音楽の喜び フルートとともに

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真剣に遊んでみました。

2024-10-18 21:00:00 | 近代
木曜日は子育てサポートで、幼稚園に子どもを迎えに行って自宅で保育。その後、家まで送っていくというものでした。
8:00まで預かるのでお菓子を持たされています。
今日のはマーブルチョコレート志摩水族館仕様

かわいいです。

昨日から作り出した自動販売機。
カッターは使えないので私が穴を開けました。
昨日は前を開けて、コインとお札を入れる穴を開けました。
「どうやって缶が出てくるようにできるかな?」というところで終わっていました。
今日は帰ってくるなり「後ろに穴を開けて滑り台にしたらどうかなぁ?」

開けました。
紙を後ろから前に滑り台のように通して、缶代わりのダンボールを丸めたものを落としてみると

ウケました。
クレヨンも落としたりして、興奮しました。私も!

ジャック イベール(1890-1962年)フランス共和国パリ生まれ、フランスパリ没

1910年、パリ音楽院に入学。
アンドレ・ジェダルジュの対位法講義では「フランス6人組」のダリウス・ミヨーやアルチュール・オネゲルと同窓でした。

第一次世界大戦中は海軍士官として従軍。 
1914年に音楽院を卒業し、5年後の1919年、カンタータ『詩人と妖精Le poète et la fée』でローマ大賞を受賞しました。

1923年まで3年間ローマに留学、『寄港地』などを作曲しました。

1937年から1960年まで(第二次世界大戦中を除く)在ローマ・フランス・アカデミーの館長でした。
1940年、フランス政府よりの依頼を受けて、日本の皇紀2600年奉祝曲として『祝典序曲』を作曲。

1940年6月にパリが陥落すると、北アフリカで抗戦を継続しようとする政治家たちにイベールは同行し、このためにヴィシー政権によってイベールは反逆者と見なされ、曲の演奏が禁じられていました。

1944年に在ローマ・フランス・アカデミー館長に復職します。

1955年から1957年までパリの国立オペラ劇場連合(RTLN、オペラ座とオペラ=コミック座)の監督をつとめました。

1962年にパリにて死去。遺体はパリ16区のパッシー墓地にて埋葬されました。

フルートとピアノのためのソナティナop「遊戯」は、1923年に作曲されました。イベールは、1919年にローマ大賞を受賞して、1920年から23年の間ローマに留学しましたが、その間の成果のひとつとしてこのソナチネが完成し、ルイ・フルーリーにより初演されました。

第1楽章・アニメ (活発に)、第2楽章・ターンドル (優しく)、あわせて5分程の短いソナチネです。






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1 コメント

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イベール (takan32)
2024-10-18 12:26:00
久米さんへ、私のブログにいいね!をありがとうございます。
題名のない音楽会で話をつなぐ時に使っている短い曲がイベール作曲のものですね。私、今年、この曲をコンサートで聞きました。(^^) 木管五重奏曲の一部ですね。5秒くらい。
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