先週末の月ヶ瀬温泉の梅
梅林は混んでいたので行けませんでした。
梅うどん、冷。
カタルーニャ州
はそのため1939年フランスに亡命しました。
梅林は混んでいたので行けませんでした。
温泉も食堂も番号を呼ばれないと入れない方式になっていました。
梅うどん、冷。
あまり好きでなかった細麺。…ところが、これがめちゃくちゃおいしかった!
梅を混ぜたダシもさっぱりしていておいしかったです。
1936年スペインの政権をフランシスコ フランコ(1892-1975年)将軍
がとりました。
がとりました。
フランコは、カタルーニャの言語を禁止し、カタルーニャへの愛国心に繋がる活動を一切禁止しました。
カタルーニャ州
チェリストのパブロ カザルス(1876-1973年)
はそのため1939年フランスに亡命しました。
ナチスのオリンピックに対し、人民のオリンピックの開催(フランコにより直前に中止)。
亡命先のフランスのナチス支配に抵抗、ナチスへの演奏を断り続けました。
難民の救援活動。
核実験停止と軍備競争の中止を求める共同声明など。
1971年10月24日
亡命中のカザルスがそれまでの平和への活動を讃えられ国際平和賞が国連より与えられました。
94歳になっていたカザルスは、聴衆の前で語りだしました。
「私は40年間演奏していません。しかし今また演奏する時が来たと感じています。」
チェロを手にしたカザルスは、続けました。
「カタロニア民謡から『鳥の歌』を、演奏します。鳥たちはこう歌います。『Peace Peace Peace』(平和 平和 平和)」
「この曲はバッハ、ベートーベン、多くの偉人たちが愛し、賞賛した曲。私の民族、カタルーニャの魂です。」
カザルスは1973年故郷に帰ることなく亡くなりました。
1975年フランコが83歳で病没するまでカタルーニャの主権は制限され続けました。
1978年新憲法が制定され、カタルーニャ語の自由な使用が認められました。
カザルスの国連での演奏投稿されていました。
世界中では、カザルスの願いはまだかなえられていませんね。
今日は生後4ヶ月の赤ちゃんの母親のインタビューを見ました。
戦車や兵士に向かって武器を持たずにデモをする人々の動画を見ました。
武装を説く人々が目立ちますが、こういう行為がロシアの侵攻を遅らせているのだと思いたいです。
彼も平和を主張し亡命された方で、ベルリンの壁が崩れた時に、その上でバッハを演奏されましたね。
ミッシャ・マイスキーとともにカザルスを聴いて育ったのではと思います。
音楽だけでなく精神も受け継がれているように思います。
平和に早くなって欲しいですね。
いつも温かいリアクション
ありがとうございます😊
鳥の歌〜絞り出すように
PEACE・PEACE・PEACE!
メッセージが胸に染み入りました。
ロシアによるウクライナ侵略。
一刻も早い停戦をと願って止みません。
今日もどうぞお元気でご活躍を。
『キエフの鳥の歌』がUPされていました。
カザルス氏(写真が若くて・・・・びっくりです)が国連で演奏し、
ロストロポーヴィチ氏が彼の演奏会のアンコールで必ず演奏した『鳥の歌』と同じかと
UPされていた楽譜を歌ってみましたが、違っていました。
でも哀愁を帯びたメロディで、どことなく寂しい歌詞です。
共通した何かがあるのかもしれません。
毎日放送されるウクライナの状況を見るとき、カザルス氏が演奏した悲しいメロディが浮かびます。
1日も早く停戦が実現するよう祈ります。