火曜日は塚口駅近くのt?raumでハープのレッスンでした。
今週の日曜日にハープの発表会があるので、かなり焦ってます。
曲は「ロンドンデリーの歌」。
優しくていい曲なのですが、アレンジが私にすれば難しいです。
先生「上手くなったけれど、もうちょっと強弱をつけたらいいよね~。」とにっこり。
は〜い。頑張ります。
「ロンドンデリーの歌」(Londonderry Air)は、アイルランドの民謡です。
イギリス領北アイルランドでは事実上の国歌としての扱いを受け、アイルランド移民の間でも人気があるそうです。
世界で最も広く親しまれるアイルランド民謡の一つです。
様々な歌詞によって歌われ、特に「ダニー・ボーイ」のタイトルのものが有名です。
1913年出版アメリカのフレデリック ウェザリーがロンドンデリーの歌につけた歌詞 ロンドンデリーは北アイルランドの県の名で、この曲はロンドンデリー県/デリー県リマヴァディのジェイン・ロスにより採譜されました。
ロスが聴いたのはタイトルも歌詞もない器楽曲としての演奏でしたが、いつどこで誰から聴いたのかなどについて詳しいことはわかっていないそうです。
ロスはこれを音楽収集家のジョージ・ペトリに預け、ペトリは、自分の編纂した「The Ancient Music of Ireland(アイルランドの古代音楽)」(1855年発行)
に収録しました。
そこに「ロンドンデリーのジェイン・ロスの収集による」という註がつけられたため、この曲は「ロンドンデリーの歌」として知られることとなりました。
この曲の起源についての詳細は長い間謎に包まれていました。
ロス以外の収集家にはこのメロディーと出会った者がなく、知られている例はいずれもペトリの発表に由来するものでした。
ペトリによる出版後に最初にこの曲に歌詞をつけたのはアルフレッド・パーシヴァル・グレイヴズてす。
1870年代後半に作られた彼の詞は「Would I Were Erin's Apple Blossom o'er You(私がお前の上で咲くリンゴの花だったなら)」とタイトルがつけられました。
もう一つの謎はその音域の広さです。特に曲の終盤の旋律は極めて高い音域におよび、この部分はプロの歌手にとっては聴かせどころとなっている一方で一般の人にはなかなか歌うのが難しくなっています。
これは伝統的な民謡としては極めて異例なことです。
アン・ゲデス・ギルクリストは1934年の論文で、ロスが聴いたのはルバートのきつい演奏だったために、本来3拍子とするべきところを彼女が誤って4拍子として記譜してしまった可能性を指摘しました。
ギルクリストはさらに、この曲のリズムを3拍子として編曲し直すことによって本来のアイルランドの民謡に近い特徴を備えた音楽になると主張しました。
1974年、ヒュー・シールズは「Aislean an Oigfear」(若者の夢)
として知られる伝統的な曲のある特定のバージョンがギルクリストによる修正版に極めてよく似ていることに気がつきました。
「若者の夢」の版は1792年のベルファストのハープ音楽祭でハープ奏者のデニス・ヘンプソンが演奏したものをエドワード・バンティングが採譜し、1796年に発表したものです。
ヘンプソンが暮らしたのはロスの家のあるリマヴァディから程近いマギリガンであり、彼はそこで1807年まで生きました。
「ロンドンデリーの歌」は「若者の夢」のヴァリアントの一つなのであろうと考えられています。
ブライアン・オードリーは2000年に発表した論文の中で、「ロンドンデリーの歌」の高音域の部分はバンティングによって採譜された「若者の夢」のうち、手稿には記されていましたが、印刷された版では省かれてしまったリフレインに由来するものであることを示しました。
彼は「若者の夢」の別の二つのヴァリアントにも「ロンドンデリーの歌」の高音域の部分とよく似たリフレインがあることを指摘しています。
彼はまた、「若者の夢」のヴァリアントとして最初に歌詞をつけて歌われたのが「The Confession of Devorgilla」(デヴォージラの告白)
(レンスター王ダーモット マクマローがブレフニ王子ティアナン オルークの妻デヴォルギラと駆け落ちしました。
オルークは誘拐の復讐としてマクマローを要塞から追い出しました。
その後、マクマローはヘンリー 2 世の協力を得て、イングランドによるアイルランド侵攻の第一歩を踏み出しました。最終的にデヴォルギラは夫の元に戻り、この歌では彼女が告解室で「ああ!彼女は赦しを乞うて、「お父様、私を殺してください…」と歌っています。)
であったことを突き止めました。
この歌はエドワード・フィッツシモンズによって1814年に公刊された書物に収録されたものです。
彼は「ロンドンデリーの歌」は元々「Oh Shrive Me Father」
として知られていた、というロスの同時代人による証言があることを指摘しています。
このタイトルは「デヴォージラの告白」の最初の一行と一致することから同じ歌のことを指していると考えられます。
またこの証言によるとこの歌はロンドンデリー県のみならずドニゴール県でもよく知られていたそうです。
オードリーは曲のリズムが三拍子から四拍子に変化した理由については奏者によるルバートや採譜したロスのミスではなく、こうした伝統音楽特有のダイナミズムによるものだろうと推論しています。
つまり、オリジナルの楽譜という概念自体が存在しない伝統音楽の世界では、奏者から奏者へと伝えられていくうちに曲の形が様々に変化していくのは普通のことです。
「アイルランドの恋の歌」
キャサリン・タイナン・ヒンクソンは1894年に「Irish Love Song(アイルランドの恋の歌)」として歌詞をつけました。このメロディーはこの時初めて彼女によって「ロンドンデリーの歌」と呼ばれました。
これは
「もし私がりんごの花びらだったら
ふわりと降りて君の胸にとまりたい…」で始まる恋の歌です。
ロンドンデリーの歌 ヴァリエーションop20 グランジャニー作曲