町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

元相鉄のSMOKING BUS

2017年06月11日 | 保存車両・廃車体・特殊車両

度々各地のイベント会場で目撃情報が上がっていたSUMOKING BUSが秋葉原UDX前に来ていたので撮影して来ました。見ての通り、車種は三菱ふそう・エアロスターのワンステップ車なのですが、元事業者の痕跡は無いか探って見たところ、相鉄バスで活躍していたKL-MP35JM(多分2003年式?)のようですね。

 車体は側面・リア部分の窓も含めて紺色でラッピングされており、異様な雰囲気を放っています。移動喫煙所として、喫煙具や煙草の新製品のプロモーションで活躍しているらしく車内設備は最後部の座席以外全て撤去され、灰皿の付いたカウンターや換気扇などが設置されています。残念ながら車内の写真撮影はNGとのことでした。

非公式側も徹底してラッピングされており、側面窓部分は車内から外が見える特殊フィルムかと思いきや通常のフィルムを使用している為、外を見る事は全く出来なくなっていました。休憩所として使用される特性上、これで問題ないようです。

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北区・飛鳥山公園の6080号車

2017年03月31日 | 保存車両・廃車体・特殊車両

昨日は早くに仕事が片付いた為、午後の空いた時間に東京都北区の飛鳥山公園へ立ち寄ってきました。日本気象協会の桜の開花情報によると、開花は咲き始めの段階との事でしたが王子駅側に設置されているモノレールのアスカルゴには行列が出来るほどの人出には驚かされました。今回は桜ではなく、園内に保存されている都電6080号車とD51-853号機を見ることが目的でしたが、園内はどこも人が多く写真を撮るのが大変でした。。。

今回大塚駅前から王子駅まで乗車した8900形8901号車です、荒川線といえば少し前まで7000形が主力でしたが、あっという間に本形式に置き換えられました。先代の8800形より此方の方がシャープな印象で好きですね。

ドアが閉まっている側から、飛鳥山公園内の6080号車。以前は車体が荒廃していましたが整備し直され現在の姿になりました。安全上、前照灯や窓ガラスは全て撤去されてしまっています。

車内設備もこの通り、照明装置や吊り手などは全面撤去の上ロングシートは木製ベンチになっています。都市部の公園に置かれている車両の宿命でしょうが、天井や壁に落書きが目立つのが残念です。

反対側からもう一枚、一応、ビューゲルや床下機器などは残存している他上屋も設置されているので恒久的に保存する意思はあるようです。しかし、前回の整備から時間が経過している為、あちこちに再び傷みが見られるようになりました。

6080号車の目の前に保管されているD51-853号機は自由に運転台に出入り出来る割には幾分か良好な状態を保っているようです。が・・・

看板に機関車に上らないように書かれているにも関わらず屋根や正面に上る子供が多く、親も野放しにしているのに閉口しました。万が一の怪我などが起きた場合、北区の方に苦情が行ってしまうのでしょうが、こうした事が日常になっていると公園での車両保存も考え物です。いっそ柵でも作って外観を見るだけにした方が良さそうな気がするのですが・・・。

 

 

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日野オートプラザの路線バス保存車

2016年05月31日 | 保存車両・廃車体・特殊車両

TV番組の合間に不意に流れる呪文のようなフレーズ、トントントントンヒノノ二トン…♪が頭の中で何度も再生されて仕方ない今日この頃ですが、全バージョンを動画で視聴してみました。あの一連のCMは業務用小型トラック・日野デュトロのものですが、調べるとヒノノニトン編は2014年5月30日から放送開始されており、かなり息の長いシリーズだったようですね。

現在は大工編が放映中ですが、筆者はリリー・フランキーが何故か茶室で堤真一にヒノノニトンの話題を突然振る“栗きんとん編”が一番好きだったりします。誰にでも一度くらいは覚えがある知ったかぶりの心理を巧妙に突いている事に加え、リリーの笑みと共に流れる“主よ。人の望みの喜びよ”が何とも言えないシュールさを醸し出していて個人的には一番の面白CMになりました。前置きが長くなってしまいましたが、今回はその日野自動車の博物館、東京都八王子市みなみ野5丁目に所在する日野オートプラザで保存されている路線バスを見てきました。

歩道からもフェンス越しに見える日野自動車が開発した大型路線バス・ブルーリボンのハイブリッド車両HIMR(ハイエムアール)です。型式はU-HU2MMAH(1991年式)、ディーゼルエンジンと三相交流機を複合させた車両で、低公害化を急ぐ必要があった大都市の事業者に配備され、関東では都営バスや川崎市交通局での活躍が有名でした(車内にも他地域の事業者向けの車両とともに引渡しを待っている様子を撮影した写真があります)。この車両は栃木県日光市にて“わたすげ号”として活躍していましたが、2012年の廃車後に生みの親である日野自動車に引き取られオートプラザの展示車両に加わりました。

車内では床の一部が透明化され、エンジンの構造を見る事が出来るようになっています。TVモニターではブルーリボンシティ・ハイブリッドの解説が流れていました。願わくば、ここに都内のバス会社で活躍した車両も加えてほしいですね・・・。

オートプラザ館内にはボンネットバスのBH15(1966年式)が鎮座。ボンネットバスとしては最終ロットの車両で、群馬県の上毛電気鉄道で活躍していた車両です。一度は引退するものの、1988年にバス利用促進と観光客の呼び込みも兼ねて奇跡の復活を遂げた非常に幸運は1台です。その後排ガス規制の関係もあって再び運行を終了しますが、今度は日野自動車の工場で保存車両として活用されることとなり時にはイベント等で出張する事もありました。

車内はこの時代の主流だった三方シートです、板張りの床が何ともクラシックな印象ですね。詰め込みは利きますが、現在のバスとは違い乗り心地はかなり悪く加速・減速のショックも大きい為、相当な揺れに耐えなければならなかったようです。

以前にも書いたことですが、路線バスは鉄道車両と違い、廃車後に公園などに置かれるケースはあっても遊具の延長のような扱いが多く、数年周期で入れ替わってしまうことが多い中、こうして博物館で手厚く保存される事になった2台は非常に強運な車両と言えますね。

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横浜市資源循環環境局の市営地下鉄1041号車

2016年02月21日 | 保存車両・廃車体・特殊車両

2006年3月をもって現役を引退し、現在はトップナンバーが登場当時の3両編成に組み直され新羽車両基地で保存されている横浜市営地下鉄の1000形電車ですが、第4編成の先頭車1041号車は横浜市資源循環管理局へストックヤードとして譲渡されています。今回はこの1041号車を見に行って来ました。

シーサイドラインの新杉田駅まで普段ならJRを利用するところですが、この日は急ぐ用でもないので横浜市営バス・横浜交通開発バスを乗り継いで向かいました。写真の車両は桜木町駅から乗車した磯子営業所の4-1792号車(QPG-LV234Q3・2014年式)で、市営バスでは初めての長尺ワンステップ車です。この車両は長年前扉直後に設置されていた側面行先表示器が戸袋の前に移動しており、最前列の席の見晴らしが大幅に向上しました。

シーサイドラインの並木中央駅(幸浦からもアクセス可)から歩くこと約15分、横浜市資源循環環境局・金沢工場へ辿り着くと正門からこの車両の姿を確認できます。この1041号車は古紙・古布を一時保管する為のストックヤードとして無償譲渡されました。ちなみに行き先の“へら星”とはG30マスコットキャラクター・へら星人ミーオの故郷らしいです。この1000形が登場した当初、ステンレスカーは無塗装か横に帯を入れるのが一般的でしたが、ドア部を青で塗装しアクセントを付けたのは他に例のない斬新なものでした。現代では山手線のE235系がホームドア設置に伴いドア部に路線カラーを施していますが、時代を先取りしたデザインだったようです。

正面は登場の1年前に先行していた営団地下鉄千代田線の6000系の影響を大きく受けたと見え、左右非対称の傾斜した先頭部や窓の無い非常用貫通扉などがそれを思わせます。1000形のメカニズムは旧来の抵抗制御ですが、この外観は登場した頃は相当未来的に見えたのでしょうね。

車内は原則非公開ですが、広告やドアステッカーなどが撤去された以外は現役当時そのままになっているようでした。

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川崎市電702号車

2016年02月10日 | 保存車両・廃車体・特殊車両

現在では路線バス専業となっている川崎市交通局ですが、かつては路面電車も運営していました。市電川崎(現在の東口バスターミナル辺り)~塩浜間の6.7キロという短距離路線で、太平洋戦争末期の1944年、軍需工場への労働者を輸送するために開通しながら直後に米軍の空襲を受け市電としての機能を果たせなくなる憂き目に見舞われるも、その後は京浜工業地帯への通勤客で大きな賑わいを見せていました。しかし、高度経済成長期の車社会到来から他地域の路面電車と同じように邪魔者扱いされるようになり、また既に川崎鶴見臨港バスが市内中心部に路線網を形成していたため中途半端な存在になってしまい1969年に全線廃止、僅か25年の短い歴史に幕を閉じました。現在は川崎区大島1丁目の桜川公園に市電702号車1両が保存されており往時を伝えていますが、今回は久々に渡田地区へ足を伸ばす機会があったので桜川公園にも立ち寄り様子を見てきました。

園内に保存されている702号車。元を辿れば東京都電の木造ボギー車が由来ですが、車体更新・制御装置変更で700形に改められました。車体が2440mmと、路面電車にしては広く設計している為ずんぐりした印象を受けます。施設を京浜急行の車両限界に合わせていたため、このような大柄な車両を導入できたようですね。

初めてここに来た時は雨ざらしだった記憶があるのですが、いつの間にやら立派なホームと屋根が設置されました。以前は車内に立ち入る事も出来ましたが、現在は柵で囲まれ非公開になっています。犬を連れ込む利用者や、車両を破損する行為が見受けられた為の措置のようですが、屋外での車両保存の難しさを痛感させられます。

市電の概要を簡単に纏めた解説板も設置されていましたが、一部が剥がれてしまっています。。。

JFE前停留所にて。かつてはここに市電の日本鋼管前電停がありました。現在は市営バスの川40系統(川崎駅~塩浜営業所)が当時の市電のルートをほぼ忠実になぞる形で運行されています。また、日進町・元木町から渡田地区に掛けての道路には「市電通り」の名称が残り、かつて市電が行き交っていた事を21世紀の今に伝えています。

 

コメント (2)
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