二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

No.3 蕾(つぼみ) ~純粋にして完全な歌~

2008-03-07 00:16:32 | 5296
今日の感想は「蕾」。


この曲のレビューは難しい。なぜか。。。完璧な曲だからだ。

いきなり思考停止のような発言で申し訳ないが、本当に「蕾」という曲の持つ完全性は、まるでよくできた工芸品のようで、小渕氏が「別冊カドカワ」で語っているように、声も、曲も、アレンジも、全てが「これ」でなければならない、とすら思えてくる。それくらい、見事なまでの極上のバランスで、この曲を構成する全てのパーツが支えあい、高めあい、織りあわせられている。

それほどまでに完成度の高い「蕾」だが、何度聴いても不思議なのは、この曲の立ち位置が、日本の音楽シーンの中で独特な場所にあるように思える点だ。

「蕾」のような曲って、他にどこにあるだろう。。。?

考えてみると、日本のJ-POP、歌謡曲、及び演歌等が描いてきた情景は圧倒的に恋愛の心情であって、こんな風に「母親(もしくは母以外の肉親)への愛」を純粋に中央に据えて歌いきった曲、というのは、とても珍しく思える。もちろん、演歌の中にもJ-POPの中にも、肉親への愛や望郷の念を歌った曲は、少なからずある。だが、「蕾」が見せる情景の美しさ、ニュートラルで透明な空気感、劇的な盛り上がりを見せるくせに暑苦しくはない、という絶妙の温度感、純粋にしてまっすぐな曲の志向性、等は、なかなか似たものを探すのがムズカシイ。昔、さだまさしらが「ニューミュージック」と呼ばれ、その独特の立ち位置を確立した時期があった。さだまさしも「案山子」や「無縁坂」等、恋愛ではない世界を奥深く歌い、時代の中に強くその存在を印象づけたものだった。では、コブクロはさだまさしと同じカテゴリーなのか。。。う~ん、、、似ているのだが、コブクロは、コブクロとしか言いようが無いような気がする。さだまさしの歌はさだまさしにしか作れないように、きっとコブクロの曲は、コブクロだけが拓く世界、コブクロだけが見せてくれる情景なんだ、と思えてしまう。

名曲、というのはそういうものかもしれない。他の「名曲」と言われる数々の素晴らしい楽曲の中に置かれたとき、「蕾」も、同じだけの存在感を放って、この時代、平成19年という微妙に独特な時代に、刻印されているのだろう。ずっと。

そして、時代を超えても。きっと「蕾」は聴かれ続け、歌われ続けるだろう。そんな曲なのだ。


「蕾」の誕生のきっかけは、サビの♪消えそうに~、咲きそうな~♪の部分だったという。「そこから、全てが生まれた」と小渕氏も黒田氏も言う。

おいらも、サビのこのフレーズが大好きだ。聴くたび胸が熱くなって、説明しようの無い感動と哀しみがこみ上げてくる。

だが、実はこの曲にはもう一つの感情の導火線があると思うのだ。

それは、Aメロの冒頭部。

「涙こぼしても/汗にまみれた笑顔の中じゃ/誰も気づいてはくれない/だから あなたの涙をぼくは知らない」(「蕾」,コブクロ「5296」(2007)より)

この短い一節だけでも、十分、詩として成立する。それだけの、深みと味わいがある。


この一節が、どれだけ人の心を揺さぶる力を持っていることか。どれだけ多くの感情を刺激することか。この曲が暗喩する全てのことがらが、聴く者のココロの奥底を直撃する。

泣くとか、泣かないとかの問題ですらなく。突然に心の奥に優しい光が差し込まれたかのように、「蕾」は、人間のココロ、を唄う。感動する以外、何ができるだろう。

本当に、きれいで透明な、宝石のような楽曲である「蕾」。まるで、天使に捧げられたかのように、亡くなった人に届けとばかりに、この曲は、高く高く空へと上昇するイメージを孕んでいる。

この曲が描いたのは、限りない愛情。自分ではない者を命をかけて生かそうとする、大きな愛情への感謝と歓喜。

それが失われたことへの喪失感と、永遠に心の中に留めようとする誓いと。


「蕾」は、聴く者を「愛することのできる人間」へと還す。そんな楽曲だと思う。この曲を生み出してくれたコブクロは、本当にすごい。


追伸:この曲の「完全性」をさんざん強調した後でこんなことを書くと矛盾しているようだが、昨年末の「僕らの音楽」で演じられた「蕾」は素晴らしかった。ギタリスト小倉博和氏とのギター競演。ものすごく、沁みて、ぞくぞくした。コブクロの2人も、気持ち良さそうに演じていたなぁ。「蕾」の可能性がまた一つ開いたような、そんな感じだった。

(いつにもまして、支離滅裂。もっと伝わるように書きたいのだが。。。陳謝!)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする