錦糸梅は、梅という名前がついていますが、オトギリソウ科です。品種もいくつかあってこれは、ヒべりカム・ビドコートというそうです。
もう、時期的には終わりです。
フルートを吹くときには、緊張は禁物ですが、体のいろいろなところが緊張してしまいます。
最近は特に長時間吹いていると、顎関節がだるくなってきます。
顎関節をあたりを、緩めるために、手で関節を触り、ゆっくり動かして、動き方を確認します。
舌の筋肉も固くなって、タンギングが鈍くなってしまいます。
思いついて、下顎の骨を顔の輪郭線に沿って、触りながら舌を動かしてみると、顎と首の辺りの筋肉が舌に添って動いているのがわかりました。
手は当てたままで、舌を上の歯を一本づつ確かめるように、右方向に奥歯まで動かします。その後、舌と歯の間を通って真ん中の歯まで来ると、左方向へやはり奥歯まで行きます。奥歯まで到達すると内側を通って前の歯まで。
舌を動かすと、顎の下の舌との接着面あたりの筋肉が一緒に動いています。
それから、左の端の方へいくと、額関節もわずかに動きます。
手を鎖骨のほうへ移動すると、鎖骨の上の当たりも少し動いています。
これだけやってみると、奥のほうから、唾液が出てきました。
フルートを吹いてみると、舌がさっきよりも滑らかに動きます。
首や、額関節の緊張も多少緩んでいます。
そこが緩むと、自然と首が前に出なくなります。呼吸も深くなります。
面白いこと発見したみたいです。
今日は酷暑でした。後一度上がったら、学校では、運動禁止でした。運動場に立っていると、帽子からはみ出た首がじりじり焼けているのがわかりました。
子どもたちに、「15分に一回お茶休憩を取るように、声をかけるので、そのときはすぐにお部屋に入りましょう。」と、約束してもらってから、外に出しました。が、やっぱり、なかなか入らない子どもたちを大声で呼んだり、説明したり、追い立てたり。
汗だくでこちらも熱中症になりそうでした。
今年の長そうな夏が心配ですが、私は明日から3ヶ月休み。あと一日無事に過ごせばいいのですが・・・。
せめても今日は、涼やかな、額あじさい。ブルースカイというそうです。
自宅練習をしていても、節電が気になります。
防音加工などしていないので、窓を閉めて、雨戸を閉め、カーテンを閉めて練習していますが、エアコンをできるだけ使わないでおこうと思っています。
なので、誰にも会わないときは、タンクトップを着て、立って吹くと、ペンダント型の蛍光灯といえども、頭近くが暑いので、電気を消して、明かり取りのカーテンを少し開け、できるだけ暗譜で吹きます。
汗が吹き出てきますが、いいこともあって、暗いことで、集中力は増すし、音にも敏感になれるし、体の感覚もわかりやすいです。
熱中症にならないように、水分補給にも努めます。
アイスコーヒー、アイス煎茶、アイス紅茶、お水。
それからお酢。りんご酢、米酢、ワインビネガーなどなどを水と氷でわったもの。これは、元気が出ます。
それから、アイビーのグリーンカーテン。シェードも取り付けました。
そして、どうしても暑いとエアコン。無理しすぎはいけません。
みなさんも、お元気でこの夏を乗り切りましょう。
最近一番気に入っているバラです。スピカ デヴィッドオースティン。オレンジとピンクですが、その混ざり具合が、なんともいえない古風な感じがします。
6月26日に川口由紀さんのリサイタルに行ってきました。
ピアノは関口康祐さん。阪急御影の世良美術館でのコンサート。
ヘンデル ソナタト短調
ライネッケ コンチェルトニ長調
ゴーベール マドリガル
シャミナーデ コンチェルティーノ
フランク ソナタ イ長調
アンコールは 精霊の踊りと、美しきロスマリン。
川口さんはいつもリズム感の良い、元気の良い演奏をされますが、今回、ヘンデルの2楽章4楽章、マドリガルなどゆっくりとした曲がとても美しかった。
世良美術館は、2年前に亡くなった画家世良臣絵さんの個人美術館で、スタンウェィの後ろには、大きな花の額絵がかけられていました。
その額絵と川口さんの選んだドレスの色が、あっていてとても美しかったです。
休憩時間には展示された、小磯良平さんのスケッチや、世良さんの初夏の花の絵などを楽しみました。
小磯良平さんが音楽会のプログラムの表紙絵を手がけておられ。天使がピアノを弾いている絵。とんぼの絵、世良さんの今の季節の花の絵があり。
音楽と絵画の贅沢な時間を過ごしました。
勿忘草(わすれなぐさ) forget me not 私を忘れないで。 川に落ちて死んだ恋人をしのんだドイツの伝説の騎士が胸に着けた花。ロマンティック…。
今日は、4月に異動になる前の児童会にお手伝い。
3ヶ月って、子どもにとってどんな時間でしょう?
みんな一学年あがっただけでなく、身長も、ぐっと伸び、一回り大きくなっています。
「あーっ!」
飛び込んでくる子もいました。
「どうしたん?」「帰ってきたん?」
「今日だけ、お手伝い。」
毎日のように会っていた子どもたちです。成長が本当にうれしいです。
宿題を見ていても、去年は座るのがやっとだった子どもも座って取り組んでいたり。一学年上がって、難しい宿題をやっていたり。
去年の一、二年生が二、三年生に成長して鉄棒につかまって、耐久競争。
頼まれて、タイム数えたら、みんななかなか落ちない。最後には513秒もぶら下がっている子もいて、びっくり。
散々やんちゃで困った子どもも、4年生になり、下の学年の子どもたちを引き連れて、うまく遊んでいます。
校庭で拾った?長い紐を鉄棒にまわして、両側の端をを引っ張って遊んでいたので、「これって、棒を持ってきて巻いて、その下に燃えやすい草を置いて、ぐるぐるしたら・・・。」
というと、「あっ!わかった。みんな、棒探して、それから板と。」
たちまちみんな、あちこちに散って探します。角材の破片と、剪定した木の枝をどこからか見つけてきて、
「棒もって、紐、ひっぱれ。」
うまくいきません。「難しいなぁ。簡単にはできないね。」
「どうしたらいいのかな?」
「そうや!穴あけよう。尖った石探してきて、もっと大きなの。」
「本当に火がついたらどうしよう?」心配している子どももいます。
以前はすぐに飽きて次に行っていたのに、あれこれ、考えて試しています。
最後には時間切れになってしまいました。
3月末にさようならをした子どもたち。この子達との関係を、時間をかけて築いていたことにも気づかされました。
本当に幸福な時間でした。ありがとう。
最近流行っている、スウィングフェアリー ウィンストンチャーチル。なんだか、不思議でオモシロイ色と姿です。
演奏のスタイル、テクニックや、音程、リズム、譜読みは、経験が必要です。
何年かかけて、練習して作り上げなくてはなりません。
しかし、音楽の面白いところは、それだけでは魅力的な音楽を届けることはできないというところです。
私も、それが何かをずっと探し続けているところです。
ひとつ言えるのは、生まれたばかりの赤ちゃんは、誰の心も惹きつける力を持っていて、それは、外見の美しさでもなく、後からつけた特殊技能でも、いわゆる腕力のようなものでもなく、性的魅力のようなものでももちろん無い。
いわゆる生命力。
生命そのもの持つ、美しさ、可能性、信じる力、尊厳、生きていく力。
そして繋がる力。赤ちゃんは一人では決して生きられない。
人は存在するだけで、価値があり、命として尊厳があります。
ところが、比較によったり、偏見によったりして、自分には表現する権利が無いといつの間にか信じ込み、そういうものが現実にはなくても、存在を恥じたり、表現しなくなってしまいます。
この思いは、人と対峙した時、社会的発信に対して、私をしばり、緊張を呼びます。
簡単にはいかないけれど、誰にでも赤ちゃんの時はあります。
と言うことは、私にもできていたと言うことです。
だからきっと、可能性を信じて良い。
まだまだ、チャレンジ中です。
このバラはクイーンオブエデン デヴィットオースティンという品種です。やっぱりバラが好きです。
原発について私は、一度も書かなかった。
私は、思春期の頃から原発が怖かった。子ども頃、子ども向け科学雑誌で今ある核兵器で地球が50回滅亡できると聞いて以来、数日眠れなかった。
原発はそのウランを使うと知り、情報を集め、広瀬隆さんや、広河隆一さんの書いたものを読んだり。
そしてチェルノブイリ。ノストラダムスの大予言世代の私は、空から降ってくるニガヨモギは、チェルノブイリのことでは?と本当に恐ろしかった。
そのうち子どもができて、子どものために、もっと怖くなったけれど、子育てにかまけ、原発はやめてほしかったけれど、誰かが署名してと言ったときだけ署名する位で、結局自ら動かなかった。投票していなくても、汗ひとつかかず、傍観し、受益しつづけたことは、長く推進してきた前の政権与党と何も変わらない。
こんな私が、原発のことを批判するのはおこがましいし、書いても、悪い事しか書けず、書いたことで悪い未来を引き寄せるような気がして、書けなかった。
ところが昨日買った、Big issueに、田中優さんが、面白いことを書いていました。
一年の電力消費のピークは、10時間しかない。その数時間のために、発電所を待機させている。稼働率は60%しかないそうです。夏場の昼間の約10日間さえ、乗り切れば、原発を動かさなくてもすむ。
電気は大量に使えば使うほど、安くなる、売電が難しいと言うシステムを改め、送電線を公共財とし、各家庭や事業所に太陽電池パネル、小水力、地熱、波力などの発電機設置を支援し、売電をしやすくする。蓄電池の技術も日本は世界トップクラス。自動車にもガソリンはいらなくなる。
年間23兆円も海外から買っているウランや、石油、天然ガスの費用がかからなくなる、都道府県に振り分ければ、それぞれ年間5000億円が自由に使えるようになる。
おまけに、自然エネルギー分野の雇用は、大量に生まれる。
異論もあるのかもしれないけれど、なんだかすっきりした。
今、必要なのは、科学的に現実を直視し、新しい発想で社会のヴィジョンを描くことではないかと思ったしだいです。
このあじさいは、クレナイといいます。近所のクリーニング屋さんの前に咲いていました。可憐で、かわいいです。
今日は梅田でレッスン。
バッハの無伴奏ソナタ。
主となる音をテヌートで、小節の初めの音が多いですが、そのテヌートを、メロディの方向によって、長いもの、半分くらい、またその半分くらいと変えること。
そういうところを探して、リズムやメロディを浮き出さなくては、何をやりたいのかわからなくなってしまいます。
前回も同じことを言われたので、家でやってきましたが、まだ足りない。もっとリズムやメロディを明確にということでした。
クーラウのディベルティメント6番。
これは、曲のことは言われないで、基本奏法を中心に教わりました。
私は、重心がかかとに来やすいので、もっと前のほうに重心を移すこと。
フルートを構えるときに、両手を広げて、大きな木を抱くように前に持ってきて、フルートを持つこと、狭いと呼吸が浅くなりやすい。
重心を右足や左足に動かしてもいい、その場合、必ず前方遠く、大きくフルートを動かすこと、小さく回さない。
やはり、下あごが下がっているので、もっと前に2㎜位は、出して方が良い。そして、その分少し上に向くこと。真下に吹き込むと音がこもりがちになります。
肩の力を抜いて、唇も柔らかく。
途中で、ふっと、「楽器を大切に扱ってあげないと、ストライキ起こすよ。」と言われました。
「あら、実は、当てた自覚はないのですが、Cキーの角度が曲がって、抑えてもタンポがホールからあまりあがらなくなっているんです。今日、リペアも行こうと思って。」
「そうでしょう。楽器がストレスたまってるって言ってるよ。」
なんでわかるんでしょう。
「楽器なんか道具で、何でもいいって思っている人の演奏はうまくって、指がまわっても、なにか冷たい音がするよ。楽器と対話しながら、ありがとうって感謝しながら演奏するんだよ。」
こういうことを言うと、何を言っているんだろうと思われるかもしれませんが、先生が楽器を少し触って、「ありがとう」と思いながら吹いてみると、さっきとぜんぜん違う音がするのです。
音が伸びて、吹きやすい。
もちろん、レッスン後、早速リペアもいつものHさんにしてもらいました。
リペアだってしてくれる人によって全く音が違います。
Hさんに触ってもらうと、楽器が優しく、しかしシャキッとした感じになります。
Kさんだと、固く強くなった感じ、Tさんは優しく丸くなった感じ。
それは、音程がよくなるとか、いわゆるちゃんと鳴るとかとは別のレベルの感覚です。
それぐらいは私でもわかりますが、徐々に変わっていったりすると、自分の腕なのか、楽器のせいなのか悩みます。
まして、人の楽器まではなかなかわかりません。
こういう感性は、まだまだ磨かないと、うまくなれない気がします。
アマリリスの歌と花のイメージが違うと思っていたら、アマリリスにもいろいろありました。これは、ニンフ。八重咲きの大輪がゴージャスです。あの歌のアマリリスは、どの品種だったのでしょう?これでは無い気がします。
今日は、久しぶりに何の予定も無く、一日缶詰で練習できました。
私とすれば充実していましたが、ご飯食べて洗濯して掃除したくらいで書くことはありません。
そうそう日曜日のコンサートの帰り。
父と京橋駅のホームで特急を待っていた時のこと。
列の隣、クーラーの前で、風にあたるご婦人と目が会いました。父がにっこり笑うと、「今ね、大峰山に登ってきたの。」といわれました。
小柄な女性で、登山服に、大きなリュック、織物の袋に包まれた顔の高さの杖。
「へー、すごいな、大峰山ですか。」と父がいうと、
「もう二度目でね、前に行ったときはしんどかったけど、2回目は楽やったわ。」
「滝行もしたんよ。」
「すっきりして、悩み何も無い顔してはるわ。」と父が失礼なことを言ったけれど、笑いながら「そう、これでもいろいろあったけどね。私、昭和19年うまれやねんよ。今は息子が結婚せーへんくらいが、悩みやわ。」
母より4歳下、66歳?と計算していた私。
「えーっ!お若いですね。」
特急が来て、乗り込んで、枚方までずっとその女性と世間話をしながら、帰りました。
毎日プールで一万メートル泳いでいて、10年かけて、西国四十八箇所巡りも、歩いて10回した。次は、反対周りをするそうです。
「杖がね、使い込んで半分になったの。次は反対周り。功徳が3倍っていうのよ。」
「女性は途中まで行って、待たないといけないのよ。今日はまだ、滝行は寒かった。」
「いやー、そりゃそうでしょう。プールで毎日。すごいですね。」
とただただ、感服するばかり。
大峰山の山の香りが女性から匂い立つようでした。
聞いたことをすぐ忘れる父も、家に帰ってからも、「すごい人にあったなぁ。年とちがうなぁ。わしも、歩かなあかんな。」と影響を受けたよう。
私も元気をもらいました。
今日も雨。梅雨らしいお天気が続きます。この時期はやっぱり紫陽花。紫陽花も種類がたくさんあって、近所を見回して見るだけでも、いろいろ見つかります。これは一般的な手毬型のあじさいで、カステリンというそうです。
日曜日に、「第39回 宮城道雄をしのぶ箏の夕べ」~春秋をうたう~
を聴きに、いずみホールに行ってきました。
母が出るのですが、「お父さんを連れてきて。」と言われて、牧野から山手に迎えに行って、京阪を使って京橋まで。
父81歳、元気ですが、時々変。道はもうほとんど忘れています。仕事で30年間京橋まで京阪で通ったのに、京橋に着いても「ここどこやったかな?こんなとこはじめてきた」と何度も言います。何度かは一生懸命説明するけれど、説明を聞いても思い出さないし、数分後にはもう忘れて同じ繰り返し、しまいに「京橋。そう?初めて?」と何度も答える父との珍道中。
宮城道雄は1956年に亡くなりましたが、直弟子の須山知行先生、中島警子先生が主催される桐弦社を中心に開催されています。
プログラムは宮城道雄の曲を中心に構成されていますが、まったく飽きないどころか毎回、彼の曲の奥深さ、チャレンジ精神には驚かされます。
今回は「秋の調」小林愛雄(ちかお)作詞による箏、尺八、ソプラノによる合奏は、ドイツリート風で、歌詞も、翻訳詩のようです。
秋の日のためいきに 落ち葉とならば 河に浮かびて
君が住む宿近く 流れていこうよ 流れていこうよ
ふけてゆく秋の夜の こおろぎとならば 草の葉かげに
君が住む窓近く 夜すがら鳴こうよ 夜すがら鳴こうよ
基本5音で、作り出す世界の多様さにびっくりします。
「春の賦」は大合奏、箏独奏、第一箏、第二箏、三弦、十七弦、尺八、笙、フルート、打物という編成で、本当におめでたく、春を言祝ぐという感覚に酔いしれました。
没後数十年を経ても、宮城道雄という作曲家は、目が離せない。
このバラは、アンリマチスといいます。大胆な白い斑入りの花びらは、奇矯な言動、枠を超えた芸術を生み出した画家マチスを思い起こさせます。
NHKで、ドラマーの神保彰さんのドラムを叩く時の体を、調べていました。
体の30箇所以上にセンサーをつけ、サーモグラフィーで力の入れ具合を解析。
面白かったのは、ドラムセットを座って叩く神保さんの、体のほとんどに力が入っていなかったこと。
上半身にも下半身も、平常体温の緑色、叩く時に上腕の一部に力が入り、叩いた後は瞬時に脱力。
つかんだ手にも、叩く足にも力は入りません。
唯一力が入って体温がセンサーが赤くでていたのは、わき腹の一部の筋肉と、いすに座っている坐骨あたりのみ。
いわゆる体幹といわれる部分だけが、エネルギーを示す赤色だったのです。
神保さんは、「運動は、ゆっくりとヨガをして、体幹の筋肉を鍛えるようにしています。後、普段から姿勢を良くするように気をつけています。」
フルートで演奏するときも、体幹を意識できるようになると音は格段に違ってくるだろうことを、「腹から音をだす。」と何度も言われてきましたが、実際にどこをどのように動かしたら良いのか?ぼんやりとしていたことが、科学的に目でわかるように見せてもらえ、明確になりました。
さっそく試してみました。なかなかいい感じです。NHKスタッフと神保さんに感謝。