秋らしくなってきました。これは24日の淀川の堤防の上、樟葉駅府道13号線から、島本方面を写したところです。まだまだ暑いですが、空気が澄んできた気がします。
25日には、くるみ割り人形の打合せ。
大変です。
練習会場がとれません。ブラスバンドと、バレエが一時に集まって練習できるには、地域の生涯学習センターのホールが必要です。
今回は働いたり、学校に行ったりしている人が多いので、日曜日に練習日を設定していますが、日曜日は、イベントで、ホールはどこも取り合いです。
午前午後が欲しいですが、一区分しか取れません、とりあえず1区分抽選にエントリーして、待っていましたが、11月2回はどちらも落選。
次は6週前予約で、取ろうとしていますが、こちらも空きが少ないです。
大丈夫かなぁ。
10月は、取れるには取れたのですが、午前は枚方のメセナ、午後は菅原生涯学習センター。
枚方を横断して途中移動です。ロスタイムが、多くてもったいないですが、仕方ない。
練習場募集中です。
チケットと、チラシも刷り上がってきて、みんなで分けもちました。
多勢で動くのはいろいろ問題噴出ですが、みんな意気軒昂。
一つ一つ積み上げていかなくちゃ。
今日はお久しぶり。古本巡り。
Mさん宅、9時集合。
一軒目は、ブックオフ東大阪吉原店。
ここは、児童書や、こども向けの本が充実しています。
草思社 大村典子 「ピアノが好きになる教え方・習わせ方」
目次から、先生の当たり外れはある。669人の先生の実態。なんで練習しないといけないの。などなど、おもしろそうでしょ。レッスンをするにあたって、フルートとピアノの違いはあるけれど、読んでおいて損はない?
春秋社 千藏八郎「あの子がピアノをやめた理由」
これもレッスンをしていると気になること。自分の何がわるかったのだろう?あの時のやり取り?レッスンの進み具合?何かヒントがあるかもしれません。
新講社 多湖輝著 「長女のための本」
きょうだいの中の長女の位置、オーナー社長が長男なら、長女は中間管理職なのでしょうか?
長女はなぜ「わたしがいなければダメ」とがんばるのでしょうか?
次は東大阪みくりや店
講談社 中村光「聖☆お兄さん」第2巻。前回来た時にはなかった105円では見つからなかったのが、今回は見つけました。
門真古川橋店
早川書房 ジョナサン・ワイナー 「フィンチの嘴」
1995年に図書館で読んでから、ずっと探していました。驚きの科学。ガラパゴス島に住むフィンチという鳥を何年にも渡って観察、数え続けた結果、わかってきた進化の不思議。世界は驚異に満ちています。
エンターブレイン社 ヤマザキマリ 「テルマエ・ロマエ」第2巻~4巻。
今回105円。やっと出てきました。
最後がBAZZAR守口ジャガータウン店
クレスト社 ダライ・ラマ著 「ダライ・ラマ「死の謎」を説く」輪廻転生ー生命の不可思議」
慣れ親しんだ行為がカルマの基盤となる。悪しき感情とともに死んではならない。非暴力とは、本質的に慈悲心の発露である。所有欲に根ざす愛は憎しみへと変容する。相互依存の精神が人類の課題解決となる。
春秋社 東川清。平野昭編著「音楽キーワード辞典」
必須の辞典。やすく手に入れました。
他には、山下和美さんのコミックを数冊。古いものも手に入れることができました。
本を手に入れただけではなく、Gさん、Mさんと車の中でいろんな話を聞いたり、聞いてもらったり。
地域の情報交換もばっちり。
二人は、地域の役割を長く引き受けて、ネットワークをしっかり築いていて、いつもびっくりしてしまいます。話すと元気が出ます。
これからも、よろしくお願いします。
二日目は、もう花巻を後にします。車窓の風景は、豊かな稲穂の田園と、東北独特の防雪林を北側に抱えた家。この林が、雪や風から、家を守るだけでなく、里山の鳥や虫を育みます。
家がなくなって、林だけになっているところも多く見ました。本当に人が少ない。
これは、花巻のご夫婦がやっておられた産直野菜の販売所。りんごは何種類もあって、わからないので、「今、美味しいのはどれですか?」と奥様に聞いたら「ちょっと待ってて。」とわざわざ、夫さんを田んぼまで探しに行って聞いてくれました。今は「津軽がやっぱり一番」だそうです。かぼちゃや、なしをダンボールにいっぱい詰めて宅急便で送ろうとしたら、「これも、おいしいよ。」と新種のりんごを二種類余分に入れてくれました。津軽・・・めちゃくちゃ美味しかった。
レンタカーで2時間走って、平泉へ。世界遺産も見なくてはいけません。光堂は撮影禁止ですが、中尊寺までの山道に、弁慶堂や、弁天様たくさんのお堂があり、一つ一つ拝んで行くと結構時間がかかります。途中のお茶処で、芭蕉展をやっていました。私の大学時代のゼミが、一年かけて「奥の細道」を読むという講義。なんだ、この偶然は!
ほとんど誰もこないような、クリームソーダを出すような、桧皮葺の民家のような薄暗い小さな建物の一室で、
「五月雨や 降り残してや 光堂」の芭蕉真筆を見てしまいました。
賢治と、芭蕉にここに呼ばれたような気がしてきました。
西行法師に憧れ、その足跡を訪ねるために、年老いた身でここまでやってきた芭蕉。
時空を越えても、西行の詩の真髄に近づきたかった芭蕉。
私も、会ったこともない古えの西洋の音楽の真髄に近づきたい。ひと時、私と芭蕉の人生が響きあいました。
そこを出ると、ここのもう一匹のぬし。チーコが箱の中でお昼寝中でした。
ここまでくれば、光堂はすぐ。東北に、突然こんな豪華なお堂があるなんて、驚きです。
清衡は、藤原氏の系累ながら、阿部氏が滅ぼされた時に、味方した父と一緒に処刑されるところを、母が清原氏に嫁いだことで、助かり、その後清原氏の内紛を経て、ただひとり生き残ったことで奥州藤原氏を継ぐことができました。源義経をかくまいかばったのは秀衡ですが、泰衡はかばいきれず死に追いやり、鎌倉幕府に首を差し出しましたが、結局は、長くかばっていたことを口実に頼朝に滅ぼされてしまいした。
金色堂の中には、藤原氏4代。清衡、基衡、秀衡の遺体、泰衡の首級が収められています。
境内には天然記念物のもみ。
「夏草や 兵ものどもが 夢のあと」です。
芭蕉も賢治もこの風景を見たのかも。
そして、最後まで食い気。東北は米どころ。お餅の文化が豊かです。
中尊寺前、「源」お餅ごぜん頂きました。
あんこ餅、おろしなめこ餅、きなこもち、ずんだもち、白ごま餅、お雑煮に箸休めの大根おろしにサラダ。美味しくて、お腹いっぱいと思ってもまだいける、結局、全部食べてしまいました。
中尊寺は、毛越寺など、回るつもりでしたが、いかんせん時間ぎれ。中尊寺を堪能しただけですが、新幹線の時間があります。
飛行機に乗って、帰宅したら午後11時。次はゆっくり来たい。
突然ですが、21日、22日の土日で、花巻と平泉に行ってきました。
一泊二日で、東北・・・弾丸ツアーです。夫と私の空いている日は、この日しかなかった。
朝、7時15分の飛行機で、伊丹から仙台空港へ、仙台空港から仙台アクセス鉄道線で仙台へ、仙台から新幹線で北上。北上でレンタカーを借りて花巻へ向かいました。
お昼ご飯は、北上の近くのさん食食堂で、ここの農園で作った野菜を使ったバイキング。お肉もありますが、27種類のお料理が、70分999円・・・!
古代米のご飯、紫芋のスープ、つるむらさきのおひたし、うりのお漬物、特製バニラといちごのアイス。カレーもあります。私は、きゅうりのお漬物をおかわり。お茄子の田楽もおいしかった。素材が採れたてで良いので、何を食べても、とんでもなく美味しかったです。
店の窓から見える景色も食事を美味しくしてくれました。
花巻についたのは14時過ぎ。
偶然ですが、21日は宮沢賢治が亡くなった賢治忌。
宮沢賢治記念館、イーハートーブ館、賢治童話館に行きました。
私の卒論のテーマは賢治。懐かしい人に会いに来たような気がします。
石碑には、誰が置いたのかやまなしの実。
賢治設計の日時計。
童話館では、賢治の世界をイメージするオブジェや、アート作品、こどもたちが学べる賢治作品に出てくる鳥や、鉱物、植物館などが、あります。これが、意外に癒されます。
星の世界のイメージオブジェや、セロ引きのゴーシェもいます。
時間が時間なので、全ては回れませんでしたが、生涯かけて、東北の農民に寄り添おうとした賢治の人生に学ぶことが、今の私たちに必要なのだと思います。
「雨にも負けず」の詩は、東北の農民の生活をなんとか楽にしたいと、自分の知恵と知識を全開にして、東奔西走した賢治の実践から出た言葉だと思います。
家業の質屋を恥じ、清貧粗食の賢治は病が進んでも、肉を口にできなかったですが、私たちは花巻温泉の旅館で、ご馳走をいただきました。現代の日本人は罪深いです。合掌。
連休最終日、午前中実家でレッスン。父はショートステイで昨日から留守。母が、一人、久しぶりに、二人だけで、ゆっくりと昼食を食べました。
しかし、午後すぐに今度は母の生徒さんがやってきます。「そうそう、変わったお茶があるけど。飲む?」
短い間に、お茶を頂きました。
姪が高校のプログラムで、ベトナムに研修旅行に行ってきました。姪からもらったお土産のお茶だそうです、
ベトナム戦争のあとを、見学し、平和について考えるための研修だそうです、今度会ったら、どうだったか、早速きいてみなくちゃ。
これが今は発展目覚しいベトナムのお茶の葉。
ポットに入れて、熱湯を注ぐと。ゆっくりと、花開いてきます。
水面下も、うごめいています。
これで、全開かな?多分全開だろうと、いただきました。
ジャスミンのような甘い香りですが、ジャスミンほど強くなく、程よい、うっすらとした香りと、甘みがあり、そこはかとなく苦味もあります。
ベトナムと、世界を広げる姪を思いつついただきました。
私がゆっくりお茶を飲んでいる間に、母は、ばたばたと掃除機を出してきて、「長男のハンコを吸い込んだから、出そうとヘッドを分解したら、壊れちゃった。掃除しようとすると、キーッって大きな音がして、近所迷惑で困るわ。」
「電気屋さんの保証書ある?」
今度はタンスから保証書を出して「どれかな?」
「これは、冷蔵庫の。」
また出してきたので見ると、「これはそう。5年あるから、そこに電話して。」
「ゴム取れたから、接着剤でつけて、前に取れた時にベアリングを捨てちゃったけど、」
「出してみないとわからないから。電話してみて。」
「持ってきてって。今からお稽古やから、行けないわ。」
「持って行くから。」
「あ、そう、ありがと。」
母は入れたお茶に手もつけずに、時間切れ。生徒さんが来て、お稽古をしている間に、私はゆっくり残りのお茶を飲んで、掃除機を車に乗せて帰り、電気屋さんに預けてきました。
なんということもない、当たり前の日常の細々した仕事を、なんていうこともなく、送れているということは、自信のつくことみたいです。
会社の仕事、学校の勉強、家庭の仕事、家族の仕事。それぞれの場で、当たり前に仕事ができるということは幸せなこと。それが、お金を生むうまないにかかわらず、人の生きる力やプライドの一部を支えることになります。
静かな一日でした。
トルコ桔梗 ユーストマ・リシアンサス ユーストマはラテン語で「良い口」という意味だそうです。
NKピンクフラッシュ。色々な、種類があります。
金曜の夜は、母が留守なので、父と過ごします。
父は、デイサービスから、4時半頃帰ってきますが、そこから、母が帰宅する10時ころまで、ご飯を食べて、待ちます。
「何時かな?」「5時。」
「今日昼飯食べたかな?」デイサービスの連絡帳には、主食10割、副食7割食べたと書いてあります。
黒糖アメを、見つけて早速口に入れます。
「夕飯は6時半。食べられなくなるから、あんまり食べないでよ。」「わかった。」
隣の部屋で、フルートを吹いていると、父がウロウロしているのが見えて、行ってみると、今度はおかきを、開けようとしています。私の顔を見ると、
「今日お昼食べたかな?」
「食べたよ。」
「おかき食べてもいいけど、食べ過ぎたら、夕飯食べられなくなるよ。せっかく作るから、待っててね。」
「わかった。」食べるだろうなと思いましたが、全部食べても小さな袋なので、無理に禁止すると、問題行動が出ると聞いたので、いうのはそれぐらいにして、また練習。
ようやく時間になり、フルートを置いて、ご飯を作りに行ったら、今度はテレビを見ています。
長男と、次男が帰ってきて、一緒に夕食。
すごい勢いで食べる息子たちを見ていると、こちらもついつい早食いになってしまいます。
父は「ついていかれへんわ。さすがに、すごい食べっぷりやなぁ。」と、半ば呆れ顔。
ビール片手に食べている父は、5分ごとに、息子たちにビールを勧めます。
次男は「未成年だから。」長男は「これから仕事だから。」と勧められる度に断っていますが、またすぐ忘れてしまうので、食事中何度もこのやりとりをすることになります。
初めはマジメに断っていますが、しまいには、おかしくなってきて、笑ってしまいます。
父も、嬉しそうにしています。
そのうち息子たちはさっさと夕食を終えてしまい、席を立つので、父は「はやいなぁ。ついていかれへんわ。」とまたいいます。
私は「ゆっくり食べたらいいんだよ。」と二人で食べ続けます。
やっぱり、おかきを食べたせいか「もう、お腹いっぱい。」と、途中から箸がすすまなくなってしまいます。「ビール飲むんだったら、オカズを食べながらの方が身体にいいよ。」というと、一口、二口。
また箸を止めるので、「野菜ばっかりだから、食べても大したことないし、後でお腹空くよ。」というと、また一口二口。
「ああ、もうお腹一杯。」と残すので、
「お父さん、お菓子たべすぎたから、子どもみたい。」と私が笑い出すと、父も「そうかぁ。」とすまなそうに笑います。
それでも、9割は食べたから、もういいかとお膳を引きます。
「デイサービスで、ラジオ体操したんだって?」「うーん。忘れた、そんなんしたんかな?」
一桁3つの数字の加減を、やってきていました。プリントを見てみると、20問ちゃんと間違えずにやっています。しかし、10問ほど、英語で答えがかいてあります。fifteenとか、nineとか、「おじいちゃん、なぜか、英語なんだね。」と次男が笑います。
医学部に入っていたのに、途中で病気になり、学費が続かなくなって、教育に転身した父は、元気な頃、
「戦争に負けて、GHQがやってきて、民主主義が入ってきた。
民主主義っていいなぁ、これからは英語と教育だと思ったんだ。」とよく言っていました。
父がどんな授業をしていたのかは、知りませんが、一度、事故にあって足を怪我した父を学校に送って行ったら、生徒たちが校門で父を見つけるなり「先生どうしたん?」と、走ってきて、みんなで、カバンをもったり取り囲んでくれました。
退職の時は、校史に残るくらいの悪の生徒たちが、まっとうな大人になり、記念にと、ゴルフ好きの父を誘って、接待ゴルフをしてくれました。現役の頃は、お中元さえもらえないと返品していたのに、この時はうれしそうだった。
同窓会は、何十年も続き、今年も「わからなくても構わない。会えるうちは会っておきたいから。」と白髪の生徒さんたちが家まで迎えに来てくれました。
父の記憶は、どんどん消えていくけれど、退職して、24年。父の仕事は、多くの生徒さんたちの中に残っている。そんなことを思うと、父が少し羨ましくも思えてきます。
30年間、無遅刻無欠勤、休みの日は、クラブ活動。地域の夜間学校を教え午前様。たまの休みもリーダーやホライズンを読んで、ほとんど家族旅行も行かなかった。
そんな父が英語を未だに覚えていることを、誇りに思います。
記憶がなくなっても、残りの人生、少しでも人間らしく過ごして欲しい。そのために何が必要か?毎時考え続けています。
今日は、茨木のKさん宅でTさんとKさんとトリオ練習。
八木澤教司 Triplr Scoop Ice Creamと、福島弘和 Snow Reflection Fantasy、神長一康 木漏れ日の散歩道をすることに決定。
私は3人ともこの曲が初めて。アンサンブルコンクールなどで、よく演奏される曲だそうです。
2ndを演奏する私が、注意することは、いろいろありますが、Triple Scoop Ice Creamでは、はじめの刻みの音を、どれぐらいの長さにするか?短目に切ると、リズム感が出てきます。
和音の中の真ん中の音。和声に合わせた音程を撮るのが一苦労。
2楽章のオブリガートは、ゆったりと、おだやかに、息の流れを早くしない。
3楽章は、4分の2、8分の3のリズムは、4分の2を2拍、8分の3を1拍にとること、リズムの取り方は大切です。
Snow Reflection Fantasy 一楽章のシンコペーションは、1拍目を深く、次はゆったりとその次の泊は突っ込んでくる。2楽章は、4分の4、4分の3と書いてあるリズムは、12、123、1と取ります。
4分の4のスケールは、4分の4の3拍目、4拍目ととるのではなく、その頭から123、123と取ります。
4分音符3つは、1拍で取る。
木漏れ日の散歩道は、8分の6、3拍子の終わりの音の始末を同じに揃えます。そして、2つ目の3拍子は、1つ目よりも浅く、8分の6を忘れずに。espressivoは、和声をよく考えて音程を取らないと合わなくなってきます。
前合わせた時より、曲への理解が進んで、おもしろくなってきました。
あと1回合わせたら、本番です。
台風でしばらく庭にでられなかったら、残念なことにうちの唯一のスイカのそこが真っ黒に。
仕方がないので、収穫することにしました。
「たべらるのか?」という夫に「もちろん。」半分に切ってみると、ちゃんと赤い。スプーンですくって。
ちゃんとスイカの匂いと、味がしました。ほんのり甘かった。
次は地植えにしようっと。
京都、二条城の近くのデイサービスセンターで、Iさんと敬老ウィークコンサート。
「金の楽器と銀の楽器音色が違うかどうか、聞いてください。」と、りんご追分を1フレーズずつ、Iさんと、私で交替に吹きました。みんなに違いわかったかな?
Iさんから、「二人羽織手伝ってください。」と言われていましたが、なんのことかと思ったら、Iさんが、吹いて、私が指を担当して、きらきら星を演奏。
ちょこっと、トリルを入れてみました。
「5人は、一緒に吹けます。」ってIさんは言っていたけど、できるんだろうか?
他にも、Iさんがタングラムとか、重音奏法をつかってみせてくれて、みなさん、目を丸くして聞いてくれました。
あとは、日本の歌特集。夏の思い出や、赤とんぼをデュオで吹きました。
シンプルな編曲ですが、それが、かえっていいみたい。
口ずさんでくださっている方もいました。
やっぱり、アンサンブルは楽しい。
最後にアルルの女のメヌエット。一曲はフルートらしい曲を、ということです。
楽しんでくださったかな?
アンコールは猫ふんじゃった。
2コーラス目はアドリブを入れてしまいました。Iさんびっくりしたかな?
お客さんは喜んでくれていたみたい。笑ってた。
温かい拍手ありがとうございました。
どうか、これからもお元気でいらしてください。
昨夜は大変な雨でした。
夕ご飯の時、「お疲れ!」と、ビールを飲んだあと、「雨がひどくなるらしいけど、やっぱり、プリウスを、旧宅においたほうがよかったかなぁ」という私に、「大丈夫、大丈夫。」という夫。
だいぶ飲んだ後、「やっぱり、心配。」というと、「ソアラもあるし。」「?」
「え?まさか、ソアラ乗ってきたの?」
昨年の、嫌な記憶が蘇ってきました。
以前は浸水することはありませんでしたが、こちらは、未曾有の雨で昨年は床下ですが、新宅だけ浸水。
「なんで、信じられない。わざわざ、こっちに持ってきたの?」
「大丈夫大丈夫。」と、夫。
うーん。でも、二人共、飲んじゃったし。
夫が先に寝て、私は、起きてパソコン作業していたら12時すぎから、すごい雨の音。チョコチョコとガレージを見ていましたが、なんだか段々心配になってきて、13時ころ、2階のベランダから裏の川を覗いてみると、暗くてよくわかりませんが、なんだかおかしい。
川の中にあるはずのコンクリートの段差が見えない。
「ちょっと。ちょっと、おかしいよ。」と次男が起きてきていうに及んで夫がやっと起きてきて、川を見ました。「暗くてわからん。」と、懐中電灯を持ってきて川を照らしてみたら、あっ、とびっくり。
段差はずっと水の下に沈んで、決壊まであと10センチ。
「車、車」と慌てて3人でガレージにでると、まさに、縁石からガレージに水が乗り越えようとするところ。
そこからが早かった着替えた夫は、「旧宅にソアラ持って行くから、プリウスでついてきて。」
「はいはい。」
免許の入ったバックを持って、ガレージに出ると、夫は直ぐにソアラに乗り込んでエンジンを入れました。
しかし、エンジンを入れている間に、道路側の水が20センチ越え。
慌てて車の窓を叩いて「ダメ、ダメ。もう遅い。」
夫も車から出てきて、見ましたが、縁石をこえた水はあっという間にかさがまして、車のタイヤの半分位まできています。道路はもっと、低いので、突っ込んだら、エンジンまで、水が入ります。
「うわぁー。こりゃ、ダメだ。」
こうなったら、見ているしかありません。
どんどん水が入ってきて、前のボンネットの下はもう水の中。
ガレージは傾斜があるせいで、後ろはまだまし。
「そうだ。マフラーさえ、上がっていれば、エンジンに水が入らない。ロードアップを後輪にかませよう。持ってきて。」夫は、車に入り込んでエンジンをかけます。
私と次男は、夕方よけておいたロードアップをソアラの後輪に来るあたりに置きます。
そして、少しソアラを前にやって、バック。
失敗。
勢いをつけるために、もっと前に水の中に頭を突っ込まないといけません。
もう1回。次は乗りました。ソアラの方が車体が低いので、先にやりましたが、プリウスも、危ない。
マフラーまであと10センチ。雨は止みそうにありません。
ロードアップは3つしかないので、プリウスの分はふたつありません。どうすることもできないかと呆然と見ていましたが、思いついて。
「マフラーのある側だけでも、あげたほうがよくない?」というと、「そうだな。」と、もう1回夫が乗り込みプリウスの後輪も上げました。
ちょっと余裕が出来ましたが、どんどん水位が上がってきます。よその家の3連になったロードアップが、プカプカ浮いて流れて来ました。
「これ以上、来たらだめだな。」
と、言っていると、雨が小ぶりになってきました。「止まったかも。」
「淀川が満潮で海に流れないから、下水も、裏の川の水も流れていかないんだ。満潮の時間を調べよう。」
パソコンでみると、満潮は3時。スポット予報では枚方は、降水量は、もう多くないらしい。
満潮を乗り切れば、これ以上被害は起きない。
道路はすでに膝まで水がきています。こちらより、低いご近所さんも心配です。
ドキドキしながら、裏の川を見たり、ガレージを見たりで、眠れない夜を過ごしましたが、幸いそれ以上水が来なかったので、2時ころ眠りにつきました。
朝起きると車は無事でしたが、ガレージはゴミや落ち葉で、いっぱい。マンホールから水が上がったせいで、下水の匂いもします。水で洗い流して、掃除。
買い物に出かけたら、淀川が見たこともないほど、増水していました。
樟葉のゴルフ場の、建物もこの通り。
ご近所の年配の方も、「こんなに増水した淀川、初めてみたわ。」と言っておられました。
未曾有の雨だからと言っていましたが、その雨が2年のうちに3回。もうちゃんと、備えないといけないですね。