音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

2017-01-31 20:50:39 | 日記

コンサートも終わって、来てくださったお客様の温かい余韻にひたっていた昨日。
買物に出かけると

虹。


遠くてよくわかりませんが、たぶんセキレイ。降ったり止んだりの暗い雲。


木の枝の向こうにも

こどもみたいですが、虹を見るとうれしくなってしまいます。

百貨店の店員さんと世間話になって、「虹が出てましたよ。」と言うと、「私もちょっと見てこよっ」と、すぐ横のエントランスに走って行かれました。

見れたかな?
学生時代、百貨店でアルバイトしたら、1日中、蛍光灯の明かりの下で立っていることが、本当につらかったです。

百貨店は、窓を開けず、商品に集中するようにできている究極の人口空間です。

いろいろ大変な仕事はありますが、百貨店で働くのも本当に大変だなと思いました。

その方が、虹を見て少しでも癒されるといいなと思います。

とりとめのない話しになってしまいました。








フルートデュオコンサートお礼

2017-01-30 22:05:35 | コンサート

日曜日、ビストロギャロにて、
ラ リュンヌ デュオコンサート
〜故郷を離れ、故郷を想う〜
無事、終了しました。

ご来場下さったみなさま、お世話いただいたアジールのHさん、奥さま、ギャロのみなさん、そして共演のIさんありがとうございました!



お客様は近く、しかし、コンクリートの壁のせいか、びっしり人が入っても結構音響の良いところでした。

ギャロのシェフの家族のみなさん総出で、お世話していただき、とてもアットホームな温かいコンサートになりました。

フルートデュオの譜面がなく、メンデルスゾーンの「春の歌」「歌の翼幻想曲」ドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」マスカーニの「カヴァレリア ルスティカーナの間奏曲」、宮城道雄の「春の海」、「朧月夜」「月の沙漠」「故郷」は、自分で編曲譜を作りました。

「朧月夜」と「月の沙漠」以外は、初演。
ドキドキしました。

音楽は、時代や国を越えて人の心に届くもの。
国は違っても故郷を想う心は、同じ。
国境を越えて集まって来た人々が、受け入れられ、そこを故郷と定め、そこで生活を営み、家族を愛し、隣人を愛し、いろいろな仕事をする。
離れて来た故郷への想いも断ち難い。
せっかく安全な地を目指して来ても、上手く行ったり、いかなかったり、月は誰のことも静かに照らしています。

カヴァレリアで、泣いたと言ってくれた人、故郷で泣けたと言ってくれた人がいました。
朧月夜もよかったそうです。

心配だったけど、少しは何か届けることができたのかな?
少しほっとしました。











花の生命

2017-01-27 20:16:58 | 日記

ピンクのトルコ桔梗、実家に母が活けていました。

カラーに

フリージア。

世界中の花が、季節を問わず手に入ります。

同じような色、同じ大きさ、虫もつかず、病気にもなっていない。
しかも、土が凍りつく大阪で。

これが、いかにすごいことか。

多くのエネルギーをかけて、人は美を追求しています。

繊細な花びら一枚一枚、細胞の一つ一つを形づくるためには、水、光、土。土に含まれる成分の徹底した管理を行わなければなりません。

美とはなんでしょう?
水をやり、いい土や明るい光を浴びて花は、根や葉に栄養を貯め込み、花に送り込みます。
私たちが見ているのは、生命力という美しさなのです。

隙間だらけの家に住み、土間があり、土の道を直に歩いていた頃には、虫や植物が油断すると庭や家に入り込み、意識しなくても生命に囲まれている実感がありました。

道はアスファルトで覆われ、隙間のない家、虫一匹入らない部屋。
そういう環境を、作っておいてそこにわざわざと、花を持ってきて生命を楽しむおかしさ。

人はおかしな生き物なのです。

1人だと寂しくなり、誰かと寄り添う。
くっつくと、ぶつかる。
知恵を、絞らないと誰かと一緒にいることもできない。

知恵を絞らなければ、滅菌空間では人類だって生きられないから。




唱歌

2017-01-27 00:13:31 | 音楽

29日のプログラムができました。

前半はクラッシック、後半はおもに日本の曲を演奏することにしました。

日本の四季のメドレーの最後は、「冬の夜」です。
明治45年に唱歌として教科書にのりました。
歌詞の2番は、

囲炉裏の端に繩なふ父は
  過ぎしいくさの手柄を語る (過ぎし昔の思い出語る)
 居並ぶ子供は ねむさを忘れて
  耳を傾け こぶしを握る
   囲炉裏火はとろとろ
  外は吹雪

このいくさは、日清、日露戦争のことだそうです。
第2次大戦後は、カッコ内の歌詞に改編されました。
作詞作曲者は、公表されず、戦後も調べたけれど、わからなかったそうです。

1872年に学校教育制度が公布されてから、教育は、戦争とともにある方がまだ長いのです。

里の秋、椰子の実、われは海の子など、戦意昂揚の歌詞を持つものはたくさんあります。

歌詞を変えたり、3番以下をカットしたりして、戦後歌われています。

改編するのが正しいのか?
歌わないのが正しいのか?
そのままで歌うのが正しいのか?

これを正しさだけでみると本質を見失います。

教育は、私たちの未来です。
どういう未来が欲しいのか?
どんな理想世界を創りたいのか?

それにより近づくためには、今どうあればよいのか?

今の続きに未来があります。
未来は、四方に広がっていますが、今は現実に形のある中で、よりよいものを少し選ぶしかないのです。
学校の時間は限られています。
選び直すこともできますが、ある程度の区間をもって直さないと大混乱の中に放り込まれてしまいます。

深く考え、選択し、勇気を持って進むことで、未来は切り開かれるものではないですか?
どこで議論されたか?誰が決めたのか?
歴史の中に埋もれていますが、立ち止まり考えることができた。何が理想にかなう教育なのか?何かを変えようと考え、議論されたことが、本当にすごいことだと思います。

そして、理想の未来は、時々刻々、これからも自分たちの頭で考え、話し合い、苦労してつかみとるしかないのです。


感覚温度

2017-01-25 21:01:41 | フルートレッスン
今日も寒いです。
枚方で、マイナス2度は結構きます。

出張中の夫は、インチョンの景色を送ってきました。
マイナス4度。
夜には

マイナス14度で食べるチゲ鍋の写真を送ってきました。
辛いものをいただくのは、寒さの中で生き抜く知恵なのです。

今夜帰宅した夫は、3度の枚方は暖かいと言っています。

夫が先週台南に行った時には、25度。
帰宅した時には、「寒い寒い」と言ってました。

温度計の温度とは別に、感覚温度というものがあることがわかります。

音楽は、感覚を楽しむものなので、いろいろな人の音を聴き、細かな違いを感じてみましょう。

自分だけでやっていても、自分のことはわかりません。
人の音を聴いて初めて、自分の音が、明るいのか?暗いのか?強いのか?弱いのか?柔らかなのか?硬いのか?違いが、わかるのです。

CDやYoutubeもいいですが、生の音を聴きましょう。
合奏するとなおわかります。
好きな音を作って真似をするのもいいです。
もちろん、レッスンを受けるのはより早くうまくなる近道です。

みんなでよりうまくなりましょう!






フルートデュオ合わせ練習

2017-01-24 20:09:35 | コンサート

今日は、デュオのIさんと最後の合わせでした。

とにかく、デュオ譜は、クーラウ、モーツァルトなどたくさんあるのですが、ビストロで演奏するとなると、短めで、聴きやすい小品が、いいと思うのです。

なので馴染みのある曲を、自分で編曲してみました。

本邦初公開、初合わせ。
充分に考えて作ったはずですが、実際に2人で演奏してみると、少し変えた方がいいところが出て来ます。

ドップラーのハンガリー田園幻想曲などは、フルート2本でやろうなんて、たぶんだれも考えないはず。

1楽章などは、ハンガリーの民族音楽そのもので、クラッシックの範疇で拍をとると、おかしくなってしまいます。

結局、1楽章は、ソロで吹くことにしました。2.3楽章も難しい!
しかし、そこはチャレンジ!
さて、うまくいきますかどうか?

29日、初公開です。

トマト伐採

2017-01-24 00:04:56 | ガーデナー
先ほど連絡があり、アジール新春デュオコンサートは、満席となりました。
ご予約まだされていなかった方はごめんなさい。
また、次回よろしくお願いいたします。

先日、意を決してトマト🍅を処分しました。
昨年初夏に植えた一株の苗が、庭の3分の1を占める事態に。

それでも、身が付いていて、食べられるものもありましたが、雪が降ってくるようになると、さすがに、見かけは変わらなくても、触るとぶよぶよして、苦味も出てきました。

なので、かわいそうですが、切ります。

どこまでが、バラかわかりません。


こちらは、植木鉢の主人のバラよりも太い幹。草類とは思えない!

枝先からちょんちょんと切って、ゴミ袋へ、入れて行きます。
一気に引き抜くなんて絶対無理。




さっぱりしました。
2時間かかりました。つかれた〜。
トマトは早めに刈り取りましょう。


アジール空堀 新春デュオコンサート 故郷を離れ故郷を想う

2017-01-20 23:30:34 | コンサート


ビストロでコンサートをします。
主催の「アジール空堀」の橋本さんは、月1回ビストロギャロでいろいろな企画、コンサートや映画観賞、講座などを催しておられます。
昨年11月、私の友だちのDさんからご紹介いただきました。

ギャロのシェフは、橋本さんの息子さんです。シェフのご自慢、美味しいフレンチプレート、ワンドリンク付きです。

「アジール空堀」新春デュオコンサート
〜故郷を離れ故郷を想う〜
アンサンブル ラ リュンヌ La Lune
久米素子 伊澤隆志
1月29日(日)17:00開演
会場 大阪市中央区瓦屋町1-1-1 ビストロギャロ
(地下鉄谷町六丁目)下車5分
¥3500円(コンサート、フレンチプレート➕ワンドリンク)
申込 FBグループ「アジール空堀」
Email yasumaro77@maido.zaq.jap
☎️090-3712-5346 橋本

ハンガリー田園幻想曲や、ユーモレスク、月の光など、ピアノ伴奏で演奏される馴染みのある小品を中心に、日本の曲などをフルートデュオでお届けします。

残席わずかです。
橋本さんまで、直接お申込下さい。


コルクボード

2017-01-19 21:40:44 | 手作り
火曜日は、Mさんと子育てサロン、3月卒会記念の手作り品の試作品作りをしました。

アルバム、コルクボードなどを例年作って来ました。
記念なので、いつもより少し違うという特別な感じがして、写真を飾れて、お母さんたちが少しだけ手作りを楽しめるようにします。
そして、予算もあります。

セリアとダイソー、くずは駅のキャンドゥ、ユザワヤ、くずはモール内の3コイン、ナチュラルキッチン、フランフランなど雑貨も参考に見て回りました。

Mさんが「蝶番を使って、くっつけたら?」
さすがです。いい考えです。

結局、キャンドゥで100円で買える1番大きなサイズのコルクボード、ナチュラルキッチンで、100円で買える1番おしゃれなフォトフレーム、そして、ダイソーで、カット黒板、セリアで蝶番、ここのが、1番個数が多いです。枠はセリアしか売っていませんでした。

さて、家で作業。
ステインを塗って、蝶番をつけました。

Mさんが美しいネイルを施した指で蝶番をつけてくれました。

カット黒板と
チョーク入れ、お花を飾ってできあがり。

これに、クリップ付きの画鋲と、子どもたちの写真を撮って、飾ります。

お母さんたちには、お花を飾るところをやってもらいます。

さて、どうかな?
ちょっとコストがかかり過ぎるかも。
また、検討します。



この世界の片隅で

2017-01-18 22:06:40 | 本・映画など

月曜日は、ピアノのTさんと映画を観に行きました。

「この世界の片隅に」

戦前、戦中の尾道。
穏やかで絵を描くことがすきな主人公が、兄妹と育ち、淡い初恋、周りの人に言われるままに結婚し、夫との関係や義父母や、義姉との関係に悩んだり、嫁として家の生活を支えていく。
その伏線に、戦争があり、原爆投下。

軍港に浮かぶ軍艦を、指差して名前を言うこどもたちは、まるで、「特急はるか!新幹線N700系!」と電車を指差す私の幼い息子たちと同じよう。

少ない食料を、なんとか工夫して多く美味しく食べようと、近所の人からもらったレシピで作って失敗するのは、クックパッドを見ながら、少ない家計で工夫する私のようです。

他にも、義姉さんにダサいと言われて、自分なりに考えて着物を解体して、なんとか素敵なモンペに仕上げるのは、いつもお金をかけずになんとか素敵なものをと手作りしている私たちの仲間のようだし、
夢見がちで、海の波が、うさぎに見えたり、座敷わらしが見えたような気がしたり。

まるで、主人公が私や私の友だちのように思えました。

そこに、空襲。
朝も、昼も、夜も。
電気を消し、火を消し、頭巾をかぶり、防空壕に入り、おさまったらまた出る。

兄が戦死、義父が、爆撃で入院し、姪が亡くなり、主人公は絵を描いた右手を失い、原爆で実家の家族が亡くなります。

主人公も、周りも、次々悲惨になって行く中で、よく耐え、笑顔、学び成長もします。

上映中、何度も泣いてしまいました。
考えさせられる印象的な言葉が、いろいろあります。

一つだけあげると、嫁入りして苦労する主人公に妹がやって来て言います。

言葉は正確ではないですが、
「帰って来たらいい。厳しい兄やんはいないから、家も広くて楽しいよ。」
『私たちは歪んどる。兄やんが戦死してるのがよかったと喜んどる。』

どんな悲惨なことも慣れます。
我慢して耐えていると、歪んできます。
これくらい大したことない。
あれよりマシ。
あの人より幸せ。

歪んでいることさえ、気づかなくなってきます。

面倒臭くなってきたり、楽したいと思ったら、もう歪んでいるのかもしれない。
この映画の中の戦争には、終わりがあることはわかっていたけれど。