今日の休日のバッハは、マタイ受難曲と双璧をなすヨハネ受難曲の第58曲から、アルトのアリア、「すべてが全うされた」です。
このタイトルの「すべてが全うされた」については、このアリアの前段の第56曲のコラールあたりからの歌詞を見ないと意味が理解できません。(訳:服部幸三)
#56コラール
イエスは終わりの時まで すべてを心にとめ 母の身を思って 後見人をつくられた。
おお人よ、正義を行い、神と人を愛し、思い煩うことなく 死に臨みなさい。
#57レツィタティーフ
福音史家:
その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。その後、イエスは、すべてのことが了ったのを知って
聖書が成就するために言われた。
イエス:私は渇く。
福音史家:そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った入れ物が置いてあった。
そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。
イエスは、酸いぶどう酒を受けてから、言われた。
イエス:すべてが全うされた。
この後に続くのが今日ご紹介するアリアです。
#58アリア
すべてが全うされました。おお、悩み傷つく魂の慰めよ。うれいの夜に 終わりの時が近いのを覚えます。
ユダから出た君は、力強く勝ち、戦いを終わらせたもうたのです。すべてが全うされました。
#59
福音史家:そして頭をたれて、息を引き取られた。
このキリストの死を描いた聖書の物語をバッハはこのような音楽に仕立て上げております。何とも言えない素晴らしい曲です。途中の激しい旋律は歌詞の後半部分を表しております。
ところで、今日ご紹介するCDでは、このアルトはマイケル・チャンスという「カウンターテナー」によって歌われております。何故カウンターテナーをBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)が登用するのかよく分からないと以前に書きましたが、その理由の一旦がある程度分かりました。
BCJの鈴木雅明が使うカウンターテナーは、男性の声だとはっきりと分かります。それが筆者の感性をいわば阻害しておりました。ところが、今日のカウンターテナーは、CDの演奏者の説明書きを見ないと、男性だとは分かりかねます。何と魅力ある声のアルトだと思ってジャケットを見て、初めてカンターテナーと分かりました。
この曲のような深い悲しみを低いキーで歌うためには、男性の声帯の方が適しているのかも知れません。と言う訳で、カウンターテナーも曲により使い分ければ、女性のアルト以上の魅力を醸し出せることを発見したのは収穫。別のCDでもカウンターテナーと分からず素晴らしいアルトの歌声がありましたので、いずれご紹介したいと思います。(沢山のCDから見つけて取り出すのが難儀ですので、今日のところは諦めます。)
ところで、ヨハネ受難曲への聴き込み方は、筆者にとっては若い頃1年間飽きずに聴いたマタイ受難曲の数10分の1程度の時間しか費やしていないと思います。それは、マタイ受難曲がヨハネ受難曲の要素を全て持っていると考えているためです。2000円の天丼の味を知ってしまえば、500円の天丼をあえて食べる気がしないのと同じことです。
全ての音楽的な要素を持っているマタイ受難曲と比較するのは、どの曲にとっても酷ですが、それでもヨハネの中では、この曲ともう1つソプラノの曲だけは印象に残っており、好きです。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。
このタイトルの「すべてが全うされた」については、このアリアの前段の第56曲のコラールあたりからの歌詞を見ないと意味が理解できません。(訳:服部幸三)
#56コラール
イエスは終わりの時まで すべてを心にとめ 母の身を思って 後見人をつくられた。
おお人よ、正義を行い、神と人を愛し、思い煩うことなく 死に臨みなさい。
#57レツィタティーフ
福音史家:
その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。その後、イエスは、すべてのことが了ったのを知って
聖書が成就するために言われた。
イエス:私は渇く。
福音史家:そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った入れ物が置いてあった。
そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。
イエスは、酸いぶどう酒を受けてから、言われた。
イエス:すべてが全うされた。
この後に続くのが今日ご紹介するアリアです。
#58アリア
すべてが全うされました。おお、悩み傷つく魂の慰めよ。うれいの夜に 終わりの時が近いのを覚えます。
ユダから出た君は、力強く勝ち、戦いを終わらせたもうたのです。すべてが全うされました。
#59
福音史家:そして頭をたれて、息を引き取られた。
このキリストの死を描いた聖書の物語をバッハはこのような音楽に仕立て上げております。何とも言えない素晴らしい曲です。途中の激しい旋律は歌詞の後半部分を表しております。
ところで、今日ご紹介するCDでは、このアルトはマイケル・チャンスという「カウンターテナー」によって歌われております。何故カウンターテナーをBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)が登用するのかよく分からないと以前に書きましたが、その理由の一旦がある程度分かりました。
BCJの鈴木雅明が使うカウンターテナーは、男性の声だとはっきりと分かります。それが筆者の感性をいわば阻害しておりました。ところが、今日のカウンターテナーは、CDの演奏者の説明書きを見ないと、男性だとは分かりかねます。何と魅力ある声のアルトだと思ってジャケットを見て、初めてカンターテナーと分かりました。
この曲のような深い悲しみを低いキーで歌うためには、男性の声帯の方が適しているのかも知れません。と言う訳で、カウンターテナーも曲により使い分ければ、女性のアルト以上の魅力を醸し出せることを発見したのは収穫。別のCDでもカウンターテナーと分からず素晴らしいアルトの歌声がありましたので、いずれご紹介したいと思います。(沢山のCDから見つけて取り出すのが難儀ですので、今日のところは諦めます。)
ところで、ヨハネ受難曲への聴き込み方は、筆者にとっては若い頃1年間飽きずに聴いたマタイ受難曲の数10分の1程度の時間しか費やしていないと思います。それは、マタイ受難曲がヨハネ受難曲の要素を全て持っていると考えているためです。2000円の天丼の味を知ってしまえば、500円の天丼をあえて食べる気がしないのと同じことです。
全ての音楽的な要素を持っているマタイ受難曲と比較するのは、どの曲にとっても酷ですが、それでもヨハネの中では、この曲ともう1つソプラノの曲だけは印象に残っており、好きです。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。