ユリは自生している原種だけでも100種類あるそうです。その上、品種改良されて、たくさんの品種があります。これは、オリエンタルリリーで ソルボンヌといいます。
今日は朝から、Kさん宅で、デュオの練習。
ドップラーの名作「アンダンテとロンド」
お互いに別の人とやったことがある曲なので、譜読みは大丈夫・・・。
1stをKさんにしてもらいました。気持ち良い。
1stと2ndを入れ替えてもう一回。
2ndをしたのは、随分前なので、1stの方が覚えていてやりやすい。
Kさんは何度もやったらしく、ここぞと言う時に音が入ってとても楽しいです。
調子に乗って名曲だけれど、難曲「リゴレット」にも手を伸ばしてみました。
2ndをしたことがあるけれど、1stは初めて。
なんとか最後まで通ったけれど、こちらはもっと練習しなくては、
やはりドップラー兄弟の「ブラブーラのワルツ」では、カデンツァを二人で合わせるという、前代未聞のことをこの中でやっています。
とても初見では手がでません。
昼食の時、話していると、Kさん編曲のカルメン組曲。フルート2本とピアノに編曲。踊りやナレーションまでつけてやったことがあるそうです。
「やりたい、やりたい。」と頼みました。
有名な導入から、セギディーリヤ、花の歌、アラゴネーズなど、うまくまとめていて、とても楽しい。
どこかでやれたらいいのに。
場を探すことにしました。
スイートピーも80種類ほどあります。品種改良は比較的遅く、19世紀になってからです。これは、ミッドブルー。
今日は、ボーンズ フォー ライフ。
椅子から、立つ動作をしました。
椅子の3分の2に腰掛けて据わります。座ったまま、足の裏が床を押しやすい位置を探します。膝を鈍角に曲げてみたり、鋭角に曲げてみたり試してみます。調度良い位置を見つけたら、足の付け根に自分の手の横を当てて頭をゆっくり前に倒します。
その時、背中が曲がったり、逆に反ったりしないように、すっかり体重が両足に乗ったところで、お尻が自然に上がるはずです。
そうなった所で、頭を上げると、自然に立つことが出来ます。
その間中、付け根に当てた手を離さないように、押し付けてもいけません。
これだけの動作を、ゆっくりと、いくつもの小さな段階を自覚できるように、足の裏のかかとから、土踏まずを通って、指の付け根、指先と体重移動を感じれるように、滑らかに、2度目はさっきより、より楽にその動作が出来る位置を探求しながらやってみます。
筋肉を使うのではなく、床や、椅子の支えで、立つという感じです。
身体と足を繋いでいる股関節は、筋肉や血管の奥に隠されていて、直に触ることは出来ません。しかし、これをやっていると、いつもは自覚することのない股関節の動きが明確になってくる気がします。
目的は、筋力をつけることでも、ダイエットでもなく、動くことでもなく、自分の動きの質。どれだけ、小さな動きを自覚できるか?というところにあります。
自分がどういう動きをしているか?
ここのテーマは身体ですが、「質とは、何か?」ということを教えられているような、気がします。
無理矢理な動き、大きな力はここでは全く必要でなく、むしろ害になります。ゆっくりと自分の動きを味わい、楽しむことが、自分の動きの質を上げることになっていきます。
音を作ることにも通じると思います。この身体からしか音は出ないわけですから。
この黄色いチューリップは夕月というそうです。オレンジ色のバラの方は、ゴルデルゼと思います…たぶん。バラは種類がありすぎてよくわかりません。
昨日の午後は、茨木のKさん宅で、デュオの練習。
テレマンの6つのカノンのソナタの一つ目を吹いた後、前回の約束どおり、ドップラーをしました。
「ハンガリー二重奏曲」と「デュエッティーノ アメリカ」
Kさんは、舞台に上げたこともあるそうですが、私はほぼ初見。
例によって、ドキドキものです。
ドップラーは、兄弟でフルートを吹いてまわったそうです。
兄弟は、ハンガリー出身となっていますが、ハンガリーは1521年にハンガリー王朝が、断絶して以来、150年間オスマントルコとオーストリア ハプスブルグ家に分割統治され、係争状態が続いていました。
1699年にトルコが撤退し、ハプスブルグが全体を統治するようになりました。
フランツ・ドップラーが生まれた1821年頃は、オーストリアとハンガリーの二重統治状態が続き、ハンガリー人が革命や、反乱を起しては鎮圧されると言う状態が続き、1867年になってようやく自治を赦されました。
しかし、その後も、ルーマニア、チェコスロバキア、ソビエトなどに、分割統治、二重統治、侵攻されることを繰り返し、今の形の国家として定まったのは1990年だそうです。
兄弟が活躍した頃は、ハプスブルグ家が弱体し、ハンガリーの民族独立運動が台頭してきた頃でもあり、ハンガリーの民族音楽をテーマにした曲をたくさん書いています。それでも、彼ら自身が、自分達のことをハンガリー人であると、生前はっきりと、言ってはいなかったようです。特にオペラで一世を風靡し、ウィーン音楽院の教授まで勤めた兄のフランツには、複雑な事情があったことも察せられます。
フランツの生地はオーストリア領ガリツィア ブルフ、没したのはウィーン。
カールは、オーストリア領リヴィウ(現在ウクライナ)に生まれ、没したのは、現ドイツ シュトゥットガルトとなっています。
長いクロマティックの連符を2重奏で合わそうと考えたのは、彼らが始めてではないでしょうか?
兄弟ならではの、シンクロの技に、世界が魅了されたのが理解できます。
このギリギリの究極技を合わせるのに、ゲームのような楽しさを感じます。
またまた、練習を約束しました。
今朝は、梅田でS先生のレッスン。
曲はBozzaのAgrestide。
年末、掃除の後、なぜかパート譜が行方不明。スコアメーカーで、総譜からパート譜を起しましたが、総譜自体の間違いや、写し間違いが数箇所。
記憶の中にあるパート譜を、先生に確認してもらいながら、進めました。
始めのEsの音を鳴らす前に、先生がピアノ譜のCFを弾いて、「この間に入るEsを出してごらん。ここの和音はピアノがGs B C Fで、これだけだと、変な音だけれど、ここの間にEsが入るときれいな和音になるのよ。音をとる時にCの音を聴いて、それにあったEsを鳴らすといいよ。」
なるほど、そうすると、Esが気持ちの良い位置でなります。
1番の、3小節目の長い連符。18連符が4分の4の2拍分。それが二つ。
クレッシェンド、ディミュニエンド真中で一番大きな音がなります。拍の頭にどの音を持ってくるのか?と悩んで来ました。5 5 4 4 4 4 5 5とか、クロマティックで降りて飛ぶ前にわけるとか、F#で始まり、F#で終わるので、F#でブロックするのが良いのかも?など、いろいろな方法を考えてみましたが、なかなかピンと来なくて、困っていました。
先生に聴いてみると、
「Bozzaは物理的な法則をものすごく、考えた人だから、クレッシェンドの上昇系は、音符を少なくしてゆっくり吹いたほうが音が大きくなったように聴こえるけれど、音をたくさん入れると、小さく聴こえる。だから、始めの下降系は4 4 4 6、上昇系は、4 4 4 6と、とれば、自然にクレッシェンド、ディミュニエンドがでるよ。」
「Bozzaのスケールは、ブロックに区切って演奏するけれど、出来るだけ滑らかに、演奏するんだよ。」
「Agrestideは田園と言う意味ですが、この音楽でなぜ田園なのか、さっぱりわからないんですが…。」と質問してみたら、
「なぜなんだろうかねぇ?なんでかなぁ?」
と答えてくれません。
まだまだ、悩み方が足りないようです。
今日は午前中、免許の更新時、違反者講習会2時間。自宅に帰って一人レッスンを見た後、児童会。防音室がないので練習は20時まで、2時間半ほどしか練習できない上に、クタクタです。
講習は、交通法の改正。ブレーキをかけてから効くまでの距離。おきやすい事故のケーススタディ。
みんな、真面目に受講していました。
静かですし、居眠りもありません。
児童会での、子ども達と全く違います。児童会では、ルールを破ったり、集中できなかったり大変です。子どもと、大人は違うから?
交通法規もルール。罰金や罰則があるからルールを守るのでしょうか?
ほとんどの運転手は、警察官や、歩行者や、対向車が無くても、信号を守ります。
私たちの社会は車を必要とし、お互いの安全を守るために信号やスピード規制などのルールを学び、守ることを前提に運転の自由を手にするのです。
特にルールで守られているのは、歩行者、自転車など、道路通行弱者です。
封建時代のルールでは、馬に乗った武士や、籠にのった殿様が、力のある通行強者で、ルールで、道をよけない庶民は切り捨て御免だったことを考えると、ルールを特に必要とし、守られているのは、運転しない子どもや、老人、自転車、歩行者だと言うことが良くわかります。通行強者の車は厳しく規制され、違反や過ちは直ちに矯正され、再教育され、資格審査を経て認められれば、運転のチャンスはまた与えられます。
それは、人の能力に期待と信頼を寄せていることを現しています。
立場が入れ替わり不可能だった昔に比べ、現代の通行強者は入れ替わり可能で、歩行者になれば、弱者になります。
交通法規は、その人の社会的地位、経済力、人種によって、勘案されること無く、全ての人に平等に適用され、限りなく民主的。
そして、ルールに、不備があれば、話し合いによって整備され、民主的なプロセスを経て改訂されます。
児童会の子ども達は、選んできていない、学ぶ気もなく、家では自由に遊べることを知っています。ルールのほとんどは安全に関するもので、大人が勝手に決めています。
また、児童会にいることに納得も了解もしていない子どもが大半です。
しかし、だからといって、大人として子ども達が自分の安全や、友達の安全に、無関心、無責任に育って欲しくない。
子どもには、強い共同体感覚、責任能力、学習能力があります。そこに働きかけることで、子ども達は理解し、ルールは必ず守られるようになる。と私は感じています。
土曜日、1月の『音楽であそぼう!』は、とっても寒いので、子どもは来ないだろうと思っていたら、やってきました。どうしても保育の必要な働く親の子どもは少なくても必ずどこの校区にもいるのです。
「1月と言って、思いつくのは?」
「おもち、みかん、たこあげ、はねつき、こたつ、風、風邪、こおり、雪、こま、お正月、冬休み、私のお誕生日、お雑煮」などなど
「今日は、今からフルートとピアノである音楽を演奏します。これを聴いて、どんな感じがするか?考えながら聴いてね。後で、それを絵を描いてもらいます。」
そして、ゴーベールのバラードのAndantinoを聴いてもらいました。
「さあ、どんな感じがしたかな?」
「小鳥の声が聴こえた。」
「私も。」
「雪も降ってきた。」
「じゃあ、それを黒板にどうぞ描いてください。」
「グループに分かれてもいいし。一人ずつ描いてもいいよ。話し合って選んでね。」
というと、3人で一つの絵を描くことになりました。
「Aちゃんは、そこに海描いて。」
「いいよ。じゃあ、Bちゃんは、梨の木を描いて。」
「海の上に描いたらおかしいよ。」
「いいやん。海に浮かんでんねん。」
「じゃあ、私は家を描こ。」とCさん。
「海はしんどいわ~。誰か手伝ってーなー。」
しばらくして「なんで、私の描いた鳥を消すの。」
怒っているAさんを見て、二人はゲラゲラわらっています。
「あれあれ、梨の木は置いておいて、消さんといて。」と私も口を挟んでしまいました。
「あれ-!私が頼んでんでー。梨の木、何で消すの?」と今度は、Aさんが梨の木を消すのを食い止めて、消えた部分を塗りなおしました。
「だって、Bちゃんが私の鳥を消したから。」
「そうだね。笑ってないで、何か言うことがあるんじゃないのかな?」
「わかった。ごめんなさい。」「私もごめんなさい。」
「いいよー。」
Cさんのかいた雪を消して、「何で消すの?」「だって、こんなんおかしいし、こんなあの曲になかった。」と、Bさんは言い切ります。
「雪があったよ。」「じゃあ、この絵が変やから。そうや、磁石で雪にしたら。」
かいた雪を全部消して、Aさんと、Cさんで磁石におきかえました。
出来上がったゴーベールのバラード
どうでしょう?バラードの感じ?
「5分あれば、楽器もできるけれど、どうする?このまま描いていてもいいし、選んでね。」というと、
「やっぱり、楽器もする!」
と、ちゃんと5分前に絵を完成し、木琴と鉄琴を準備室から選んできて、ドレミの歌をぴったり2回、完璧に演奏して終了。
やりきった子ども達は満足そうに「また来るね!」「楽しかった!」と手を振って帰っていきました。
ビオラはスミレ科スミレ属。一般的に大輪のものをパンジー。小輪をビオラと言いますが、例外も多いそうです。1800年頃ヨーロッパで品種改良が進みパンジーとビオラの品種は400種類もあるそうです。これは、F1ペニー オレンジジャンプアップと ブルーヴァレンタイン。
木曜日に児童会に行くと、正職員の一人が、怪我のため一週間休暇。
私が休んでいた水曜日。
注意された子どもが、腹立ち紛れに倒した机に足を挟まれたらしい。
その日は、別の子どもが思い通りにならないからと、窓ガラスを叩き割る事件もおきました。
どちらも2年生の身体能力ともに健康な男の子。
3ヶ月休みの後とは言え、ここの空気をつくっている大人の一人として、心が痛みます。
臨時が責任を感じることはないと言われますが、目の前で起きる子どもの荒れようは、大人として看過できないものがあります。
かといって、加配につく子ども達の安全が第一の私の職種では、限界もあります。
なんとか、今起きていることに手を打とうと、大人たちに働きかけています。
難しいことですが、期待は持っています。
小菊、寒桜と言う品種らしいです。寒い時に、菊の品種の多彩なバリエーションはうれしいです。
昨日の午後は、昨年一緒にカルテットをしたKさんと、久しぶりに茨木でデュオの練習。
Kさんは、中学のブラスバンドを指導し、コンクールに出しています。土曜日本番。たぶん上位入賞は確実でしょう。
それから、3月にはキエフでライネッケのコンチェルトをオケをバックにするらしいです。すごい!
前からうまかったけれど、また、音がよくなっていて感動しました。
二人ともパウエルなので、合ったら、とっても気持ちよくハモります。
クーラウのグランドデュオop39、Three Duets op.80を、ざーっと初見であわせました。
初見は苦手。特に、4分の2拍子でかかれたadagioとか、Largを、8分音符一拍でとるのが、ダメダメ。
途中で、知らないうちに4分音符一拍になったりして、最悪。
それでも、Kさんは嫌な顔一つせずに付き合ってくれて、なんとか2時から5時過ぎまで3時間で最後まで吹けました。本当にKさんの忍耐力は、絶賛ものです。
まあ、初見でたどたどしいところはあれど、クーラウはきれいな曲が多くてごきげんです。
ここ、しばらく、デュオを練習することにしました。
次はドップラー特集。楽譜を持ち寄ることにしました。
今年も出来ました。実家の巨大レモン。
本当にレモンなのか?というのが、ずっと問題でしたが、調べてみると、長い間切らず、木において置くと大きくなるということでした。皮も厚くなると書いてあって、そのとおり。どうやらレモンで、間違いないようです。
今朝はボーンズ フォー ライフを受講しました。
会議室の机を寄せて、あいている所に、自分の持ってきたマットをそれぞれ敷いて始めようとすると、講師に止められました。
「みんな、見てみて。」
「それで、やりやすい?」
私は講師のすぐ横、隣はだいぶ空いて、Yさん、その横に、Fさんが、机がせまって狭い所にマットを敷いています。
「私はどこに行きなさいとか、何も言ってません。なぜそこを選んだの?」みんなに聞いていきました。それぞれに答え、フィードバックがありました。
私は「『なぜ、広い所があいているのに、誰もこないのかな?来ればいいのに。』と思っていましたが、黙っていました。」と言うと、
「あなたは、先生のいるところでは、一番成果を上げるけれど、成功しない。なぜなら、他の人や、仲間に対して無関心。『来ればいいのに』と言うのは、力のある人がみんな言ってきた言葉です。
夫が『何時にいくぞ』『なんや早く来ればいいのに。』と言った時、あなたは子どものオムツや、お皿洗いや、後始末をしなければならない、やることがたくさんあるから行けなかったでしょ。
一人自分の中で、一生懸命環境を整えて、完璧に準備してもフルートは届けられない。人といる時に、あなたは目的を飛ばしてしまうから。
何のためにフルートを吹いているのか?
テクニックを見せることでも、自分をアピールすることでも、ないでしょ。
人の間にいる時に、自分の意識から目的を飛ばしてしまうから失敗する。
それを克服するためには、その場で一番悪い条件の人と変りなさい。」
日曜のコンサートでの失敗のことは、言っていませんが、言い当てられてしまいました。
今回のコンサートは、練習、ピアニストとの関係、ドレス、食事。全て自分で出来ることは完璧に準備しました。
しかし、お客さんの前に立ったとき、お客さんと繋がり、楽しみ楽しませるということよりも、自分の演奏をすることばかりに気がいってました。
他の位置の人にもそれぞれ課題がありました。
勝手に講師の意図を決めて、自分ではいい条件を選んだつもりで、条件の悪い場所を選ぶ人。
講師も、部屋も、他の人も、自分さえ見えずに、力があって怖いと思う人だけを見て、場所を選んだ人。
「誰にも、そこを選びなさいとか、強制されていないでしょ。
自分で選んだのに、ねたんだり、勝ち誇ったり。そして、成果が上がらない。そして、人とするから、それがわかるんです。一人では見えない。」
それぞれの自爆コース。
今回も、大きな収穫がありました。
木瓜(ぼけ)の花は、春に咲くのと、11月頃から咲く寒木瓜があります。バラ科。
日本には平安時代に入ってきたらしいです。このかわいい花に、この名前が、いつも引っかかります。調べてみると、実が爪のような形をしているから、木瓜(もっけ)→(ぼけ)になったといことですが、そうなるとどんな実なのか見たくなります。
ありました。
→http://www.hana300.com/boke002.html
爪の形なのは、実ではなくて、種の方?!と思ったのでした。
ボケという音で、とぼけるとか、呆けるいう意味にとってしまうのは、私の無知のせいで、木瓜、以外にも狭くなった危険な場所をボケ(歩危)とか、ハゲ(破危)などと、昔の人は言っていたらしいです。
平安の人はこの音で、今の私達と全く違うイメージを持っていたのかもしれません。
言葉は、確実に音楽に影響を与えています。
アラン・マリオンがタンギングの練習を示して「tu.tu,tuku,tuku,tukutu,tukutu,tukutuku,duku,duku,rurururu…」と
段々速くしていった時に、フランス語の中にその音が含まれていると、直感しました。言葉は歴史を作り、文化をつくります。
音楽を勉強するには、文化や歴史、言葉への尊敬と興味が不可欠だと思います。
学ぶことは無限にあります。