エキナセア ピンクダブルディライト。昨年植えたのが、今年になって花ざかり。お店で見たときは、一年草か宿根草かわからず、「まあいっかぁ」と寄せ植えにして、ちょっと咲いて、葉もなくなって、「下手くそしたかなぁ。」と思いながらも、水をやっていたら、出てきました。
「お久しぶり、元気に育ってくれてありがとう。」と、ぶつぶつ言いながら、水をやっている、最近、ガーデナー狂の道をまっしぐらの私です。
長寿の遺伝子。テロメアが長いと、人は長生きをしやすいそうです。
95歳以上の人は、みんなこれが長いそうでうす。
なので、長寿は運命と思っていたら、もっと調査した人がいて、短いテロメアの人が、長くなる場合がある。ということを突き止めたそうです。
運動や、人とコミュニケーションがある、ポジティブであることなどが、長くなる共通点であるそうです。
つまり、毎日の生活習慣の延長に元気で長生きというものがあるということです。
運動や、コミュニケーションはわかるけれど、ポジティブというのは、どういうことでしょう?
同じ出来事を経験しても、落ち込む人と、楽しむ人がいます。
「それでも人生にイエスという。」を書いたビクトール・フランクルは、ユダヤ人で、強制収容所でその本の内容を書こうと決意したそうです。
私も含めて、ほとんどの現代の日本人は、フランクルほど、ひどい目に会うことは無いと思いますが、ビクトールより精神の衛生はどうでしょうか?いいでしょうか?悪いでしょうか?
戦争のない平和な日本で、なぜこんなことになっているのでしょう?
フルートを吹いていても、演奏しながら自分で「ちょっと、早いんじゃないかしら?」「タンギングがひどいんじゃないかな?」「息が出てない?」と、心の中で話し続け、「できていない。まだできない。」とネガティブな言葉ばかりつぶやいている時があります。
できないところをできるようにするために、注意を向けることは大切です。問題はあとの、「できない。」「できない。」この習慣から抜け出すのは難題です。
生きている限り、できないところを科学的に興味深く見ることは、成長のために必要なことです。でも、演奏するのは、まだできないことを証明するためではありません。
興味深く見ることと、できないと見ることは行為は同じでも、全く違う意味があります。
元気で長寿な人というのは、命と繋がる何かを、選択してきた人だと思います。
生命が輝くこと、音楽もそのようであれば、希望となり得ると思います。
今日は、看板作りの時、トールペイントを手伝ってくれたGさんにお礼ランチ。
ピアノのTさんがポルタ・ロッソを予約していてくれました。
ここは、ずっと行きたかったイタリアンレストラン。予約をしようとして、いつも満席で断られ、何年も行けないでいました。
着いたらマンドリンの曲でお迎え。それもオリジナル曲。超レア。
モリコーネ、ヨーヨーマのCDが飾ってあったり、店長は料理だけでなく、かなりイタリア音楽に傾倒しているように見えました。この店の名前ポルタ・ロッサからして、プッチーニのジャンニ・スキッキ野中のアリア「私のお父さん」の歌詞に出てくるフィレンツェの通りの名前。イタリア万歳!
女の集まりは、ランチ3、おしゃべり7。
話題は、子どもの運転。
Gさんは免許取り立ての末娘の運転が心配。Tさんの長女は免許を取っても、運転しようとしない。もっと運転任せたほうがいいかな?私は、免許取り立ての長男が、車を持つ時のことを考えると心配で心配で。
心配されていることを知っても、迷惑そうな顔をするだけの我が子には、言わないで、こんなところで、ストレス発散。
本当はもう、自分のことは自分で責任をとってもいい年のこどもたちばかりです。
いつまでたっても、子どものことは関心があるし、熱い私たちです。
ランチのコースは2コース。1900円の方。かぼちゃのスープ、パンの上には自家製のロース豚。
豚は絶品でした。
3種のパスタから選べます。これは、ベーコンとアスパラのソース。えんどう豆も入っています。デザートも3種から選べます。これは、パンナコッタとヘーゼルナッツとくるみのタルト、甘さ控えめで美味しかった。
そして、カプチーノには、こんな模様が。
三人三様でどれも美しい。ひと時癒され、味わい深く、移ろいそして消えていきます。
話を聞いたり、聞いてもらったりして、ゆったりとした穏やかで気持ちのいい時間を、二人と共有できて、とってもうれしかった。
ありがとうございました。これからも、またよろしくお願いします。
朝、ネットで注文していた白紙を貼ったうちわ一枚70円。20枚が宅配便で着きました。買い出しと下準備の作業をしなくては。手帳を見ると、後は予定がびっしり。
行くなら、今日。急だけど…仕方ない。
「買い物の時、声をかけてね。」と言われていたMさんに早速メール。
「OK。今日は空いてるよ。」
「では、10時に迎えに行くから待っててね。」
「はーい。」
この何日か、実家や、病院にいったついでに、100均や手芸店をチェックし、安くて使えそうなレースやリボンやジュエルシールの写メを撮りまくって、あたりをつけた上位3店に向います。
全てダイソー、松井山手方面。値段が、まっとうな手芸店には真似できない?!
行きの2店は、まだ一度も見ていない平和堂の中のダイソーを見てからと、チェックだけして、平和堂へ。
結果、平和堂が、手芸品の品揃えが一番よかった。
3m100円のレース、5m100円のリボン。型抜きのフェルト9モチーフ×5枚で100円。値段のことばかり言いますが、ボランティアは限られた予算の中でどう楽しむかが勝負。
選んでいるとお昼になってしまいました。
今日はここまでと思っていると、Mさんが、「今日片付けてしまわない?」
「今日言って今日みんなをあつめられるかな?」
「二人でできるところまででいいからやってしまおう。」
流石に今日言って今日来るのは無理。
二人でできるところまで進めて、あとは2日に送ることにしました。
うちわの型に、布を20枚切り、縁どりに使うレースを60cmに切り、
レースを挟んで、布をうちわにくっつけます。こんな感じ↓
4枚できた。後は、みんなの手を借ります。
5時にMさんを自宅まで送り、なぜか、平和堂になかった買い残した色画用紙を近所の100均セリアで買い。
『予算、手間度外視で、作ったらどうなるかな?』と余計なことを思いつき、自宅にあったリボンや、レース、ビーズを使い、かんぽさんからもらったDMうちわに切り貼り、1枚自宅用を作ってしまいました。↓
「うーん、いい出来。」と自己満足。うちわ作り、はまっちゃいました。
サワアジサイ。日本の紫陽花の原種だそうです。近畿の梅雨明けは7月21日頃だそうです。ちょっと、梅雨らしくなってきました。
今日午後は、京都でフルートを教えているIさんと、フルートデュオの練習。
昨年、暮れに合わせて以来、ご無沙汰でした。
曲は、バルトークの44のヴァイオリンデュオの中の曲を18曲、選別してフルートに編曲されたものです。
ハンガリーの民族音楽を収集したりしていたバルトークの曲は、民族色たっぷり。
そして、言うまでもないことですが、ヴァイオリンの特色豊かな曲。
音域は同じですが、ヴァイオリンは、弦楽器。弦をはじいたり、こすったり、時には叩いたりして、音を出します。
フルートは叩くことも、はじくことも、こすることもできません。ただただ、息を吹き入れることで、それを表現するだけ。しかも、口と歌口まで距離があり、どんなに工夫しても、音の立ち上がりが、鋭くはありません。
民族色は、豊かということ言うことは、ソフィストケイトされた丸い優雅な音色を使うより、より野趣あふれる擦弦の神経にちょっと引っかかる音を多用しているということです。
それをフルートで表現するとなると、さて、どう料理するか?
アクセントをよりアクセントに、ルバートをよりルバートに、テヌートや、ピチカートを、いわゆるフルート的な音楽記号のテヌートや、ピチカートではなく、半ばアクセントに近い解釈で演奏すること、
そして、民族音楽となると、踊り。リズムがはっきりと出るように、拍をより意識。
そう言う感じで演奏したいですが、今日は合わせ1回目ということで、まず、縦の線を合わせることから。
フルートで表現するのは、困難だけど、おもしろい曲だっていうことがわかってきました。
ところで、ハンガリー民族を愛したバルトークは、父ルーマニア生まれ、母スロヴァキア生まれって知ってました?
ハンガリーという国は、国境線がめまぐるしく変わった国。ドップラーもそうでしたが、自分はハンガリー人であると認めると仕事がしにくかったりしました。
1940年には、アメリカに移住せざるを得なかった。
フルートの曲を書いてくれなかったおかげで、ほとんど勉強したことの無かったバルトーク。
ドップラーや、ポップとは、違った方向から、ハンガリーを見ることになりそうです。
勉強は始まったばかり。楽しみです。
先週植えたばかりのバジル。スーパーでモッツァレラチーズを安売りしていて、これは、サラダにちょうど良い!と買いました。ほうれん草やら、レタスやらある野菜を入れて、オリーブオイルと、バジルと黒酢のドレッシングを作ってあえます。
「ちょっと、庭のバジルを切ってきて。」と次男に頼むと、「夜は奴らがいるから、いやだ。」
奴らとはナメクジのこと。彼が幼稚園の時、七夕で園でつくった笹の葉についていたナメクジを知らずにじかにつかみ、以来、なめくじがトラウマになったと主張する次男。
子どもの頃から、虫博士と近所に鳴り渡り、昆虫を仕事にしたいと浪人している次男、唯一の弱点。「そんなことでは虫博士とはいえないよ。」というと、「ナメクジは虫ではありません。軟体動物!!」と、そういえばそうか。でも、生物学部を目指しているんだったら・・・しかし、傷に塩を揉み込むのはやめときました。
すると、庭に出て、手だけをうーんと伸ばして、ひと枝切ってくれました。
私の手と比べてみてください。こんなでかいバジル見たことあります?次男が恐怖を克服しただけあって、いいのが取れました。
『今年は、豊作の予感。ムフフ・・。』ほくそ笑む私は、ただただ食い気ですが。
今日は、昼から、12月14日に開く、第二回枚方に音楽をひろげよう!実行委員会企画「くるみ割り人形」の会議でした。
今度は、枚方の子どもたちが、バレエを踊ってくれます。打楽器も子どもたちです。
声楽、ブラスバンドの若者も一緒です。
フルートのKさんが今回は、指揮をしてくれます。編曲もしてくれていますが、一部パソコンで編曲中のものを見せてもらいましたが、すごいことになっています。前回と楽器の数が違います。
チャイコフスキーは管楽器も多用していますが、弦の使い方も半端じゃありません。これを、クラリネットや、サックスに置き換えていくのは至難の技です。
前半だけできたフルートパート譜をもらいましたが、それだけでもすごい量。
ご苦労様です。
練習会場の確保も、課題。協賛、後援、寄付もお願いしなくてはなりません。
しかし、実行委員のSさん、ピアノのKさんも、やる気抜群です。
みんなで、いいものをつくりたいです。
ミニパプリカの苗を植えてから、間がないのにもう花が咲いていました。これは期待できるかも。
雨で、病気になりませんように。
軽い認知症の父は、カラオケが大好き。
4月に入院するまでは、毎週土曜日に地域の老人会でやっている公民館でのカラオケに通っていました。
しかし、退院してからは、体は元気になったのに、尿管があることを恥ずかしがって、外にでようとしません。一日、食べて寝る以外は、テレビの前にぼうっと座っています。
今日、病院に行ったあと、父と二人で、牧野のうちの家で過ごしましたが、思いついて、パソコンで、カラオケ無料サイトを見つけて、父に「こんなのあるよ。」と見せてみました。
古い演歌ばかり。父が好きそうな、美空ひばりさんの曲名一覧を見せてみると、「へー、こんなんあるんや。」「知ってるのある?」と聞くと、「悲しき口笛」
「やってみようか。」とダウンロードしてみると、動画ではなく、電子音で、静止した歌詞カードが読めるだけです。
それでも、前奏が始まると歌いだします。
「聞こえにくい。もっと大きくならんのか?」「これで最大音量やわ。」
「もういい?」というと
今度は「りんご追分」といいます。
りんご追分を歌った後は、「悲しい酒」「川の流れのように」を歌って、疲れたのか終わり。
しばらく食事の用意をしていると、「さっきの曲、なんやったかな。また、カラオケ行かなな。」
「そうやね。今練習したしね。」
「『悲しい酒』と、『りんご追分』、えっとなんやったかな。」
「『川の流れのように』と『悲しき口笛』」
ついさっきのことを忘れてしまう父が、2曲ですが、ちゃんと歌った歌を覚えています。
食事を終えて、帰ろうとしていると、「さっきの曲なんやったかな?」とまた言います。
見ると、鉛筆を持って、書くものを探しています。
「カラオケ行ったら、何の曲か覚えてないから、探せないから。」
「じゃあ、いつもどうしてるの?」
「本見て、探したら思い出す。」
「そうか、『悲しい酒』と『りんご追分』『悲しき口笛』と『川の流れのように』」と、お皿を洗いながら4曲立て続けに言ったから、覚えてないかな?と思って、メモを見てみると、ちゃんと書いています。
父は、文字や言葉をどんどん忘れて行ってて、ここ半年位、書く事もしなくなっていたし、食事をしたことも忘れてしまう、食後に食前にしたことを覚えていて、自分から、聞くということも、なくなっていました。
それが、歌はすごい。たった数分歌っただけで、父の中の何かが動きだしたようです。
さっきも、「明日、カラオケの日やな。行かなな。」としっかりした顔で言い、別れてきました。
食べること、寝ること、生活することだけでは、人は元気に生きられない。好きなこと、楽しいこと、喜びを感じることを見つけることで、初めて元気で活力のある人生を送ることができる。そんなことを父を見ていて思いました。
今日、午前中は、子育てサロンのスタッフの一人、Mさんと7月サロンで製作するうちわの試作品作り。
うちの次男と同じ年の長男を筆頭に、小1まで、三人の男の子を育てているMさんは、元美容師。小物作りがお得意。とってもセンスが良いです。
100円均一で、フェルトのシール、キラキラのアクリル宝石のシール、クラフトテープなど、使えそうな素材をいろいろ買ってきて、さあ、キラキラデコうちわ試作開始。
7月から、うちの校区は地域のお祭りラッシュ。最近流行っているフリフリのフリル付きの子ども浴衣に似合うといいな作戦です。
忙しいお母さんたちは、浴衣をつくるのはとっても無理。でも、お母さんと子どもが一緒に作った浴衣に似合う手作りうちわをつくって。夏祭りに参加してくれたらとっても素敵!
というわけで、
①白紙のうちわに、フリルをはさんで布を両面から木工用ボンドで貼ります。←ここまでをスタッフが用意。
②後は、いろんな素材を使って、切ったり、貼ったりしてお母さんたち子供と一緒に自由に飾り付け。
シール付きのものは1歳児でも貼れます。
ほら、できあがり!ってこれはMさんと私の試作品。
やってみて思ったのは、うちわの骨に直接貼ってみたら、やわらかすぎてやりにくかったので、白紙を貼ったものの方が良いみたい。
木工用ボンドで、貼り付けたら布、紙はOK。100均のクラフトテープは粘着力が強いので、そのまま使えます。但し布柄によって、カントリー調になってしまいます。姫デコ風にはなりにくい。
今流行りのデコ風にするには、フェルトも牧歌的すぎるかも。リボンと、フリル、キラキラ宝石はやっぱり欠かせない。
100均ではフリルは100cm売りなので、枠を飾るだけで一人一本が精一杯。リボンはもっと高い。キラキラ宝石は大きな粒になるとやっぱり値が張ってくる。
課題満載!仕入れをかんがえなくっちゃ。
梅雨というより、台風のおかげで雨。やっと例年どおりの6月になったわけではありません。
今日は父の前立腺をMRIで撮り、どんな具合か見るために病院へ行ってきました。
忙しい中夜勤前の妹も一緒に、来てくれていました。
画像を見ると、ピンポン玉以上、ソフトボール以下。「結構肥大してますねぇ。」とお医者さんの話。
「手術して削ります。」・・・削る?痛そう。
「穴を広げて、尿が出るようにします。その前に、穴を開けても筋肉が動作するか検査をします。」
「開けても、筋肉が弱っていると、結局自力で出せないので、手術する意味がないですから。」
「うまくいけば、尿管を外すことができるけれど、ダメなら、付けたまま。ということですね。」
「お父さん、筋肉が弱っていなければ、管を外せるんだって。明日から、散歩しよう。」
「ふーん。」ピンと来てない様子ですが、周りの明るい空気に父も嬉しそう。
「うまくいったら、外せるけど、お父さん散歩しなあかんよ。」と言いおいて、妹は夜勤があるので、そのまま帰って行きました。
会計が終わるまですると、夕方までかかったので、両親は家に送る前にうちの家で、夕食をとることにしました。
牧野は物価が、松井山手より安いので、スーパーで買い物したいという母を連れて、近所のスーパーに立ち寄り買い物をしたあと、我が家へご招待。
メインメニューは、母が今朝テレビで見たというレシピで作りました。
薄切り豚肉と、ニラ、もやし、人参を重ねてフライパンで蒸し煮し、生玉ねぎ1個をおろして、ポン酢とごま油であえたドレッシングをお皿に取り分けてからかけて食べます。
次男と、早く帰ってきた夫も、同じ食卓を囲み。久しぶりに大人数で食べました。
誰かが助けに必要になる危機の時は、家族が結束する時。
一人では大変なことも、多勢で対応すれば、そうでもない。あきらめないで、少しずつの助けでも借りれるところは借りてチームを作ることが大切。
そうやってみると、それぞれに欠点が多いうちの家族もそう捨てたものではない。と感じられるようになってきました。
メドウセイジと寄せ植えにしていたラベンダー、そろそろ刈り込みの時期。と思いながら、咲いている状態を楽しみたくて、やっぱり遅れてしまいました。ラバジン系スーパーセビリアンブルー。これでも昨年よりずっと豊作。
小さな枝はまだ残してあります。とりあえず、束にして乾燥させて部屋につっておきます。
昨日は、デニス・ブリアコフのリサイタルに行ってきました。
イシハラホールは、満席でした。1981年クリミヤ生まれ、現メトロポリタン歌劇場首席奏者。若手のトップスターです。
ブラームスのヴァイオリンソナタ 第一番 op.78
F・ゴーベール フルートとピアノのためのファンタジー
F・ボルヌ カルメン幻想曲
シューベルト 「しぼめる花」による序奏と変奏曲
プーランク ソナタ
サラサーテ チゴイネルワイゼン
この人は下半身が強いというか。驚く程、低音がよく響きます。
確かなテクニック。安定した音。
そして、クリミヤ生まれと関係あるのか?
ヴァイオリンの編曲ものが、絶品です。
彼自身もそのことをよくわかっているプログラムです。
チゴイネルワイゼンの、撥弦で動く早いパセージなど、フルートでは甘くなりがちな音の一つ一つが太い音量できっちり聞こえてきます。
アンコールもビバルディの夏のヴァイオリンソロを、フルートでこんなに演奏できるのか?というほど匠に演奏していました。
フルートの新たな可能性を示すこれからも、楽しみな演奏家です。
日曜日、コンサート、「宮城道雄をしのぶ夕べー愛惜詠唱ー」を妹と一緒に聴いてきました。
宮城道雄生誕120年。今年は邦楽を学ぶ人にとって特別な年です。
宮城道雄の弟子だった祖母についでお筝を初めた母は、祖母ではなく、宮城道雄の弟子、故須山知行先生と、中島警子先生について勉強したのでした。
私も、六段や千鳥くらいまでならなんとか弾けますが、妹も私も反抗期を過ぎたら、身が入らなくなって今は弾く方はご無沙汰。嫌いになったわけではありません。他のことに目が行って・・・。
祖母が86歳で亡くなって18年。須山先生も鬼籍に入られ、いつも華やかな舞台の影で支え続けてくださったお琴屋さんの社長さんが今年、亡くなり、先週末母と兄弟弟子として仲のよかった横田先生が亡くなり、母もがっかりしていました。41回を数えるこのコンサートも寂しくなったと、暗い気持ちで座っていたら、素晴らしい演奏でその気持ちを吹き飛ばしてくれました。
音楽の持つパワーはこういう時こそ威力を発揮するのかもしれません。
古典的な「都踊」は宮城道雄21歳の時の作品ですが、お琴は2声にわかれ、3弦、尺八も入った大編成で華やかに演奏されました。
「八段恋慕」は杵屋正邦作曲の現代曲です。3パートにわかれた三弦と、歌だけで演奏される珍しい曲です。若手の演奏で、ジャズ風のスキャットなども斬新で美しかったです。
宮城道雄作曲 「観音様」作詞 安積得也 「むら竹」歌 大判家持は、筝独創と、笙、ソプラノという珍しい編成ですが、研ぎ澄まされたアンサンブルで、中島先生の演奏がなんといっても美しかった。
「吾妻獅子」大阪の峰崎勾当が、1797年に作曲した曲で、吉原の遊女と遊んだお大尽が後朝(きぬぎぬ)の別れを惜しみ、扇をかざして獅子舞を舞うという色っぽい曲で、手事が恋狂いの獅子を表しているそうですが、三弦と琴の手がそろっていてさすがの演奏でした。
最後が大編成。お琴、三弦だけでなく、筝独奏、十七弦、胡弓、尺八、笙、フルート、打物も入る「祝典筝協奏曲」
昭和15年に皇紀2600年を祝して国威高揚のため政府に依頼されて宮城道雄が作曲しました。
30人同じお琴が並んでいて、それよりも確実に大音量の楽器群が並ぶ中、中島先生の音だけがなぜこんなに浮き上がって聞こえるのでしょう?
それに超絶技巧のすごい手事も、一音一音、ちゃんと音楽になっています。
意味があるというか。
しかも、壮大な曲のなか、弾きっぱなし、走りっぱなし。確か今年米寿になられるとか・・・。
どこから出てくるのか、あのエネルギー、パワー。
終わってから、妹と顔を見合わせて、「・・・すごかったなぁ。」とため息。
ぼやぼやして、落ち込んではいられない。
音楽から生きる勇気、パワー、エネルギー。確かに頂きました。