【がんがつなぐ足し算の縁】笠井信輔(22) 目覚ましい新薬開発
2022年11月1日
中日新聞の笠井信輔さんのエッセイ、「がんがつなぐ 足し算の縁」というタイトルで、ひと月に2回書かれている連載が載っていました。
2022年11月1日−22回目
不治のイメージ 変えてくれた
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「あの薬がなかったら、私は今ここにいないです」。
そうはっきり言うのは、がんになってから知り合った私のがん友です。
近年、がんに対する薬の開発は目覚ましいものがあります。
私の主治医も「笠井さん、ステージ4は手遅れという診断ではありません。
今、とても良い薬が開発されています」と明言しました。
その言葉通り、私の体からがんは消え(=完全寛解)社会復帰させてもらいました。
先生の言葉はうそではなかったのです。
ただ、そうはいっても、私の血液がん「悪性リンパ腫」は…。
人間ドックや健康診断では分かりにくいがんで、検査を始めてがんと分かるまで4カ月。
希少がんで患者数が少なく、いまだ原因不明のがん。
「交通事故に遭ったと思ってください」「ステージ4で通常の治療法では治りません」など、ネットで調べると長生きできないという記事ばかり。
しかも30年前、私の伯父は同じ悪性リンパ腫で、病気と分かってからわずか4カ月で天国へ…。
もう数え上げればきりがないほどマイナス情報しかない。
「なんて厄介ながんになってしまったんだ」と当時は悔しくて、他の種類のがんの方をうらやましく思ってしまう「隣の芝は青い」という変な精神状態になったりもしました。
ところがです!
今、がんの啓発活動をする中で出会ったがんの専門医の先生方は「抗がん剤が効くようになり、悪性リンパ腫は克服しやすくなった」と、異口同音に言うのです。
そんな話をいくつも聞くと、悪性リンパ腫のイメージが徐々に変わり、あきらめなくてよかった、と改めて思うのです。
冒頭の友人を救ったという薬は、2018年にノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑(ほんじょ・たすく)先生の研究から生まれたがん免疫治療薬「オプジーボ」です。
がんの再発を繰り返し、もうこれ以上治療方法がないと本人があきらめかけたところで、この新薬を使用できることになりました。
実は本庶先生がノーベル賞を受賞した時、日本ではこの薬は対象となるがんが限られていました。
日本の先生の研究で生まれた薬なのに不思議ですよね。
一般的には、新薬の承認には時間がかかるといわれています。
「がんはなるべく遅くなったほうがいいんですよ」と先生方が口をそろえて言うのはそういうこと。
この8月にも、悪性リンパ腫の新薬が承認されました。
かの友人もぎりぎりオプジーボに間に合ったんです。
普通は「急いだので間に合った」ですが、がんの場合は「遅かったので間に合った」ということになります。
ちょっと不思議な感覚です。
その友人は、「本庶先生に感謝を伝える会」に参加しています。
先生と一緒に写った写真を見せてもらいましたが、感動したそうです。
分かります。私も今は投薬も治療も何もしていません。
本当に先生方に、私を救ってくれた抗がん剤に感謝しています。
しかし、どなたが開発したのか、どの製薬会社の抗がん剤を使用したのかよく分かっていません。
「分かるのは薬の名前まで」という方がほとんどだと思います。
だから、すべての製薬会社のみなさんに、薬の研究開発に従事しているみなさんに、感謝を伝えたいのです。
みなさんの長年の努力の結果、命を戻していただきましたと。
次回は15日です。
かさい・しんすけ 1963年生まれ。フジテレビのアナウンサーとして情報番組「とくダネ!」などを担当。フリーになった直後の2019年、血液のがん「悪性リンパ腫」のステージ4と診断された。現在は、がんが体から消える「完全寛解」の状態。59歳。
以上です。
オプジーボは、いろいろながんに効くようです。
確か森元首相もオブジーボで助かったようです。
オブジーボは薬価が高いので、簡単には使えないのでは?
もっと安くなれば、がん患者さんのどなたにも使われるようになるのでは。
舟木一夫 ♪学園広場(昭和38年)