今日の休日のバッハは、先週触れましたが、「ヨハネ受難曲」より、筆者が最も印象に残っているソプラノのアリアをお贈りします。
第63曲のソプラノのアリアの歌詞は以下の通りです。
『わが心よ、涙の潮におぼれなさい、至高者のほまれのために。
天と地に向かって、この歎きを語りなさい。
おまえのイエスは亡くなられたのです。』(訳:服部幸三)
この歌詞を知らずに、ただただ音楽にのみ聴き入っていた若い頃、それでもこの歌声の哀愁感のようなものに強く惹かれて印象に残っていたものです。今、こうしてイエスキリストの死への悲嘆の曲だと知って、惹かれた理由が納得できます。
ヨハネ受難曲はマタイ受難曲に比べてアリアの数が少なく、ソプラノのアリアもこれを含めてたったの2曲です。それは、ヨハネ福音書の記述自体の違いから来ております。バッハはヨハネ福音書の受難の物語の特徴である「裁き」の場面における群衆の叫びの激しさに焦点を当てて、合唱に重点を置いた作曲しております。
マタイ受難曲でも、バラバという極悪人とイエス・キリストのどちらを救うかと、総督のピラトから民衆はゆだねられて、「バラバ!!」と叫ぶ下りは何とも印象的な叫びとなっております。話は飛躍しすぎるかも知れませんが、このように民衆の叫びというのはその時代から必ずしも正しいとは言えないようです。民衆の叫びでナチス・ファシズム政権が生まれたとも言えます。
その民衆の叫びとやらだけを気にして選挙に勝ち、あわよくば大臣になって勲章を得ることだけを人生の目標にしているような政治家が、窮地に立ったイエス・キリスト(=日本)を救える筈もありません。しかし、そうした政治家を輩出してしまったのも、残念ながら今の日本の民衆です。
筆者の先輩故に擁護するわけではありませんが、仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置発言」も、国家というものはいつの時代でも、権力維持装置としての軍隊や官僚機構を擁しており、自衛隊も軍隊である以上そうした国家の権力を維持するための「暴力装置」であることは、学術的な観点からも世界では常識的な言い回しです。せめてそのことの知的理解が民衆の多数に浸透していれば、その発言を取り上げて問責決議をするという野党の行動にブレーキがかかる筈ですが、実際は(自衛隊員や家族が可愛そうという)国民の心情的な反発心におもねた政治家が優勢となってしまっております。
さて、話が脇にそれすぎましたが、指揮はフィリップ・ヘレベッヘ、ソプラノはバーバラ・シュリックです。
ついでながら、筆者はこの1988年録音のCDのバーバラ・シュリックのソプラノはあまり好きではありません。同じシュリックが歌うカンタータ68番が偶然にも今週届きました。レーベルも違い、録音時期も1996年です。何かの縁でしょう。こちらのシュリックの歌声は良い装置で聴くと歴然と差がでます。この際、両方とも紹介しろという神の声が聞こえてきそうですので、筆者も好きなこのアリアの歌声をついでにお聴き下さい。こちらはイエスの悲しみを払拭するための喜びに満ちた歌声となっております。指揮はクリストフ・コインです。歌詞は以下の通りです。
『わが心よ よろこび 歌え イェスはいます 去れよ 悲しみ
去れよ 嘆き わが イェス 近きに ましたもう』
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。
第63曲のソプラノのアリアの歌詞は以下の通りです。
『わが心よ、涙の潮におぼれなさい、至高者のほまれのために。
天と地に向かって、この歎きを語りなさい。
おまえのイエスは亡くなられたのです。』(訳:服部幸三)
この歌詞を知らずに、ただただ音楽にのみ聴き入っていた若い頃、それでもこの歌声の哀愁感のようなものに強く惹かれて印象に残っていたものです。今、こうしてイエスキリストの死への悲嘆の曲だと知って、惹かれた理由が納得できます。
ヨハネ受難曲はマタイ受難曲に比べてアリアの数が少なく、ソプラノのアリアもこれを含めてたったの2曲です。それは、ヨハネ福音書の記述自体の違いから来ております。バッハはヨハネ福音書の受難の物語の特徴である「裁き」の場面における群衆の叫びの激しさに焦点を当てて、合唱に重点を置いた作曲しております。
マタイ受難曲でも、バラバという極悪人とイエス・キリストのどちらを救うかと、総督のピラトから民衆はゆだねられて、「バラバ!!」と叫ぶ下りは何とも印象的な叫びとなっております。話は飛躍しすぎるかも知れませんが、このように民衆の叫びというのはその時代から必ずしも正しいとは言えないようです。民衆の叫びでナチス・ファシズム政権が生まれたとも言えます。
その民衆の叫びとやらだけを気にして選挙に勝ち、あわよくば大臣になって勲章を得ることだけを人生の目標にしているような政治家が、窮地に立ったイエス・キリスト(=日本)を救える筈もありません。しかし、そうした政治家を輩出してしまったのも、残念ながら今の日本の民衆です。
筆者の先輩故に擁護するわけではありませんが、仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置発言」も、国家というものはいつの時代でも、権力維持装置としての軍隊や官僚機構を擁しており、自衛隊も軍隊である以上そうした国家の権力を維持するための「暴力装置」であることは、学術的な観点からも世界では常識的な言い回しです。せめてそのことの知的理解が民衆の多数に浸透していれば、その発言を取り上げて問責決議をするという野党の行動にブレーキがかかる筈ですが、実際は(自衛隊員や家族が可愛そうという)国民の心情的な反発心におもねた政治家が優勢となってしまっております。
さて、話が脇にそれすぎましたが、指揮はフィリップ・ヘレベッヘ、ソプラノはバーバラ・シュリックです。
ついでながら、筆者はこの1988年録音のCDのバーバラ・シュリックのソプラノはあまり好きではありません。同じシュリックが歌うカンタータ68番が偶然にも今週届きました。レーベルも違い、録音時期も1996年です。何かの縁でしょう。こちらのシュリックの歌声は良い装置で聴くと歴然と差がでます。この際、両方とも紹介しろという神の声が聞こえてきそうですので、筆者も好きなこのアリアの歌声をついでにお聴き下さい。こちらはイエスの悲しみを払拭するための喜びに満ちた歌声となっております。指揮はクリストフ・コインです。歌詞は以下の通りです。
『わが心よ よろこび 歌え イェスはいます 去れよ 悲しみ
去れよ 嘆き わが イェス 近きに ましたもう』
いつものようにここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。