二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

No.4 「どんな空でも」 ~終わりの向こうの、明日のうた~

2008-03-11 23:27:12 | 5296
アルバム「5296」の4曲目は、「どんな空でも」。

この曲は、ご存知の通り、NHKプレミアム10の特集でも、そのレコーディング風景が紹介され、コブクロがこの歌にこめた思いも、丁寧に語られていた。もう、語り始めたらきりがなくなる(爆)。

「どんな空でも」を聴いた時の感想。

「5296」の中で、「どんな空でも」は、新たな幕をあける役割を果たしている。
「蒼く 優しく」が「overture~theme(テーマ曲)」つまり、主題、だ。
「コイン」は、主題の提示の後の、展開。深刻な主題をひと時覆い隠す、平和で希望にあふれる一節だ。
「蕾」で、一気に、主題が劇的な変化を起こす。テーマ曲の流れを受けつつも、もっと根源的に深刻にテーマを描き、しかも、すべてを包括して、物語を一気に盛り上げ、集束させる。

つまり、「蕾」で、いったん楽曲は集束する。(なぜなら、そこで世界が完成するからだ。)そんな印象がある。

「どんな空でも」は、その後の曲だ。終わりの向こうの、新しい曲。明日の朝に夜明けの光が射すような、そんな歌だ。

「どんな空でも」の歌い出し。いかに裏でシーケンサーが鳴ってたとしても、リズムとってたとしても、あの黒田氏の自由な歌声に、小渕氏のコーラスが寸分違わぬタイミングで、少しのハーモニーのズレもなく、気持ちよく寄り添って伸びていく。あれは、すごい。「アナログ・デジタル」の本領発揮。なんで、あれ一緒に録音しなかったんだろう、と思うけど。お互い口みながら歌うのが楽だろうに。それとも、縛りなく黒田氏に歌わせて、それにどこまでもあわせられる、という小渕氏の自負なのか。難度どれだけ上げたら気が済むねん!ってくらい、あっけにとられた。(おいら音楽はド素人なので、全く見当違いのことわめいてる可能性が大です。お見苦しくてすんません。音楽関係者の方がいらしたら、笑って見て見ぬ振りしてやってください。。もしくは、「アナログ・デジタル」の真相を教えていただけたらありがたいっす(汗)。)

「どんな空でも」は、夜明けを思う歌だ。見えない青空を見上げる歌だ。空いっぱいに歌が広がり、どんどん勇気がわいてくる。そんな曲だと思う。

朝、この曲を聴くと、心に日が差したように、暖かくなる。
夕方、この曲を聴くと、生活に輝きが戻るように感じる。
夜、この曲を聴くと、この曲が語ろうとしないが含んでいる、奥の哀しみに感応して、泣きそうになる。
なんだか、ブラームスの「交響曲第1番」第4楽章を思い出す。なんでかなぁ。。。


ともに歌い、ともに手を握り、そうしてやっと、人は人らしくなっていく。
重なる合唱の厚みが、人間の歌になって、幸せそうに響いていく。

どこまでも真面目な「5296」。「どんな空でも」は、5296の世界に、新たな朝をもたらす、明星のような曲だ。

コブクロが、曲に込めたもの。目指すもの。それを想うと、果てしない気持ちになる。彼らは、どこまで高みを目指すのだろう。

ストイックに。がむしゃらに。したたかに。ひたすらに。

スタンダードと呼ばれる、数ある名曲達に似て非なるこの曲は、ちゃんと、この曲にしかない輝きをもって、独特の「スタンダード」として存在している。

あんな風に、楽しそうにレコーディングしてるんだもんなぁ。。。天才だよ。

いつにも増してまとまりませんが、「どんな空でも」は、とてつもない曲です。単純な曲だと思ってたら、痛い目に遭います(笑)。限りないリスペクトをこめて。
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「シリーズ激動の昭和~3月10日東京大空襲~語られなかった33枚の真実」

2008-03-11 00:44:53 | その他テレビ
TBS系で、やってましたね。

気付いたら始まってたので、最初の20分ぐらいは見れなかったんですが。


3月。いつのまにか、自分は1コ年を取っていて、、、それだけでも、果てしない感じがするのですが、63年前の今日は、東京の下町で10万人の一般市民が一晩で焼き殺されていた。同じ3月。

あの写真はどこかで観た記憶があるんだけど、逃げずにしっかり見つめたのは、きっと今日が初めて。カメラマン(警察官)石川光陽氏が記した、1945年の事実。10万人の命、、、生きながら焼かれた、一人一人の無念。

相対化や比較は、この際放棄します。

ただ、ただ、哀しかった。何も取り戻せないことも。誰も還らないことも。今、生きている被災者の人達の記憶の傷も。

仲村トオルは、いい演技してた。原田泰造も、酒井美紀も、竜雷太も、、、派手すぎず、でも、存在感があって、とてもよかった。

生存者の皆さんの証言が、「彼らが存在した」ことを妙に肌に近く感じさせて、その分、ドラマが身に迫って感じられた。どんなにか苦しかったろうに、カメラの前で語ってくれた、その人達の想いの強さに支えられて、この番組は、確かなメッセージをもった作品になっていた、と思う。

繰り返し、語られなければならない。いくら、時が経っても。何度でも。何度でも。繰り返し、語ることでしか、ぼくらが、彼らに寄り添う術は無い。

10万の、一人一人の命と。


やがて、ぼくらも還っていくのだけれど。それでも。むごたらしく生を断たれることは、もう、二度と、誰にとっても、あってはならない、はずなのだ。

自堕落で言い訳ばかりの人生の中で、それでも、誓うよ。小さな声だけど。ずっと。


「(生きながら焼かれ、逃げ場も泣く苦しみ抜いて亡くなった数多くの)遺体が折り重なっていて、ね。その上に、青い空が広がっていてね。。。」

絶句し、涙ぐんでその場から目をそらした、当時少年だったその人の中にある、永遠に消えない光景。亀戸駅前でそんなことがあったなんて、知らなかった。知らなかったけれど、そこで起きたことは、事実なんだ。愕然とし、呆然とする。


知ることは、第一歩。この間、絢香ちゃんが言ってたな。本当だ。知ること。知らなくては。何も始まらないんだ。

この番組を企画/制作してくれたスタッフ・キャスト・関係者全ての人に感謝したい。ありがとうございました。

忘れたくない。でも、忘れがちなおいら達のために、また、放送してください。お願いします。
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