今日の休日のバッハは実は別のものを考えていたのですが、ふと12月25日というのはクリスマスであるということを思い起こし、急遽、「クリスマス・オラトリオ」から1曲選んでお贈りすることにしました。
クリスマス・オラトリオのCDと言えば、2008年冬にドイツのライプチヒの聖トーマス教会での演奏会に行く前に購入し聴いた、ニコラス・アーノンクールのSACD盤が何といっても秀逸です。今も、その中からどの曲を選ぼうかと聴いておりますが、どれも素晴らしい演奏であり迷います。
話はがらりと変わりますが、先日テレビの録画用HDDの調子がおかしくなったので、初期化してから試しにBS放送の深夜の音楽番組を録画しました。たまたま録画されていたのはサラ・ブライトマンでした。この50歳のミュージカルからクラシックまで手がけるソプラノ歌手の名前は初めて聞いたのですが、日本でも色々なCFで流されており、筆者も聴いたことのある歌手でした。
ウィーンの聖シュテファン大聖堂でのライブ映像でしたが、最初は3オクターブもある彼女の独特の歌声に合わせたドラマティックな演奏に、夕食前のビールが入っていたせいもあり些か感動しながら聴いておりました。聴衆も1曲終わる度にブラボーを連発。
ところが、終盤に近づくにつれ段々と、その変化のない単調な歌声に感動の度合いが鈍り始め、最後はもういいや、といった感じになってしまいました。何故、そのような気分に陥ってしまったか?教会の音場のよい環境にもかかわらず、ずっとマイクを使い続けるのも変に感じましたが、それよりも何よりも、彼女の歌声に音楽に必要な精神性があまり感じられなかったということに尽きます。
折しも、その日のドラッカーの1日1語に、次のような文章を見つけました。
「救いたるものは万物への愛 すなわち精神的なものへの信仰である。」(変貌する産業社会)
つまり、サラ・ブライトマンの音楽には精神的なものへの信仰が欠けていたのです。もちろん、音楽に精神性など求めることが必須だとは考えておりません。それぞれが好きと思える音楽を聴けば良いのですが、ドラッカーが産業社会においても「精神的なものへの信仰」が救いと言ったことの意味合いは、リーマン・ショックに至る腐敗した欧米の金融業界のことを考える時、無視できないものがあります。せめて、多少なりとも「精神的なものへの信仰」が投資銀行の経営者に備わっていたら、これだけ世界の人々を苦難の淵に追い込むこともなかったろうにと思います。
その精神的なものに触れる機会がこの世には様々にありますが、芸術全般もその大きな機会です。筆者もバッハの音楽の精神性に若い頃から触れることが出来、そのことが例えば会社の中の仕事においても、「これは少しおかしい」と思うことを行うことへの自制心にどれだけ作用したことか。
さて、脇道に逸れてしまいましたが、クリスマス・オラトリオからの1曲は、やはり筆者が若い頃から印象深く聴いてきた第19曲のアルトのアリアにします。アルトはBernarda Finkという人です。1955年アルゼンチン生まれ。こういうお顔の歌手です。そういえばソロカンタータのCDのジャケットで見たことがある顔です。サラのような甘ったるいお人形さんのようなお顔ではありません。
歌詞は次のようになっております。
『眠りたまえ、わが尊びまつる者、安けき憩いを楽しみ、かくてのち、諸人の栄えのために目ざめたまえ!
汝を育む胸を力づけ、のびやかなる喜びを味わいたまえ、さらばわれらの心は喜びにはずまん!』(訳:杉山 好)
少々古臭い訳ですが、イエス・キリストの死後の安寧を願い、その後の復活を待望する曲のようです。
今年も終わりが近いのですが、何かと疲れた精神・身体が、多少なりともこの曲によって癒され、力づけられ、そして何らかの喜びと憩いを感じていただければ幸いです。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。
クリスマス・オラトリオのCDと言えば、2008年冬にドイツのライプチヒの聖トーマス教会での演奏会に行く前に購入し聴いた、ニコラス・アーノンクールのSACD盤が何といっても秀逸です。今も、その中からどの曲を選ぼうかと聴いておりますが、どれも素晴らしい演奏であり迷います。
話はがらりと変わりますが、先日テレビの録画用HDDの調子がおかしくなったので、初期化してから試しにBS放送の深夜の音楽番組を録画しました。たまたま録画されていたのはサラ・ブライトマンでした。この50歳のミュージカルからクラシックまで手がけるソプラノ歌手の名前は初めて聞いたのですが、日本でも色々なCFで流されており、筆者も聴いたことのある歌手でした。
ウィーンの聖シュテファン大聖堂でのライブ映像でしたが、最初は3オクターブもある彼女の独特の歌声に合わせたドラマティックな演奏に、夕食前のビールが入っていたせいもあり些か感動しながら聴いておりました。聴衆も1曲終わる度にブラボーを連発。
ところが、終盤に近づくにつれ段々と、その変化のない単調な歌声に感動の度合いが鈍り始め、最後はもういいや、といった感じになってしまいました。何故、そのような気分に陥ってしまったか?教会の音場のよい環境にもかかわらず、ずっとマイクを使い続けるのも変に感じましたが、それよりも何よりも、彼女の歌声に音楽に必要な精神性があまり感じられなかったということに尽きます。
折しも、その日のドラッカーの1日1語に、次のような文章を見つけました。
「救いたるものは万物への愛 すなわち精神的なものへの信仰である。」(変貌する産業社会)
つまり、サラ・ブライトマンの音楽には精神的なものへの信仰が欠けていたのです。もちろん、音楽に精神性など求めることが必須だとは考えておりません。それぞれが好きと思える音楽を聴けば良いのですが、ドラッカーが産業社会においても「精神的なものへの信仰」が救いと言ったことの意味合いは、リーマン・ショックに至る腐敗した欧米の金融業界のことを考える時、無視できないものがあります。せめて、多少なりとも「精神的なものへの信仰」が投資銀行の経営者に備わっていたら、これだけ世界の人々を苦難の淵に追い込むこともなかったろうにと思います。
その精神的なものに触れる機会がこの世には様々にありますが、芸術全般もその大きな機会です。筆者もバッハの音楽の精神性に若い頃から触れることが出来、そのことが例えば会社の中の仕事においても、「これは少しおかしい」と思うことを行うことへの自制心にどれだけ作用したことか。
さて、脇道に逸れてしまいましたが、クリスマス・オラトリオからの1曲は、やはり筆者が若い頃から印象深く聴いてきた第19曲のアルトのアリアにします。アルトはBernarda Finkという人です。1955年アルゼンチン生まれ。こういうお顔の歌手です。そういえばソロカンタータのCDのジャケットで見たことがある顔です。サラのような甘ったるいお人形さんのようなお顔ではありません。
歌詞は次のようになっております。
『眠りたまえ、わが尊びまつる者、安けき憩いを楽しみ、かくてのち、諸人の栄えのために目ざめたまえ!
汝を育む胸を力づけ、のびやかなる喜びを味わいたまえ、さらばわれらの心は喜びにはずまん!』(訳:杉山 好)
少々古臭い訳ですが、イエス・キリストの死後の安寧を願い、その後の復活を待望する曲のようです。
今年も終わりが近いのですが、何かと疲れた精神・身体が、多少なりともこの曲によって癒され、力づけられ、そして何らかの喜びと憩いを感じていただければ幸いです。
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。