父が転院して二度目の医師の説明がありました。
口から飲み込むのは無理らしいし、回復も見込めないけれど、点滴で命を繋いで、いよいよとなったらどうしますか?
ってなって、点滴を抜いて家に連れて帰って、家で看とる。という方向になりました。
数ヵ月はかかるので、リハビリ病棟でとりあえず預かってくれます。長くなりすぎると、また転院。
国の方針で治療がないと置いとけないそうです。
面会させてもらえましたが、呼べばうっすらと目を開けて私と母を見ました。
左手は動かないけれど、右手は皮膚を掻くのでミトンをはめられていました。
顔色はいいです。
口を動かしましたが、声は出ませんでした。
栄養点滴を入れるといつまでも生きるそうです。
「いつまでって?」
「はい。期限はわかりませんが、何年も生きることもあります。そのうち感染症にかかって治療しながらなくなります。」
「もう、苦しいのは嫌なのですが。」
「覚悟があれば、水点滴で時間を稼ぎながら、頃合いを見て、点滴を辞めて、自宅で看とるという感じですが、その場合は、時間が短いのでその間に感染症にかかっていう確率は無いとはいえないですが、少ないです。」
『穏やかにいけるということなんだろうな。』
死生観というものは、あまり意識して生活していませんでしたが、ゆっくり選ぶことができるので、考えることができそうです。
以前にも書きましたが、ショパンの葬送行進曲二楽章の重いものを引きずるような有名な主題は死の苦しみではなく、生きることの苦しみ。
中間部の清らかな美しい重さを感じない主題が天国に迎えられる。死の主題です。
ショパンは亡くなった兄弟のためにも美しい音楽を書いています。
先日演奏したメルリンの曲はポーリーンという女性が死を目前にコンサートをしてほしいと頼んだことで書かれた曲です。
「悲しくしないで。」と頼まれたそうで、前向きなポーリーンの曲になりました。
どの本だったか、死期を自分で悟り、朝「今日死ぬから」と仲間を呼び、「ありがとう」と挨拶をして、一緒に過ごし、夕方には亡くなる。
自分が死ぬときはこれがいいかなと思うけど、うまくいくかな?
父はもう自分の希望は言えないけれど、できるだけいい形で送れるように、よく考えたいと思います。