夫のお土産。
マツモットォ!
1864年作曲の弦楽六重奏曲第2番の第1楽章には、恋人の名前が隠されていると言われています。
アガーテはそれから10年間、誰とも付き合わず、結婚にあたってブラームスの手紙を全て焼いてしまいました。
今頃、マリトッツォと思ったら、
「違うよ!」って
マツモットォ!
しかもオフシールつき…。
パンはふわふわ軽めの生地で、生クリームは甘さ控えめ、軽めで思ったより食べやすかったです。
こういう言葉遊び好きです。
ヨハネス ブラームス(1833-1897年)自由ハンザ都市ハンブルク生まれ、オーストリアハンガリー帝国ウィーン没
1864年作曲の弦楽六重奏曲第2番の第1楽章には、恋人の名前が隠されていると言われています。
1858年ブラームスはレオポルト3世の統治するデトモルトの宮廷ピアニストを務めていました。
ゲッティンゲンに住むオットー グリムを訪ねたときに
アガーテ ジーボルトと出会います。
彼女はゲッティンゲン大学の教授の娘で来日したシーボルトは祖父の弟です。
二人は急速に近づき、ソプラノ歌手でもあったので、彼女に歌を贈ったりして(op14 19 20)帰宅前には結婚を誓い合う仲になります。
ブラームスはデトモルトに帰っても、アガーテのことを思い続けていましたが、その中でピアノ協奏曲第1番を初演。
不評に終わります。
そこへオットー グリムからアガーテとの結婚をすすめるように手紙がきます。
心が揺れるままブラームスは「愛しているが束縛されたくない」と結婚の決断をアガーテにゆだねてしまいます。
アガーテのショックは大きく、決然と婚約破棄の手紙を書きます。
アガーテを振った形のブラームスですが、忘れられなかったのか、弦楽六重奏曲に、彼女の名前を音名に置き換え、曲の中に忍ばせています。
Agathe
AGAHE
アガーテはそれから10年間、誰とも付き合わず、結婚にあたってブラームスの手紙を全て焼いてしまいました。
このお名前説の証拠は一切ありません。
ブラームスはこの作品を書いたあと「曲を書いたことで、失恋の痛手をやっと乗り越えた」と言ったそうです。
その後は作曲に邁進し、クララ シューマンの世話を焼き、一生独身を通すのでした。
さて、このお名前隠した説本当でしょうか?
みなさんはどう思われますか?