喜連川宿から二里36町36間(10・8Km)にあり、江戸からは三十六里16町56間となる。福原氏知行地の3500石の城下であった。那須七騎の一族でもある。宿の成立は天正十八年福原資保が地内御古屋敷館を築いて片府田より移り、徐々に宿、城下の整備に着手したと言う。中世福原氏の領地は奥大道の筋道にあった。
佐久山宿(作山)の南端の「前坂」は(つぶれ坂」とも言われていたと云う。江戸から下りで宿に入る人は此処まで来ると、この坂で疲れてしまい、また是から江戸へ向う人は登りの坂で疲れてしまう、と云うことで「つぶれ坂」と言うのだと古老に聞く。
佐久山旧街道
2月に咲く花「烏の豌豆(えんどう)」
開花時期は、 2/15頃~ 5/10頃。
・これより小さいものに、
「雀野豌豆」(すずめのえんどう)がある。
大きめのものに「烏」と名づけることが多い。
また、実は熟すと黒くなることから
黒→カラス、との連想で「烏」の名がついた、
との説もある。
・春、若芽を天ぷらにするとおいしいそうです。
・別名 「矢筈豌豆」(やはずえんどう)。
葉の先端がくぼみ、
矢筈形になることから
(季節の花300より)