アルバム「5296」の4曲目は、「どんな空でも」。
この曲は、ご存知の通り、NHKプレミアム10の特集でも、そのレコーディング風景が紹介され、コブクロがこの歌にこめた思いも、丁寧に語られていた。もう、語り始めたらきりがなくなる(爆)。
「どんな空でも」を聴いた時の感想。
「5296」の中で、「どんな空でも」は、新たな幕をあける役割を果たしている。
「蒼く 優しく」が「overture~theme(テーマ曲)」つまり、主題、だ。
「コイン」は、主題の提示の後の、展開。深刻な主題をひと時覆い隠す、平和で希望にあふれる一節だ。
「蕾」で、一気に、主題が劇的な変化を起こす。テーマ曲の流れを受けつつも、もっと根源的に深刻にテーマを描き、しかも、すべてを包括して、物語を一気に盛り上げ、集束させる。
つまり、「蕾」で、いったん楽曲は集束する。(なぜなら、そこで世界が完成するからだ。)そんな印象がある。
「どんな空でも」は、その後の曲だ。終わりの向こうの、新しい曲。明日の朝に夜明けの光が射すような、そんな歌だ。
「どんな空でも」の歌い出し。いかに裏でシーケンサーが鳴ってたとしても、リズムとってたとしても、あの黒田氏の自由な歌声に、小渕氏のコーラスが寸分違わぬタイミングで、少しのハーモニーのズレもなく、気持ちよく寄り添って伸びていく。あれは、すごい。「アナログ・デジタル」の本領発揮。なんで、あれ一緒に録音しなかったんだろう、と思うけど。お互い口みながら歌うのが楽だろうに。それとも、縛りなく黒田氏に歌わせて、それにどこまでもあわせられる、という小渕氏の自負なのか。難度どれだけ上げたら気が済むねん!ってくらい、あっけにとられた。(おいら音楽はド素人なので、全く見当違いのことわめいてる可能性が大です。お見苦しくてすんません。音楽関係者の方がいらしたら、笑って見て見ぬ振りしてやってください。。もしくは、「アナログ・デジタル」の真相を教えていただけたらありがたいっす(汗)。)
「どんな空でも」は、夜明けを思う歌だ。見えない青空を見上げる歌だ。空いっぱいに歌が広がり、どんどん勇気がわいてくる。そんな曲だと思う。
朝、この曲を聴くと、心に日が差したように、暖かくなる。
夕方、この曲を聴くと、生活に輝きが戻るように感じる。
夜、この曲を聴くと、この曲が語ろうとしないが含んでいる、奥の哀しみに感応して、泣きそうになる。
なんだか、ブラームスの「交響曲第1番」第4楽章を思い出す。なんでかなぁ。。。
ともに歌い、ともに手を握り、そうしてやっと、人は人らしくなっていく。
重なる合唱の厚みが、人間の歌になって、幸せそうに響いていく。
どこまでも真面目な「5296」。「どんな空でも」は、5296の世界に、新たな朝をもたらす、明星のような曲だ。
コブクロが、曲に込めたもの。目指すもの。それを想うと、果てしない気持ちになる。彼らは、どこまで高みを目指すのだろう。
ストイックに。がむしゃらに。したたかに。ひたすらに。
スタンダードと呼ばれる、数ある名曲達に似て非なるこの曲は、ちゃんと、この曲にしかない輝きをもって、独特の「スタンダード」として存在している。
あんな風に、楽しそうにレコーディングしてるんだもんなぁ。。。天才だよ。
いつにも増してまとまりませんが、「どんな空でも」は、とてつもない曲です。単純な曲だと思ってたら、痛い目に遭います(笑)。限りないリスペクトをこめて。
この曲は、ご存知の通り、NHKプレミアム10の特集でも、そのレコーディング風景が紹介され、コブクロがこの歌にこめた思いも、丁寧に語られていた。もう、語り始めたらきりがなくなる(爆)。
「どんな空でも」を聴いた時の感想。
「5296」の中で、「どんな空でも」は、新たな幕をあける役割を果たしている。
「蒼く 優しく」が「overture~theme(テーマ曲)」つまり、主題、だ。
「コイン」は、主題の提示の後の、展開。深刻な主題をひと時覆い隠す、平和で希望にあふれる一節だ。
「蕾」で、一気に、主題が劇的な変化を起こす。テーマ曲の流れを受けつつも、もっと根源的に深刻にテーマを描き、しかも、すべてを包括して、物語を一気に盛り上げ、集束させる。
つまり、「蕾」で、いったん楽曲は集束する。(なぜなら、そこで世界が完成するからだ。)そんな印象がある。
「どんな空でも」は、その後の曲だ。終わりの向こうの、新しい曲。明日の朝に夜明けの光が射すような、そんな歌だ。
「どんな空でも」の歌い出し。いかに裏でシーケンサーが鳴ってたとしても、リズムとってたとしても、あの黒田氏の自由な歌声に、小渕氏のコーラスが寸分違わぬタイミングで、少しのハーモニーのズレもなく、気持ちよく寄り添って伸びていく。あれは、すごい。「アナログ・デジタル」の本領発揮。なんで、あれ一緒に録音しなかったんだろう、と思うけど。お互い口みながら歌うのが楽だろうに。それとも、縛りなく黒田氏に歌わせて、それにどこまでもあわせられる、という小渕氏の自負なのか。難度どれだけ上げたら気が済むねん!ってくらい、あっけにとられた。(おいら音楽はド素人なので、全く見当違いのことわめいてる可能性が大です。お見苦しくてすんません。音楽関係者の方がいらしたら、笑って見て見ぬ振りしてやってください。。もしくは、「アナログ・デジタル」の真相を教えていただけたらありがたいっす(汗)。)
「どんな空でも」は、夜明けを思う歌だ。見えない青空を見上げる歌だ。空いっぱいに歌が広がり、どんどん勇気がわいてくる。そんな曲だと思う。
朝、この曲を聴くと、心に日が差したように、暖かくなる。
夕方、この曲を聴くと、生活に輝きが戻るように感じる。
夜、この曲を聴くと、この曲が語ろうとしないが含んでいる、奥の哀しみに感応して、泣きそうになる。
なんだか、ブラームスの「交響曲第1番」第4楽章を思い出す。なんでかなぁ。。。
ともに歌い、ともに手を握り、そうしてやっと、人は人らしくなっていく。
重なる合唱の厚みが、人間の歌になって、幸せそうに響いていく。
どこまでも真面目な「5296」。「どんな空でも」は、5296の世界に、新たな朝をもたらす、明星のような曲だ。
コブクロが、曲に込めたもの。目指すもの。それを想うと、果てしない気持ちになる。彼らは、どこまで高みを目指すのだろう。
ストイックに。がむしゃらに。したたかに。ひたすらに。
スタンダードと呼ばれる、数ある名曲達に似て非なるこの曲は、ちゃんと、この曲にしかない輝きをもって、独特の「スタンダード」として存在している。
あんな風に、楽しそうにレコーディングしてるんだもんなぁ。。。天才だよ。
いつにも増してまとまりませんが、「どんな空でも」は、とてつもない曲です。単純な曲だと思ってたら、痛い目に遭います(笑)。限りないリスペクトをこめて。