カードリーダーがやっときました。引越し荷物はだいぶ片付いてきましたが、まだ、もって来ていない荷物も一杯。
今度の家も小さな家なので、タンスを運ぶのはそれは大変でした。
大変なのは引越し屋さんですが。
狭い階段は、分解したタンスも全てはあがらず・・・
裏のベランダに養生シートを敷いて
4人がかりで、上の二人は命綱をつけて引っ張りあげます。
、
最後の一息は、屋根とベランダの隙間を斜めには通らないので、タンスを水平にしてから引っ張りあげるという力技。
これで終わりかと思ったら・・・
もう一棹は、ベランダも通らず、表側の窓をはしごを使って、こんな具合。
見事なアンサンブル。簡単な言葉がかわされるだけで、とられる連携の取れた作業。淡々と行われるプロの技に、感激しました。
ずいぶん若い人、女性。ベテラン。違う特徴のある人たちがそれぞれに、持ち味を発揮していることにも目を見張りました。
私たちのトリオもかくありたい。と思ったしだいです。
今日は、ピアノのKさんTさんと一緒に11月3日の手と手ジョイフルコンサートのプログラム印刷。いよいよ、コンサートが近づいてきました。
午後、Kさんと、あわせてもらいました。
「リギの思い出」に使う、鳴り物をどれにするか?
Kさんは、音楽療法家でもあり、患者さんに持ってもらう鳴り物をいろいろ集めています。
「リギ」は、スイスの牧歌的な光景を描写した音楽で、多分羊飼いのベルか、農村の鐘のようなイメージですが、ドップラーの指示にはC音のグロッケンとあります。
グロッケンも含めて、他のものもいろいろ持ってきてもらいました。
本物のカウベル、トーンチャイム、グロッケンの単音のサウンドブロック、メロディベル。
並べて片端から、試してみました。
カウベルは、G音だったので即却下でしたが、イメージは一番近いかも。
トーンチャイムは波長が長く良く響くいい音です、立ち上がりがソフト。
サウンドブロックは、立ち上がりは、トーンチャイムよりははっきり。響きが短い目。
メロディベルは、立ち上がりが鋭く、響きは、サウンドブロックに近いですが、少し長い目。
結論として、今回はメロディベルを使うことにしました。
本当言うと、チューブラーベルを昔使ったことがありますが、あのNHKのど自慢で鳴らされる鐘。立ち上がり、波長などが、一番合う気がしますが、オーケストラでもなければ持ってない。
ドップラーもグロッケンといっているので、メロディベルはいい選択だと思います。
頭で考えている時のイメージとやってみるのとでは大違い。
今日は、それがわかっておもしろかった。
昨日、引越し屋さんが来て、生活の拠点を新居に移しました。といっても、節約のため、大型家具以外は自分たちで運んだおかげで、いろんなものがまだ、旧宅にあります。パソコンはNTTに今朝、ネットをつなげてもらい、やっと復旧。テレビは、ケーブルテレビにつなげてもらったものの、前使っていたリモコンが見当たらず、未だ地デジ部分だけ復旧。
行方不明のクーラーのリモコンはなぜか息子の通塾バッグの中から、見つかり、昨日からさんざん探し回った私の非難の視線に、息子は「入れてないって。」とあわてて、応え。
「あれ?そういえば入れたのおれだった。」一緒に「無い、無い。」と大騒ぎしてた夫が告白。
他にもいろんなものが行方不明。運び終わっていないもの多数。
SDカードリーダーもまだ。おかげで写真は無しです。
引越しのため休みを取っている夫を横目に、今朝はボーンズレッスン。
午後からはフルートの生徒さんも来てもらいました。(一部屋、そのときだけきれいにした。)
それ以外はずっとダンボールを、開けては、掃除、整理整頓。
当分続くと思います。
ボーンズは、今日もおもしろかった。明日報告します。
引越し屋さんがくるのは明日。片付けても片付けても、終わらなかった物の移動も出口が見えてきました。
今回の「音楽であそぼう!」は年一度の、しゃぼん玉おじさんデー。日夜、より良いしゃぼん玉を求めて、研究を重ねるおじさんは、今年は合成洗剤:洗濯のり:水=1:7:10の液でチャレンジ。粘性の高いしゃぼん玉は、こんなこともできます。浮かんだ玉をフッと吹くと、中にもう一つ玉ができます。
プールの中に液を入れて、液がなじみやすいようにガーゼを巻いたフラフープの輪っかでしゃぼん玉を作ります。子どもたちは神妙な面持ちで真ん中に立って、しゃぼん玉ができると、一瞬のできごとに目を見開きます。
全員が何度か輪の中に入るのを楽しんだら、後は自由に液で遊びます。
こういうのも、すぐにマスターしてしまいます。今日は絶好のしゃぼん玉日和。
わかるかな?男の子二人で、作ったなが~~~い しゃぼん玉。
これはひもをわっかにしたものの4隅にお箸を4本つけて、それぞれ2本づつ持ち、液を漬けて、ゆっくり移動します。
「ちゃんと、持てよ。」「おまえこそ、ねじらんと持てよ。」と、言い合いながら、実は息がぴったり合わないとこんな玉はできません。
気持ちの良い一日でした。
姪の高校のホームカミングデー。姪本人はカナダに留学中ですが、母親の私の妹に誘われて、そこで行われる講演に行ってきました。
模擬店や、ブラスバンド、講演など、いろんな催しがあり、地域の企業の協賛出展もありました。この写真は近くの乗馬クラブのポニー。まだ4歳、中学生位だそうです。どこもかしこも柔らかくて、かわいい。目も大きくうるうる。
講演は、間寛平さんの「アースマラソンの裏側全て話します。」
妹、妹の中学からの親友Mさん、妹の下の娘と一緒に行きました。
シートに座って、待っていると、「お姉さん、同級生のMくんが関電に就職する時に、反対したでしょ。でも、あの時は、大企業だし、うまくやっているからいいやん、って思っていたけれど、こういうことやったんやなぁって。」
ひえぇ~。若気のいたり、悪事千里を走る。Mさんは知っててちゃんと覚えていたのでした。
「えらいこというたなぁって、人の人生に口出しして。今、Mくん大変だし、本当に気の毒に思うわ。」
1970年代は、原発の議論が毎日テレビで活発されていて、私が及びもつかないような、勉強や、研究を長年されてきた先生たちが、「原発は絶対大丈夫。」と、いろいろなデータをあげたり、社会的必然性を理路整然と述べたりしていたのでした。
私は子どもで知識は些少なものでしたが、どう聞いてもその話に納得できなくて。
それは、データとか、理屈というわけではなく、「この世の中に『絶対』なんかあるのかな?」ということと、この原発の「万一を、引き受けたくない。」という、生き物としての直感。
その後、本を読んだり、情報を集めるほど、危ないと思い、就職期には、すっかりピークで、周りの顰蹙をかっていたのでした。
それはともかく、地面に繋がる、生命と繋がった方向で情報を、科学していなければ、どんなに多くの知識や、情報を集めても科学は新たな地獄への門を開く鍵となる、ということを今回のことは示しています。
間寛平さんも、60代。毎日50キロを走るトレーニングを2年して、アースマラソンに臨み、ガンを見つけ、危険な目にあいながらも、生きて元気に世界一周をされました。生きる能力、幸福になる能力。そういう力がこの人には、あると思います。
こういうことを科学していけば、人類はもっと幸福になる?
このサボテンは、肉芽をポキッと折って植えると、どんどん増えます。母がこれを初めて植えたのは、40年ほど前。寝屋川にいるときに始まり、松井山手の家でも増殖しています。
前にも書きましたが、これを見ると石の花があるとすれば、こんな感じじゃないかと思います。
バレエ音楽「石の花」は、1949年にプロコフィエフによって、作曲されました。
バジョーフ編纂のウラルの民話集「孔雀石の小箱」の中にある民話の一つが「石の花」です。
プロコフィエフは、これを病床で作曲し、1953年に亡くなってしまい、死後上演されました。
石細工職人ダニーラは、本物の花より美しい石の花を作り上げることが夢。
恋人カテリーナの前で、うまく作れないと自分の作った細工を全て壊してしまいます。
ある日鉱山の女王が呼ぶ声に誘われ、地下の王国に入ってしまいます。
そこで、石の花を作るように女王に命じられます。
カテリーナはダニーラを取り戻すために、地下の王国にたどり着き、女王と対決します。
カテリーナとダニーラの強い愛に打たれた女王は、二人を解放します。
プロコフィエフは、「美」とは、何か?ということをこの物語を借りて提示しているように思えます。細工の「美」を求めるあまり、人の世界を逸脱していく男。それを現実の世界にある「美」、生命の持つ「美」に引き戻す女性。
完璧な演奏、完璧な音楽を求めるあまり、命と離れていくことがあります。
自然の音や、人の声、生活の営み。音楽はそんなものからできています。
そのことを忘れて音楽だけ存在する。というのはありえないことだと思います。
プロコフィエフは女性の姿を借りて、そのことを表現しているように思えます。
台風15号のせいで、暴風警報。息子の高校は休校に。例に漏れず、うれしそう。私は雨の中、出かけて梅田でレッスン。道路も、電車もさすがにすいていました。豪雨はありましたが、短く、自身はたいした雨風にもあわず、台風は関東へ。夫は今回も台風とともに出張しています。雨男・・・いや、台風男。本人は静かな男ですが、台風と出張がよく重なります。今回は車なのでちょっと心配。
レッスンはエラートの22番、23番。
先生が「Aの音を鳴らして」といわれるので、鳴らすと、ピアノで、A、C G F#といつもとは違う音を鳴らされます。
「どんな音からも自信をもってAを鳴らせるようにならないといけないよ。」
音の方向性を、どんなときにも意識して演奏すること。
7連符は3.4に分けるなどブロックで分けて、リズムがはっきりと出るように。
スラーでくくってあっても、曲の感じを表現するためには、タンギングしてもいい。ただし、作者が求めているのはレガートなニュアンスと、フレーズを示すスラーであることを忘れないで、きつすぎるタンギングや切れ目ができるのはおかしい。
エラートの時代はトリルは特に書いていない限り、表記の音から始めよう。
テレマンの無伴奏ファンタジー6番。
通奏低音の音がずっと鳴っていることを意識して、その上にいろいろな動きがあるということを忘れないように。
下る時に、ブレーキをかけないように、自然の動きを思い出して、モイーズ先生は「いつも自然を観るよう」と言われていたそうです。
風が吹いたり、物が落ちたりする様子を良く観て、その動きと音の下降する動きは同じだよ。なめらかにだんだん加速していくでしょ。
宮廷や、その時代のイメージを膨らませて演奏するんだよ。
誰も見たことはないけれど、そのためにいろんな本を読んだりして、研究するんだよ。
実家のさぼてん。なんだかシュールでしょ。門灯の、鋼鉄の側面と、ベージュの鉢、オレンジのレンガタイルがお似合いで。高さ15センチほどの鉢植えですが、ちょっとしたオブジェみたい。こういう母のセンスは、なかなかいけてると思います。
唐突ですが、来週27日に引っ越します。ブログのことではなく、現実の家のことです。
今の家からほんの5分ほど歩いたところですが、17年分の荷物が、大変。
狭い家にこんなに入っていたのかと思うほどすごい。
大きな本棚が4つと楽譜のボックス、こちらは、まだ手付かず。比較的小型のカラーボックス3つ分の本を片付け転居先にもって行き、ダンボール2箱分の本を処分したところで、1日費やしがっくり。
引越し屋さんには大物しか頼まないので、小物は絶対27日までに出しておかないとタンスが出ません…が、気が遠くなってきました。
「先生、片付け得意そうじゃないし、手伝いに来たましょか?」という、Eさんに、
「得意じゃないどころか、もうメチャクチャ。お願いします。」とありがたく飛びつきました。
22日に来てくれますが、その後、考えたらEさんに来てもらう前にある程度片付けないと、恥ずかしいくらいちらかっています。
困った…もうええかっこしても仕方ない。腹をくくってさらけ出すしかないか。
う~ん、でもひどい。引っ越しって本当に疲れる。
フルートを吹いているほうが楽しい。
今日は、クーラウの作品を、初見で片端から。
Sonata op.64 op.69 op.71 op.83(3曲) op.85
3duo brillante
クーラウの生きた1786年~1832年は、ベートーベン、モーツアルトが活躍し、後半はウェーバー、ロッシーニ、ベルリオーズなどロマン派が台頭していました。
クーラウの初期の作品はベートーベンと作風が似ていますが、後期のものは、ロマン派によっているように思えます。
何より、ベートーベンがフルートの作品をあまり残さなかったのに比べて、クーラウはたくさん残しています。
クーラウの曲は、美しくて華麗。フリードリヒ大王の名残りの宮廷文化の香りがします。
実際には、1810年にナポレオンの侵攻で、コペンハーゲンに亡命し、そこでなくなりました。コペンハーゲンでも、絶対君主制は崩壊が始まり、議会が台頭する前夜時代でした。
昨日から、家にある今まであまりさらっていない楽譜を総ざらえ。
ほとんど初見の曲、繰り返しなし、休みなし、間違えても一回限り。できるだけ音楽的にというルールを決めて、ウォーミングアップと、スケールをさらって、いざ!
始めは、ドップラーの「ヴァラキアの歌」、それからムーケの「パン」。
ビバルディのソナタ、ブリジアルディ「ヴェニスの謝肉祭」、
ゴダードの「組曲」、ゴーベールの「ソナタ3番」、ポップ「ファウストのファンタジー」、
この辺で、右腰あたりがきつい。壁に貼り付いて、姿勢を矯正しながら、吹くとまだいけます。
ケーラー「カヴァレリア・ルスティカーナのファンタジー」
シャミナーデ「星のセレナーデ」、ショッカーの「エアーボーン」エラートの「ソナタ アパッショナート」
楽譜が二重に見え出したら、右目をつぶって、左目だけで見ると、治せることが、わかってきました。
ルーセルの「フルートの宝石」、ドビュッシーの「2ndアラベスク」、ライネッケの「コンチェルト」、「ソナタ ウンディーネ」、エラートのソナタBdur、フランクのソナタ、ドンジョン演奏会用ソロ曲集、ケーラーのフルート作品集1巻から3巻まで、
・・・だいぶ疲れてきました。
そろそろ、時間です。とどめは
バッハのソナタ集、テレマンのソナタ集、ドメルスマンの第3コンチェルト。
やったー!全5時間位。
時々、こういう練習します。
初見苦手・・・でも、前よりましになってきた気がします。
ましになったコツは
①目は、今演奏しているところより、少し先を見る。
②臨時記号があれば、記号を先にチェックする。調がわかれば、よりベター。
③吹くより先にその音の身体を準備する。
・・・こんな感じかな。
今日はがんばった!ごめんなさい 自慢話しです。
実家の檸檬の実がなりました。樹高80㎝位、昨年は2個、今年は3個。写真ではわかりにくいですが、巨大です。形も檸檬型ではありませんが、絞るとちゃんと檸檬です。
コンヴェンション2日目3時間目は、
眞々田昭司さんのレクチャー「良い音は、良い姿勢、良い呼吸でつくられる」
眞々田さんは、建築家、武術家、気功治療家、音大や、各種管楽器の協会,YAMAHAなどで、呼吸法や姿勢や運動力学について実技指導や講演を行っておられるそうです。
良い音は 重力 筋肉 呼吸でつくられるそうです。
重力は、たとえば楽器を横に持つと、重力の影響を受け、重く感じます。それだけでなく音は空気の振動なので、微粒子は圧力を受け、振動が伝わりにくくなります。
なので、どのような楽器でも、縦に持った方が、音が飛びやすい。
次に、筋肉は、すでに使っている筋肉を、同じ目的、あるいは他の目的に使うことはできない。と言う法則があるそうです。
例えば、腕を持ち上げるために、腕の筋肉を目一杯使うと、指の筋肉をうごかすためには、筋肉は動きにくい。
また、腹筋は腹筋は大きな筋肉なので、そこを動かすと他の筋肉が使えにくくなるそうです。
なので、呼吸は、腹筋ではなく呼吸筋を使うと、いろいろな作業がしやすくなります。
呼吸筋には、肋間筋、胸鎖乳突筋、胸筋があり、この筋肉は呼吸するためのものなので、これを使うようにするといいそうです。
また、鼻は息を吸うための穴で、口は食物を食べるための穴。
鼻ですうと、酸素は長い道を通って暖められ肺に届き、繊毛がほこりから気道を守り、常在菌がばい菌を殺します。普通に吸っても、口で吸うときの数倍、肺の気泡に酸素が届きます。
なので、呼吸は鼻から、音を立てずに吸うだけで充分な呼吸ができます。
これらをふまえて、楽器を持つ良い姿勢とは、
まず座って演奏する場合は、足をひざが鈍角を作るように前に出し、ふとももをしっかり座面につけ、腿と身体が直角になるように起こして演奏する。
立って吹くときは、
足は構造から見て、重心は、土踏まずの上位にある。
足を90度に開き、親指のある位置に開けば肩幅の間隔になります。重心が土踏まずの上にくるように、足幅を、肩幅の間隔にあけてまっすぐ立ちます。
女性に多い立ち方は、背中、腰のところで反っているが、この姿勢は腎不全、心筋梗塞など万病のもと。背中を壁につけ、背中に手を入れてみて、その隙間ができないように矯正します。
そのまっすぐの感覚を崩さないように、足の前の方に重心を移動する前傾姿勢をとります。
楽器をできるだけ垂直に近く立て、ひじを身体の前に持ってくるようにし、首を楽器が吹けるように傾けます。
なかなか、文章にするのは難しいですが、実演や、実験を交えたレクチャーで、実際に演奏者を募って、この姿勢をとると、びっくりするほど音が変わりました。私も、帰ってすぐこの姿勢を実践してみるととても楽に演奏できるので、以来ずっとこのフォームに改造中です。