音楽の喜び フルートとともに

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アンサンブルあれこれ

2009-05-31 22:22:08 | Weblog
やまぶきだとばかり思っていましたが、金糸梅(きんしばい)と言う名前でした。花弁が金の糸のように見えるのでこの名前がついたそうです。オトギリソウ科オトギリソウ属だそうです。梅はバラ科サクラ属、金糸梅は梅という名前ですが、学術的には梅とは関係ないのですねぇ。こういうところに手を付け出すと、おもしろいんだろうなぁ・・・いけない、いけない。今は集中、集中。

忙しいSさんが合間を縫って、私とアンサンブルしてくれます。ゴーベールのソナタ第1番とオタカのフルートコンチェルト。
今日もチョコッと吹いたら、相談電話がかかってきて中断。
市の子育て支援室に委託された事業に携わっている彼女は24時間子育て相談電話にも関っていて、当番で携帯を持って何処でもいつでも、電話対応をしなくてはなりません。今日は、休日のせいか子育て中のお父さんからかかってきました。守秘義務があるので、別室に移動して電話。私は快適な防音の彼女の部屋でヒンデミットを吹いたりして、ゆっくり練習できました。
それにしても、電話だけでなく、子どもの一時預かりなんかもやっていて、土日は突然に子どもと泊まりになったり、本当頭が下がります。

私もアンサンブルの前に、子どもとの関り方について相談したり情報交換。いろいろ知識を仕入れます。
練習する時間は短くなってしまいましたが、その分集中してできました。だいぶ形になってきました。
録音してまた修正して。完成にはまだまだだけどね。
話してすっきり。合奏してすっきり・・・の一日でした。





物つくりの気概

2009-05-30 21:00:44 | Weblog

神戸方面にでかけました。
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西宮にある国産家具の老舗メーカーのショールームにお邪魔して、高級革張りリクライニング椅子のリサーチ。
夫の仕事ですが、私も結婚前に務めていたので、ちょっと興味があって、おつきあい。
その後、淡路島の温泉にチョコッとよってなんて考えていたのですが、阪神高速がすごい渋滞。挫折して、三宮をぶらっとして帰るのがやっとでした。

ショールームは、高級インテリアの5階はほとんど人に会えず、階が下るに連れて人が多くなりました。やっぱり不景気です。良い仕事をしているメーカーだけに残念です。
技術は一日にしてならず。絶やすわけにはいけませんが、何処も今は体力勝負でしょう。
音楽の世界も同じ、継続こそ力。苦しい時代も何とか続けていればこそと思います。

日本の高級家具は、海外のものに比べて、足が短く、シンプルなものが多いです。しっかりした作りで長持ちします。そのサイズが、日本人の体型には、ちょうどよくくつろげます。西洋家具ですが、やはり、折衷的な日本家屋にはよくにあうものをつくられています。
日本人は海外のものを取り入れ、日本風にアレンジし、元のものよりも、繊細で品質も良く、バリエーションも豊富なものを作り上げる力があるんだなぁと、こういう家具を見ていても思います。

音楽や文化は一日にしてならず。安くて便利なことも大切ですが、こういう良い仕事を評価していかないと、あっという間に崩れ去ってしまい再生は困難を極めるとおもいます。品質を誇った日本の技術はそれを支えた職人の気概と、職人を育てる企業や文化を支える人々の存在があったと思います。
不景気の今こそ、そういう人の気概やプライドをもって仕事をする、また支えあうと言うことが大切な気がします。


蛇使いの女

2009-05-29 08:32:50 | 音楽

今朝新聞を読んでいたら、オルセー美術館展が来春開催される。と載っていました。

目にとまったのは、アンリ・ルソーの「蛇使いの女」。
大きな熱帯植物の怪しい曲線の中を長い体をくねらせた黒い3匹の蛇。空には白い月が浮かび、湖の湖面が光っています。ピンクの羽根のペリカンのような鳥。中央にはこの絵の主人公、蛇を首に巻きつけた裸の女が横笛を吹いています。
月を背にした女は、顔も胸もよくみえません。浮かび上がっているのは、ただ、笛と長い黒髪と裸体の曲線。
じっとみていると、月や、湖面に笛の音が響いているのが聴こえ、蛇や鳥、植物までも、彼女の笛に耳を傾けているような気がしてきます。

それ以前から笛は絵画にいろいろな形で登場していますが、神の音楽の楽師の持つ楽器の一つとして明るいイメージで書かれていました。ルソーのような東洋的、妖艶なイメージは主流ではありませんでした。
1907年の作品だそうです。1894年にはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が完成していて、1912年はシリンクスを発表。その後オネゲル、ヒンデミット、イベールなどが、フルート独奏曲をこぞって書きました。

こういう絵画も、その時代の楽曲のイメージを膨らませるための大きなヒントになります。
とても興味深いです。


イギリス

2009-05-28 21:11:37 | 本・映画など

小さな子どもだった頃、イギリスに行きたくて仕方なかった。それはその頃読んでいたシャーロック・ホームズや、スティーブンスンの宝島など海洋小説、秘密の花園、サトクリフの第9軍団のわしや、ケルトの歴史小説の影響が大きかったと思います。
ずっとそれは続いていましたが、なぜかフルートに目覚めて、行ったのはフランス。
ヨーロッパはオーストリア、ドイツ、スイス、イタリア、モナコを巡ったけれど、なぜかイギリスには行く機会がありませんでした。

子どもの頃好きだったものってそうそうかわりません。今でも好き。
海のにおいをかぐと、大時代な帆船を思い浮かべたり、ガーデニングのお庭を見ると、広いお屋敷の小部屋で育てられた男の子が浮かんできます。湖には、剣をもった手が突き出たり。
荒野の果てにはローマ時代の城砦が延々と続いていたり。

こういう思いが、形になることはもう無いのかもしれません。
それでもバロックのある種の音楽をしたり、ケルトの音楽を演奏するとき、子どもの時に、捉えたイギリスのイメージが彷彿とする時があります。
それは文字ではなく、一度も言ったことの無いヒースの荒野だったり、白いドーバー海峡のイメージだったり。視覚的だったり、吹く風を感じたり、触感的だったりします。本や映画、写真、いろんなものから得てきた複合的なイメージで、もう、元が何だったのか思い出せもしませんが、とにかく立体的。
自分で作り上げた妄想も入っていると思いますが、あながち外れてもいないような気もします。
一度は確かめたいと思っていますが、まだ機会はありません。

子ども時代の情報が大切なのはこのとき入ったイメージで大人になっても、そのものを見続けると言うことだと思います。情報は多かったり少なかったりしますが、中東といえばモスクやテロばかり思い浮かべたり、いまだにアラビアのロレンスだったりするのと同じで、決め付ける意識が無くても決め付けていたりすることが怖いです。世界は動いていて、イメージの書き換えもすごいスピードでおこなわなくてはなりません。

「マイ・ビューティフル・ランドレット」なんかで、時々イギリスの新しいイメージも仕入れながら、いつかいけることを楽しみにしています。




梅田、絵画展、アンサンブル

2009-05-27 21:14:51 | 音楽

梅田でレッスン。淀屋橋で母の友人がボタニカルアートの展覧会に出品されています。レッスンの帰り、待ち合わせてランチ。それから、展示会に行きました。

レッスンはヒンデミットの8ピース。

自分好みでない曲をやってみると、いろいろな未トライのテクニックや、フレーズに出会います。
練習していると、本当に好みだったのか?それとも、自分の技量(演奏や、聴く技量)が追いついていなかったのか?と問わずにはいられない瞬間がやってきます。

ヒンデミットの音楽には、古典的なフルートの技術や解釈の枠では、捉えきれない部分がたくさんあります。
先生が雅楽を聞いたフランス人たちが、「ドビュッシーにそっくりだ」と言ったという話をしてくださいました。
パリ万博以来、入ってきた日本の絵画とともに、音楽も聴いたかもしれません。西洋音楽で育ってきた彼らには、日本の音楽、東洋の音楽は、60年代のロックとの出会いと同じような新鮮な感覚だったかもしれません。

そう思って、ヒンデミットを振り返れば、3番の出だしなどは、尺八のようです。拍子を書いてなかったり、テンポを書かずに段々ゆっくりとか、すぐにとても早くなどと、ドイツ語で書いているのも、筝曲の楽譜のようです。
そして、小節線のない長い連符、滅多に見ることの無い変な場所の休符。
まるで、「間」と呼ばれる日本の音楽の、楽譜に書かれない緩急を楽譜にあらわしたようではありませんか

なるほど、そう思えば、私はあながち苦手ではないかもしれない。食わず嫌いだったのかも
毎日母の三味線や、お琴を聞いていたせいか、若い頃、ずっと先生に「日本人特有の音の出し方だよ。」といわれ続けて、とっても嫌だった。それにフランスに行った時もフルートを練習していると、Hと
Tを発音しない親日家のフランス人に「シャクアシ、シャクアシ」と指差されて言われて恥ずかしかった。

けれど、それもやっと役に立つ時がきたのかもしれない。と、それだけで脳天気にも、希望の光りが差したような気がしてきたのでした。

ボタニカルアートをしている母の友人は86歳。年を取ってから始めたそうです。なんでもチャレンジし続ける好奇心旺盛な86歳です。絵もはっきり、すっきりとした絵でパワーがありました。
絵はうまいかどうかわかりませんが、その人の存在自体が周りの人を元気にする。そんな気がしました。

その後、牧野にかえってSさんとまたまたアンサンブル。
青島さんの伴奏講座に行ってきたそうです。青島さんのパワーをもらったのか、いつもより生き生きした演奏でした。めちゃくちゃ落ち着きの無い…いえ、切り替えが早く、いろんなことを同時に考えられる人だったみたいです。一度やった曲は全部すぐに覚えるだけでなく、クラスメートの名前、両親の職業なんかを小学校から全部おぼえておられるそうです。「覚えられないと言う世界がわからない」といっておられたそうです。うらやましい。話を聴いていると私まで、生き生きと楽しくなってきました。

写真はSさん宅のなでしこ、何本か切ってお土産にいただきました。
会うとお花だけでなく、楽しい時間を過ごして、いろんな刺激を受けます。本当にありがたい友人です。







カルメン

2009-05-26 09:23:52 | 音楽

TVをつけると、skyAで歌劇カルメンをやっていました。「目をつぶると思い出す故郷の村」カルメンに心を奪われたホセが、故郷の村からやってきた無垢な婚約者と会い、故郷や母を思い出して歌います。
カルメンのことは「忌まわしい魔女」と。

今でも、よく家庭がきちんとしていれば、めちゃくちゃしてもまた子どもは戻ってくるなんて事はよく言われていますが、ホセは歌劇の終わりまで「故郷か女、どっちにしよう?」と決めきれずに悩み続けることになります。

ホセは官吏だったのですが、官吏達は女達を脅し、押さえつけ上官の指令には反抗できません。一見、力を持っているようで自由ではない。この演出によれば、官吏は第二次大戦下の軍隊の姿をしてい、カルメンたちは自由なボヘミアン。退廃的なキャバレーのイメージで語られます。

そして私には彼が官吏と言う職業を選んだ時点で、すでに力を選んだように見えます。「人を従わせる為の力」。彼は、はじめからその種の力を得たいという野心を常に捨てられない。
軍隊では中間管理職のホセは、窮屈。十分に報われない。カルメンは美しく社会的力が無い。そういう相手に対しては絶対的力が振るえ、美しいということで、手に入れると軍隊とは別種の力、勲章のような優越感をえることができます。
しかし、カルメンは彼に従うタイプではなかったところに悲劇が発生します。
故郷の暮らしを選ぶチャンスは最後まであったのにホセは選ばない。故郷に帰れば、農耕。社会で力を発揮して、人に力を振るうことはできなくなります。
カルメンを殺したのは彼の愛でしょうか?別れ話の時、愛ならば、相手の幸せを願うはず。

官吏もだめ、盗賊としてもだめ、故郷の暮らしは彼のプライドを満たさない。社会的成功の道をすべて絶たれ、自信を失ったホセが今、力を示すことができるのは、カルメンに対してだけ、そのカルメンは彼に従うどころか、去ろうとします。彼の誤った力への欲望がカルメンを殺します。

もし、ホセが農耕や、官吏の仕事を充分に楽しみ、満足し、自信を感じることができる人だったならば、この物語は成立したでしょうか?
今も変らないDVや虐待の構造を、この物語りに見てしまいます。

人を殺すのは20代の男性が突出しておおいそうですが、戦後、60年間日本は安定雇用と年功序列で、その層の殺人事件を10分の1に減らしてきました。職を失う人が多くなり、無理な雇用関係に泣く人が増えてきた今、DVや虐待、殺人などはどうでしょう?
私達は職業でもなく、人を支配することでもない自信の持ち方を、覚えるべき時に来ているという気がします。人としてとか、人に貢献することで感じるプライドといった。


休校

2009-05-25 08:54:00 | 子ども

今日から、中学再開。中間テストです。塾は土曜日から再開。
息子は塾は行ったものの、毎日昼に起きてきてゲーム三昧。ぼうっとしたねぼけ顔で、登校していきました。
テストに引き続き、修学旅行。
長良川ラフティング、温泉、上高地散策、乗鞍、花火、高山の匠と会う体験。

インフルエンザ以前に、徹夜勉強のあと旅行で、体調を壊す子どもが出てこないか心配です。
といっても、普段から余裕の無い中学の時間数で、延期はあり得ないだろうと思います。
わが息子は勉強よりも行事優先。旅行の用意を早々として、楽しみにしています。
わくわくしたのか、昨日はもう眠れなかったらしい。勉強ではないです。
「どうやったら眠れる?」と聞くので「数学の本読んだら、眠れるよ。」
というと、バタンとドアを閉めてしまった。眠るためでも教科書読むのは嫌らしい。
ここまでのほほんとしていて、どんな人生歩むのやら。

上の高校生はまだ休み。
私学はさすが、土曜日に封書で休み中にする課題が届きました。
中間残り2教科は27日実施することになったらしいです。
休みでも遊ばせない…しかし息子は課題を一目みただけで、放置。友達と毎日出かけて帰ってこない。
おいおい、家で待機しなさい。というのに。自由に、俺様に育ててしまったもので。子どもは本当に思い通りにはなりません。


ミニスピーカー

2009-05-24 21:24:21 | 音楽

宇津木が、昨年に続きまた咲きました。やっぱりかわいい。

イヤホンを耳にさしてIpod聴いていると、音はきれいだし、小さくてお手軽。調子にのって長時間聞いていました。やっぱり耳が痛くなって。怖くなってイヤホンはやめました。
すると、今度は不便で、CDプレーヤーのある部屋はリビングで、家族がいるときは使えないし。

とうとう、夫と息子が日本橋に遊びに行った時に、お願いして、小さなスピーカーを買ってきてもらいました。
高さ15㎝×幅5㎝×奥行き10㎝ かわいいけれど、結構音が良いです。音量はパーソナル用なのでそうありませんが、信じられないくらい安い。30
0円。

練習用の自分の音を聴くには、これで充分。Ipodなどのプレーヤーのイヤホンの端子にスピーカの端子をつき刺すだけ。これだけで練習が圧倒的に効率よくなりました。
残念なのはMP3は再生しないので、いちいちレコーディングしたものをipodに入れて変換しなくてはいけないこと。

今こう吹いてみたのをどうだったか?聴いてみたいのに。まあ、この値段でそこまで望むのは贅沢だよね。
本当は生音で
客観的に聞けるといいんだけれど…まだ修行が必要ですね。


ほうき

2009-05-23 20:03:02 | Weblog

アマリリス、私には、どうもこの花があの「ラリラリラリラ」のアマリリスだとは思えません。
桜と薔薇の感性のちがいかしら?魚と肉の脂の違い?でも、アマリリスです。

私は掃除が嫌い。家事全般あんまり好きではないですが。簡単、便利と言う言葉には弱いです。少しでも負担少なく早く終わらせたい。そんな私は最近、ほうきで掃除しています。
子どもが小さい時はアレルギーだったので、吸引力の強い掃除機を長年使っていました。排気は長いパイプで部屋の外に、朝晩。床はもちろん、天井や壁まで。かけ終わった後は拭き掃除。おふとんも干せず、掃除機で裏表吸引。その上寝る前に固く絞ったタオルで拭く。
シーツと毛布は毎週洗濯し、コインランドリーで乾かしていました。そして、空気清浄機をおいて、やっと子どもはかゆみも、鼻汁も咳もなく、安眠してくれるのでした。

10年以上、毎日。掃除や片付けの嫌いなこの私が、よくも続いたと思います。
ある程度、子どもが育って強くなって、もう大丈夫思った途端、反動なのかほとんど最低限、死なない程度にしか掃除が出来なくなってしまいました。

ダイソーで見つけた300円のほうき。「これなら掃除が楽かな?時々ならかまわないよね。」と思って買いました。花粉のひどい時には埃を舞わせながら履くほうきなど考えられなかったのですが、面倒くさいは岩をも動かす。

掃除機を出して、コンセントにさして、部屋から部屋へと運んでというより、ずっと楽に出せて早く動かせます。
埃を見つけたら、ササッと掃出し、細かい段差や、隙間も掃除機よりかきだせて、小回りがききます。その上早い。
気になったときは掃いたあと、拭き掃除。気にしていた花粉は、埃をためなければ結構大丈夫。
たまにはと思っていたのに、毎日使うことになってしまいました。こうなると、掃除機は面倒臭い。
すっかり使わなくなってしまいました。掃除機特有のにおいも残らないし。それになんだか掃きだす。と言う行為自体が気持ちがいい。結果エコロジー。と言うのも恥ずかしいですが。



まだまだインフルエンザ

2009-05-22 08:03:24 | 子ども
茄子の花が咲くと、もう初夏という感じがします。林望さんが家に来たお客をうならせるために、家で育てた茄子の鉢。お客が来る前日、茄子の実を枝につけたまま、ヌカ漬けの床をくっつけアルミホイルでラッピング。食卓に飾っておきお客の目の前で茄子をとり、洗って切って食卓に出すと、何かに書いておられました。
それを読んでから、一度やってみたいと思っていますが、つい他のもので狭い庭をいっぱいにしてしまい、実現していません。

京都でインフルエンザがでたおかげで、京都の高校に通う上の子も27日まで休校。連絡が間に合わず、彼は八幡まで行ってしまいました。携帯に電話して引き返しましたが、中間テスト最終日。数3と地理は期末に一緒にすることになりました。今日はずぶぬれで帰ってきた彼は、今は寝ています。典型的な一夜漬けだから。

小学校は開いていますが、使い捨てのペーパータオルと消毒石鹸を用意して、ハンカチを持ってきてといっていますが、持ってくる子はまれです。
職員はマスク着用。子ども達はマスクしてもらってきた子もいますが、午後までもちません。
大人にしても暑くて、子どもを追いかけて走り回るのに苦しくて目がまわりそう。・・・地獄。子どもにはとても無理。しかし、休校になどなったら、子どものために仕事を休まないといけない親、休めない親。影響が大きすぎて考えるだに恐ろしいです。市内で一人でも小学生に感染が見られたら休校にすると教育委員会は言ってきましたが、そういう事態にならないように祈るばかりです。

子ども達には口をすっぱくして手を洗うように言っていますが、家でも言われているのか結構協力してくれています。消毒用の石鹸が泡立つのがおもしろいらしく、シャボン玉を作ったり。「手が荒れるから、やめた方が良いよ。」というまで、遊んでいる子もいました。
どんな状況でも子どもは楽しんでいます。こういう子ども達を守るためにも、やはり出来ることはやりたいと思います。

マスクは「うつらない」ためのものではなく、「うつさない」ためのものだそうですね。手を消毒し、マスクをして、みんなで協力して社会を守る。もし感染した人が出たら、手厚く看病し手当てする。うつし、うつされたとしても同じ社会に共存するもののもつリスクの一つとして、問わない。
この危機が社会や個人のレベルの連帯感やこの国の意識のありようを問いかけてくれているような気がします。