木蓮が満開です。これは白木蓮。蓮の花は、お釈迦様が乗っていたり、背負っていたりする花です。衆生が仏の教えが広まると楽の音が響き渡り、蓮華の花びらが世界中に舞い散る。私は仏教徒と言うわけではありませんが、仏典を読んだ時に、その美しい世界が目に浮びました。
木蓮を見るとその記憶がよみがえります。
あらゆる宗教は、人間がいつか到達するだろうという美しい世界を提示しています。
こんな時にお気楽なことを言うと思われるかもしれませんが、いろんな人に統計を取ったら、こうありたい自分や、理想の姿を具体的にイメージすればするほど、その姿に近づくそうです。
人はイメージするものになる。
美しいものをみたり、聴いたり、おいしいものを食べたりする意味はそこにあると思います。
きれいというのとは少し違います。
植物や動物の生命力。生命を育む自然。命を感じさせる音や、絵、建物。質。
命に繋がる何か。
私たち日本の子どもたちは、1960年代から、アトムや、ウルトラマン、仮面ライダー、ガンダム、エヴァンゲリオンと、科学の素晴らしい面と、ひどい面を繰り返しイメージの世界で再現してきました。
科学のどちらの面も真実で、この世界にあり得るもの。
どちらの側面も私たちは自覚しながら、科学を扱わないといけないと思います。しかし、今ほど科学や、その科学を扱う人間の素晴らしい面を信じなくてはいけない時はありません。
ギリシャ神話の中に出てくる将来を予知することのできるカッサンドラは、最悪の将来を回避したいために予言を伝えますが、その運命を避けることはできず、人びとは予言を信じようとせず、最悪の予言はカッサンドラを決して幸福にしません。
美しい未来を、イメージし信じる。悪いことも広がるけれど、良いことも広がる。
目の前の命の質を上げること、育んだり、美しい行いをしたり、美しいものを見たり、懸命に生きることで、きっと世界は再生する。質で世界は繋がっている…ちょっと大きなこといいすぎたかな?