今日は、子育てサロンのスタッフで、パネルシアター「ねずみくんのチョッキ」(ポプラ社)の製作日です。
朝からうちの家で、まずは、運動会の打ち合わせ。今年は10月の第二火曜日で、8月サロンは夏休みなので、9月のサロンの時には、しっかり詰められるように、原案を考えておきます。
今年は、氷の世界探検。しろくまチームとペンギンチームに分かれて、氷の滑り台や、吹雪のトンネルなどを探検します。例によって、Yさんと私は話が広がってどんどん暴走。Tさんが、現実路線を提案しダメだし、Mさんは、なんとかできないか?一生懸命考えてくれる・・・気の毒に。
あと2ヶ月で、形にしていきます。
その後は、絵本の「ねずみくんのチョッキ」は、なかえよしを作、上野紀子絵の心温まる絵本ですが、作り始めたのはサロンをはじめた頃、かれこれ8年前。絵本はあるのですが、シアターの型紙があって、それを抜いて塗りかけ、途中でわからなくなってしまいました。
演じる時の完成形がわからないせいです。
その完成形のシアターをYさんが、今回、見つけ出してきてくれました。
おかげで、しまってあった図案を完成することができました。
ねずみくんが、お母さんに編んでもらった赤いチョッキ。
いいチョッキだね。ちょっと着せてよ。といろんな動物がやってきます。
「うん。」と、着させてあげると、
どんどん、大きな動物がやってきて、また貸し
あれ、いいのかな?
さて、チョッキはどうなったのでしょう?ねずみくんは?
腕や頭を動かせるように、糸で止めました。裏を返せば、表情が変わります。
白と、赤の絵の具だけで、絵筆の跡がなんともいえない暖かさをもった絵本の世界です。
子どもたちと遊ぶ日が楽しみです。
矮性アルセア パープル。
今日は、父のCTの結果を見に行く日でした。
綺麗な脳で、年相応の萎縮。アルツハイマー型の認知症が疑わしいそうです。
「もっと詳しい検査をしてもいいですが、できることは薬で遅らせる位ですね。」
2日に前立腺の手術をしますが、術後、何日かは譫妄が起きるかもしれないので、ずっとついていなくてはなりません。
それでも、精神科の先生が入院中往診してくれ、対応してくれるそうで、少し安心しました。
前立腺としての、診察はあっても、認知症で起きてくるいろいろな問題について、やっと専門家の話が聞けた気がして。
1日から24時間。家族で交替で病院に詰めるしかないのですが、何かあればバックアップしてもらえるツールが一つ増えたという感じです。
家族がいなかったり、仕事で病院に詰められない人はこういう場合どうなるのかな?
どうしようもないけれど、何度もそのことが家族の間で話題になります。
病院にいる間、練習もできないしレッスンもできない。息子や夫は、元気だし、なんとかやると思いますが、心配。母と交替ですが、母も間でお稽古にいったりして、二人でやってもギリギリです。
予後がいつまで続くのか心配です。
今日、朝起きて、携帯を見たら、デュオの相手、フルートのIさんが、はなみずきコンクールで大賞を取った。とメールが来ていました。
すごい!頑張った甲斐があった。おめでとう!私も嬉しいです。
ピアノ合わせは、午後から、ピアノの中田さんと尼崎でした。
タファネルの魔弾の射手。3月にコンサートで一緒にやって以来です。
私は、いつもと違う部屋の反響に緊張して吹きすぎてしまって、ブレスは多くなるし、タンギングが重いし、テンポは遅いし、ダメダメな演奏でした。
それでも、落ち着いて「これくらいのテンポで行きましょうか?早いだけがいい演奏じゃないし。大丈夫ですよ。」と、何度も声をかけてくれて、あくまで音楽的な演奏をしてくれたので、だんだん気持ちが穏やかになってきて、なんとか、合うようになってきました。
音楽も人柄も素晴らしい人です。
中田百合子さんにちなんで、今日はうちのカサブランカの写真をアップしました。
昨年買ったときは、小さく二つ茎が伸びただけで、花をつけなかったゆりですが、今年は、6月始めにつぼみをつけて、7月中花を咲かせてくれました。
今日は、実家で父を見る番です。毎週金曜日は、お昼に行って、夜ご飯を作って一緒に食べ、10時に母がお稽古から帰ってくるまで一緒に過ごします。
いつも、5分か10分ごとに、「お母さん、今日は遅いんか?どこ行ってるんや。と聞いてきます。
今日は食後、父と同居しているうちの長男のノートパソコンを借りて、カラオケに挑戦です。
前回、うまくいった美空ひばりさんの歌を検索したら、「真っ赤な太陽」が出てきたので、出してみると、ひばりさんが歌っているものでした。「やっぱり、うまいなぁ。いいなぁ。」といいながら、歌おうとはしません。やっぱりカラオケでないとだめみたい。
しかし、なかなかカラオケが出ない。真っ赤な太陽は諦めて、「愛燦燦」を出すと、歌う歌う。しかも、前回ほとんど出ていなかった声が出てます。うれしくなってきました。
「どの歌知ってる?」と聞くと、「わからん。何か知ってるはずやけどな。」適当に流行っていた歌をだしてみます。
都はるみさんの「大阪しぐれ」。この歌は、よく覚えていたのか、さっきより、リズムもあっています。
そのあとは、どんどん。結局、母が帰ってくるまで。歌い詰め。
今まで家に引きこもり状態で、ぼぅっとテレビを見ているだけの父が、疲れも見せず3時間歌い詰め。
「これどうしたんや。これ買うわ。」とパソコンのことを何度も聴き。その度に「長男が持っているから、いつでも、貸してもらえる。」と何度も言い。でも、父が、嬉しそうに歌っているのを見ると、私も嬉しくて、何曲も、歌を出し、一緒に口ずさみました。
驚いたのは、藤山一郎さんの「影を慕いて」を歌ったとき、
まぼろしの
影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦(こが)れつつ 忍び泣く
わびしさよ
せめて痛みの なぐさめに
ギターを取りて 爪弾(つまび)けば
どこまで時雨(しぐれ) 行(ゆ)く秋ぞ
振音(トレモロ)寂し 身は悲し
君故(ゆえ)に
永き人生(ひとよ)を 霜枯れて
永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
ながろうべきか 空蝉(うつせみ)の
儚(はかな)き影よ 我が恋よ
古賀政男さん、作詞作曲の有名な曲ですが、「いい歌やなぁ。何か今頃になって歌詞がわかるような気がするわ。」と父が、私に言うのです。
その目が、生き生きとして、以前の父のような、豊かな表情です。
昭和3年、人生に絶望した古賀さんが、自殺を図った後、蔵王の夕焼けを見て思い浮かべた詞。暗い歌です。
悲しみ、うれしさ、怒り、楽しみ。喜怒哀楽。どの感情でも、感情が動く。ということが、人を生き生きとさせ、生きている実感を感じさせます。
奥底に眠っている感情を、この音楽は、揺さぶり、起こしたのです。
共感によって。
人はみんな、老い、死んでいきます。どんなに頑張って何かをなしても、希望が潰え、最後には全て手放していかねばならない。成就したり手に入れる望みはもうない、しかし、胸には、誰かを想う気持ちだけは、静かにいつまでも燃えている。
私も改めて感動しました。
矮性アルセアシリーズ、レモン。さわやかでしょ。
暑い上に、湿度が高く、夏バテ気味。庭のお花も一日に2回水をやっていますが、少し遅れると葉がしおれてしまいます。
近所の子どもたちも庭にビニールプールを出してもらって水浴び。
「いいねぇ。」と声をかけると、子どもはにこにこ。お母さんが「子どもはいいけど、見てる方はねぇ。」
と帽子の下で汗をふかれました。そうでした。私も通った道。がんばれ!おかあさん。
フルトベングラー、帝王カラヤン。長い間、強烈なカリスマを持った指揮者がすみずみまで指示したベルリン・フィルでさえ、今では、民主化。
笑顔のサイモン・ラトルが指揮をし、子どもたちにワークショップを行い、「ベルリン・フィルと子どもたち」という、映画を撮り、収益を、ベネズエラの音楽教育プログラムに寄付。
アバドも、ラトルも今でもブログラムを支え続けています。
エル・システマはベネズエラで1975年に始まった音楽教育プログラムで、
「このシステムは、子供達一人一人に自分が財産であると思えるような環境を作り、練習の場は、完全に「ポジティブで快適な環境」になっており、恐怖、緊張、ストレスなどの要素は取り除かれ、演奏が充分でなくても指導者は決して「ダメ」や「無理」と言うことはなく、「あなた達は音楽を創れる」という様なポジティブなコメントが定期的に与えられ、常時ポジティブなフィードバックがある状態に保たれています。」
30年で300万人の子どもたちが、無償でこの教育を受けていて、現在、子どもたちの教育水準、地域貢献への参加度を大きく引き上げ、コミュニティにポジティブな影響を与える効果があることが、認められています。
音楽は世界を変える。
世界の音楽の民主化はもうだいぶ進んできています。
矮性アルセアのカーマイン。矮性って?病気や、成長調整剤などで、高さを本来の品種より抑えたものという園芸用語だそうです。アルセアはタチアオイの一種。夏になると、アオイ属が元気になります。
今日は夕方からIさんと、デュオの練習。
バルトークです。
忙しいIさんは、4時に来て、6時にはまたレッスン生のために、帰らなくてはなりません。
前回の練習の録音を聴いてみたら、いろいろ、課題を発見しました。
今回も録音しながら練習です。
合わなかった16番、私が付点を1拍勘違い。やっと、どんな曲かわかるようになってきました。
縦があってきたので、今回はニュアンスをつけてみます。
pはもっとpで、そのほうがアクセントがより際立ちます。
私は原曲のヴァイリンを意識しすぎて、当たりを強く吹きすぎていたので、改めます。
5拍子が特徴的な、17番は、セカンドの刻みが難しいです。ハンガリー独特のリズム感。
初めて会ったようなリズムです。しかし、近代音楽の変拍子というのとはちがって、これで踊れる土着の民族音楽という感じです。
Allegro ma non tanto アレグロで、しかしあまり甚だしくなく。
という、表記ですが、メロディラインだけを吹いてみると、ゆっくりした、暗い少し重い感じの不思議な曲という風に捉えやすいですが、標題には new year's song とあり、明るく、むしろ乾いた感じで、リズムを出したほうがよさそうです。
ハンガリーの民族音楽のリズムの勉強が足りません。
踊りのリズムは、民族の血。体から溢れ出る何かが必要です。
他にも、変拍子でなくても、変なところにアクセントがあったり。面白くなってきました。
ガウラ、白蝶草ともいいます。京田辺の実家の近くの農家に植えられています。楚々とした美しさです。
21日日曜日は、フェニックスホールで、アンサンブル フィオーレ ディ オオサカのコンサートがありました。
大学のマンドリンクラブの同期のメンバーが、3人出演。
それだけでなく、音楽的にもこれは絶対に外せないコンサートです。
常任指揮者をおかず、コンサートマスターの葛原睦子さんの、弾き振りで全曲演奏です。
一部は、チェルライの組曲シエナ、カラーチェの間奏曲、カッペレっティの劇的序曲。
少し硬さはあるものの、うまくまとめていました。
特に劇的序楽は、ドラマティックなテーマをコントロールされた豊かな音で演奏されていて、よかったです。
二部はレッチェのマンドリン協奏曲、ヴィヴァルディの二つのマンドリンのための協奏曲、ナポリ狂詩曲。
葛原さんの安定したソロに、二人のソリストが、繊細にぴったりとつけていて、オケのメンバーも、よく添っていました。
三部は歌劇の編曲ものスッペの喜歌劇「ボッカチオ」よりファンタジア、マスカーニの「カヴァレリア ルスティカーナ」より間奏曲、ロッシーニの「ウィリアムテル」より序曲。
このような、曲を20名ものメンバーで指揮者なしで、合わせるだけでも驚きですが、美しい音、揃ったダイナミックスで、本当に堪能しました。
アンコールは、ローレライファンタジー。
低音のドラの音色が生きる選曲で、それに応えていたと思います。
美しいメロディを存分に歌い、コンサートの最後を飾りました。
それにしても、フェニックスホールの構造のせいか、一階のセンター席少し左よりでしたが、左端のマンドリンと、右端のベースが大きく聞こえていたのが、アンコールで反響板があがったら、真ん中のドラや、チェロ、ギターの音が急にバランス良く、聞こえて来ました。
次回は並び方を少し考えた方が良いかも。
おかしなホールです。
終演後、ロビーは例によって同窓会状態。
特に私たち卒業生にとっては、故郷のようなコンサートです。
運営や練習や大変な中、続けてくれているフィオーレのみなさんに、本当に感謝しています。
次回もまた楽しみにしています。
今週も暑いです。
今日は、父の頭のCTを撮りに病院に行く日です。
前立腺の手術日も決まりました。
8月2日。
これで母とひともんちゃく。
1日に入院して、2日に手術。術後は、管がいっぱいついているので、「外したら大変なことになるので、管が取れる何日かは、絶対付いていてください。」と医師の言葉。
ところで、姪がお正月に傷めた足の靭帯の手術をする日が8月6日その後二週間入院。5日には仕事を休めない妹に変わって、私が車で病院に連れて行くことになっているし、付き添いも頼むかも。と言われていました。
妹は6日から休めるので、父の手術を6日以降にお願いしよう。
医師に聞いたら、手術担当から電話があるので、その時に都合を言ってください、とのこと。
じゃあ、そうしよう。と母と言っていたのに、
・・・2日で良いと簡単に返事しをしてしまった。
「入院する時と、後、付き添い交代で頼むわ。」夜もまた泊まりです。
「どうして?!」と思いつつも、聞いていたら、問題の5日は、母が仕事があるから、「あんた、お願い。」
そのあたりで、イライラが、ムカムカになってしまい、
「妹も手伝うと言っていたのに、これじゃ、全く助けてもらえないやん。」
「相談したときは、8月6日以降にしたら、姪と一緒に見れるから、助かるしそうしようって言ってたじゃない。なんで病院に何も言わなかったの?」
母は、「早くして欲しいから」
「お盆になったら、先生がいなくなるかもしれない。」
「ずっと先になるかもしれないから。」といろいろ理由を言っていたけれど、
「事前に話していたことと違うし、出来るかどうかわからないけれど、病院に聞くこともしないなんて、納得できない。」と電話をおきました。
今日は、そのことには触れずに、病院へ。
CTを撮って精算を待っていたら、父が「えっ!手術すんのか?」「どこ?」と、何度目かの新鮮な驚き。
説明したら、何度目かの落ち込み。
でも、また忘れるのが救いでもあり、おもしろくもあります。
ああ、そうか、母も父と同じように老いているのに、昔のようにきっちり話し合ったことができると期待しすぎているからムカムカするんだ。
そうしたかったら、自分で動くしかない。それができないなら、受け入れるしかない。
さて、5日はどうしようか?
反魂草と、大反魂草の野原。農家の人が空いた土地を、花畑にしています。
昨日は、Iさんとフルート二重奏の練習。
Iさんは、前回合わせた感じから、頭部管をパールからラファンに、変えてきていました。
私のパウエルと、合うと思ったから買ったそうです・・・ってすごい!
ライザーに金が入って、音色が明るくなったような気がします。
まずは、Iさんが、持ってきてくれた日本の唱歌、童謡の大初見大会。
夏の思い出やふるさとなど、20曲くらい。
難しい曲ばかりやっていた時にはわからなかった相手のフルートの癖やヴィヴラートのかけ方など、細かなタッチや、変化が感じられます。
前回バルトークで1st、今回はいつもの2ndをすると、緊張感から開放されていることにも気づきます。
しかし、Iさんの持ってきてくれた曲集は、フルートのものにしては、音域が低い。
次に私が用意した夏の思い出や、ピチカートポルカなど。これは、いつものフルートの音域。
それから、後は、バルトークのデュオをひたすら、慣れるために演奏、録音。演奏、録音。
やっぱり、難しい。
何がって、リズム。ヴァイオリンの曲で、ハンガリーの民族音楽がベース。
やってきたクラッシックの文脈では間に合いません。
5拍子の変拍子だけでなく、ピチカートの2拍子の、最後の8分音符にアクセントがついていたり、伴奏のセカンドの刻みに装飾音がついていたり。
譜面や指では理解できますが、身体で理解できない。
これで、踊れないとなあ。
まだまだ、学ばないといけないことはたくさんあるようです。
笠置を抜けると奈良はすぐそこ。お茶を飲みに奈良を通っていきました。
車で行くとパーキングが無いのが奈良。一日1000円は、一日観光に来た時には良いけれど、喫茶では困ります。
パーキングのある喫茶店を探しに車でウロウロしていたら、やっぱり鹿がたくさんいました。近づいてきたのは、背中に白い斑点がある鹿。生まれて一年目の若い鹿です。
大きなPの看板を見つけて入ったら、吉野葛専門店 天極堂。
京都の鍵善は有名ですが、こちらも創業130年。
クズは、日本書紀に国柄人(クズビト)、万葉集には国柄ら(クニスラ)と呼ばれる山に住む人々が、いることが記載されていて、その人々がつる草から澱粉を取り出し、都に売りに来たことから、その澱粉をクズと呼ぶようになったそうです。
スーパーで売られているくずきりは、ほとんど馬鈴薯澱粉。じゃがいもの粉ですが、葛はもともとカズラの根っこ。1キロから100gしか取れない貴重品です。
天極堂では、葛で作った御膳などのお料理も楽しめますが、今回頂いたのは、定番のくず餅。
くず餅には黒蜜ときなこがかかっていて、外は冷たく、中は温かい。製法を考えると、シンプルですが、本当にぜいたくな一品です。
本当においしいお菓子は、少しでも、なんともいえない満足感があります。
4人で、何度も何度も「おいしいなぁ。」「おいしいね。」と言い合いながら、ゆっくりといただきました。
すぐ忘れてしまう父も、車に乗ってからも、何度も「おいしかったなあ。」というほど、感動しました。
そうそう、奈良まで食べに来れないので、吉野葛の粉を買って帰りましたが、できるかな?