音楽の喜び フルートとともに

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ウスターソースの頃

2023-10-31 21:00:00 | ロマン派
京都北区鷹峰の

松野醤油



水を汲みに行った帰りがけによりました。
 
蒸した大豆を

潰して

麹を入れて塩を入れて、樽で発酵させてそのままのものをもろみ。
圧縮したらお醤油になるそうです。
許可をいただいて写真を撮らせていただきました。

濃口醤油ともろみを買わせていただきました。

その夜、もろみはきゅうりにつけてと、お鍋をしたのでお豆腐や煮大根につけて食べました。
特においしかったのは豚肉。
しゃぶしゃぶ用の安い豚肉が深みのあるコクのある味に。
おすすめです。

お醤油はまだこれから。

ヨーロッパで言うとウスターソース。
ルネサンス期では宮廷のものだったソース。
1835年ベンガル領の総督だったマーカス ヒル卿がインドからソースの作り方を持ち帰り、薬剤師のリー、ペリンズに依頼して作らせたのがリーペリンソース。
美味しくなかったので倉庫に放置。数年後倉庫を片付けていたところ、ソースが発見され、もう一度味見をしてみたら、熟成しておいしいソースになっていたとか…。
このマーカス ヒル卿がイギリスのウースター出身だったことからウスターソースと呼ばれることになりました。


本当かどうか?いまでは疑問視されているお話です。
このソースは発酵させた玉ねぎ、にんじん。アンチョビ、タマリンド(マメ科の常緑樹)と、リーペリン社の秘密の材料が入っているそう。

1839年頃のイギリスでは
ヘンリー ローリー ビショップ(1786-1855年)イングランド ロンドン生まれ、イングランド オックスフォード没

フランチェスコ ビアンキーニに師事し小品「アンジェリーナ」、バレエ音楽「タマルヤンとバヤジット」を作曲します。
1809年ドルリー・レーン劇場でオペラ「チュルケスの花嫁」を上演しますが、劇場が全焼し楽譜から全て失われました。

1810年オペラ「偏執狂」を上演し、人気が出て、3年間コヴェント・ガーデン王立歌劇場の専属作曲家になることができました。

ここで『太陽の乙女』(1812年)、『粉挽きとあるじ』(1813年)、『ガイ・マネリングと奴隷』(1816年)、『女中マリアンと一族』(1822年)、『ミラノの乙女』(1823年)を作曲しました。

「埴生の宿」の原曲「Home! Sweet Home!」はこの「ミラノの乙女」の導入部のアリアです。

1825年ドルリー・レーン劇場に復帰し、コヴェント・ガーデンのウェーバーのオペラ「オベロン」に対抗して「アラジン」を作曲しましたが、惨敗だったそうです。
(ウェーバーは1826年帰国途上ロンドンで客死しました。)

1830年歌曲「わがいとしのジェーン」を作曲し、人気になります。

1839年オックスフォード大学から音楽で学位を付与されます。
1841年エディンバラ大学教授になります。
1843年辞職。
1842年音楽家としてはじめてナイトの称号を得ます。

ビショップはオペラ歌手と2度結婚しています。
前夫人ミス・リヨンも再婚相手のアンヌ・リヴィエール(芸名アンナ・リヴィエラ)もともにオペラ歌手でした。

アンヌは後にビショップを捨て、ニコラ=シャルル・ボクサと駆け落ちしました。

「埴生の宿」ジョン ハワード ペイン(1791-1851年)アメリカ合衆国の詩人の詩に曲をつけました。



リュート奏者の推すオーボエ奏者

2023-10-30 21:01:00 | バロック
日曜日は牧野生涯学習センター音楽室で第5回聴き合い会でした。
車で出たら、牧野駅前がえらいことに!

ハロウィンのお祭り騒ぎ。
この中を車で?!
Uターンしようと思ったら
警備員の人が「おいで、おいで」のジェスチャー。
かぼちゃのおばけとか、プリンセスがワラワラと追っても追っても出て来るところをついて行きましたが…これは絶対Uターンした方がよかったでしょ。
ほんの数十メートルを何分もかけて行きました。
おかげで早めに行ったのにギリギリ。
プログラムと合奏曲の「ハナミズキ」をコピーしたら、すぐ本番でした。

今回は初めての休日開催。 
常連のリュート弾きの斎藤さん

バッハのピアノの早井さん、

休日しか出られないフルートの森田さん

ギターの山口さん。

などなど、みなさん熱演でした。

今日は時間があったので、後半で山口さんと子どもホスピスで演奏できなかったイベールの間奏曲、モーツァルトのトルコ行進曲、ピアソラのリベルタンゴ、ビゼーのカルメンからセギディーリャ、ドボルザークのユーモレスクを、聞いてもらいました。

練習したのに弾けないと体悪くします。機会があってよかったです。

打上げで
リュートの齋藤さんにリュートの名手を聴いてみました。
するとなぜか、オーボエのハインツ ホリガーを熱く紹介されました。

ハインツ ホリガー(1939年〜)スイス ランゲンタール生まれ
ベルン音楽院、バーゼル音楽院で学びます。
ヴェレシュ シャーンドールとピエール プーレーズに師事。
パリ音楽院でピエール ピエルロ、ピアノをイヴォンヌ リフェビュールに学びます。
1966年からドイツのフライブルク大学で教鞭をとっています。
オーボエは各国で賞を受賞。献呈された作品も多い。
指揮者としてもベルリン・フィルなど名門オーケストラを指揮し活躍しています。

ゲオルグ フィリップ テレマン(1681-1767年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選定公領マクデブルク生まれ、神聖ローマ帝国自由都市ハンザ都市ハンブルク没

ホリガーの吹くテレマンのオーボエソナタ





水の上で歌う

2023-10-29 20:54:00 | ロマン派
浄水器を替えることになり、旧リースの浄水器を取り外し、新しい浄水器が来るまで1週間。
浄水がないのでいただきに行きました。
京都市北区、杉坂の湧水。


うちから35キロ、凄い山奥でした。

先に二組の方が汲んでいらしたので待っていると、「どちらから?」と世間話しになりました。
「地元で、毎週火曜日汲みに来て
、もう何年も飲んでます。」
という高齢の男性。
「ええかどうかわかりませんが、まあ、今までおかげさんで元気にしています。」
「本当にお元気そうですね。」
「コーヒーとか入れるとおいしい気がするんですわ。」
もう一組はご夫婦で「山崎の水無瀬とか、藤の森とかも飲んでみました。」
と言っておられました。
私達も両方汲んだことがあります。
水無瀬は5キロ、御香宮神社10キロ、藤の森は20キロ。近くに名水がありますが、ここは初めて。


「テレビで紹介されたことがあるけど、そん時はすごい混んで大変だったんですよ。」
「私らはネット検索してきました。」
「ほんなら、また増えるかも!」
帰りがけにはまた何組か来られて並んでいました。
帰って紅茶を入れたら、朝入れた2度目の紅茶なのに、入れているうちから香りが立ってびっくり!
のどごしもまろやかで良い感じ。
やっぱり名水か。(主観です。)

フランツ シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国オーストリア大公国リヒテンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
ヴィルヘルム アウグスト リーダー画シューベルト1825年
1823年「水の上で歌う」D774op72は作曲されました。
フリードリヒ シュトルベルク(1750-1819年)

1200年頃から続くドイツの貴族の名家の伯爵が32歳のときに書いた詩です。
シューベルトは「水の上で歌う」のほか、「自然に寄せて」「母なる大地」も
彼の詩を使っています。

「水の上で歌う」
照り返す波の微光のただなかを
白鳥のように、揺れる小舟がすべり行く。
ああ、喜びの穏やかにきらめく波の上を
魂は、小舟のようにすべり行く。
なぜなら、空から波へと照りそそぐ
夕日が、小舟のまわりで踊っているから。

西の林の梢の上で
我らに親しげに、赤い光が合図を送ってくる。
東の林の枝の下で
菖蒲が、赤い光の中でざわざわ音を立てている。
空の喜びと林の静けさを
魂は、赤くなった光の中で吸い込むのだ。

ああ、露に濡れた翼で、
揺れる波の上を、わが時は過ぎ去っていく。
明日もまた、ほのかに光る翼で、
昨日や今日と同じく、時よ、過ぎ去るのだ。
私が、より大きな輝く翼にのって、
みずから、移り行く時から消え去るまで。





「人間」の幸せ

2023-10-28 21:00:00 | ルネッサンス
水曜日ピアノのTさんが来てくれました。
コロナから、3年ぶり。
すごいうれしい。

「腕がなまってるから、もう弾けないよ〜。」
と、言ってたけれど、「大丈夫!」
子育てサロンのクリスマスコンサートをお願いしました。


冷やして食べるパイ、持ってきてくれました。

冷蔵庫に入れておいて、さんざんしゃべってから取り出して食べました。
3年の間にいろいろあったものね。
おしゃべりが止まらない。

プライベート過ぎで書けないけど…。

ギョーム デュファイ(1397-1474年)ブラバント公国ベーアセル?生まれ、フランス王国カンブレー没

少年合唱隊で音楽を学びます。
1414年サンジェリー教会で働き始めます。
4年間コンスタンツ公会議(対立していた2人の教皇を廃止し、話し合いと合議によって新教皇を打ち立てました)に同行します。

1418年リミニ宮廷に移り作曲を始めます。
1435年教皇疔の歌手になります。
1436年サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂の献堂式のために「バラの花が咲き頃」を作っています。

サンタ マリア デル フィオーレ大聖堂1296年から140年をかけて建築された
デュファイは1436年この献堂式(建立式)のために曲を書いた
1439年ブルゴーニュ公に仕えます。
1459年カンブレーに戻り、オケゲム、ビュノワ、ジョスカン・デ・プレと親交を結んだと思われます。

生涯各地を転々としたおかげで
百年戦争の休戦期にイングランドのジョン・ダンスタブルが伝えた3度や6度の協和音程。

フランスのイソリズム(一定のリズムを繰り返す)を含むポリフォニー音楽(複数のパートからなる音楽)。

青年期に接触した旋律優位のイタリア音楽(トレチェント音楽)を統合し、イタリアで活躍したフランドル人チコーニアなどの影響を受け、
ルネサンス音楽を開拓しました。

宗教音楽も多く作曲していますが、世俗音楽も多く、「人間」を感じさせる作曲家と言われています。

長い戦時下の世界に生き、140年の聖堂の建立に立会い、合議、話し合いによる成功を一度は経験したデュファイ。

デュファイとバンショワ
その歌に耳を傾ければ、現代の私達の世界も変わるかも。

デュファイの世俗歌謡
「さあ、仲間たち目ざめよう!」

さあ、仲間たち、目覚めよう!
もう心配しないで
すぐに楽しい時がやってくる
私たち全員が幸せになれる

私はお願いする
偽りの嫉妬深い人達の言うことを気にしないで
彼らが何を言おうが

私から皆さんに乾杯です。
フション、エヌール、アンブロ、アンリ、ジャン、フランソワ、ユーグ、ティエリー、そしてゴデフリン、
皆に伝えます

自分自身を明らかにしましょう

もううるさく言うのはやめましょう

タントストは幸せな時間を売ります
私たち全員に良いことが起こりますように



1777年の月の世界

2023-10-27 20:51:00 | バロック
王子公園に咲いていたコスモス。
cosmosの語源はギリシャ語の「宇宙」を意味しています。
「秩序」という意味もあったみたいです。星座の世界=秩序を持つ完成した世界体型と信じられていた「宇宙」のことです。反対語はカオス「混沌」です。

ようやく秋らしくなってきました。

牧野に帰ってきたら、溝に珠簾(タマスダレ)

藤本川に映った雲もきれい。

フランツ ヨーゼフ ハイドン(1732-1809年)神聖ローマ帝国下オーストリア大公国ローラウ生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

は1777年エステルハージ家の次男ニコラウス伯爵とマリア アンナ ヴァイセンヴォルフ伯爵夫人の婚礼を祝うために「月の世界」を作曲しました。

エステルハージ宮殿歌劇場で初演されました。
エステルハージ宮殿

ハイドンザール
台本はカルロ ゴルドーニ(1707-1793年ヴェネツィア共和国)

のドランマ ジョコーソ(音楽のためのおどけたドラマ)原作をカール フリーベルトが改作したものです。

1700年後半の宇宙のイメージがわかる作品です。

エセ天文学者エックリティーコがクラリーチェとの結婚を認めさせるために、豪商プオナフェーデに「月には素晴らしい世界がある」と吹き込み、仕掛けを加えた望遠鏡をのぞかせます。

有頂天になったプオナフェーデは月の世界に行く準備をします。

エックリティーコは月の世界の皇帝から招待状が来た。とプオナフェーデを訪ねます。
そして魔法の薬をのむと、「月の世界に行くことができる。」と言って薬を飲ませます。
実は睡眠薬でプオナフェーデは眠ってしまいます。

月の世界の装飾をした家の庭で、プオナフェーデが目覚めると月の皇帝に扮した従僕が現れます。
すっかり信じ込んている彼の前に、娘のクラリーチェ、エックリティーコも現れ、月の皇帝が2人を結婚させるように宣言します。

最後に騙されていることに気づき、怒りを爆発させますが、自分が娘に強要してきた厳しい掟を反省し、結婚を認めます。
持参金も分け与え、一同月のもたらした幸運に感謝して終わります。

ハイドンのオペラ「月の世界」序曲



ギャロップ、みんな大好きな踊り

2023-10-26 20:57:00 | ロマン派
月曜京都へ行く京阪特急。
久しぶりに2階に乗りました。
最近コロコロに全て入れて運んでいるので階段が…。

天井が低いですが、車窓が高く眺めが良いのが利点。
加算無しなので、なんか得した気分に。ウキウキしてきます。

昔の特急と言えば、「馬」
17世紀頃、ドイツの結婚式のパーティの最後で全員で歌を歌って踊ってお開きにする。という風習が広がりました。

その音楽はドイツ語でケーラウス(Kehraus)と言いました。
その中でも有名な、「祖父の踊り」(Großvatertanz)は、その後たくさんの作曲家に編曲差れました。
バッハ、シューマン、チャイコフスキーなどなど。

18世紀の半ばから、このテンポの速い曲は踊る様子から馬が駆け足をするようだったためにGalopp(ガロップ、またはギャロップ)と呼ばれるようになりました。

男女が2人組になり、輪になってぐるぐると駆け足で踊るのですが、だんだんと乗ってくると、もはや踊りではなく、本当に駆け足で走り回るような状態になってしまいます。そうなると、息切れで咳き込む人がいたり、転ぶ人が出てきたり……と、まるで地獄絵図のようだったと伝えられています。

ただ、男女の仲が深まる踊りとして、特にウィーンを中心とした舞踏会で人気になり、自宅でパーティーをする際にも、ピアノでギャロップが弾けるように、ギャロップだけ集めた楽譜も売られました。そして、有名な曲や、親しみやすいメロディのギャロップが多く書かれました。



1830年代になると人気は早々に下火になり、1850年ごろにはほとんど姿を消しました。理由としては、怪我人が出るし、ギャロップではしゃぎすぎると、舞踏会の盛り上がりに水を差すから……そして、ギャロップは、似たように速い音楽ながらも、もう少し落ち着いた踊りをするシュネルポルカ(「速いポルカ」の意味で、ポルカ・シュネルとも呼ばれる)に置き換わりました。

それほどまでに、ギャロップは極端にはしゃぐ踊りだったのです。(ontomo大井駿)

フランツ リスト(1811-1886年)オーストリア帝国ハンガリー帝国ドボルヤーン生まれ、ドイツ帝国バイエルン王国バイロイト没



1838年「半音階的大ギャロップ」S219
ルドルフ アポーニー伯爵に献呈されました。
リストが自身のリサイタルのために作曲した曲で、リストの技工を見せるために作られました。
リストのリサイタルではしばしば取り上げられ、当初から人気がありました。
後に弾きやすくした四手ピアノ版がリスト自身の編曲で出版されています。



ホルベアの時代

2023-10-25 21:00:00 | ロマン派
昨日の午後。アプリにやっと戻れました。
システムのバグ?という言い方があっているのかどうかわかりませんが、「昨日メールでアプリを1度アンインストールしてログインし直して下さい。」
ということで、やってみましたらあっさり解決しました。
でも、なぜ1度目の相談のときに…同じ症状を訴えたのに教えてくれなかったのかなぁ?

で、昨日の投稿に動画もアプリで足しました。文章とあっていないけど、まあそんな日もあっても良いかと思って残すことにしました。

月曜午後からは京都今出側大宮の富久田先生のレッスンでした。
カルリの「英国国家による幻想曲」とピアソラの「タンゴの歴史」のカフェをみてもらいました。

鴨川沿いをあるいて

叡山電鉄の出町駅で電車を撮って、今日はさっさと帰りました。
ところが電車に乗って八幡駅を過ぎたところで停まってしまいました。


隣の京都方面行き快速も停まっています。
アナウンスで「香里園駅で車両発煙のため全線停車しています。」
え?!
その後樟葉駅まで行って1時間待ちました。
牧野まで一駅。惜しかった。
リアルではこういうことあるかもしれないとあるので急ぎの用も無かったし、そう慌てなかったけれど、ネットの世界では万能な気がしているのかな。毎日更新だって自分が勝手に決めたルールなのに、すごく焦ってしまった。
まだまだ修業が足りないな。

エドヴァルド・グリーグ(1843ー1907年)スウェーデン=ノルウェー ベルゲン生まれ、ノルウェー ベルゲン没


「ホルベアの時代から」
(「ホルベルク組曲」とも呼ばれます。)
1884年ピアノ独奏曲として書かれましたが、1885年にグリーグ自身が編曲した弦楽合奏版の方が広く知られています。



ホルベアとは「デンマーク文学の父」とも「北欧のモリエール」とも呼ばれるルズヴィ ホルベア(1684ー1754年)


のことです。
ホルベアの生誕地ベルゲンで生誕200周年となる1884年に行われた記念祭のために作曲されました。

「古い様式による組曲」とグリーグはかいでいます。この作品はホルベアが生きていた時代のバロック音楽の様式を借りて書かれています。

「ホルベアの時代のフランスのクラブサン奏者達の組曲をモデルにさせてもらった。」とグリーグは言っています。

第1曲 前奏曲 アレグロヴィバーチェ
第2曲 サラバンド アンダンテ エスプレッシーヴォ
第3曲 ガボットとミュゼット アレグレット ポコ ピューモッソ
第4曲 アリア アンダンテ レリジオーソ
第5曲 リゴドン アレグロ コンブリオ

第4曲 アリア






デジタルバード

2023-10-24 21:02:00 | 現代

相変わらず、アプリには入れません。

パスワードを入る度に再設定しなくてはなりません。再設定すると一度は入れますがブログの画面ではなくgooブログの設定トップ画面になり、そこから旧バージョンのパソコン入力画面に入ります。

動画は貼れないみたいです。それに何度もパスワード再設定のためにメールを送ってもらうので非常に面倒臭くて時間がかかります。

以前はこれを使っていたけれど、忘れていて写真の貼り方から覚え直しです。

困った💦困った💦

土曜日の原田の森美術館でのコンサートのときに鈴木さんから、吉松隆の「デジタルバード」はどうかと言われました。

鈴木さん、マルタンの4つの小品から「プレリュード」を演奏されていて

かなりの「現代音楽好き」みたいです。

吉松隆(1953〜)東京生まれ

曽祖父吉松駒蔵は東宮(後の昭和天皇)の侍医で、幕末維新の国学者大國隆正の子孫の家系です。

代々木中学、慶應義塾高校で医学部を目指していましたが、交響曲作曲家のを目指すようになります。

音楽のためにコンピューターは必要と慶應義塾大学工学部に入り、松村禎三(1929-2007年)に弟子入り、和声と対位法を東京芸大の川井学に学びますが数ヶ月で断念。大学を退学します。

この頃ピンク・フロイド、イエス、EL&Pに心酔しキーボード奏者としてロックバンドにも参加しています。

この頃からさまざまなコンクールにエントリーし、落ちています。

1980年交響楽振興財団作曲賞を受賞。その後評価が高まり、認知されるようになりました。

無調音楽に反旗を翻し「現代音楽撲滅運動」「世紀末抒情主義」を提案。

1998年からはイギリスのシャンドス(レコードレーベル)とレジデントコンポーザー契約を結びオーケストラ作品を多く録音しました。

ロックファンでもあり続け、「タルカス」をオーケストラ編曲してCD発売しています。

2012年NHK大河ドラマ「平清盛」の音楽にも採用されています。

「デジタルバード組曲」甲斐道雄の委嘱により1982年作曲されました。

機械仕掛けの鳥、デジタルバードを主人公にした架空のバレエのための組曲という設定で書かれました。

シリアスよりもポップ、アナログよりデジタルという発想で現代音楽からの離脱を軽やかな鳥のステップになぞらえた最初の作品です。(三上明子)

鳥恐怖症

夕暮れの鳥

さえずり機械

真昼の鳥

鳥回路

からなっています。



フルートアンサンブル練習

2023-10-24 00:19:25 | コンサート

保存量が規定に達したということで昨日から有料版に移行したところ、どうしてもアンドロイドでログインできません。

二晩頑張って、再設定を繰り返し、なぜか、パソコン版でアプリになっていない以前のバージョンでログインできました。

そんなわけで、みなさんのブログへの訪問もかないません。また、やってみますが、できるかどうか?

最悪、gooブログで続けることは不可能になるかもしれません。

それは私にとっても本当に最後の手段ですが、有料ってなんだろう?問い合わせてもAI返信で再設定を行いなさい。と言ってきただけなので、それは何度もやったっていうのに…。

日曜日は六甲アイランド ラ サーラ ディ オルフェオでフルートアンサンブルの エスカルの最後の合同練習でした。

11月5日第3回演奏会までの最後の合同練習でした。 

ベートーヴェンの田園、ラヴェルのパヴァーヌ、シューベルトのロザムンデ、パーセルのムーア人の復讐、日本の歌など。

みんな最後なので榎田先生に必死に食らいついて行きました。

このバージョンで動画がアップロードできるのかどうか?

今はわからないのと投稿画面が扱いにくいので今日はこれくらいにしておきます。ごめんなさい。明日またチャレンジしてみます。新しく返信あるかもしれませんし。

 


ロートレック讃歌

2023-10-22 21:00:00 | 現代
土曜日は西宮ギター練習会主催のミニ・コンサート
兵庫県立美術館別館 原田の森美術館で13:00から
ギターの本庄定雄さんとフルート久米で吉松隆の「ベルベットワルツ」
メンデルスゾーンの「ヴェニスのゴンドラの唄」を
コントラバスの安福佳子さんと本庄さんのギターと、久米フルートでアザラシビリの「ノクターン」を演奏しました。

音響の良い部屋でとても気持ちよく演奏させてもらいました。
なぜか今日は写真がアップロードできません。

指定容量を超えています。と出ます。
遅く帰ってきて、明日の投稿を準備していますが、不具合を解決したいけどもうエネルギー不足。
明日のために寝なくっちゃ!

「ロートレック賛歌」という曲を演奏された人がいました。

スペインのサイント デ ラ マーサ兄弟はギタリストで2人共素晴らしい曲を残したことで知られています。

兄のレヒーノ(1896-1981年)は、アランフェス協奏曲を初演しています。
「アレグリア舞曲」「カスティリアの歌」などを作曲しています。
6歳から兄はギターとピアノを学び、弟はギターを学びましたが途中からチェロに転向しましたが、他の兄弟には貧しく音楽を学ぶお金がなかったそうです。

弟のエデュアルド(1903-1982年)プルゴス生まれ、バルセロナ没
彼はそのままチェリストとして活躍していましたが、チェロやギターの曲を作曲するようになり、名声を得ました。
「夜明けの鐘」「ハイドン讃歌」などを作曲しています。

「ロートレック讃歌」
アンリ ドゥ トゥールーズ ロートレック(1864-1901年)フランス帝国タルヌ県アルビ生まれ、フランス共和国ジロンド州サン・タンドレ ドゥ ボワ没
伯爵家の御曹司として生まれますが、8歳の時に弟が夭折し、以来両親が不仲になり、母とパリに住みます。
また、13.14歳のときに、脚を骨折し、脚の成長が止まり父に疎まれて育ちます。

成長すると、娼婦や踊り子など夜の女たちに癒やされ、パリのムーラン・ルージュやダンスホールや酒場に入り浸ります。

ムーラン・ルージュのポスターを描き人気になります。
「小さい男」「偉大なる芸術家」と呼ばれます。
日本の浮世絵にも傾倒します。

アルコール中毒もひどく、36歳で脳溢血で亡くなります。
最後の言葉はお金を与えるが彼の絵画を認めなかった父へ「馬鹿な年寄りめ」でした。
…絵を載せたかったです😭🙏
「ロートレック讃歌」