コブクロ 「陽だまりの道」
をレビューしようとしたんだが・・・
(以下、ちょっと寄り道)
訳あって、今日はテレビなんか見てるわけで。
NHK歌謡ショーの切り込み隊長、福田こうへいの「峠越え」に爆笑。
ネタか!?と思うぐらい、つかみがすごい歌詞だな、おい!
(酔っ払いな反応すんません(汗))
「先へ出過ぎりゃ 世間が叩く
遅れて歩けば 笑われる
あとに戻れぬ 人生は
苦労がまんの いばら道
義理はきっちり 命は熱く
夢が支えの 峠越え」
(以上 「峠越え」作詞 九仁京介 作曲 四方章人)
思わず爆笑しながら、営業カラオケでこの曲を歌う、振り切った感じの同業者の姿が
目に浮かぶ。(ありまへんか。)
リゲインの歌みたいだ(笑)
さて。
コブクロの「陽だまりの道」が明日発売です。
上述のGyaoのウェブサイトにて、美しいアコースティックバージョンの「日だまりの道」が無料配信中。
ぜひ、聞いてみてください。
なんてことはない、当たり前のことを歌っているのかもしれないけど。
最初、歌を聴いたとき、なぜか、涙がにじんだ。なんだか、わからないけど。
気を取り直して、歌詞カード読みながらもう一回聞いたら、
涙が出た。胸の奥がゆさぶられて、疲れた全身が、弛緩していくように感じた。
なんというか。(なんもいえねぇ、というのが、率直な感想なのだが。)
無理に言葉にするとしたら、それは、究極のハードボイルドの向こうに秘められた、限りないロマンティシズムというか、情緒、というものを感じてしまったせいかもしれない。
ブラック企業、ということばが、洒落になんかならないことは、知ってる。
でも、多かれ少なかれ、仕事という名のあれやこれやで疲れている人は多いわけで。
おいらも、そんな人達と、共感という名の絆で結ばれているつもりの(笑:これ、アインシュタイン博士のパクリね)一員なわけで。
ああ。なんもいえねぇ。
「陽だまりの道」は、バラの花だ。(唐突ですんません。)
そこにあれば、香る。見るだけで、果てしなく癒やされる。
そこにある哀しみも、愛しさも、棘も、虫も、緑の茎も、透き通った花びらも。
全てが、存在するだけで、何かを語る。
だが、その素晴らしさを説明することは、難しい。
歌そのものが、偉大なる隠喩であり、美しいその歌詞は、バラの花と同じように、美しく香りながら、もっと他のこと、棘や病気や死といった、限りない負の気配も、聞く者の目の前に、陽炎のように漂わせるのだ。
とてつもない辛辣な世の中を背負いながら、あえて、一切「それ」を歌わないことで、「それ」に傷ついた人々を癒やす、という離れ業をやってのけている、この曲。
この曲は、悲しい。この曲は、むなしい。そして、この歌は、非力な者の歌のようでいて、とても、まぶしい。
この曲ほど、守ろうという決意に溢れ、諦念の中でもがきながら、希望にしがみつく、「人」というあるべき姿の最後のひとかけらを、祈るように歌い上げている曲は、他にないだろう。
何も救えないからこそ、歌うんだよ。
そんな、コブクロの、透徹した視線を感じる。
ハードボイルド。
おいら、もう降参です。
というわけで。コブクロ「陽だまりの道」よろしく。前述のGyaoの動画、そのまま流してると、(CMは入りますが)コブクロの名曲メドレーになりますので、ぜひお試しあれ。
おいら、初めて「紙飛行機」とか「ダイヤモンド」のMV見て、びっくりした。新鮮だったな。
最後に。おおげさな感想、失礼。でも、こんな風に感じることも許容してくれる、コブクロの曲に感謝。
をレビューしようとしたんだが・・・
(以下、ちょっと寄り道)
訳あって、今日はテレビなんか見てるわけで。
NHK歌謡ショーの切り込み隊長、福田こうへいの「峠越え」に爆笑。
ネタか!?と思うぐらい、つかみがすごい歌詞だな、おい!
(酔っ払いな反応すんません(汗))
「先へ出過ぎりゃ 世間が叩く
遅れて歩けば 笑われる
あとに戻れぬ 人生は
苦労がまんの いばら道
義理はきっちり 命は熱く
夢が支えの 峠越え」
(以上 「峠越え」作詞 九仁京介 作曲 四方章人)
思わず爆笑しながら、営業カラオケでこの曲を歌う、振り切った感じの同業者の姿が
目に浮かぶ。(ありまへんか。)
リゲインの歌みたいだ(笑)
さて。
コブクロの「陽だまりの道」が明日発売です。
上述のGyaoのウェブサイトにて、美しいアコースティックバージョンの「日だまりの道」が無料配信中。
ぜひ、聞いてみてください。
なんてことはない、当たり前のことを歌っているのかもしれないけど。
最初、歌を聴いたとき、なぜか、涙がにじんだ。なんだか、わからないけど。
気を取り直して、歌詞カード読みながらもう一回聞いたら、
涙が出た。胸の奥がゆさぶられて、疲れた全身が、弛緩していくように感じた。
なんというか。(なんもいえねぇ、というのが、率直な感想なのだが。)
無理に言葉にするとしたら、それは、究極のハードボイルドの向こうに秘められた、限りないロマンティシズムというか、情緒、というものを感じてしまったせいかもしれない。
ブラック企業、ということばが、洒落になんかならないことは、知ってる。
でも、多かれ少なかれ、仕事という名のあれやこれやで疲れている人は多いわけで。
おいらも、そんな人達と、共感という名の絆で結ばれているつもりの(笑:これ、アインシュタイン博士のパクリね)一員なわけで。
ああ。なんもいえねぇ。
「陽だまりの道」は、バラの花だ。(唐突ですんません。)
そこにあれば、香る。見るだけで、果てしなく癒やされる。
そこにある哀しみも、愛しさも、棘も、虫も、緑の茎も、透き通った花びらも。
全てが、存在するだけで、何かを語る。
だが、その素晴らしさを説明することは、難しい。
歌そのものが、偉大なる隠喩であり、美しいその歌詞は、バラの花と同じように、美しく香りながら、もっと他のこと、棘や病気や死といった、限りない負の気配も、聞く者の目の前に、陽炎のように漂わせるのだ。
とてつもない辛辣な世の中を背負いながら、あえて、一切「それ」を歌わないことで、「それ」に傷ついた人々を癒やす、という離れ業をやってのけている、この曲。
この曲は、悲しい。この曲は、むなしい。そして、この歌は、非力な者の歌のようでいて、とても、まぶしい。
この曲ほど、守ろうという決意に溢れ、諦念の中でもがきながら、希望にしがみつく、「人」というあるべき姿の最後のひとかけらを、祈るように歌い上げている曲は、他にないだろう。
何も救えないからこそ、歌うんだよ。
そんな、コブクロの、透徹した視線を感じる。
ハードボイルド。
おいら、もう降参です。
というわけで。コブクロ「陽だまりの道」よろしく。前述のGyaoの動画、そのまま流してると、(CMは入りますが)コブクロの名曲メドレーになりますので、ぜひお試しあれ。
おいら、初めて「紙飛行機」とか「ダイヤモンド」のMV見て、びっくりした。新鮮だったな。
最後に。おおげさな感想、失礼。でも、こんな風に感じることも許容してくれる、コブクロの曲に感謝。