日曜日はドルチェ楽器のアカデミーの発表会でした。
ペリルーのバラードをピアノの坂田さんと演奏しました。
午前中京田辺の実家でレッスンしてから梅田へ、ぎりぎりで着替えて試奏部屋へ。
楽器屋さん主催だと施設の心配がないのでいいです。
控室と着替え部屋、試奏室もあります。
ホールは地下で、控室では小さいながら試奏もでき、大画面のモニターで演奏も聴けます。
私の前に演奏されていたのはチューバ。
ロドニー ニュートンのカプリチオ。いい演奏でした。
クラリネットやトランペットもいます。
聴けなかったけど。
ピアノはスタンウェイで坂田さん「弾き心地よかった~。」と言ってました。
ホールの響きも、よかったです。
ちょっとバタバタしたけれど気楽に発表できて私も気持ちよかった~!
お土産も頂きました。フルート拭き。
チューバはもともとラテン語で「管」という意味です。英語の「tube」と同じ意味です。ローマ時代に用いられていた楽器の名前です。旧約聖書にも現れるこの呼び名はいわゆるラッパを指すもので、管楽器の名称として使われていました。
それが、19世紀に入って登場した低音金管楽器の名称としても使われるようになりました。
古くはセルバン
と呼ばれる木製の有孔の楽器が使われており、この流れを組んだバソン リュス(ロシアンバスーン)、セルバン フォルビール
といったバスホルン、またはアップライト セルバンと呼ばれる木製のキー式の楽器が生み出されています。
18世紀半ばにイギリスから始まった産業革命により金属の加工技術が飛躍的に進歩すると、軍隊楽器を中心に木製の管楽器を金属で制作する試みがされ、ビューグルが誕生しました。
1813年ドイツでヴァルブ機構が開発され、ホルンやトランペットなどで音高を変える仕組みとしてヴァルブが取り入れられ始めました。
この動きはやがて低音金管楽器にも波及し、1817年にフランス製開発されたキー式の低音金管楽器オフィクレイド
がドイツに導入されると、既にヴァルブ式の楽器に慣れていたドイツの演奏者のためにヴァルブ機構を備えた低音金管楽器が開発されました。
その代表的なものが1829年に ウィーン の楽器製作者ヨーゼフ リードル(1788ー1837年)によって発表されたボンバルドンです。
ボンパルドンは両手で操作するオフィクレイドと異なり片手の3本のヴァルブで操作可能で複雑な運指を必要としませんでした。 これは管を C から F に延長することで達成されていましたが、使用音域はオフィクレイドと変わりませんでした。ボンバルドンはウィーンの軍楽隊とウィーン宮廷劇場の管弦楽団で採用され、1970年代まで使用されました。
このボンバルドン製の楽器に右手用の3本のヴァルブに左手で操作する2つのヴァルブを追加して、 F 管の最低音を使用できるようにしたのが、ベルリンのプロイセン軍楽隊長ヴィルヘルム ヴィープレヒト(1802-1872年)
とベルリンの楽器製造職人ヨハン ゴッドフリート モーリッツによるベルリン式のピストンヴァルブを採用した最初の実用的なチューバです。F 管バスチューバとされ、この楽器は1835年に特許が取得されています。 モーリツの開発したチューバは軍隊対応の楽器であったため、登場してしばらくはプロシアの国外に普及しませんでしたが、リヒャルト ワーグナーがチューバの低音を好んで、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」などでF 管バスチューバ
を活躍させたことにより、プロイセン国内ではオーケストラに取り入れられるようになりました。
1871年プロイセンがドイツ統一を達成すると1875年にはウィーンの管弦楽団がチューバを正式採用し、1876年バイロイト音楽祭でマイスタージンガーが演奏されました。
イギリスはオフィクレイドを19世紀末まで使用していましたが、ワーグナーのオペラの普及とともに徐々に姿を消し、20世紀になる頃にはほとんど見られなくなりました。
また、19世紀の中頃には他にシュドロフォンと呼ばれる低音金管楽器も存在していましたが、やがてこれらの名前はすたれ、チューバの名前が一般的になりました。
19世紀中頃にはF や D 字型などチューバの形状は様々でしたが、アドルフ サックス
によって一連のサクソクルンがまとめられ、この楽器に見られる長円型と次第に収束していきました。
最近では、低音域の豊かな音量を求め、全般的に大型化の傾向が見られます。
チューバは音域によってテナー、バス、コントラバスの3種類に分類されます。さらにチューバはピストン式やロータリー式に別れます。
テナーチューバはユーフォニアムと呼ばれています。
日本ではロータリー式をテナーチューバ、ピストン式をユーフォニアムと呼び習わしています。
また、ウインナーチューバ、フレンチチューバ、マーチングチューバなどの種類があります
ロドニー ニュートン(1945年ー)イギリスバーミンガム生まれ バーミンガム音楽学校(現在ローヤルバーミンガム音楽院の名誉会員)音楽教育をうけます。
20年後にロンドンフィルムスクールで大学院教育を受けました。サフォード大学では作曲の修士号と博士号を取得しています。
1967年からオーケストラ奏者ティンパニ、パーカッションを演奏し、作曲もしらします。
BBC トレーニングオーケストラのメンバーで1974年にナショナルオペラのオーケストラに参加し、そこで11年間在籍し、最後の5年間はプリンシパルティンパニストを務めました。この期間に多くのジャンルで作曲し、ユナイテッドミュージックカプリシェアのパートタイムプロモーションマネージャーおよび編集者として音楽出版に関わりました。
1985年フリーランスのティンパニストおよびパーカッションとして演奏を続けながら、映画やテレビ音楽の作曲、編曲、指揮に携わるようになりました。
英国公立音楽院客員講師も務めます。
1990年代にはミリタリーバンドに作曲家として参加し、バンドマガジンの特集編集者を9年間努めます。
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