音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

ビウエラと19世紀ギターとギター

2024-12-28 21:06:00 | 楽器
19世紀ギター。
聴き合い会で樋口さんが、弾いてくれました。

かわいい模様があります。

1820年頃のフランスの楽器だそうてす。


やはり聴き会い会で斎藤さんが弾いてくれたビウエラと似ています。

ビウエラは14世紀のイベリア半島(現在のスペイン周辺)で流行りました。
4コースの複、8本の弦が張られています。
19世紀ギターは、単弦
6本の弦が張られています。
もう少し経つとより大きな音を求めて現代のクラッシックギターが作られます。


ビウエラは一度忘れ去られ今世紀に入ってから書物の姿を見て復元されました。

聴き比べてみましょう。
19世紀ギターは復元ではなく、使われていたものが伝わっています。
「トリスタンの嘆き」14世紀イタリアの俗謡です。
ビウエラによる演奏です。

ソルのエテュードop31-8 19世紀ギターによる演奏です。
ソルの同じ曲で現代のクラッシックギターです。


ガルべとタンブラン

2024-08-27 21:03:00 | 楽器
今日は、フルートアンサンブルエスカルの練習日でした。

11月10日(日)13:00開演
エスカル定期演奏会
ラ・サーラ・ディ・オルフェオ

での定期演奏会のための練習です。

今回はその一部
ビゼーの「アルルの女」の組曲をフルートアンサンブルに編曲して演奏するのですが、この曲の「ファランドール」にはどうしても太鼓が必要と言うことでメンバーの1人が太鼓を叩いてくれることになりました。

太鼓が入るとグッと南仏のイメージが出てきます。

榎田先生、「南仏では、なんとかいう吹きながら叩くやつでするんだ。」と言うことでなんとか言うやつの代わりがこの太鼓。

後「くるみ割り人形」の組曲もするので「アラブの歌」のタンバリンが乗っています。
これはベリーダンスの鈴の代わりです。



なんとかいう太鼓調べてみました。

「プロヴァンス太鼓」と言うそうです。
両側に皮を張った胴の長い太鼓のことです。
撥で叩く方の皮には1本のスネア(響き線と言う振動を増幅するための線。現在ではコイル状の金属線です。)がついていて、紐で肩から吊るし、左手にもった小さなハンマーのような撥で叩きます。
その際、右手には単純な構造の笛を持ち、これを吹きながら太鼓を叩きます。
ガルベとタンブラン (Galoubet-Tambourin)と南仏では言うそうです。

タンバリンとは別物です。

ガルベは3つ穴の空いたリコーダーのことです。


ガロベ・フェルディナンド・ベイン
歴史は古くルネサンスの時期からありました。
いろいろなタイプのガルベが併存していましたが、フランス革命以降 4つの基本音はすべて 1 音離れていて (E フラット - F - G - A)が普及しました。

オーケストラでは演奏者が同時に笛を吹くことはありませんが、ビゼーの『アルルの女』の「ファランドール」や、ミヨーの『フランス組曲』の「プロヴァンス」のように、プロヴァンス太鼓のリズムに合わせてピッコロやフルートが旋律を演奏することがあります。

バロック カルテットが演奏するカルべとタンブランを使った「カンヌのファランドール」

オーケストラのビゼーの「アルルの女」よりファランドール、プロヴァンス太鼓が使われていますが、笛はピッコロとフルートで奏者は別です。


バスフルート欲しい!

2024-04-28 21:00:00 | 楽器
土曜日朝は梅田ドルチェ楽器で伊藤公一先生のレッスンでした。
先生のレッスンでは、基本的なことが、できていないことを気付かされます。
あたりまえなことあたりまえにできるようになりたいです。

レッスン後、ドルチェ楽器さんでバスフルートを吹かせていただきました。

サンキョウ、横バス。

重い。重厚感のあるフルート。
しかし、重すぎて一曲吹けないです。
銀製のマウスピース。
ベルトを、首にかけて支持棒をキャップに刺して使います。



これなら大丈夫。
しかし、100万超え。
それにサンキョウは、1ヶ月に一本しか作らないそうで今頼んで11月。

パールのバスフルートも試奏。

軽い。音色も軽い感じです。
これは待ち時間無しで買えます。
60万位、別売りの支持棒25000円
挟んで使うタイプです。

これは座って吹く時に使います。立っては使えません。

コタトの縦バスフルート

以前試させてもらいましたが、良く鳴ります。音もお気に入り、しかし!3年待ちで120万から、しかも時価なので、横バスも視野に入れようかな?

ヨハン セバスチャン バッハ(1685-1750年)神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没
トッカータとフーガ ニ短調(ドイツ語:Toccata und Fuge in d-Moll)BWV 565は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したオルガン曲で、数多いバッハのオルガン曲のなかでも特に知名度の高い作品のひとつです。

もともとはヴァイオリン用で、後にオルガン用に編曲されたという説もあり、復元を試みヴァイオリン独奏用に編曲した版(アンドリュー・マンゼら複数ある)による録音も存在しています。

バッハの自筆譜が現存せず、最も古い筆写譜が18世紀後半のものであること。

フーガの書法が異例であること。特に主題が単独で提示されるオルガンフーガ、および短調の変終止で終わるオルガンフーガはバッハの全生涯を通じて他に例がないことから偽作説が存在しています。

これをフルートカルテットリンクスがフルートで演奏しています。


マスタークラスとバスフルート

2024-03-24 21:00:00 | 楽器
雨の土曜日は、伊藤公一先生のマスタークラスでした。
基礎を徹底的にご指導頂いています。
スケールとアルペジオだけでほぼ終わります。
フルートは音程の幅が取れる楽器なので、あらためて耳の大切さを実感します。
先生は絶対音感は無いとおっしゃっていますが、「今、C#が高かったよ。」と、すぐに指摘されます。
耳を育てる大切さを感じます。

世界中のトップのレッスンを受けたり、聴講してきましたが、こんなに集中して一音を出す人を見たことがありません。

「当たり前の事を当たり前にできるようにやってきただけです。」と先生はおっしゃっていますが、それがなかなか…。
まだまだ、足元にも寄れません。

私はできないから続けているのかもしれません。

上の階でバスフルートをお試し。
GUO(ゴウ)フルートのバスフルートが良くなった。とFBで吹いている人を見て試してみたくなりました。


樹脂フルートも良くなっています。
もう一本はパールのバスフルート。


貝のキーがついています。
やっぱりよくなります。

本当にほしいのはコタトの縦バスフルート。

調べてもらったら2年待ちの1250000円。
待っているうちに上ったら上がった値段で…。
やっぱり買えません。

一人でマルモ食堂でかつおのお茶漬け定食頂いて帰りました。



帰りに珍しく御堂筋線で北大阪急行電鉄車両を見ました。

今日は北大阪急行電鉄が箕面まで延伸したそうです。

ヨハン セバスチャン バッハ(1685-1750年)神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没

作曲の「アリオーソ」はバッハが教会カンタータ『わが片足すでに墓穴に入りぬ』BWV.156 の1曲目「シンフォニア」として作曲し、その後『チェンバロ協奏曲 第5番 BWV.1056』の第2楽章で「Largo」として転用しました。

「シンフォニア」
墓に片足入れ
いつくしみにより
病める身もイライラも沈めん

わが悩みありし
主来れみこころなら
わが願うごとく
ああもう家ととのえ待ってり
世を去るとき
み手にいこわしめ
わが終わりをよみしたまえ
よき終りたまえ

バスフルートで「アリオーソ」


北欧コンサート

2024-03-17 23:20:00 | 楽器
金曜日カルテットの後、金重さんと四条畷駅近くの北欧 Keitto ケイットで北欧コンサートに行きました。

知らないうちに四条畷駅の近くに北欧村ができていました。

大東市との共同プロジェクトで、北欧の





レストラン、雑貨屋さん、パン屋さん、洋服、古着などのお店が広大な敷地に隣接。


ここで北欧の食器で、北欧の食事を頂き、
野間友貴さんのフィドル



ハルゲンダルヴァイオリンを聞きました。

最後には調子に乗って飛入りで野間さんのハルゲンダルヴァイオリン、ニッケルハルバ、フィドル、、ヴィオラ、フルート、オスピパと一緒にセッションしました。

足を床に踏みつけて音を出しながら、久しぶりの民族音楽の世界。

楽しかった!

ハルゲンダルヴァイオリン


ハーディングフェーレとノルウェーで呼ばれています。

ヴァイオリンより少し小型の擦弦楽器で、4本の演奏弦に加え駒の下部に4~5本の共鳴弦(響きのための弦で直接弾かない)が張られているのが特徴です。

ノルウェーのハルダンゲル地方で生まれました。別称はハルダンゲル・フィドル、ハリングフェーレといいます。

トップにはヴァイキングの時代の神の象徴「ドラゴン」、
指板や楽器の側面、縁取りなどに花模様や真珠貝での象嵌細工が施されています。

現存する最古の楽器は1651年のものです。
現地では神聖な楽器として、主に冠婚葬祭時に使用されています。

ノルウェー出身の作曲家、エドヴァルド・グリーグやゲイル・トヴェイトが自分の作品に用いています。

グリーグは『ペール・ギュント』の前奏曲などにこの楽器を用いています。
トヴェイトは2曲のハーディングフェーレ協奏曲を残しています(作品163と作品252)。

エドヴァルドド グリーグ(1843-1907年)スウェーデン=ノルウェー べルゲン生まれ、ノルウェー ベルゲン没

「ペール・ギュント」は1874年ヘンリック・イプセン(1828-1906年)

1863年イプセン
の依頼により戯曲「ペール・ギュント」の音楽を作曲しました。

イプセンからグリーグへの手紙(1874年1月23日)
もともと舞台上演を目的としない戯曲だったため、音楽の力を借りて舞台化しようとイプセンが試みたものです。

グリーグは1875年初演の後、何度も改訂を行っています。

あらすじ
戯曲「ペール・ギュント」

落ちぶれた豪農の息子で、母オーセと共に暮らしている夢見がちな男ペール・ギュントは、かつての恋人イングリを結婚式から奪取して逃亡します。

しかしイングリに飽きたら彼女を捨て、たまたま出会った緑衣の女(トロルの娘)と婚礼寸前まで行きますがやはり直前に逃げ出します。

一度は密かに帰宅します。が、その場で病床のオーセは息を引き取ります。

再び逃亡したペールを追ってきた純情な女ソルヴェイと恋に落ちますが、そこへ緑衣の女が奇怪な小児を連れて現れます。ペールはソルヴェイを待たせたまま逃げ、そのまま放浪の旅に出ます。

山師のようなことをやって金を儲けては無一文になったり、精神病院で皇帝になったり遍歴した後に老い、身一つで帰郷します。

死を意識しながら故郷を散策していると、ボタン職人と出会いますが、彼は天国に行くような大の善人でもなく地獄に行くほどの大悪党でもない「中庸」の人間をボタンに溶かし込む役割の職人でした。
「末路がボタン」というのだけは御免だと、ペール・ギュントは善悪を問わず自分が中庸ではなかったことを証明しようと駆けずり回りますが、トロルの王も「やせた男」もそれを証明してくれませんでした。

彼は最後の証人として会ったソルヴェイに子守唄を歌ってもらいながら死にます。

組曲は2部に分かれています。

第1組曲op45

第2組曲op55
第1曲「イングリッドの嘆き」(ト短調)
第2曲「アラビアの踊り」(ハ長調)
第3曲「ペール・ギュントの帰郷」(嬰ヘ短調)
第4曲「ソルヴェイグの歌」(イ短調)

第4曲「山の魔王の宮殿にて」ハルゲンタルヴァイオリンのソロ付きアレンジで





幻の銘器

2024-01-27 21:00:00 | 楽器
1月26日 金曜12:15〜
牧野生涯学習センター音楽室で
「第9回聴き合い会」でした。

今回はヴィオラ、チェロ2、ピアノ2、ギター2、フルート4、ビウエラ1の12人の出演でした。



河上さんは初めて来ていただきましたが、ノンビブラート奏法で、トラヴィルソのような音で演奏されていたので「どこのフルートですか?」と伺ったら「マテキです。」
「えっ!マテキ?!」

吹かせていただきました。
軽くて、レスポンスが良く指が吸い付くようにキーにフィットします。
音は重量級でよく飛ぶ感じです。

さすが伝説のフルートメーカー「マテキ」
残念なことに2019年廃業されていて、もう新たに作られることはありません。

1978年創立当時創設者の渡辺氏は
「国内ではまず売れないと思ったし、また売る予定もありませんでした。だから外国の人が発音しやすく短い<マテキ>にしました。<magic flute>といえば、コンベンションでも興味を引きます。」と言っています。

当時、海外では、日本産のフルートはどのメーカーも同じようなもので個性がないと考えられていました。
そこで渡辺氏は決意をします。

「そのころ社内で作れない部品を外部の会社に作ってもらう『外注』が盛んに行われていました。
しかし外注先の数が少なかったので、どのメーカーも同じ会社の部品を使います。すると見た目が似てくるのです。マテキ独自の楽器を作るには、できるだけ外注加工しないで社内でやるしかないと思いました。」

会社設立当時は、渡辺氏ひとりでハンドメイドを行なっていましたが、次第に注文が増加し、社員も一年に一人の割合で増えていきました。

しかしここで昭和60年から始まった急激な円高のため、日本の輸出企業は軒並み大ショックを受けました。

マテキフルートも例外ではなく、海外への輸出が困難となり、国内の販売に踏切らざるを得ませんでした。

しかし社員は技術者ばかりで営業経験はなく、手探りの状態で独自の流通にアプローチを始めました。

そして、国内での販売は、小売店に楽器を持ち込み販売を依頼する方法と、直接ユーザーから工場が受注する2つの方法に絞りました。

こうしてマテキフルートは国内でも販売されることになりました。

また、海外へ輸出を続けていたことで、留学をしていた日本の若手奏者にも認知・評価され、次第に国内でもその評判が広がっていきました。

「よく楽器一本にそこまで手をかけなくても‥と言われます。私自身、この仕事の仕方は今の時代からしたら遅れた世界だと思うこともあります。でも、細かい部分、見えないところと大事にしないといい楽器にはならない。これからも自分たちが納得するいいものを作り続けていきたいんです。」

(参考文献 アルソ出版「国産フルート物語」)


マテキフルート年表
1978年(昭和53年)6月 埼玉県坂戸市にマテキフルートを設立

1978年(昭和53年)11月 マテキフルート第1号完成。輸出専門メーカーとして、1986年までは総銀・金製フルートのみを生産。

1985年(昭和60年)8月 新素材、G10(金10%)製のフルートの開発を始め、第一号完成。マテキオリジナルとして製品化・発表する。

1997年(平成9年)8月4日 代表 渡辺茂氏逝去  8月 第8回フルートコンベンション(横浜)にて、AG990モデル発表・製品化。12月 渡辺栄子氏が代表となる。

その後、頭部管ノーマークBタイプ、Gタイプを開発。
02モデルの受注を停止。

2011年(平成23年)渡辺竜一氏が新会社「フルート工房マテキ」を設立。

その後、02、03、バラードモデルの生産を中止。AG900モデルを製作。

2019年(令和元年)12月31日 廃業

2014年に立花雅和さんが、マテキフルートを訪れて吹き比べをした動画をあげておられました。
このラインナップ、すべてないと思うと…。





教会の鐘の練習用

2023-12-21 21:00:00 | 楽器
書いた投稿がなぜか下書き保存されていなかったので、急遽書きました。
本当に残念😭

子育てサロンのクリスマス、12日に無事開催しました。

「パディヌリ」「ガボット」「間奏曲」など演奏を聴いてもらったり、絵本に音楽をつけたり、

みんなでメロディベルで「きよしこの夜」
カスタネットや鈴、タンバリンで「あわてんぼうのサンタクロース」の合奏したり
パラディスの「シシリエンヌ」をバックにオーガンジーのパラバルーン


サンタさんもきました!

楽しんでもらえたかな?
メロディベルは、ハンドベルの一種の楽器ですが、おもちゃではなく23音あって残響も残っていい音がします。

10年以上前に、コミュニティで買ってもらいました。

メロディベルは商標名らしいです。

ハンドベルは17世紀にイギリスで生まれた楽器です。
教会の鐘を鳴らす練習のために開発されたそうです。
複数人でベルをもって、合奏します。






ティンパニ

2023-12-11 21:43:00 | 楽器
夫が韓国出張から帰ってきました。
お土産のくるみ割り人形

背中のレバーを


ひくと、

口が空きます。
ここにくるみを入れて割ります。
…が、これは飾りなのでくるみは割れません。
本物は硬い鉄の歯が入っています。

その代わりくまは硬い太鼓を叩くみたいです。

太鼓は最古の楽器と言われています。
中でもティンパニの祖先は、中世のアラブで軍楽隊の使っていたナッカーラ
(ナッカーレ)

馬の胴の両脇につけられていました。

15世紀、ヨーロッパに「ナカイル(ネーカー)」としてトランペットと共に騎馬軍楽隊の楽器編成の中心に位置づけられました。
17世紀半ばにオーケストラに取り入れられました。

古典派までは2台1組で、多くの作曲家は主音と属音を補強するのに用いました。
(例外、パーセル「妖精の女王」第四幕冒頭でティンパニに旋律を書いています。)

ベルリルオーズ以降さらに多くのティンパニが用いられるようになり、現代では4体1組で用いられることが多くなりました。

現在では
ギア式 ペダルにより音高を変えます。1オクターブ以上

クラッチ式 同じくペタル式ですが、1オクターブまで。

バランス アクション式
ペタル式ですが短六度まで、プラスチックヘッドが多い




シングルスクリュー式
一個のハンドルで音高を変えられる。
場所の少ないオーケストラピットで使われます。

回転式
楽器本体を回転させて音程を変えます。現在はほとんど使われていない。

手締め式
押し枠に装備された6〜8個の捻子を手で締めて音程を変えます。(バロックティンパニや、安価な楽器)

私も、学生時代少しティンパニを叩いていましたが、クラブのティンパニは一番安い手締め式で少し叩くと音程が下がり、何度も音程調整をしていました。
古いし、安いし、いつも音程が違うと言われていました。

ティンパニ 音楽と検索するとドミートリイ ドミートリイエヴィッチ ショスタコーヴィチ(1906ー1975年)ロシア帝国サンクトペテルブルク生まれ、ソビエト連邦モスクワ没

の交響曲第5番の第四楽章が出てきます。

確かにここのティンパニの目立ち方は並外れています。

1936年ソビエト共産党の機関誌「プラウダ」がショスタコーヴィチを批判しだします。
そのせいで、交響曲第4番は初演直前に公演取りやめとなりました。
「体制の反逆者」というレッテルを貼られ、
大粛清の嵐で友人、親類たちが次々と逮捕、処刑されて行きました。

そんな頃に書き出したのが「交響曲第5番」です。

先進的で前衛的な音楽は成りを潜め、古典的で単純な構成が際立っています。

革命20周年の記念すべき日に初演され、社会主義のリアリズムのもっとも高尚な理想を示す好例と絶賛され、名誉を回復されることになりました。

初演時に万雷の拍手の中、ショスタコーヴィチは、唇を噛んで裏口から出ていったという証言がありますが、ショスタコーヴィチ自身の気持ちを書いたものは残っていません。

しかし、古典的と言っても、この異常なティンパニ使い。不当に抑えられたために煮えたぎる秘めた怒りのようなものを感じますが、どうでしょう?







ビウエラ=ギターの祖先

2023-12-02 21:00:00 | 楽器
先日の「聴き合い会」に参加頂いた古楽器のビウエラ。


斎藤さんはリュートも持っておられて、前回はリュートでの参加でした。

ビウエラはスペインで流行った楽器で、2本ずつ同音の弦が12本ついています。



しかし、マンドリンのようなトレモロ奏法は演奏できません。

ギターのようにフレットを押さえますが、ギターのようなトレモロも使わず、押さえて2本同時に指で弾くのと、4本の指で掻き鳴らす奏法で使います。

それがフラメンコギターのようで、ギターの祖先と言われるのも納得です。

似ている楽器のリュートは別系統と言われる由縁です。

2本の弦は押さえるのが大変なので指先ではなく腹で押さえると斎藤さんは言っておられました。

ビウエラは、中南米から、イベリア半島、イタリアで普及していました。

スペイン語 vuela
ポルトガル語 viola
と言いました。
当時violaを指す楽器の範囲は広く!撥弦楽器から擦弦楽器までありました。

ビウエラ・デ・マーノ Vihuela de Mano(手のビウエラ) - 撥弦楽器(6コース)、指頭により演奏

ビウエラ・デ・プエブロ Vihuela de Pueblo(人々の) - 撥弦楽器(4コース)、指頭により演奏

ビウエラ・デ・プレクトロ Vihuela de Plectro(プレクトルムの) - 撥弦楽器、プレクトルムにより演奏

ビウエラ・デ・アルコ Vihuela de Arco(弓の) - 擦弦楽器

ビウエラ・デ・アルコはヴィオラ ダ ガンバの祖先。

ビウエラ・デ・マーノが現在一般的にビウエラと呼ばれています。

15世紀アラゴン王国にビウエラについての初めの記述があります。

16世紀ルイス デ ミラン(1500ー1561年)の曲集にはオルフェウスが描かれています。

1536年ビウエラを弾くオルフェウス
この絵には、ビウエラの発明者はオルフェウスだとかかれています。
ミランはビウエラの曲集Libro de música de vihuela de mano intitulado El maestro を初めて出版した人物になりました。

また、ミゲル・デ・フエンリャーナのビウエラ曲集のタイトルは Orphenica lyra(オルフェウスのリラ)となっています。

このことから、当時スペイン文化圏ではビウエラはギリシア神話に登場し、音楽の神とされるオルフェウスの楽器、リラと同一視されています。

秀逸なレパートリーが数多く残されていて、16世紀にはビウエラが隆盛を極めました。

その一方で、スペイン文化圏ではリュートはほとんど用いられることがありませんでした。

スペインでは、レコンキスタ(718-1492年イベリア半島はイスラム教圏に支配されていましたが、キリスト教徒による再征服運動)で長年モーロ人(イベリア半島におけるイスラム教徒)でイスラム教圏と対峙し、キリスト教への信仰心も熱烈でした。

スペインではリュートは中東起源の「モーロ人の楽器」と見なされていました。

サンティアゴ・マタモーロス(モーロ人殺しの聖ヤコブ)。スペインの守護聖人、レコンキスタの象徴
ビウエラとリュートは調弦が同じであったことから多くのレパートリーを共有していますが、同時代にはイベリア半島ではリュートでは演奏されず、一方で、ギターとは強い近親関係にあったと思われます。

ビウエラは、17世紀に入って大航海時代以来のスペインの覇権が衰えるとともに急激に衰退し、一部はギターに改造されるなどして姿を消しました。

ルイス ミランの「ビウエラ・デ・マーノのための音楽集」より幻想曲1-4




10弦ギター

2023-11-24 21:01:00 | 楽器
土曜日は、夙川公民館ホールで西宮ギター練習会の「第21回コンサート」でした。
今日は阪神優勝パレードで混むだろうと京橋でJRに乗って一本。

紅葉が綺麗でした。
コントラバス安福佳子さんとギター渡瀬清隆さんとフルート久米でアザラシビリのノクターン。

田郷祐樹さんとピアソラの「カフェ1930」

岡山友樹さんとカルリの「英国国歌による幻想曲」を演奏しました。

受付にいると
素敵な服装の女性が…。
写真撮らせていただきました。




もうお一人は87歳、現役の日本舞踊家で、背筋がピンと伸びて、片足で立たれてもびくともしない体幹の持ち主でした。
開演までの20分、受付で話されました。
お客様との距離が近い、うれしい演奏会です。

今回は鈴木博之さんが
10弦ギターを東京から持ち込まれました。


10弦ギターは
私は見るのも聴くのも初めてですが
、ナルシソ・イエペス(1927-1997年)スペイン王国ロルカ生まれ、スペイン ムルシア州ムルシア没

が、ギター製作のホセ・ラミレス3世

と共同開発したものです。

一般的な6弦ギターに低音を4弦追加したもので、演奏のためというよりも、倍音を均等にすることを目的に設計されました。

つまり、響きのための弦。

調弦は
7弦を6弦の長三度下のC
8弦をB♭
9弦をG#1
10弦をF#1
に合わせるのがイエベス式。他にも
様々な調弦法があります。

4本の弦は共鳴用弦を追加することにより、豊かな響きを得ることができますが、残響のせいで音がにごります。

残りすぎる音を消音しながら演奏するのが技術的に難しいと言われています。
10弦ギターでの演奏でベートーヴェンの交響曲第7番、低音弦は共鳴用と書いてありましたが、ここでは押さえて使っています。