音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

シベリウス「春の歌」

2022-04-30 21:11:24 | 名曲
この時期の淀川の土手の主役はムラサキツメクサ。




シロツメクサも咲いていましたが、少し。
シロツメクサも外来種ですが、それも最近の外来種のムラサキツメクサに押されています。

ジャン シベリウス(1865- 1957年)フィンランド大公国ハメ州ハメーンリンナ生まれ、フィンランドウーシマー州ヤルヴェンパー


交響詩「春の歌」は1894年29歳の頃作曲されました。
もともとは「管弦楽のための即興曲」ニ長調として作曲されました。

シベリウスは「春の悲しみ」としてヘ長調に移調して出版を試みましたが、出版しないで終わっています。
1902年最後の改定が行われ最終校になりました。

1889年にシベリウスの友人で、指揮者のアルマスがシベリウスを自宅に招待し、妹のアイノ ヤルフェルトを紹介します。
友人で、小説家のユハニ アホが恋心を告白しますが、いい応えを得られませんでした。
それから数年後、シベリウスがアイノと婚約。


1892年に結婚し、1893年には、長女エーヴァが生まれます。
彼女はその後貧しかったシベリウスを支え、家庭菜園をして食費をうかしたりし、6人の子どもたちの教育費を節約して、自宅で子どもを教育し、その後学校に通わせた時には全員優秀な成績でした。

その後、シベリウスの裕福な独身の叔父の遺産でアイノラに移り、1918年のフィンランド内戦、1941年の空爆を家族とともに乗り越え、シベリウスの最後を看取り、1967年97歳で亡くなっています。

そのアイノの言葉

私は彼の隣で生きることができて幸せです。何のためでもなく生きていたわけじゃないと思っています。暮らしがいつも容易いものだったとは言いません - 自分自身の希望を抑え、制御しなければならなかったのです - ですが、私はとても幸せです。自分の人生を祝福しますし、天からの授かりものだと思っています。私にとって夫の音楽は神の言葉です - その源泉は気高く、そしてそんな源泉の近くに生きられることは素晴らしいことなのです。

アイノと結婚して長女が生まれた時期の交響詩「春の歌」です。



バッハデイリベンジ会バロックトランペット編

2022-04-29 21:57:16 | バロック
今日は、バッハデイのリベンジ回
先月の続きでオールバッハプログラムでした。


場所は萩原天神の近くの「いつもの処」
ソロ部門で無伴奏フルートパルティータを演奏しました。 
それからお楽しみ。

リコーダー属と
先月約束されていたバロックトランペット、442hz

あれ?思っていたよりも小さいです。

小さなおもちゃのトランペットを並べてみました。
そっくり!


バス、バリトンリコーダーのほうが、ずっと大きいです。

他のどの楽器より小さくてかわいいです。

バッハのブランデンブルク第2番は、一楽章と三楽章がこのバロックトランペットが活躍します。
大きな音はでません。
高い音がします。

バルブが無いので、口の調整だけで高音から低音まで吹き、トリルも口でやります。

制作者で演奏者の安江さんは、口が疲れるので、長い時間を吹き続けるのは、無理だと言ってました。

ホルンとの区別が、無かった時代にはトランペット奏者がすべての金管楽器を演奏しました。

そしてトランペット吹きの給料が1番高かったそうです。

なので、トランペット奏者を何人抱えるかが富と権威の象徴でした。

金管楽器の低音から高音までをバロックトランペット奏者が1人ですべて受け持ったので給料が高いのは当たり前ですよね。

それに口だけでバッハのブランデンブルク協奏曲のような曲を演奏するのは大変だったと思います。

安江さんは、バロックの古楽器の管楽器、リコーダー、トラヴェルソの修理から、製作をすべて一人でするそうです。
なかなか儲けがでないので、別の仕事と掛け持ちだそうです。
興味のある方は久米まで、ぜひご連絡下さい。

大きな旋盤で金物を伸ばしたりしていると近所の人から音が大きいと注意されるので、公園でやっていると警察に不審者扱いされたりしたそうです。
そんな困難にもめげず、古楽器を愛し、修理、普及に努めています。

と言っても、安江さんの楽器を買ったり、修理に出せない人も「いいね」をしたり、斜め読みしてくれるだけで、アカウントが上がってみんなに読まれるので応援してくれることになるので、とってもうれしいです。読んでくれるだけでとっても感謝しています。

そして今日のご紹介は、やっぱりバッハのブランデンブルク協奏曲第2番。
これはバロックトランペットと言っても、バルブがついているものです。
バルブ無しのトランペットで2番を演奏するのははっきり言って「神技」です。
高給取りだったのも納得です。






古臭い?サン・サーンス

2022-04-28 21:57:31 | 近代
昨日は、自宅でギターの川原久美子さんとバッハのフルートソナタBWV1035の合わせでした。

タンタシオンダンジュのお菓子でお茶が先。美味しい!

5月28日(土)西宮ギター練習会のコンサート 夙川公民館ホールでバッハ。

その後、7月のサロンコンサートの打合せ。



ドレミ出版平倉信行さん編曲の楽譜を片端から吹いていきました。
肩のこらないコンサート、使えそうな曲が何曲かありました。

サン・サーンスの「子守唄」?
これはみんながよく知っているヴァイオリンとピアノのop38でもピアノだけのop105でもありません。

シャルル カミーユ サン・サーンス(1835-1921年)
フランス王国パリ生まれ、フランス領アルジェリア アルジェ没

ピアノの練習曲のような気がします。
動物の謝肉祭の白鳥で有名です。

謝肉祭では下手くそなハノンを弾かせて「ピアニスト」とか、天国と地獄を超ゆっくり演奏して「かめ」を表現するなど、なかなか、ウィットに飛んだ人だったようです。
自分でもやり過ぎたと思って封印するはずが、仲間うちで発表してしまい。
評判になりました。

晩年は、「保守的」「形式的」「絶望的に古臭い」
と、さんざんな批評に苦しめられました。
長生きしたために1910年には「初めは革命児と言われたが、私の年齢になるとただの祖先でしかありえない。」と書簡にのこしています。

その頃はストラビンスキー、シェーンベルクなどが出て無調性音楽の方向へ西洋音楽の世界が向かっている頃だったので、サン・サーンスは時代遅れとされたのでしょう。

影響を受けたと告白しているのはラヴェルぐらいでしたが、実はもっと多くの作曲家に影響を与えたのではと言われています。
1980年頃から再評価がすすんでいます。
「子守唄」も複雑なことはしていませんが、美しいと私は思います。




ザクセコーブルク公国のフルート奏者

2022-04-27 21:51:09 | ロマン派
里山に野いちごの花が咲いていました。
今週は行けませんでしたが、もうそろそろ実がなっているはずです。

カスパール ヨハン クンマー(1795-1870年)
ロイス グライツ公国テューリンゲン州エルラン(ザンクトキリアン)生まれ、ザクセコーブルク ザールフェルト公国コーブルク没

1835年ザクセコーブルク公爵とコーダ公爵の礼拝堂のフルート奏者として活躍しました。

ザクセコーブルクは首都になり、公爵の一族はヨーロッパ各地の王族と結婚することで勢力を維持しました。
特に1835年から数年は勢力を伸ばしました。

爆撃を逃れたので歴史的な建物が残っています。

有名なのはイギリスのヴィクトリア女王と結婚したアルバート王子です。

エーレンブルク城
カスパール クンマーは安定して栄えた王国のフルート奏者、後には指揮者、作曲家としてフルート、歌曲など150曲以上の曲を作曲しました。

珍しい編成のギター、ビオラ、フルートのセレナーデ。




謎 エニグマ

2022-04-26 20:59:02 | 名曲
柑橘系の蕾が膨らんで来ました。

名前がわからない旧宅の柑橘。
昨年も美味しく頂いたのですが、今年もわからないままです。

「謎の変奏曲」、「エニグマ変奏曲」op36はエドワード エルガー(1857-1934年)
イングランド ロウアー ブロードヒース生まれ、イングランド ウスター没

からの謎解き挑戦状です。

1898-1899年に渡り作曲され、1899年ロンドン セント ジェームズホールでハンス リヒターにより初演されました。
1889年ヴァイオリンのレッスンを終えて帰宅したエルガーが、家で即興でピアノを弾いていると、

妻のキャロライン アリス

が「その曲が気に入ったのでもう一度。」と頼みました。


それを膨らませて作ったのがエニグマ変奏曲です。


ENIGMAとは、ギリシャ語で「謎」「なぞなぞ」「謎解き」


アリスは「きっと、今までに誰もやらなかったことをやっている」と言っています。

実は変奏部分についての大半は謎解きは終わっています。

しかし、全体を通した大きな隠された主題についてはまだ確たる解決はなく謎のままです。

さて、皆さんはその謎、解けますか?

主題

冒頭、この変奏曲の元となる主題が演奏されます。

第1変奏「C.A.E」

これはエルガーの妻、キャロライン・アリス・エルガー Caroline Alice Elgar の頭文字です。

「彼女の人生は神秘的かつ優雅に私の創作意欲を刺激した。」

第2変奏「H.D.S=P」

これは友人のピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew David Stuart-Powell)の頭文字で、エルガーと合奏をしたそうです。彼が演奏前に指慣らしをしている情景をあらわしているそうです。

第3変奏「R.B.T」

アマチュアの俳優、リチャード・バクスター・タウンゼント(Richard Baxter Townsend)の頭文字。パントマイムや声色を変えるのが得意だったそうで「ときどきソプラノに変わる低い声の紳士」がファゴットで表現されています。

第4変奏「W.M.B」

大地主のウィリアム・ミース・ベイカーWilliam Meath Bakerの頭文字。「彼が手に紙切れを持ち、力強くその日の予定を読み上げ、急いで音楽室を去り、不用意に音を立ててドアを閉める様子を描いている。」

第5変奏「R.P.A」

ピアニスト、リチャード・P・アーノルドRichard P. Arnold)の頭文字。父親は著名な詩人で、「独学でピアノを弾くのを大変好んでいた。 難所は弾かないけれども、不思議と真の感情を思い起こさせる音楽だった。彼のまじめな会話は、気まぐれで冗談めいた物言いによって、ひっきりなしに中断される。」

第6変奏「Ysobel(イソベル)」

エルガーのヴィオラの弟子イザベル・フィットンIsabel Fittonの愛称で、「モルヴァーンの淑女。彼女はヴィオラを習っていた。 最初の小節の、この変奏を通じて用いられているフレーズが、移弦の“練習曲”であることに気づくだろう。 それは、初心者にとっては難しい練習である。哀愁漂う、時に神秘的なこの変奏は、このフレーズにもとづいて形作られている」

第7変奏「Troyte(トロイト)」

建築家のアーサー・トロイト・グリフィスの名前。エルガーにピアノを習っていたそうですが、なかなか上達せず苦労したようです。

「モルヴァーンの有名な建築家。この変奏は荒々しい印象だが、これは冗談である。 不器用にピアノを弾こうとする彼の姿からは、打楽器と低弦の無骨なリズムが実に連想された。 その後、ピアノの先生(E.E.)による、混沌から秩序のようなものを作り上げようとする試みが、強いリズムによって描かれる。 そして、最後の絶望したような「バタン」という音は、その努力が無駄になったことを示している。」

第8変奏「W.N」

地元のフィルハーモニー協会の事務員、ウィニフレッド・ノーベリーWinifred Norburの頭文字。淑女ののんびりした穏やかな彼女の一家の曲調をあらわしているそうです。

第9変奏「Nimrod(ニムロッド)」

「Nimrod(ニムロッド)」は楽譜出版社ノヴェロの編集者でエルガーの親友だったアウグスト・イェーガーAugust Jaegerのあだ名旧約聖書の狩りの名手ニムロデ。

「夕方の散歩をしながら、Jaegerは「緩徐楽章に関して、全盛期のベートーヴェンに匹敵する者はいないだろう」と言った。 私はその意見に心から賛成していた。 この変奏の最初の小節が、ピアノソナタ第8番『悲愴』の緩徐楽章を暗示するように作曲されていることに気づくだろう。 Jaegerは長年の親友であり、私や他の多くの音楽家たちにとっての大切な助言者であるとともに、厳しい批評家であった。 Jaegerと同じ立場に立った人はいても、Jaegerに匹敵する人はいなかったのだ。」

第10変奏「Dorabella(ドラベッラ)」

第4変奏で登場したウィリアム・ベイカー(第4変奏)の姪ドーラ・ペニーDora Pennyの愛称、エルガーが大変可愛がったそうです。

「間奏曲。この別名は、モーツァルトの“Cosi fan tutte”から採用されたものだ。 この楽章は、妖精のような軽さをもった踊りを連想させる。 はじめはヴィオラ、のちにフルートによって演奏される中間部の息の長いフレーズは重要である。」

第11変奏「G.R.S」

オルガン奏者のジョージ・ロバートソン・シンクレアGeorge Robertson Sinclairのことです。

この変奏は彼の人柄を表現したものではなく、「彼が飼っていたあの有名な大きなブルドッグのダンが川に落ちて、陸に上がれる場所を探してバタバタと進み、陸に上がって喜んで吠えという出来事から連想された。 G.R.S.は「この光景を音楽にしてくれ」と言った。」

第12変奏「B.G.N」

チェロ奏者でエルガーの室内楽仲間のベイジル・G・ネヴィンソンBasil G. Nevinsoの頭文字。アマチュアのチェロ奏者で科学への造詣が深かった。
尊敬する友人への追悼曲。

第13変奏「***」

この13変奏だけが文字が伏せられていて「謎」のままとなっています。
曲中にメンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」と言う曲からの引用があることから、エルガーから旅立ち、別れた女性ではないかとの推測があります。その中にはかつてのエルガーの婚約者で、ニュージーランドに移民したヘレン・ウィーヴァーの名前も挙がっています。

第14変奏「E.D.U」

終曲「エドゥー」はアリス夫人がエルガーを呼ぶときの愛称です。
第一主題と第九主題が現れます


腰痛に効く?音楽

2022-04-25 21:21:50 | ロマン派
うちの旧宅の白バラが咲いています。
昨日は雨。

旧宅に引っ越してからずっと咲き続けてくれています。

今日予定していたフルートアンサンブル。榎田先生ぎっくり腰のためキャンセルになりました。大丈夫かなぁ?
お身体お大事になさって欲しいです。

腰痛に効くクラシック音楽で検索かけたら出てきました。
急性痛は病院へ、慢性痛はホルモンを活性化し、βエンドルフィンを出す周波数の音楽がいいそうです。

モルヒネの6倍鎮痛効果があるとか…。
科学的なことは、よくわからないですが、まあ、普通に好きな音楽を聞いたり、リラックスすれば心が落ち着いて、心が落ち着くと、呼吸が深くなっていろいろ身体に良いことが起きそうな気がします。

音楽を演奏する時は、深い呼吸、柔軟な身体で演奏するのが常態。
人は共感する生き物なので、音楽に身を預ければ、自然と呼吸も深くなるというのは、科学を知らなくても予想がつきます。

閑話休題。

その腰痛に効くクラシックのCDの中の一曲。
フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847年)
自由都市ハンブルク生まれ、ザクセン王国ライプツィヒ没

の「夏の夜の夢」序曲op21。
1826年メンデルスゾーン17歳の作曲です。
シェイクスピアの「真夏の夜の夢」を元に作られました。

姉のファニーとピアノ連弾で楽しむために書かれましたが、すぐに自分でオーケストラ編曲しました。

1834年になって、プロイセン王フリードリヒ4世が感銘を受け、勅命により劇付随音楽「夏の夜の夢」op61が作曲されました。
これは12曲になりますが、序曲を引用して作られています。
結婚行進曲が有名です。

妖精の王オベロンと女王のティターニアの支配する森。
夏至には妖精たちが集います。
2人は夫婦喧嘩の真っ最中。
売り言葉に買い言葉、永遠の愛を誓う2人を見つけられたら仲直りしてもいい。

ハーミアとライサンダーは愛し合っていますが父にディミートリアスと結婚させられそうになり森へ二人で逃げます。
彼らを追って、ディミートリアスも森へ、ディミートリアスを愛するヘレナ
も森へ。

そこへ妖精パックが


惚れ薬を4人に盛り…でたらめな相手と恋に落ち。
ついでに女王ティターニアも薬を盛られ、ロバの頭をかぶった男に熱愛を告白し。

夜の森は大混乱。

間違いに気づいたオベロンによって、薬は正され、無事にハーミアとライサンダーはカッブルに、ディミートリアスはヘレナを愛するようになり二組の愛が成就し、
オベロンとティターニアも仲直りして大団円。


シューベルトの夜咲きすみれ

2022-04-24 20:35:00 | ロマン派
里山ではスミレが花盛りでした。

スミレ科スミレ属スミレ

これはたくさん咲いていました。





ニオイタチツボスミレ

如意スミレ

名前がわからないすみれもあって、こんなに咲いているとは思いませんでした。

フランツ シューベルト(1797-1828年)神聖ローマ帝国オーストリア大公国リヒテンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

が1814年に知り合った詩人のヨハン パブティスト マイアホーファー(1787-1836年)


彼の詩に曲をつけて1822年25曲を出版した「マイアホーファー歌曲集」の中の一曲が「夜咲きすみれ」Nachtviolenです。

Nachtviolenというのは直訳すると夜すみれ
邦題は「花大根」となっていましたが、

この花は学名がギリシャ語Hesperis matronalis 夕方 婦人と言う意味で、夕方になるといい香りがする花ですみれに似ているので、そうつけられたのかもしれません。

ただ、Violaなので、これは適切ではないかもしれません。
最近は「夜咲きすみれ」に統一されています。

マイアホーファーは、シューベルトと同居していたこともあって、独特の厭世観を詩の中に漂わせていました。

シューベルトは、「世界は蒼ざめ沈み行く」という箇所を省いています。

Nachtviolen,Nachtviolen!
Dunkle Augen,seelenvolle,
Selig ist es,sich versenken
In dem samtnen Blau.

Grüne Blätter streben freudig
Euch zu helfen,euch zu schmücken;
Doch ihr blicket ernst und schweigend
In die laue Frühlingsluft.

Mit erhabnen Wehmutsstrahlen
Trafet ihr mein treues Herz,
Und nun blüht in stummen Nächten
Fort die heilige Verbindung.

夜咲きすみれよ、夜咲きすみれよ、
濃い色の、魂のこもった眼を持った花々よ、
君たちは幸せだ、
ビロードの青さの中に身をひそめていられるのだから。

緑の葉が喜んで、
君たちを明るく飾りたてようとしている。
しかし、君たちは固い表情で押し黙ったまま、
なま温かい春の風の流れに視線を浮かせている。

崇高な憂いを帯びた光で、
君たちは私の忠誠な心を射止めた。
そして今や、無言の夜に、
厳かな結びつきが次々と花開くのだ。



アパラチアの春

2022-04-23 20:48:33 | 現代
東寺の庭では八重桜も満開でした。



花びらが池に浮いていました。

アーロン コープランド(1900-1990年)アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン生まれ、
アメリカ合衆国ニューヨーク州ウェストチェスター郡没

1921年パリ音楽院に留学、ナディア ブーランジェに師事。4年の間にジャズを取り入れた作品を書いていました。一般大衆と現代音楽との、隔たりを感じ卒業して帰国すると、アメリカ民謡を研究。
取り入れた曲を作ります。
その中の一曲に「アパラチアの春」1944年があります。

バレエダンサーのマーサ グレアム(1894-1981年)

に依頼されてかきました。
1931年彼女は、ピアノ変奏曲「ディデュランボス」を聞いてこの曲で踊りたいとコープランドに言ったところ、彼は複雑なリズムのこの曲のことを思い、のけぞって笑い出しました。

それから10年現代のアメリカの作品を求めてグラハムは改めて依頼しました。

マーサのための曲という名前がついていましたが、マーサがハート クレーンの「踊り」の一節から「アパラチアの春」と名付けました。

アバラチア山脈

物質文明を離れてコミュニティを作って慎ましく暮らすシェーカー教


の賛美歌「質素な贈り物」の変奏が含まれていて、イサム ノグチ(1904-1988年)の舞台装飾で公演されました。


シンプルな舞台でした。

19世紀前半のアメリカ・アパラチア高原の村。
見知らぬ土地へやってきた花嫁を新しい家を建てた農家の花婿が迎えます。
結婚式の日。
慣れない土地ゆえ不安な花嫁。
そこへ地元のことを良く知る開拓村の女性がやってきて、励ましの言葉をかけます。
集まった人たちは真新しい家で家庭を築いていく二人を祝福し、愛し合う二人は神に感謝するのでした。

13人編成の室内楽オーケストラのためのバレエ作品としての曲と、オーケストラ組曲編曲版があります。



お菓子のお家

2022-04-22 18:28:00 | 名曲
昨日弘法市に行った後のランチ。

お茄子と生麩の田楽定食。
京都って、感じが味わえて税込み980円。安くて美味しかった。
生麩好きです。
Gさんは

ポン酢唐揚げ定食。
これで普通。
びっくり鶏のフライ定食にしたら、とんでもない量だったらしいです。
京都は学生さんが多いからかな?
お腹いっぱいです。

エンゲルベルト フンパーディンク(1854-1921年)プロイセン王国ジークベルク生まれ、ドイツ国ノイシュトレーイツ没


の歌劇「ヘンゼルとグレーテル」はお腹いっぱい食べられない家族の中で起こった物語でした。

グリム童話をもとに、台本はフンパーディンクの妹のアーデルハイト ヴェッテ。
1891-1892年の間にフランクフルトで作曲され、1893年ヴァイマルで初演されました。




貧しいほうき職人の家族。
二人のこども
ヘンゼルとグレーテルが留守番をしています。
言いつけに背いて仕事をしない二人。
そこに帰ってきた母親のゲートルードは怒ってお仕置きをしようとしますが、誤って一家の唯一のミルク壺を割ってしまいます。

食料が無くなったのでゲートルードは2人に森にいちごを探しに行かせます。

しばらくすると父ペーターが食料を持って帰ります。ゲートルードは機嫌をなおしますが、森は危ないと語り、慌てて二人は子どもたちを探しに行きます。

ヘンゼルとグレーテルは、森で眠りの妖精に魔法をかけられて眠ります。

露の精に目を覚まされると、魔女が作ったお菓子の家が現れます。

喜んで美味しいお菓子を食べていると、中から魔女が出てきて捕まります。

食べられそうになりますが、機転をきかせて魔女を退治します。
すると、他にも捕らえられていた子どもたちが出てきます。

2人は両親と再会します。

仕事をさぼってお留守番するヘンゼルとグレーテルのシーン





タバコ工場の女たち

2022-04-21 21:51:57 | ロマン派
東寺の弘法市にGさんと行ってきました。
mさんは、忙しくてお休みが取れませんでした。残念。

お参りして、


ソーシャルディスタンスで店舗の間隔が大きいです。

変わった太鼓売ってました。



途中でお坊さまが…。

新幹線にミニカー、筆、絵葉書。
選ぶのに必死。

店舗も人も街も喧騒が少し戻っていました。

ジョルジュ ビゼー(1838-1875年)
フランス王国パリ生まれ、フランス共和国ブージヴァル没

の歌劇「カルメン」はプロスペル・メリメ(1803-1870年)フランス共和国パリ生まれ、フランス共和国カンヌ没

が1845年に書いた「両世界評論」で発表した全4章の中編小説をオペラ化したものです。
メリメは二度のスペイン旅行を行い、一回目の旅で思いつきます。

「カルメン」は1875年3月3日、パリのオペラ=コミック座で初演されましたが、不評でした。
ビゼーは改作してウィーンで公演する契約を引き受けましたが6月4日に心臓発作を起こして急死します。

エルネスト ギローが改作し、ウイーン公演にこぎつけると大人気になり、フランスオペラの代表作になりました。

カルメンはスペインセビリアのタバコ工場で働く女工です。

実際に1770年セビリアには王立のタバコ工場が作られ、多くの女工がタバコを巻く作業をしていました。

今も残る建物は、法科大学になっています。




1830年には世界最大の規模で4000人が働いていました。
男性の作るタバコよりも女性の作るタバコのほうが丁寧で品質がよかったので、作り手の半数は女性でした。

女性の職場が少なかった当時、貴重な女性の社会進出の場としての役割をになっていました。

とはいえ、劣悪な労働環境に加え、カルメンは最下層のジプシー。
軽んじられ踏み潰され差別される者
カルメンと女工たちの喧嘩のシーンはエネルギーが噴出しています。