今年30日、最後のお詣り。
世界遺産 薬師寺
門前の不動明王。
笛を吹く天女。
つきたてお餅膳
と
大行列の中谷で
1870年代フォーレの肖像画
に移り、サン=サーンスの演奏旅行中に演奏する副オルガニストに就きました。
と不倫関係が噂され、後には作曲家アディーラ マディソンと、1900年にはピアニストのマルグリット アッセルマン
と関係を持ちます。
世界遺産 薬師寺
門前の不動明王。
中は撮影禁止。
笛を吹く天女。
今年一年の無事への感謝をしました。
脚をかばいながらで、ゆっくりゆっくり、久しぶりによく歩きました。
参拝の後はバスで近鉄奈良まで行って、お昼ご飯。
薬師寺の前は3軒のお蕎麦屋さんがありましたが、2軒が売切れであと一軒は長蛇の列。
たまらず移動。
こちらもどこもいっぱい。
唯一入れたもち膳。
つきたてお餅膳
と
天丼。
10月にできたばかりのお店でした。
10月にできたばかりのお店でした。
小さなお餅は味変して、いくつでも食べられそう。
とか言っていたら
大行列の中谷で
もう一個
恥ずかしながら、食べました…🤤
恥ずかしながら、食べました…🤤
今年もつたないブログをお読み頂いてありがとうございました。
来年もみなさんにとって幸せな歳でありますように🙏
ガブリエル フォーレ(1845- 1924年)フランス共和国パミエ生まれ、フランス共和国パリ没
1870年代フォーレの肖像画
1874年、サン・シュルピス教会から、マドレーヌ寺院
に移り、サン=サーンスの演奏旅行中に演奏する副オルガニストに就きました。
その後サン=サーンスが職を辞し、首席オルガニストになります。
ヴァイオリンソナタが成功をおさめ、評価が高まりつつありました。
その頃、マリアンヌと婚約しますが、婚約破棄されます。理由はわかっていませんが、フォーレは悲しみに沈みます。
サン=サーンスはそんな彼を案じてヴァイマールに旅行し、リストに引き合わせています。
その後も国外旅行に行き、バイロイトでワーグナーの楽劇を見たりしています。
フォーレはワーグナーを称賛していますが、音楽的には影響に入りませんでした。
1883年にはマリー フルミエと結婚し、二人の息子を授かります。
しかし、1892年にはエンマ バルダック
と不倫関係が噂され、後には作曲家アディーラ マディソンと、1900年にはピアニストのマルグリット アッセルマン
と関係を持ちます。
マルグリットにはパリにマンションを用意し、公然と同伴し、亡くなるまで関係がありました。
とはいえ、家族を養うためにマドレーヌ寺院でフォーレは働いていました。
「レクイエム」を1887年から着手、1888年に初演後、「我々ははこの作品を必要としません。マドレーヌのレパートリーは充分に豊かです。」と担当司祭はフォーレにいいました。
その後、1901年まで、フォーレは改訂を繰り返していました。
1900年5月リールでこの稿で初演。7月にパリ万国博覧会で演奏され大成功をおさめます。
「苦しみの道のりとしてではなく、幸せな解放、来世での幸福への願望として感じる」という言葉をフォーレは残しています。
サンクトゥス
Sanctus, Sanctus, Sanctus1
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
Dominus Deus Sabaoth.
主、万軍の神は。
Pleni sunt coeli et terra gloria tua.
満ちています、天と地が、あなたの栄光で。
Hosanna in excelsis.
ホサナ、高きところにて。