1995年、帯広の劇団から呼ばれて「この子たちの夏」という朗読劇に出ることになった。
この作品は東京の「地人会」の主宰である、演出家・木村光一氏が現実の被爆体験の手記、詩歌を構成して朗読劇という形にまとめたものである。
ヒロシマ・ナガサキに落とされた原子爆弾は、それまで暑い夏を元気に走り回っていた夏休みの子供たちを一瞬にして焼きつくしてしまった。
暑さの中、親を尋ね、子を探し、家族がちりぢりになった。
どうしようもない悲しみと怒りの中で夜を過ごさなければならなかった残された人たちは、どんな思いで星空を見つめていたんだろう。
手記の中に12歳の少女のものがあった。
彼女も熱さと痛さで苦しみ、その短い一生を終えた。
ふと、気がついた。
この少女は生きていれば母と同じ年だ。
この時代をなんとか生き延びれば、平穏な老後が待っていたのかもしれない。
母と少女を重ね合わせてみた。
あの頃は母も少女だったんだね。
長生きできて良かったね。
あの日亡くなった少女の分も生きて来られて良かったね。
ふと、自分の母なのに少女を見つめる目で母をしばらく見つめていたっけ。
こんなことは二度と有ってはならない。
愚かな過ちを繰り返してはいけない。
世代が代わり風化されないように、語り継いでいかなければならないと思う。
抜粋
「無題」 小学五年 佐藤智子
妹のよしこちゃんが
やけどで
ねていて
とまとが
たべたいというので
お母ちゃんが
かい出しに
いっている間に
よしこちゃんは
死んでいた
いもばっかしたべさせて
ころしちゃったねと
お母ちゃんは
ないた
わたしもないた
みんなも
ないた
「原子雲の下より」一九五二年九月