29日のプログラムができました。
前半はクラッシック、後半はおもに日本の曲を演奏することにしました。
日本の四季のメドレーの最後は、「冬の夜」です。
明治45年に唱歌として教科書にのりました。
歌詞の2番は、
囲炉裏の端に繩なふ父は
過ぎしいくさの手柄を語る (過ぎし昔の思い出語る)
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
このいくさは、日清、日露戦争のことだそうです。
第2次大戦後は、カッコ内の歌詞に改編されました。
作詞作曲者は、公表されず、戦後も調べたけれど、わからなかったそうです。
1872年に学校教育制度が公布されてから、教育は、戦争とともにある方がまだ長いのです。
里の秋、椰子の実、われは海の子など、戦意昂揚の歌詞を持つものはたくさんあります。
歌詞を変えたり、3番以下をカットしたりして、戦後歌われています。
改編するのが正しいのか?
歌わないのが正しいのか?
そのままで歌うのが正しいのか?
これを正しさだけでみると本質を見失います。
教育は、私たちの未来です。
どういう未来が欲しいのか?
どんな理想世界を創りたいのか?
それにより近づくためには、今どうあればよいのか?
今の続きに未来があります。
未来は、四方に広がっていますが、今は現実に形のある中で、よりよいものを少し選ぶしかないのです。
学校の時間は限られています。
選び直すこともできますが、ある程度の区間をもって直さないと大混乱の中に放り込まれてしまいます。
深く考え、選択し、勇気を持って進むことで、未来は切り開かれるものではないですか?
どこで議論されたか?誰が決めたのか?
歴史の中に埋もれていますが、立ち止まり考えることができた。何が理想にかなう教育なのか?何かを変えようと考え、議論されたことが、本当にすごいことだと思います。
そして、理想の未来は、時々刻々、これからも自分たちの頭で考え、話し合い、苦労してつかみとるしかないのです。