二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

「若者たち2014第8話~心折れて~」がすごい!

2014-09-06 23:03:07 | その他テレビ
「若者たち2014」の第8話「心折れて」をやっと観ることができた。
崖っぷち秒読みのくせに、しばしサボってる三月の風です(汗)。

すごかったなぁ。

「若者たち」を観て思うのは、とても「若者」的な視点で作られていると言うことなんだが、その「視点」をどう表現したらいいか、迷っていた。

今回観て思った。

そうなんだ。これだ。

若者にとって、本来「世界」は自分の身の周りしかなくて、(グローバルな時代とか盛んに大人は言っているが、経験のないことなど、身に迫って感じられるわけはなくて)、自分の家族とか、ごく親しい友人とか、意外と狭い中で生きている、っていう感覚。

旦(ただし)にとっては、狭い押し入れの中が自分の居場所で、その外の世界なんて、家族と香澄ちゃんと、、、後は「その他大勢」、それくらいだった、ということ。
(だから彼は、ネット流出の恐ろしさを理解できていない。彼自身にとって「その他大勢」は、現実味を持たない、感情も実感できない、のっぺらぼうみたいなものだから。そして、自分が被害者の立場になったら、という視点も持てない。まだ彼は、自己愛と自己否定の間を行ったり来たりする「彼自身」しか実感できていないから。)

そんな「若者特有の閉鎖的世界観」というのを思い出したのだった。
(あ、もう広いグローバルな視点を持ってる若者の皆さんもいらっしゃるのは知ってるからね。そういう方々まで一緒にするつもりはないよ。ごめんなさい。)

今回いきなり出てきた香澄ちゃんの両親。よかったなぁ。
彼らの存在がくっきりとしていて、ああ、さすがこのドラマは、人が生きてる感じがするなぁと思った。

(注:そろそろ白状するけど、ただいま絶不調につき、熱冷ましだの痛み止めだの薬物の世話になってますんで、相当にぼーよーとしてます(汗)思考力ねぇなぁ、、、いつもにも増して。)

旦(ただし)くんのかっこ悪さ、かたくなさ、勝手さ、弱さ、、、それらはすべて、人が避けては通れない「人間の性」のようなもので、「未成熟な情熱の身勝手さ」「傷つけられた自己愛を回復せんとする短絡的な復讐心」を発現したような描かれ方だった。

旦くんの闇に堕ちた(と言っては言い過ぎか)姿を見ているのは辛い。

そして、旦くんを見守り、心配し、その過ちとかたくなさに歯ぎしりしながら、手を必死にさしのべている彼の兄や姉の姿を見ていて、人が成長するために、何と多くの無償の愛が提供されているのだろう、と果てしない気持ちになった。

いや、どれだけ愛情を注いでも、通じないケースはある。旦くんは、兄ちゃん姉ちゃんの声に耳を傾けられただけ、幸運だったといえるかもしれない。

そうなんだ。若者ってこんなに危険で無様なものなんだ。
誰でも。

日頃は理性的に暮らしている人間が、未熟故に過ちを犯したり、道を踏み外したりする。その姿を、「若者たち」は描く。しかも、望んで非道を求めるわけではなく、自分なりに誠実に生きようとした者が、自分に誠実すぎて他者との関係を見誤るという、「ああ、もう!!おまえら!!!」的な脆弱な自己愛同士の不器用な関わりを見せつけてくれる。

七転八倒。日々反省。すごいドラマだ。

もちろん、ドラマを50分ドラマたらしめるためには、多少の割り切りや省略も不可避であり、そういう点があることは、おいらも否定しない。

それでも、今回、あの貴重な時間の中で、冒頭部分、ちゃんと主題歌部分を流してくれた演出は秀逸だと思った。

主題歌とともに現れては消える、いくつもの真剣な若者たちの表情。見ているうちに、様々なことを考えさせられる。

いつ迷い、いつ間違うか、誰にもわからない。それは大人だってそうだ。
でも、実際に間違えてしまったとき、人は、どこまでその人に手をさしのべられるだろうか。

今回、旦は取り返しのつかないことをしてしまった。
だが、彼は生き続けなければならない。償いながら。彼自身がもっと賢く優しくなって、彼と彼の傷つけた人々が幸せになる方法を探しながら。

それは苦しいことだ。彼が道理を理解し、賢くなればなるほど、彼は、自分のしたことの意味を深く知り、もっと苦しむだろう。だが、苦しさはリセットできないのだ。

なかったことにできないぐらいに間違えた後、どう生きるか。どう償うか。
(責任はとれない。どんな人にも、やってしまったことの回収なんかできないのだから。)

苦い苦い、若者の過ち。

それをドラマで描いてくれる。

親も。子どもも。若者も。旦から学ぶだろう。自分がどこで間違ってはいけないか。
親も。子どもも。若者も。旭から学ぶだろう。自分がどうやって家族に手をさしのべるか。

全身で迷い、悩み、考え、行動する旭の姿から、おいらも、改めて人の愛し方を問い直されたように感じた。
彼らのすることが正しい、とかではなくて、彼らのもがく姿から、いろいろなことを考えるきっかけをもらったように感じたんだ。

数年前に、メディアの功罪や人の優しさについてちょっと考えたことがある。(「時の翼よ、もう少し待って」っていう題の雑文なんだが。)

そこで自分はこう思っていた。

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1つ分かっているのは、行動しなければならない、ということ。優しくなって、強くなって、手を伸ばさなかったら、何も変わらない、ということ。冬の極寒の中で、動物も植物も生き続けるように。春は、必ずやってくる。春を、沈黙させないために、ぼくらは、もっともっと、強く優しくなりたい。熱を保ち続けたいんだ。
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間違いを責めるだけでは、人は変われない。
口をつぐんだ大人からは、子どもは学べない。

ドラマが、こんな風に、いささか原始的な手法ではあるけれども、人の過ちと、処し方を描いてくれるのは、今の若者のためにも、その若者を見守る大人のためにも、素敵なことだと思う。

言っておくが、現実だったら大変だよ!おいらだってこんなことが現実の身近に起きたら、なんて考えたくもない。だからこそ、ドラマで考えることが大事な感じがするんだ。

ああ、何か全然言いたいことが言葉にならん。

とりあえず言えるのは、「「中学生日記」の後を継げるのは「若者たち2014」だ!」ってことだなぁ。

あの、抜き身の刀みたいだった「中学生日記」(おいら、怖くてよう見れんかったけど(爆))の輝きを、「若者たち2014」のオープニングを観ているとなんだか連想する、中年なのでした。

いつにも増しての長駄文、すんません。
コメント
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