きのうの夕刊に児童文学作家の内田 麟太郎さんの文章が掲載されており、共鳴しましたので転載します。昨今 親が子供を殺傷するという事件が多くみられますが、内田さんはお子さんを無条件に愛してほしいといわれます。内田さんの生みの母親は内田さんが小学校に上がる前 5歳の時に亡くなられました。お父さんは戦前の炭鉱町で看板職人兼左翼文学者であられたとのこと。そのお父さんはお母さんが亡くなられてから10歳も若い女性と再婚されました。その継母は二人のお子さんを連れてこられ、また内田さんとの父親とに二人のお子さんができ、内田さんは男ばかり6人兄弟の長男になられたとのことです。ここから世間ではよくあることですが、内田さんの継母は実の子しかかわいがりません。弁当はなぜか、前妻の子供 内田さんと弟さんはおかずが少ない。内田さんは家にいるのがつらく早く死にたかった。死んで星になって母さんの隣に行きたかった。なのに夜空を見上げても、星が多すぎてどれが母さんかわからない。幼心に「死んでも会えない」と絶望的になりました。母さんの写真は一枚もありません。寂しくて悲しくて、孤立無援でした。十代後半は両親と目も合わせませんでした。家出と窃盗を繰り返し、鉄の棒で手当たり次第に物を壊して歩きました。映画もよく見ました。覚めるのがつらかったんです。愛されていないことを意識してしまうからです。<このところに私は今でも愛されていない少年、少女の多いことがわかります。>また内田さんの文章に戻りますが、内田さんは「看板職人になって帰り、継母を踏んづけてやる」と思い19歳で上京すると、優しい人と出会い、変わられました。うたた寝しているとそっと毛布を掛けてくれたり、夜遅く帰ると寝床に湯たんぽが入っていたり。経験したことのない温かさに包まれ、心がほぐされていきました。「虐待の連鎖」は人との出会いによって断ち切れます。人によってはその出会いが宗教や本かもしれない。僕は妻でした。結婚し、かわいい娘もすくすく育ち、四十歳を過ぎてやっと絵本で大きな賞をもらいました。みんなに囲まれてニコニコしているときに、急に悲しみの潮が襲ってくるんです。幼いころから心が安定することがなかったからでしょうね。幸せの絶頂にいるはずなのに、夢を見るんです。何もない原っぱにポツンと独り。寂しさの極限に目が覚める。体が震えて、涙が止まらない。
そんな状態から開放されたのは、ほんの十年前。七十歳近くなった継母が、まだボケる前、「りんちゃん、愛さなくてごめんね」と謝ってきたんです。不意をつかれながら、僕は「もういいよ」と答えました。憎しみも復讐心も薄れていきました。
娘が母になり赤ん坊を愛しそうに抱く姿を見て、幼子を残して死んでいった母さんの無念さに初めて思い至りました。母さんは「幸せになってね」「長生きしてね」と思ったはず。自殺なんて考えちゃいけなかったんです。絵本「かあさんのこころ」は母への詫びを込めた自伝です。
わが子の名前を呼ぶ。手をつなぐ。抱っこする。心配する。どれも、子どものころの僕がしてほしかったけどかなわなかったことです。母になるって、難しいことじゃないよー。絵本「おかあさんになるってどんなこと」には、そんなメッセージを込めました。
どの子も無条件に愛されてほしい。それが今の僕の一番の願いです。
内田さんの文章で私が思ったことは、人との出会いで人生が変わる。子供は抱っこされることにより愛情を感じる。特に「親に心配されたい」幼心に親が自分の事を心配してほしい。自分のことを何とも思っていない。それは悲しい。
私が子供の時は親が心配してくれると鬱としいと思ったものだが、親から心配されるってこれほど幸せなことはないという事を内田さんの文章から教えられました。
そんな状態から開放されたのは、ほんの十年前。七十歳近くなった継母が、まだボケる前、「りんちゃん、愛さなくてごめんね」と謝ってきたんです。不意をつかれながら、僕は「もういいよ」と答えました。憎しみも復讐心も薄れていきました。
娘が母になり赤ん坊を愛しそうに抱く姿を見て、幼子を残して死んでいった母さんの無念さに初めて思い至りました。母さんは「幸せになってね」「長生きしてね」と思ったはず。自殺なんて考えちゃいけなかったんです。絵本「かあさんのこころ」は母への詫びを込めた自伝です。
わが子の名前を呼ぶ。手をつなぐ。抱っこする。心配する。どれも、子どものころの僕がしてほしかったけどかなわなかったことです。母になるって、難しいことじゃないよー。絵本「おかあさんになるってどんなこと」には、そんなメッセージを込めました。
どの子も無条件に愛されてほしい。それが今の僕の一番の願いです。
内田さんの文章で私が思ったことは、人との出会いで人生が変わる。子供は抱っこされることにより愛情を感じる。特に「親に心配されたい」幼心に親が自分の事を心配してほしい。自分のことを何とも思っていない。それは悲しい。
私が子供の時は親が心配してくれると鬱としいと思ったものだが、親から心配されるってこれほど幸せなことはないという事を内田さんの文章から教えられました。