いきなりですが、最近謝罪についてよく考えます。
謝罪は相手を傷つけたと思った時にする行為です。
相手のためでもありますが、自分の心の問題でもあります。
相手を傷つけたと思ったまま、黙ったり無視していると、自分が苦しい。いつか自分が同じような立場に置かれるかもしれないと、根拠のない疎外感にとりつかれ、やがては孤立していきます。
人間は間違う。完璧な人間は一人もいません。謝罪は人であるために、人の仲間であり続ける為にどうしても必要な行為です。
謝罪は相手に負けることでも、卑屈になることでも、自虐でもありません。
相手が謝罪を受けれても、受け入れなくても、悪いことをしたと思ったら、その行為については謝りつづけるしかありません。
お金を渡したから、ペナルティを果たしたから、終わりというものではありません。もちろん社会的限界はありますが。
何を謝らないといけないのか、明らかにし、失敗の原因、真相を究明し、
最も大切なことは、二度と繰り返さないと相手に信じられる言動を積み重ねることです。
相手を傷つける言動をとり続けたり、謝罪を受け入れないからと居直ったところで、赦されることはないし、そもそも、初めから謝罪の目的からかけ離れていたのだと思ったほうがいいでしょう。
赦しは、予期せぬ時にで突然起きるのです。
なぜなら、赦すか赦さないかは、相手が決めること、傷の深さは傷を受けた方にしかわからないのだから。
謝罪は受け入れて欲しいけれど、もし、受け入れられなくても、謝罪するという行為は、自分が人間であるということの誇りを生みます。
どの行為が人として、まずかったのか、相手が赦しても、自分が自分にその行為をすることを二度と赦さない。という姿勢でいれば、少なくとも人として生きることはできます。
今日は、Gさん、Mさんと古本屋巡りです。
「今日は京都を回るんだけど、ブックオフ黄檗が閉店したでしょ。高槻で一軒行ってから長岡天神に行こうと思って。いい?」とMさん。
どこに回ろうかと、準備万端してくれています。
で、高槻に行ってみたら、「ないなぁ。ってここやわ。」すんでのところで、見過ごしそうになってMさんが急ハンドルを切って、駐車場に入ってみたら、「生活良品?」
「これちがうなぁ。」「うん、ちがうわ。」「ちがうよ。」
そう、閉店していたのでした。
「調べてきたのになぁ。ごめんね。」いやいや、とんでもない。いつも乗せてきてもらうだけの私です。
「これから、長岡天神店に行こうと思ってたんだけど、気になる店があって、前に行ったら探してたのがあったのよ。小さいんだけどね。」とMさん。
「行きたいねんな。いいよ。」とGさん。
高槻栄店に行ってみたら、なんだか変な雰囲気。「あれぇ?これってもしかして・・。」
「ちょっと見てくるわ。」とGさんが、ドアに貼られた張り紙を見に行ってくれました。
「どうやった?」
「うん、午前中棚卸しだって、昼から営業するって。」「よかった、閉店じゃなかったんだ。」
「今日は、こういう日なんだ!!」とGさんが一声叫びました。
結局遠回りしましたが、ブックオフ高槻別所店が今日の起点になりました。
YAMAHAの大人のためのピアノレッスン上下巻
ピアノが簡単にうまくなる方法を探し続けて何年・・・本を買ってもうまくなりませんが、つい買ってしまう。上巻105円 下巻500円、同じ版ですがこの違い。うまく売っています。
ブックオフ長岡天神店
ここは、他の店と品揃えが違います。哲学書、科学関係の本が多いです。
欲しい本いっぱいありましたが、全部買ったら破産します。
ドロシー・ギルマン著 一人で生きる勇気 集英社
二人の息子たちを、大学に送り込んだ後、「人は一人で生まれ一人で死んでいくのだから、一人でいることー孤独ーとどうつきあうか学んでおいたほうがいいと・・・」考え、行動した著者の半世紀。これからの私に必要なことが書いてあるんじゃないかと思います。
モーツアルトをめぐる人たち 石井清司著 ヤマハ
ルポライターでもある著者は、か弱くか細い音楽家ではなく、封建社会の中で自由に創作することを求めた強靭なモーツアルト象に焦点をあてます。
ブックオフ久世橋店
ここは楽譜が多めです。
YAMAHA たのしくふけるフルート ディズニー作品集
奇跡の一冊。フルートの本があるだけでも、珍しいのに、欲しいと思っていたディズニーとは。簡単なアレンジですが、絶対に使える。
そして、サンサーンスの動物の謝肉祭
ピアノ連弾アレンジ。Kさんが、今度やりたいと言っていた曲。なぜ、今日ここにあるんでしょう?!
87クロッカーズ 第二巻 二ノ宮知子著 集英社
のだめの著者はチェック。1巻を手に入れて半年、やっと第二巻です。108円の値札は4月からの消費税増税の準備、今日は105円で買えます。
ブックオフ宇治小倉店
えち先生と『銀の匙』のこどもたち 奇跡の教室 伝説の灘高国語教師・橋本たけしの流儀 伊藤氏貴著 小学館
この前亡くなった橋本先生の話です。生きている時のお会いしたかった。
ブックオフ大久保店
季刊花ぐらし 2009年秋号 この秋バラを植えよう。
バラを育てようというのに、ネット任せ。一冊くらい読まないと。
今日は帰りに、コメダ珈琲に寄りました。
4時前になっていました。お昼も食べずに回ったのでお腹がすいていましたが、またすぐ夕飯。サンドイッチを一つを二人で分けました。Mさんはなんだっけあの大きなケーキ。わけてもらいました。おいしかった。
この春、私たちの子どもたちの環境が変わります。
合わせて自分たちの生活も変わり、嬉しかったり、不安だったり。話しているとなんとかやっていけるような気がしてきます。
楽しい一日を過ごしました。
昨日はKさんと、とっておきの音楽祭の打合せ。
午後、久しぶりにKさんのお宅に行きました。
サンプラザ3号館前、屋外なので、ピアノが使えません。Kさんの電子ピアノを持ち込みます。
クライスラーの美しきロスマリン、ドボルザークのユーモレスク、メンデルスゾーンの春の歌をやってみたら、本物のピアノに比べて音の立ち上がりが遅い。けれどその分、Kさんが丁寧に弾いてくれるので、優しい感じになって、曲の雰囲気にはあっています。
「行ける、行ける。」と言うと、Kさんが、「電子ピアノだけでは、こんな感じにはならないのよ。アンプを良いのを使ってるから。マイクもつけてみる?たぶん、雑踏の音がするから、つけたほうがいいよ。」
「マイクを通してしたことがあまりないから、どんな感じかよくわからないわ。」
「今、つけてみたら?」
ということで、やってみたら、生音とはやはり違いますが、アンプのせいか、そんなに違和感はありません。
ボルンのカルメンのハバネラと、ジプシーの歌を演奏してみたら、こちらは、なんだかちがいます。
つくられたピアノの音の立ち上がりが少し遅く、残響が短いせいです。
「音変えてみようか?」
Kさんと、ピアノの説明書を取り出して、いろいろ試してみます。
rock pianoというのが、立ち上がりが速い。
「これでもいいかも。」
「これなんかどう?」と、koto や、nilon guitarなどなど試してみたら、harpが立ち上がりが早く、残響が長めで、ちょっとジプシーギターのような、怪しい感じもかもしだして、カルメンの雰囲気が出ます。
「それがいいよ。どんなにやってもピアノだと、本物のピアノには、かなわないから。電子ピアノを活かすものを作った方がいいかも。」と私。
「小品の方もかえてみる?」と、Kさん。
春の歌は、ハープシコードが、初めの和音のシャランとしたところが、ピアノよりずっと華奢で繊細になって活きてきます。
クライスラーは、band neon。パリの路上のバイオリン弾きの感じがでます。
ユーモレスクは、やはり、弦楽器かと思って、cello や violaを試してみました。音色はあっていますが、音の立ち上がりがとにかく遅くて、演奏しにくい。
それでは、木管楽器かとクラリネットにサックスをしてみましたが、音の頭がなさ過ぎて気持ち悪い。
「音色はこんな感じなんだけど・・・。電子で作った管楽器と、弦楽器では、音の立上りがだめなんだ。きっと思いもつかない物がいいんだよ。」
おもいついて、marinba をやってみたら、音色は弦楽器と木管のあいだのようでバッチリ、音の立ち上がりも良い。ところが残響がなさすぎる。しかし、そのあたりで時間がなくなってきました。
「時間ないな。考えておくわ。」とKさんが言ってくれました。
電子ピアノもおもしろくなってきました。どんな音を、Kさんが当ててくれるのか楽しみです。また、練習します。
いよいよ暖かくなってきました。実家の雪柳もだいぶ咲いてきました。
昨日はピアノのTさんと練習でした。
春らしい曲でTさんの家でホームコンサートをします。
次男のママ友Tさんがピアノ教室を再開したいと、初めて聞いたのは、まだお互いの子どもたちが中学に通っていた頃だったような。
しかし、一向にはじめる気配はなく、その子達が、高校を出て、2年。
近頃、ようやく本気になりました。
「どうやって、生徒募集しよう?」
「コンサートがいいんじゃない?」
「自信ない。」
「大学の音楽科でてるじゃない。」
「もう、指が動かない。」
「練習したらいいよ。先生やるんだったら、弾かないわけにはいかないよ。」
「うん。だったらリハビリに一緒にやってくれる?」
「一人でできるよ。」
「いや、そんなんだったら、絶対にやらない。」
「わかった、じゃあ、一緒にやろう。」
と、いうわけで、
4月3日11時、Tさんの家で無料のデモコンサートを開き、そこで希望者に体験レッスンをしてしまおう。という企画が始動したのでした。
コンサートだけでなく、ちょっとした音楽遊びも考えました。身体を動かしたり、ハンドベルを借りてきてお客さんに演奏を楽しんでもらおうとも考えています。
練習してリハビリもばっちり。
ぜひ、お誘い合わせの上、おいでください。
御殿山駅7分。希望者は久米までご連絡ください。
連休の間に、また次男の引越し準備で、福山へ。
今度は、車で、お布団や、掃除機、冷蔵庫なんかを運んできました。
金曜日の朝、レッスンをしてから、移動したら、連休超渋滞で、飲まず食わずでおおかた6時間かかりました。
夕方5時前についたら、大家さんの園芸店は締まっていて、電話をしたら、大家さんのお父様が出られて、「今日はおりません。」とおっしゃっただけでした。
不動産屋さんに連絡したら、早速ついてきてくれて、店の裏口をあんないしてくれました。
菓子折りを持って挨拶に伺ったら、出てこられたのは、大家さんのお父様。ニコニコして、「すんませんなぁ。今日は息子は法事で出てしまってましたんや。」このくしゃくしゃの笑顔100万ドル。
6階までスタスタと上がって、合鍵を出して、部屋を開けてくれました。
96歳。
信じられない。背中もまっすぐ。
今日は泊まりで、明日も荷物を入れると言ったら、降りてすぐまた上がってこられて「鍵をあげときますわ。」といただきました。
台車も出してくださって、親切で、またフットワークの軽いこと。
恐縮してしまいました。
その日は車を前において何往復もして終わりました。
ホテルに行こうとしたら、またやってこられて、「これをどうぞ、水やらなくていいですし。」
と、こんなものをいただきました。
本物の蘭かと思ったら、本物そっくりさんで、光触媒効果で空気を浄化してくれるとか。
お世話をしなくていいように気を使ってくださったのでした。
温かく、気遣いのある方で、安心しました。
帰りに、部屋の近くでパン屋さんを発見しました。朝食用にパンを買って帰りましたが、このミルク入りパン、絶品でした。コンデンスミルクかな?生チョコパンの様に、ミルククリームが渦巻きの層の中にとろりとしていて、とにかくおいしかった。
夜は、茂吉というおでん屋さんで、夕食。対面式カウンターのみの席ですが、またここがおいしかった。牛すじや卵、大根、こんにゃくの他に、野菜メニューがたくさん。
三つ葉、レタス、フキ、筍、レンコン、里芋などをおでんのだしの中で煮込んでから出てきます。信じられないでしょうが、おいしかった。
締めはじゃこ飯と、牡蠣雑炊。両方頼んで分けて食べました。
福山で食事はハズレなしです。
次の日はニトリで、食器や、フライパン、カーテンを買い、リサイクルショップで、小さなデスクも買いました。大型店舗がたくさんあり、ドラッグストア、ブックオフやスーパーも近くで、今のの自宅の周りより、買い物は便利で、不自由することはなさそうです。
荷物を運び入れたあと、ついでに、春休み中の大学も見てきました。
学内にコンビニに、カフェ、大きな食堂、クリーニング屋さんもあります。薬学部の薬草植物園なんかもあります。パソコンつきの自習室。なんでも生活は学内で間に合います。周りは山なので、集中して勉強できそう。・・・本人にやる気があればですが。
その日のお昼は、おうどんのセルフの店。びっくりしたのは、イカの足の天ぷら。
お皿からはみ出て、お皿が小さく見えます。
あまりの量に足一本しか食べられなかった。さすが、港の近くです。
あれこれ見て、次男が一人になった時に、どんな暮らしをするのかが、具体的に思い描けるようになってきて、心配がすこしづつ減ってきました。
次男が広島に行く日が迫ってきました。3連休は自家用車で荷物を運びます。
とっておきの音楽祭のチラシができてきました。
仙台から始まり、近畿では初めてのバリアフリーの音楽祭です。
枚方市駅周辺の数箇所で同じ日に色々なジャンルの団体の演奏が行われます。
花と音楽の街枚方にふさわしいお祭りです。
大人も子どもたちも出演します。
ピアノのKさんが実行委員に入っていて、誘われました。
スタッフも市民のボランティアです。
よく知っている子どもたちも出ます。
私は、アンサンブルで11時~駅東側のスターバックス。
Kさんと二人で12時からサンプラザ前で演奏します。
13日、枚方市駅周辺にお出かけください。あちらこちらから、生演奏が聞こえてきます。
「生活の中で使わない身体で吹かないで。」と、フェランディスさんが言っていたことが、染みてきています。
普段日常生活でしないような、頑張ったカチカチの体で吹くのでも、リラックスしすぎて、緩んだ体で吹くのでもなく、フリーな体。
例えば、歩いて誰かと会って、握手する、その時のような身体と、彼は言っていました。
そう、思って自分の生活を振り返って見ると、掃除したり、炊事したり作業をしている時は、張り切って姿勢よくしていますが、何かを書いたり、パソコンを覗いたりしている時って、首を前に落としてかがんだ姿勢で、長時間。
このような姿勢で吹くと、いくらなんでもいい音はしないです。
それだけでなく、すっとこういう姿勢でいると、自分の健康にも良くないような気がします。
普段の生活の姿と言っているのはこのような姿勢ではないはず。
見ていると、フェランディスさんは、楽器を掃除してしまっている時も、歩いている時も、誰かと話している時も、とても自然体で、しなやかで、姿勢が良いです。
彼の毎日の生活のプロセスがあって、あの音と音楽。
考えれば、世界中の名手と呼ばれる人、達人と言われる人のライフスタイルは、その出てくるものとかけ離れていいるということはありません。
この人があって、この作品。
私も自分の生活を見直す決心をしました。
17日は、フェランディスさんのマスタークラスでした。
一人目はプーランクのフルートソナタ、二人目はドップラーのヴァラキアの歌。
曲のことも話されましたが、一番時間を割いたのは、姿勢や呼吸のことでした。
少し離れて普通に歩いてみて、相手に近づいて止まると、足はどうなりますか?
それから、椅子に前よりに腰をかけ、フェランディスさんが手を叩いたら、直ぐに立つ。というワークショップをされましたが、その時に、「体の場所で気づいたところがありますか?」と質問されました。
立つときに背中をフリーにする。
「リラックス」という言葉は好きではないそうです。力を抜いてしまうと、演奏できない。
普段の生活でやっているようなことで演奏する。もちろん、パワフルではありますが。
フリーであるということは、体がどのようにでも自由にコントロールできる、という意味です。
、で、背中をフリーにして手を叩かれた時に立つと、とても早く、静かにたつことができます。立ったあと、背骨が上に伸びたような感じがして、その後、地面に着地する。
それで演奏すると体がフリーになります。
そこで、フルートを構えてみます。吹く前に、奏者の膝の後ろをかくんと折ります。するとかかとが上がります。
これは、骨盤をフリーに動かすために、足に力が入りすぎて、固まらないためにするそうです。
演奏は、音によってするものではなく、空気によってするものです。
音を吹く前に始まっています。こうすると足の踵の下から空気が入ってきて、それを音にできます。
ランパルは骨盤を動かしながら演奏されたそうです。
ずっと動かしたり、踵をあげながら演奏する必要はありません、しかし、動かそうと思えばいつでも動く状態、つまりフリーな状態で演奏できるようにする必要はあります。
こんなふうにと、首を左右に動かしながら演奏されました。
そうすると、いくらでも演奏できます。と長いロングトーンも吹かれました。
実際に奏者のが首が前にいったり、右に曲がりすぎたりするのを、実際に手で支えて真っ直ぐにしながら吹くと、音が格段に響くようになりました。
曲については、フランスもののプーランクと、ハンガリーのジプシーの音楽を取り入れたドップラーっでは、曲風がちがいます。
フランスものは、明るく、軽く、決して深刻にはならない。そして、涙はありません。
ドップラーは、泣きます。
曲によって、音は全く変えなくてはなりません。
最悪なのは同じように吹くことです。それは、一曲の中でもそうです。
変化すること、自由に。
昨日は、次男が広島の大学に行くことになって、高校の友達と食事に行き、夕食は夫と二人。
近所の無名屋さんで食べました。ふきのとうや菜の花の天ぷら、初鰹など、春の味をいただきました。中でもこれが一番。たけのこの皮の上にたけのこを乗せて、炭火焼。
味噌にはピリッと唐辛子。ジューシィで少し甘みがある筍は最高でした。
今日は、うちでピアノのTさんと4月3日にTさん宅で行うホームコンサートの打合せ。
デモ演奏会を行い、ピアノ教室とフルート教室の生徒さんを募集しようと画策中です。
朧月夜や、春の歌、愛の挨拶など、春らしい曲を数曲と、子どもたちが来た時に向けて、歌を歌ってみたり、パッドを敷いて音楽に合わせて身体を動かしてもらおうか?などなどいろいろ検討中。
前回、Tさんは金柑の甘煮をくれましたが、また持ってきてれました。喉が弱いので、本当に助かります。それに、甘過ぎず、調度いい味で上手に煮てあっておいしいです。
うちにもそういえば小さな鉢植えに金柑が数個なっているので、作り方を教えてもらいました。
来年は一緒に作る約束をしました。
私市にいらっしゃるTさんのお母さんが、しいたけを下さったそうで、お裾分けもいただきました。
これが、でっかいしいたけ。
「写真だけじゃ大きさわからないよ。」とTさんが言うので、Tさんの携帯を横において記念撮影。
でっかいでしょ。まだ食べてません。
金柑にきのこ、練習しても、打ち合わせしても、脇道が大事な私たちです。
昨夜に引き続き、今夜も次男は送別会。
夫も「食べてきていいよ。」というので、
今夜はフェランディスのマスタークラスに行って、夕食は外で一人で食べました。
素晴らしかった。まだ、夢見心地です。報告は後日。
サンルームに入れてあったシクラメン。5度以下では霜焼けして、葉も花も枯れてしまうことは昨年、実証済み。
春、夏、秋と葉のない鉢に水をやり続けていれば、また花をつけました。
今は、 5度を目安に外に出したり入れたり。今日は昼間は外、夜は中。過保護かしら?
しかし、この花を見れば、今年は中に入れてよかった。と思わずにはいられない。
私たちはみんな結果が欲しかったり、思いが強すぎると間違えます。
多数決が万能だと思ってしまったり、年功をかさねることが発言権のように思ってしまったり、ルールを盾に話しあいや説得を怠ってしまったり
そうかと思ったら、自分たちの思いが通りそうにないと、話し合いや、他の人の意見をできるだけ聞かないで済むように、ルールをかえてしまおうとしたり。
考えられる限りの知恵を振り絞らなくてはいけない問題を解決するのに、自分と同じ考えの人だけを集めて話し合ったり。
事実の検証や、科学的な視点が必要な時に、思いを持ち出してきたり、
みんなに与えられた立場を、自分の思いを通すための道具にしたり。
そんな時、会議は話し合いと名前がついていても、相手の意見はろくにきけず、思いを通すための手続きに過ぎなくなってしまいます。
話し合いは本当に難しい。相手の話を聴く勇気、自分の話をする勇気、妥協点を探す勇気。
意見が違っても仲間同士でいる勇気。
自分が思ったような答えがでなくても協力する勇気。
しかし、かつてない識字力、文化、教養。情報収集のためのツールも整った。
歴史上初めての高いレベルの市民。
できないはずがない。