音楽の喜び フルートとともに

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アガーテ、失恋の悼み

2022-08-31 20:49:00 | 古典
夫のお土産。
今頃、マリトッツォと思ったら、
「違うよ!」って

マツモットォ!
しかもオフシールつき…。

パンはふわふわ軽めの生地で、生クリームは甘さ控えめ、軽めで思ったより食べやすかったです。

こういう言葉遊び好きです。

ヨハネス ブラームス(1833-1897年)自由ハンザ都市ハンブルク生まれ、オーストリアハンガリー帝国ウィーン没

1864年作曲の弦楽六重奏曲第2番の第1楽章には、恋人の名前が隠されていると言われています。

1858年ブラームスはレオポルト3世の統治するデトモルトの宮廷ピアニストを務めていました。
ゲッティンゲンに住むオットー グリムを訪ねたときに
アガーテ ジーボルトと出会います。

彼女はゲッティンゲン大学の教授の娘で来日したシーボルトは祖父の弟です。
二人は急速に近づき、ソプラノ歌手でもあったので、彼女に歌を贈ったりして(op14 19 20)帰宅前には結婚を誓い合う仲になります。

ブラームスはデトモルトに帰っても、アガーテのことを思い続けていましたが、その中でピアノ協奏曲第1番を初演。
不評に終わります。

そこへオットー グリムからアガーテとの結婚をすすめるように手紙がきます。

心が揺れるままブラームスは「愛しているが束縛されたくない」と結婚の決断をアガーテにゆだねてしまいます。

アガーテのショックは大きく、決然と婚約破棄の手紙を書きます。

アガーテを振った形のブラームスですが、忘れられなかったのか、弦楽六重奏曲に、彼女の名前を音名に置き換え、曲の中に忍ばせています。

Agathe
AGAHE


アガーテはそれから10年間、誰とも付き合わず、結婚にあたってブラームスの手紙を全て焼いてしまいました。

このお名前説の証拠は一切ありません。

ブラームスはこの作品を書いたあと「曲を書いたことで、失恋の痛手をやっと乗り越えた」と言ったそうです。

その後は作曲に邁進し、クララ シューマンの世話を焼き、一生独身を通すのでした。 

さて、このお名前隠した説本当でしょうか?
みなさんはどう思われますか?





ホルンの世界

2022-08-30 20:58:31 | 楽器
日曜日、洲本の商店街でランチ
煮魚定食は鯖が丸々一匹。

驚いたのは隣のお客様のお子様ランチにも丸々一匹!
さすが島の食堂。

日曜日定休日なのか?閉まっている店が多く

ここは元旅館。


完全に閉店。少子高齢化は全国に…。
経済優先はますます不経済。

朝顔はヒマラヤ、中国原産。
奈良時代末期遣唐使が種を薬として持ち帰ったのが日本での始まりでした。

江戸時代に一大ブームになりました。
江戸時代の変化朝顔といって世界的にも珍しいほどの数の朝顔が品種改良され、1200種も作られたそうです。

ブームは、文化文政期(1804年-1830年)、嘉永安政期(1848年-1860年)の2度。

ブームの発端は、文化3年(1806年)の江戸の大火で下谷に広大な空き地ができ、そこに下谷・御徒町村付近の植木職人がいろいろな珍しい朝顔を咲かせたことによるそうです。

その後、趣味としてだけでなく、下級武士の御徒が内職のひとつとして組屋敷の庭を利用して朝顔栽培をするようにもなったそうです。



武器の代わりに朝顔を栽培していたなんて平和がもたらした配当です。

ラッパ型の朝顔の花に因んで今日はホルン。あの開いた部分ベルは、本当に朝顔って呼ばれています。

hornは角という意味で、古くは角笛を意味していました。

分け方によってはトランペットの1種とされることもあります。
ホルンと名前のつく楽器はたくさんありますが、別の楽器に分類されています。
フリューゲルホルン、イングリッシュホルン、バセットホルン、ポストホルンなどなどホルンという名前ですが、ホルンには分類されません。

詳しい構造上の違いは文章では難しいので調べてくださいね。

シングルホルン
軽くて操作性が良いけれど、音色がわるくダブルホルンの普及で使われなくなりました。

オクターブ高い音が出るデスカント管をつけてバッハのブランデンブルクなどは演奏されます。

ダブルホルン

一本の楽器で2種類の調性に対応できるようになりました。
現在の主流楽器です。

セミダブルホルン
補正管をつけて補正ピッチ方式
2つの調性に対応できます。

フルダブルホルン
独立した2つの調性をヴァルブで切り替えて演奏できます。
低い方の調性の音がよく、重たいものの、音色が良くなっています。

トリプルホルン
3つの調性にレバーで切り替えて演奏できます。
それにデスカント管を3つ付け替えてあらゆる調性に対応できるようになりましたが、重いことと、複雑な操作であまり普及していないそうです。


フレンチホルン
元々はフランスのピストン式ホルンのことです。しかし、今はアルトホルンや他のホルンと区別する意味で、ロータリーヴァルヴを搭載したドイツ式のホルンが、フレンチホルンと呼ばれています。

ウィンナホルン 
ピストンはあるが、音が割れやすく音量を上げずに音量が大きさを表現できるので歌の伴奏に適しています。
高音の倍音が出にくい。

ナチュラルホルン
ハイドンやモーツァルトの使ったホルン。
ナチュラルホルンに穴を開けたりして正しい音程を出せるようにしているものもあります。

ホルンの有名な協奏曲は、ハイドン、テレマン、モーツァルト、シューマン、ウェーバー、リヒャルト・シュトラウス、ヒンデミットなどなど結構あります。
今回はモーツァルト!



モネとドビュッシー

2022-08-29 21:14:11 | 近代
淡路島の洲本城は、1526年安宅(アタギ)氏によってつくられたそうです。
1585年入城した脇坂安治により石垣が整備されますが、1609年脇坂氏が伊予大州に移り廃城となりました。
(洲本市hpより)
前を通りかかるとお堀に睡蓮が…。
「見たい!」と言いましたが、市のど真ん中。
裁判所や美術館が建っているそう。
そのまま出かけ、帰り道。
「好きなだけ撮っておいて。」と、夫が路駐で降ろしてくれました。






夕方なので花は閉じるか、閉じてしまっていましたが、ささっと行って撮ってきました。

クロード モネ(1840-1926年)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国ジヴェルニー没
に代表される印象派は、絵画だけでなく、音楽にも広く影響を与えました。
1874年第一回印象派展での

印象 日の出という作品を批判するために使われた「印象」という言葉が印象派の命名になりました。

筆のストロークによる点描、屋外での制作、空間と時間による光の質の変化の正確な描写、描く対象の日常性などが特徴としてあげられます。

モネの連作睡蓮




初めの妻カミーユを亡くし、絵画の評判もよくなく、アリスと関係を結び、お互いの8人の子どもたちを育てるのに苦労しますが、後年、ジヴェルニーに土地を買って、日本風の太鼓橋をかけ、美しい庭を作りながら、そこにこもって絵を描いて暮らします。

長男ジャンを亡くし
1911年にはアリスも亡くし、翌年白内障を患い中断しますが、ジャンの妻の支えや、周囲の励ましで再開します。






オランジェリー美術館は
モネの睡蓮部屋があります。





クロード アシル ドビュッシー(1862-1918年)フランス帝国サン・ジェルマン アン レー生まれ、フランス共和国パリ没

1886-1889年にかけて作曲された「小組曲」はピアノ連弾曲として作曲されました。

初めは人気がありませんでしたが、
アンリ ビュッセルにより1907年管弦楽に編曲され、人気がでました。

小舟にて
行列
メヌエット
バレエ

からなっています。

枠線を設けず、境界線はおぼろに光の加減を細かい筆先で表現したモネと、半音階を取り入れ、調性を変化させ、リズムも細かく変化していくドビュッシーの音楽は、同じ時期、同じ時代の空気の中で生まれてきたと思えるのです。









チャイコフスキーか?シベリウスか?

2022-08-28 21:35:09 | ロマン派
淡路島に行ってきました。

トンネルをいくつもくぐって

明石海峡大橋を渡って

道の駅オアシスを横目に見て、

埠頭で

釣り。



鯛が何匹も釣れました。
ただし体調10cm以下ばかり、写真撮ってリリース。
まあ楽しかった。

3大ヴァイオリン協奏曲の最後の一曲は、チャイコフスキー ニ長調作品35…。と行きたいところですが、シベリウス ニ短調作品47という人もいて、どちらも言われています。

だったら3大はやめて4大協奏曲にしたらいいと思うのですが、やっぱり3大。

ピョートル イリイチ チャイコフスキー(1840-1893年)ロシア帝国ヴォトキンスク生まれ、ロシア帝国サンクトペテルブルク没


1877年メック夫人から年金を送られるようになり落ち着いて作曲できるようになります。
保養地のジュネーブ湖畔のクララン

に滞在。
そこからイタリアへ観光に出かけたりして創作意欲がわき、交響曲第4番や、エフゲニーオネーギンを作曲します。
イオシフ コテック(左)とチャイコフスキー(右)

ヴァイオリニストのイオシフ コテックが訪ねてきて、ラロの「スペイン交響曲」や「ヴァイオリン協奏曲」の楽譜をチャイコフスキーに見せます。

それを研究してチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」を作曲します。
1888年初演されますが、酷評されます。
しかし諦めない人が1人。
ヴァイオリニストのアドルフ ブロツキー。彼が何度も演奏会で取り上げ、徐々に人気がでます。

ジャン シベリウス(1865-1957年)
フィンランド大公国ハメ州ハメーンリンナ生まれ、フィンランド ウーシマー州ヤルヴェンパー没

シベリウスは若い頃ヴァイオリニストになることを目指していました。

しかしあがり症のために断念しました。

この曲は1903年に完成しました。
1904年に初演されますが、不評でした。「美しい部分があるものの冗長である」とされました。
1905年、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴き、衝撃を受けます。

そしてこの作品を今ある形に改訂します。
シベリウスは改訂後の演奏を禁じますが、シベリウスの死後演奏されると人気が出ました。



ギター練習会とブロムシュテット

2022-08-27 20:28:00 | 指揮者
今日は西宮ギター練習会でした。
今津公民館。

川原久美子さんとシューベルトの歌曲集から「おやすみなさい」「セレナーデ」をテオパルド ベーム編曲佐々木忠ギター編曲版を演奏しました。

いつもギターの名曲をたくさん聴きます。
ソル、タレガ、バリオスフルートのコンサートとは趣きが違います。

同じなのはバッハ。
無伴奏チェロ組曲、平均律クラヴィーア曲集などは人気です。
フルートソナタをギターだけで弾く人もいます。

右手の人差し指が動かない人もいますが、ギターを演奏する人にとっては致命的な気がしますが、人差し指を除いた他の指で補い素晴らしい演奏をするのです。
もうたぶん70歳位の方ですが、国内のコンクールを自分を鍛えるために受け続けてられています。

お話ししたら、先月受けたコンクール2つで同じところで2度間違われたそうです。
「かなり落ち込みました。しかし2度同じところで間違えたおかげで、練習のやり方を見直すことができました。」
「ざっと通してできた。と思って次に行っていましたが、今はゆっくり、ゆっくり弾くことにしました。
真面目すぎるって思うでしょう。」

そして、スマホを見せてくださいました。
「95歳の指揮者がテレビで言っていたので、すぐに入れたんです。」
見れば、

「真なることこそ、真なる喜び。」
「楽しみやエンターテイメントも素晴らしい人生の一部です。
しかし「真の喜び」あるいは「永続的な喜び」は真剣さにあります。」
   byブロムシュテット

と書いてありました。

「コンクールに出るのは、自分との闘い。自分へのチャレンジです。」

素晴らしいなぁ!
年月を経て、ますます光輝いている気がします。

ヘルベルト・ブロムシュテット Herbert Blomstedt、
1927年7月11日 - )は、アメリカ生まれのスウェーデン人指揮者。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、バンベルク交響楽団、シュターツカペレ・ドレスデンなどの名誉指揮者。NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者。セブンスデー・アドベンチスト教会の信徒。

2011年9月
東北大震災チャリティコンサートの時のスピーチ

音楽の素晴らしいところは、ただ聴いていいなと思うだけではなく、世界中の素敵なことや美しいことを想像させるよさもあると思います。

個人的な生活で何か悲劇が起こったときに特に、そういうものを音楽から感じることができると思うのですが、音楽は皆さんの人生に少しでもそうした喜びを与えられることができると、私は信じています。

ノーベル文学賞(2003年)を受賞した南アフリカの作家ジョン・マックスウェル・クッツェーさんがあるスピーチで語っていた話を紹介します。彼が14歳~15歳の少年のころ、ものすごく苦しく悲劇的な、人生に何の意味も失ってしまうような出来事が起きたそうです。

そして彼は自殺をしようと思いながらお父さんと一緒に家の庭を歩いていると、

窓から誰かがハープシコード(チェンバロ)を弾く音が聞こえてきたというのです。その音は、J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集の第1巻の第1曲のプレリュードの一節でした。その音楽は皆さんもどこかで聴いたことがあるかもしれません

それを聴いた彼は、

「おお、世界には希望があるのではないか」

と思ったそうです。

そしてこの音楽がある限り、僕の人生にも何か意味があるのではないかと思ったそうです。

もし今夜聴いていただく音楽を聴いて、皆さんがそういう気持ちになっていただくことができたなら、こんなに嬉しいことはありません。


3大ヴァイオリン協奏曲2

2022-08-26 20:40:00 | 古典
うちの庭のミニバラが咲きました。
四季咲きですが、暑すぎるとやっぱり咲きません。
この辺りでは、まだ30度超えの日が続きますが、少しは秋がやってきているみたいです。

3大ヴァイオリン協奏曲、メンコン(メンデルスゾーンの協奏曲コンチェルト)の他の2曲は、諸説あります。

候補は3曲あって絞られていません。

ここは私の主観で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
後2曲はお楽しみに!…なんちゃって。

ヨハネス ブラームス(1833-1897年)自由ハンザ都市ハンブルク生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没


1878年作曲されたヴァイオリン協奏曲ニ長調は、バーデンバーデンでマックス ブルッフ(1838-1920年)プロイセン王国ケルン生まれ、ドイツ、ベルリン没

のヴァイオリン協奏曲を聴いて衝撃を受け、ヴァイオリン協奏曲の作曲に着手します。
イタリア旅行の途中ベルチャッハに滞在、そこで作曲しました。

その作曲の過程で、ヴァイオリニストのヨーゼフ ヨアヒム(1831-1907年)オーストリア帝国キットゼー生まれ、プロイセン帝国ベルリン没

に、ブラームスは手紙で助言を求めます。
ヨアヒムは、12歳でメンデルスゾーンに師事し、メンデルスゾーンやクララ シューマンと共演し、15歳で彼についてロンドン演奏旅行をし、大成功をおさめますが、1847年メンデルスゾーンは亡くなってしまいます。

17歳でゲヴァントハウス管弦楽団に2年間在籍します。後ヴァイマールに移りここでリスト、ワーグナーに出会います。

この頃、ブラームスに助言するだけでなく、結局ベルチャッハまで行き、助言した上、1879年の新年のライプツィヒでのコンサートで初演することを約束させて帰ります。

ブラームスは約束通り作曲を終え!12月12日になって完成させ、ヨアヒムにより、初演され大好評をはくします。

1884年ヨアヒムは妻のアマーリエとフリッツ ジムロックとの浮気を疑い離婚しますが、このときブラームスはアマーリエを擁護する長文の手紙を書き、それは法廷に提出されます。

このことでブラームスとヨアヒムは何年も絶縁しますが、後に和解しています。



3大ヴァイオリン協奏曲1

2022-08-25 21:51:00 | 古典
きゅうりができました。
夕飯に野菜が足りないと収穫したら、花まで採ってしまいました。
まだ残っているから大丈夫。
グルンと巻いたきゅうりもおいしかったですよ。

フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847年)自由都市ハンブルク生まれ、ザクセン王国ライプツィヒ没

3大ヴァイオリン協奏曲のうちの一曲を書いています。

ヴァイオリン協奏曲ホ短調op64
は1844年フェルディナンド ダビッド(1810-1873年


1835年からメンデルスゾーンはゲヴァントハウス管弦楽団の楽長をダビッドはコンサートマスターを務めていました。

彼はメンデルスゾーンと同じアパートに生まれ、(1811年にメンデルスゾーン一家はベルリンに移ります。)

1838年、メンデルスゾーンからの手紙に協奏曲を贈るとあります。

実際には、それからダビッドから、ヴァイオリンのテクニカルな面や演奏上の効果などの助言を受け、共同作業になり、完成したのは1844年になりました。

初演はダビッドのヴァイオリンにより1845年にゲヴァントハウス管弦楽団で行われました。
指揮はメンデルスゾーンは体調不良でできず、ニルス ゲーゼが行いました。

1842年ピアノ協奏曲の作曲もはじめましたが、未完で終わっています。
この曲は同じホ短調で似ているところが多く、どうも途中でヴァイオリン協奏曲に移行したのではないかと言われています。








小さな木の実

2022-08-24 20:45:51 | ロマン派
今年もみかんがなりました。収穫まであと少し。




これは何かな?
鳥が落とした種から芽が出て、ほっておいたら、りっぱな葉が
ググったら枇杷の葉と出てきましたが、本当かな?他にも候補がいっぱい。

ジョルジュ ビゼー(1838-1875年)
フランス王国パリうまれ、フランス共和国ブージヴァル没

の「小さな木の実」は、1971年NHKみんなのうたで編曲され放映され、日本で大変、流行りました。

元曲は
1866年オペラ「美しきパースの娘」の中の「セレナーデ」として作曲されました。
ウォルター・スコットの小説

を元に書かれました。
彼の作品はロッシーニの「湖上の美人」にも使われています。 

「アルルの女の組曲」に「美しきパースの娘」の中から、メヌエットとセレナーデが流用されています。

14世紀、内乱期のスコットランドの王都パースが舞台。


婚約を間近に控えたキャサリンとヘンリーが、些細なトラブルが元で互いに不貞を働いたと誤解してしまいます。


2人のいさかいは領主やジプシーの女王らを巻き込んで一大事となってしまいますが、最後は誤解が解けて結ばれます。 


捨てられたと勘違いしたヘンリーが、キャサリンを取り戻そうとして歌います。

誠実な恋人の声
ああ、こたえて、私の美しい恋人
前と同じように!

私の声で再び現れて、
以前と同じように窓を開けてください

ああ、現れて、
私があなたの魅力的な笑顔
あなたの神聖な魅力にどんなに惹かれているか
あなたは知っているでしょう!

あなたの瞳の炎の光線が私の魂を貫き
天国への道を開く!


芸術家の生涯

2022-08-23 21:18:57 | 古典
月曜日は、母検診で京都の病院に連れて行きました。

血液検査は採血は一瞬ですが、結果が送られてくるのに1時間はかかります。
その間に病院の中でランチ。

レモンとズッキーニのパスタ。
レモンたっぷりのソースでさっぱりと美味しかった!
母は「ズッキーニが少ない。」とぼやいています。 

「今なんでも値上がってるから。」と適当に言うと、「倍に増やしたって、全部合わせて一日ズッキーニ一本分位やし、大したことないわ。」

まだまだ元気です。 
口だけでなく検診の結果もちょこちょこっと高い数値はあるものの、大丈夫な範囲でした。

「帰りは樟葉モールで買い物してからバスで帰るから、そこでおろして。」と言うので、樟葉でおろして、

家に帰ってすぐに6時からの大阪渡辺橋のサロン ド プリンシパルでアンサンブルレッスンに向かいました。

時間たっぷりあると思ったけれど、病院はやっぱり長い。
ぎりぎりでした。

電車の中で雨が降ってきたので、傘を持ってない母が心配で、LINEで次男にお迎えを頼みました。

「わかった」と来て安心してたら、「電話にでんわ。」と次男。
ざぶとん1枚!
って言うか、仕方ありません。

ヨハン シュトラウス2世(1825-1899年)オーストリア帝国 ウィーン生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没


の「芸術家の生涯」op316が送られてきました。


フルートアンサンブルでやろうというのです。

この曲は彼の作曲した10大ワルツの一曲です。
1867年2月16日
ウィーンの新聞協会「コンコルディア」の舞踏会で彼の曲が数曲演奏されたことに気を良くして、数日で作曲されました。

「美しき青きドナウ」の初演の3日後でした。

ウィーン芸術家協会「ヘルペルス」に献呈されています。

かつて日本語表記の題名は「芸術家の生涯」でしたが、「芸術家の生活」に決められました。

「美しき青きドナウ」が新しい試み。頻繁な転調やテンポ、表情記号の指示が細かくあるなど演奏会用であるのに対して、

「芸術家の生活」はほぼワルツのリズムのみで、表情記号は強弱のみであることから、舞踏会用の古い定番のウィンナワルツとして作曲されています。

また、最近のニューイヤーコンサートでも頻繁に演奏されています。


エンジョイフルートライフコンサート

2022-08-22 21:14:00 | コンサート
土曜日は、梅田ドルチェ楽器で、エンジョイ フルートライフ コンサートでした。



富久田治彦先生のリサイタル、後、若手フルーティストのアンサンブル。

金井喜久子作曲てぃんさぐぬ花変奏曲は、楽譜が売ってないけれど、日本初の女性作曲家の作品で美しかった!

ドップラーの「祖国より、二本のフルートとピアノのための祝祭曲op39a」も、演奏されるのが珍しい曲です。

私も初めて聞きました。

ハンガリーのワルツ、チャルダッシュなど、民謡舞曲を何曲も取り込んだ曲でおもしろかったです。

二部はクラークのmaya、最近クラークは流行ってきています。

アンコン定番曲ボザの「夏山の一日」
は爽やかで良かった!

五重奏でベンジャミンの「カプリチオ」、福島弘和の「雨の庭」

アルト、ピッコロも交えてソリストが1楽章ずつ交替していく、モーリーの「チェンジズ」
も、おもしろかった!

コロナ下で大変な思いをしている若手フルーティストの応援をしたかった。と富久田先生が言っておられました。

音楽の芽が絶えませんように。

ウージェーヌ ジョゼフ ボザ(1905-1991年)フランス ニース生まれ、フランス ヴァランシエンヌ没


イタリア人とフランス人の両親に育てられ、ヴァイオリンを学び、パリ音楽院でアンリ ビュッセル、ジャック イベールに作曲、指揮法をまなびました。
1934年、カンタータ「ルクマニの伝説」でローマ賞を受賞。

1939年からパリ オペラコミック座で指揮者を務めます。




1957-1975年までヴァランシエンヌにある国立音楽学校で校長を務めました。

1956年レジオンドヌール勲章を受賞
「夏山の一日」
オーベルニユ地方中央山脈ローヌ渓谷の一日を描写した曲です。

1楽章 『パストラール』
夏の高原の朝に、美しい牧歌が遠くから聞こえ、小鳥が木々のざわめきを縫って歌い、小川のせせらぎがかすかに囁く、清閑な郷の谷間の田園風景を描写しています。



2楽章 『急流の淵にて』
渓谷の清流が激しく岩に砕け、渦をまいて流れる様を上、下向きの急速な半音階の奔流で描写し、遠くから教会の鐘の音 (この音楽はドビュッシー/組曲 「子供の領 分・Ⅳ 雪は踊る」 の引用) が微かに聞こえてきます。



3楽章 『森の詩(歌)』
深い大森林は神秘的で美しい、小鳥のさえずり、教会の鐘の響きが一層とその静けさを引き立て、印象付けています。



4楽章 『ロンド (輪舞) 』
森の奥の小さな広場で楽しく戯れ踊り、古典的な舞曲が最高潮に達し一日は終わります。
ヨハン ステファン&カールのローヌ渓谷