この一週間であったオーケストラ出演体験とか、いろいろ書こうかと思いましたが、とりあえず今日あったことを、書きました。
それにしても一週間も書けなかったのに、みなさん結構ご訪問くださっていて本当に感謝です。
ご心配もかけて申し訳ない気持ちです。
土曜朝は梅田で伊藤公一先生のレッスンでした。
やっぱりこってり絞られました。が、ちょっとはマシになっているみたい。
「今日はまだマシになってきたよ。」と最後の最後に言ってくださいました。こんなことは滅多にありません。
レッスンの後、ドルチェ楽器の三階でフルートのメンテナンスの日程を決めました。
実はスタンドに立てておいたのをスカートに引っ掛けて倒してしまいました。
ふわっと倒れて下は絨毯でしたが、よく見たら頭部管にちいさなへこみ。
ただし、今はコンサートシーズンでリペアの予約がなかなか取れません。
11月末の月曜日になりました。
11月12日のエスカルのフルートオーケストラのコンサートは現状のまま出演です。
音はたぶんまともになっているので何とかなるでしょう。
ヨーゼフ・シュトラウス(1827-1870年)オーストリア帝国ウィーン生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没
彼は音楽家ヨハン・シュトラウス1世とその妻マリア・アンナのあいだに次男として誕生。
家族や友人のあいだでは「ペピ(Pepi)」という愛称で呼ばれていました。
ヨーゼフには生まれつき脳に故障があり、その影響が脊椎に現れたため、とくに精神的・身体的障害はなかったものの虚弱体質でした。
このハンディが影響したのか、陽気で明朗な性格の兄ヨハン2世とは違って、控えめで神経質な性格の持ち主に育ちました。
工学技師の道を歩んでいましたが、病に倒れた兄ヨハン2世の代役として指揮を務めたことがきっかけで音楽家としてデビューしました。
1853年に音楽家となってから1870年に没するまでの約17年間で280曲以上の作品を残し、また500曲以上の編曲も手がけました。
『鍛冶屋のポルカ|Feuerfest!』op.269
1869年3月、金庫メーカーのヴェルトハイム商会が、耐火金庫2万個の製造を記念して舞踏会と花火大会を催しました。
この舞踏会に際してヨーゼフ・シュトラウスは商会から作曲を依頼されました。
ヨーゼフは金庫を製造した鍛冶職人を讃えて、打楽器として金床を用いるポルカを作曲しました。
金床(鍛造や板金で、加工しようとする加熱した金属を載せる鋳鉄製または鋳鋼製の作業台)材料を伸ばすのは平滑部で、細かい作業は右の「鳥口」で行います。
鳥口が2つある鉄床
リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』(1874年完成)の第2日「ジークフリート」において、侏儒のミーメが、折れた剣ノートゥングを勇者シグルズのために鍛え直す場面。絵は、イギリス人挿絵画家アーサー・ラッカムの手になる1911年の水彩画。
3月13日、ブリューメンザールの舞踏会(場所は園芸協会の庭園に「花爛漫」と名付けられた会場)において、作曲者自身の指揮のもとでシュトラウス管弦楽団によって初演されました。
後に本作は主催者のヴェルトハイム商会に献呈されています。
「Feuerfest」はこの会社の宣伝文句で、本来は「耐火性抜群」という意味です。
『鍛冶屋のポルカ』とは日本での命名です。日本においては、『かっこうワルツ』などに代わって、小学2年生用の「鑑賞共通教材」として1989年改訂の学習指導要領に採り入れられています。
毎年、1月にはウィンナーワルツのコンサートがありますね。私も今年1月、ウィーンからやってきたオーケストラのコンサートに行きました。指揮者かジョークも交えていました。演奏者も表情豊かに演奏していました。バレエダンサーも4人入って、楽しいコンサートでした。