月曜日は渡辺橋近くのサロン・ド・プリンシパルで久しぶりのフルートアンサンブル「エスカル」の練習でした。
渡辺橋より1つ海側の筑前橋から見た景色 帰りの21時頃
に献呈するためにピアノ独奏曲「3つの夜想曲」として始めました。
で、ボセ クビレスのピアノ、アルボス指揮、マドリード交響楽団により初演されました。
ヘネラリーフェ ナスル朝ムハンマド3世(在位1302-1309年)の避暑地として建てられたイスラム建築(柱廊、噴水、花壇)
アルハンブラ宮殿と隣接しています
コルドバの聖体祭
11月5日の定期演奏会のための練習。
今回は先生のスケジュールの関係で19時から2時間。
ロザムンデ、ムーア人の復讐、ウィーンの森、パバーンまでをやったら、時間切れ。田園と日本の歌、亜麻色の髪の乙女はできませんでした。
それと気になるのはピアノが入らないとできないと榎田先生がおっしゃって「ブラジレイラ」は1回も合わせてません。
10月8日-9日の合宿で仕上げるつもりらしいですが、私は8日本番で1日しか行けません。
バスフルート、だいぶ慣れてきたのは安心要件ですが…。
渡辺橋より1つ海側の筑前橋から見た景色 帰りの21時頃
マヌエル ド ファリャ(1876-1946年)スペイン王国カディス生まれ、アルゼンチン コルドバ没
は、1907年から1914年パリに滞在し、デュカスに認められ、オペラコミック座で、「はかなき人生」を上演。そこからアルベニス、ビニェス、ラヴェル、ドビュッシーと人脈が広がります。
この頃「スペインの庭の夜」の作曲に着手します。
ピアニストのリカルド ビニェス(1875-1943年)スペイン王国カタルーニャ生没
に献呈するためにピアノ独奏曲「3つの夜想曲」として始めました。
ピニェスのアドバイスにより、ピアノと管弦楽のための曲に書き換えられました。
しかし第一次世界大戦が勃発しスペインに帰ります。
1915年マドリードで「スペインの庭の夜」を完成させ、ピニェスに献呈されました。
1916年マドリード王立劇場
で、ボセ クビレスのピアノ、アルボス指揮、マドリード交響楽団により初演されました。
ファリャ自身はこの作品を「交響的印象」と呼んでいます。
第1楽章 ヘネラリーフェにて(En el Generalife)
アランブラのカリフのハーレムの夏の離宮。ジャスミンの花香る夜のヘネラリーフェの花園。
ヘネラリーフェ ナスル朝ムハンマド3世(在位1302-1309年)の避暑地として建てられたイスラム建築(柱廊、噴水、花壇)
アルハンブラ宮殿と隣接しています
はるかな踊り(Danza lejana)
場所はどこともつかないが、遠くで異国風の踊りが響く庭園。
コルドバの山の庭にて(En los jardines de la Sierra de Córdoba)
コルドバ山地の庭園。聖体祭の日にジプシーたちがつどって歌い踊る。
コルドバの聖体祭
スペインの夜の庭 ヘネラリフェにて
一度ゴールデンウィーク明けにロンドンに行ったことがありますが、過ごしやすく、キューガーデンは芍薬が咲いて美しかったです。
ヘネラリーフェ、行ってみたいです。
すごいですね。
ご一緒できるなんて本当に幸せです。