファンタジアはそこにあるリンゴを食べると突然カプリス王子を愛するようになります。
診察した医師はファンタジアを閉じ込めますが逃げ出します。
夜になると幽霊のような影が現れたり
零下50度の世界、星とキメラが踊るコスモスの庭を通り、太鼓腹の国ではファンタジアが王に愛され一騒動。
火山に降ろされ、噴火が起こります。
が全員助け出され、月に地球が昇ってき、それを拝観し物語は終わります。
奇想天外なエピソードが続きますが、第二次産業革命で、人々が科学技術の力を信じるようになり、月への想像が膨らんでいました。
メリエスのリメイク映画が当時の雰囲気を伝えています。オッフェンバックはアップできませんでした。また、後日