
宇治川と木津川、桂川の三川合流する御幸橋の 木津川を渡ってすぐ 右折すると 宇治川 にかかる 京阪の鉄橋 です。
踏切を 渡る時に 写真を撮ると こんな風な景色が撮れれます。
長男が長くいた 京田辺の 実家を 離れ 東近江市に 引っ越しました。
引っ越しが一度で終わらないので お手伝い。

近江富士。

よく行く道の駅 栗東マーガレットの 近くです。

1 DK。

緑の多いいいところです。
手伝いというのは 口実で ほとんど私が心配で見に来ました。
いい大人になっても 心配でたまりません。
二人だけになってしまう両親も心配です。
早速 今週は 色々と呼び出されています。
実は私が心配なのは 自分のこと かもしれません。

心配な時は やっぱり音楽。

メルカリで 楽譜を買ってしまいました。
フランツドップラーの シューベルトの 歌劇「謀反人」の主題による コンサートパラフレーズ。
2本のフルートとピアノのための トリオです。
1821年に 出版されたものの 検閲で 禁止された シューベルトのオペラ「 謀反人」 (家庭争議)
陰謀者と訳されることもあります。
このオペラは 現在では ほとんど上演されることがないので私も聞いたことがありません。
シューベルトが亡くなったのは 1828年。
生前はオペラは評価されず 上演されませんでした。
フランツ ドップラーは 1821年 生まれなので 彼が 成人 して 活躍する頃 には 少しは知られたオペラだったのではないでしょうか。
弟のカール ドップラーと フルート兄弟として ヨーロッパ各地を講演し 大成功し、 同時音楽の中心地だった オーストリア ハンガリー帝国の 首都ウィーン 音楽院のフルート科の教授まで 務めました。
流行のオペラを何本も書き、生前に成功した数少ない作家の一人です。
ですが、オペラは今ではあまり上演 されず、 フルート曲が多数出版され、フルートにとって とても大切な作曲になっています。
特に 有名なフルーティスト アンドラーシュ アドリアン が 楽譜を発掘し 出版しています。
ドップラーの生まれた ハンガリーオーストリア帝国領の ガリツィア ブルフ というのは、 現在はウクライナ 以前はポーランド。 ドイツ領にもなったことがある複雑な歴史を持つ 土地で、 初めに入ったオーケストラはブタペスト交響楽団はハンガリー領でした。
アドリアンはブタペスト 生まれ。
来日した時に 講演で、
まだ若い頃 ドップラーの子孫の家に行き その家の 2階の物置に 楽譜を発見した話を してくれました。
ドップラーの映画も作りたかったらしいです。
ドップラー愛が深かったです。
とってもよく分かります。 私も大好きです。
映画、成功してほしかったな。
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