団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

今70歳、かみさんと一緒に暮らせるのは良くて10年くらいかな

2017-04-15 05:36:57 | 日記
 昨日の朝 3時半頃起きて、ブログを更新し、ブロ友のブログにコメントを書いたりして、5時頃再び床に入りました。
寝ていて、ふと「今70歳、かみさんと一緒に暮らせるのは良くて10年くらいかな、かみさんとの生活を大切にしなくちゃ。」と思いました。

 朝食を食べてかみさんが掃除を始めましたので、私はモップをかけました。
かけ終わってパソコンに向かっていました。
ネットのスポーツ・ニュースを見て、ダルビッシュが初勝利したんだと喜んでいました。

 今日は燃えるゴミの日です。
ゴミ袋が1つ玄関に置いてありましたので、1階のゴミ収集所へ持って行こうとしましたら、
「まだゴミがある」とかみさんが言いました。
靴を履いてしまっていたので、そのまま玄関先で待っていると、
「急かせないでよ!」とかみさんのクレーム。
別に急かせているわけではなく、靴を脱ぐのが面倒なのでそのまま玄関で突っ立てていただけです。

 二袋ゴミを収集場へ持って行き、家に戻るとかみさんが玄関前の廊下を雑巾掛けしていました。
廊下の間口が狭くて私が通る空きスペースはないので、やむなく玄関先でかみさんの雑巾掛けが終わるのを待っていますと、
「私、面倒だから立ち上がらないから」と言いましたので、
「別に、雑巾掛けが終わるのを待っている」と言いましたら、
「鬱陶しい人ね」。

 鬱陶しいと言われても困ります。
かみさんの思うようにはいきません。(苦笑)

「今70歳、かみさんと一緒に暮らせるのは良くて10年くらいかな、かみさんとの生活を大切にしなくちゃ。」
という、朝の思いは跡形もなく消え去りました。(苦笑)

 夫婦の思いって、どういう訳かすれ違いますね。








白いギター チェリッシュ 1973
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食事など一切合切、家のことはやっているようです。(苦笑)

2017-04-14 04:19:23 | 日記
 昨日の続きです。
朝 9時過ぎに携帯電話へ昨日連絡取れなかった片方の耳が聴こえない元同僚からメールが着ました。
「昨日 電話くれてありがとう」という文面でした。
早速 彼に電話しました。
突発性難聴で片方の耳が聴こえなくなったのですが、今も状況は変わっていないとのことでした。
毎週のようにJRが主催するウォーキング大会に出席しているとのことです。
ご近所の奥様も毎回のように出られるので、仲が良くなって昼の食事などはご馳走になるとのことです。
たまにこの奥様のご主人も出られることがあり、その時は食堂などを利用してるとのことです。
ご主人が出られたら、彼の分までは作らないでしょうね。(笑)

 朝のラジオ体操も毎日出るとのことで、ラジオ体操が終わった後、70〜80代のご婦人に
「コーヒーなどをご馳走になったり、もらい物も多い」と言っていました。
70〜80代の方は未亡人も多いようで、可愛がってもらっているようです。(笑)
私が「たまにはご馳走しなよ!」と注意しました。
独り者ですが、家も土地もあり、裕福です。
「孫に遺産をやりたい!」と言いますので、
「弟さんと妹さんに放棄するよう説得すればいいじゃないの」と言いましたら、
「二人はお金を持っているので、大丈夫」と言っていました。(笑)

 彼は「俺は11月で70になる」と言いましたので。
「〇〇ちゃん(彼の名前)は、昭和23年生まれじゃなかったの?」と言いましたら、
「そうだ」と言いました。
「昭和23年生まれは、来年の11月で70だよ」と言いましたら、
「あまり歳のことを考えないので間違えていた」と言いました。(笑)

 ご近所に彼より年下の元の会社の同僚がいます。
私より4歳ぐらい年下です。もちろん、私も知っています。
G君とします。
もちろん定年で会社を辞めて家にいます。
G君を含めて〇〇ちゃんと元の会社の同僚3人で奈良まで遊びに行ったそうですが、
夕方になると「俺、これから家へ帰る」と行ってG君は、自宅まで帰ってしまったそうです。
あとで聞いたら奥様の食事を作らなければいけないので、京都から新幹線に乗って帰ったそうです。
仕方がないので、翌日は残った2人で奈良見物をしたとのことです。

 なんでも食事・洗濯などすべての家事を、G君がやらなければいけないようです。
「どうして?」と私が訊きましたら、
どうも新婚時代、G君のお母さんと奥様と3人で、G君が買った家で同居を始めたそうです。
ところがお母さんが、奥様の料理を「まずい!」と毎回言われたので、奥様が同居を始めて2週間ぐらいで
家を飛び出してしまったそうです。
G君も奥様を追いかけて行ったそうです。

 その後、奥様のご両親の援助で、G君と奥様は近くに建売を買って住むようになったとのことです。
〇〇ちゃん(難聴の同僚)に言わせると、「それ以後、奥様は料理など一切やっていない」と言いました。

 ほんまかいなとも思いましたが、ありうるかもしれないと思いました。
新婚の奥様が作った料理を、毎回「まずい!」と言えば作らなくなるのもわかるような気がします。

 今はお母様とは絶縁状態で、〇〇ちゃんがG君に「お母さんは、どうされているの?」と訊いても、
「知らない!」というそうです。(苦笑)

 まだ奥様は現役で働いていらっしゃるとのことで、G君は家で小さくなっているそうです。
去年 G君が胃がんを手術した時も奥様は一度も来られなかったそうです。
娘さんが、入院した最初の日に来られただけとのことです。

 「替え着など、どうしたんだろう?」と私が訊きましたら、
「自分で洗濯したんじゃないの」と〇〇ちゃんが言いました。
「それじゃ、仮面夫婦じゃないか!」と言いましたら、
「それでもG君は楽しんでいるようだよ。」と言いましたので、
「マゾか!」と言いました。(苦笑)

 夫婦って、いろいろありますね。

 〇〇ちゃんに「また3ヶ月後に電話する」と言って、電話を切りました。







Cliff Richard - Lucky Lips
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大病を患った昔の同僚に電話をしました。

2017-04-13 03:59:37 | 日記
 1月に脳梗塞で倒れて今は車椅子の元の会社の同僚と脳梗塞から無事復帰した元同僚と突発性難聴で片方の耳が聴こえない元同僚に電話をしました。
あれから3ヶ月経ちましたので、どのような按配か1昨日の夕方に電話してみました。

 最初に車椅子の元同僚に電話しました。
奥様が出られましたので、取り次いでいただきました。
状態は変わらないようで、「毎日デー・サービスに行っている」との話でした。
寝返りが出来ないので、「しんどい」と言っていました。
片方の足が不自由なので、寝返りも大変なようでした。

 ちょっと元気がなかったので、
「〇〇さん(同僚の名前)はしっかりしているから大丈夫だよ、俺も椎間板ヘルニアで足の親指に
力が入らず親指を上げることができなかったが、1年ぐらい経った時、自然と治った。
人間って、自分で治す力があるよ」と、励ましました。
彼が「脳梗塞と椎間板ヘルニアでは違うよ」と言いました。(苦笑)

 彼の家は坂の上にあるそうで、車椅子では大変なようです。
元気な頃なら足腰の鍛錬になりますが、車椅子となると坂道は大変ですね。
運動も、ディ・サービスでの運動が主なようです。

 私の悪い癖で彼は私より1歳だけ年下なんですが、どうも上から目線で話しをしてしまいます。
反省しなければと、後で思いました。(苦笑)

 彼は何度も「ありがとう」と言ってくれました。
私の話は役に立たないですが、彼は電話をくれたことを喜んでいるように思いました。

 次に64歳の時に脳梗塞で倒れましたが、倒れて5時間後救急車に運ばれ
今はほとんど後遺症のない元同僚に電話をしました。
 彼は元気で「明日はゴルフへ行く」と言ってました。
ゴルフのメンバーを聞くと、元の会社の同僚ばかりで、私も全員知っている人でした。
「月に2度ぐらいゴルフに行く」と言っていました。

 彼は「1日2食は自分で食事を作っている」と言っていました。
立派なもんです。
ただ「炊飯器と電子ジャーを洗うのが面倒だ」と言いましたので、
「炊けたご飯を冷凍しておいて、電子レンジで温めれば、電子ジャーは必要ないだろ」と言いましたが、
「電子ジャーの方が温かい」と言いました。
私は納得できませんでしたが、彼には彼のやり方があるのでそれ以上はこの話に触れませんでした。

 彼は独り者なので、朝 目がさめると「今朝も無事目が覚めたと思う」と言っていました。
そうなんだ!
独り者はそんなことを思うんだと思いました。
私なんて目が覚めて当然だという気持ちですが、ちょっと考え直さなくてはいけないですね。(苦笑)

 その後、突発性難聴で片方の耳が聴こえない元同僚に電話しましたが電話に出ませんでした。
留守録に吹き込んでおきましたので、そのうち電話がかかってくると思います。

 彼ら元同僚に、3ヶ月に1度様子伺いの電話をしようと改めて思いました。


 明日へ続く





20歳のめぐり逢い  シグナル 新
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こんな会社に勤めたい!

2017-04-12 04:09:40 | 日記
 先日ネットを見ていましたら、
「亡くなった社員の子まで会社が面倒を見る理由」というタイトルの記事が載っていました。



……こんな会社が東京・西早稲田にあるのをご存じだろうか?
現役社長の傍ら、日本経営合理化協会、松下幸之助経営塾、ダイヤモンド経営塾から慶應義塾大学大学院ビジネス・スクールまで年50回講演する
日本レーザー社長、近藤宣之氏の書籍『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』が発売早々に重版となった。
なんと、政府がこれから目指す施策を20年以上前から実践している小さな会社があった! 「7度の崖っぷち」からの大復活! 一体、どんな会社なのか?


● 会社が存在する最大の理由

 本書『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』詳しく紹介しますが、私は「雇用を守る」ことこそ、
会社が存在する最大の理由だと思っています。

 社員が、育児や介護、病気などで満足に働けない場合は、短時間労働や在宅勤務に切り替え、なんとしてでも雇用は守ります。

 「雇用を守られる安心感があるからこそ、社員は一所懸命働くことができる」
 というのが、経営者としての私の哲学だからです。

 今の日本では、2人にひとりがガンを患う時代です。
 私も、47歳のとき、大腸ガンを経験しました。

 新たにガンになる人の4割は仕事をしていますが、そのうちの4割は会社を辞めざるをえない状況に陥っています。

 日本レーザーの中には、腎臓が両方ともない社員や、ガンと闘う社員もいます。

 これまでにガンを患った社員は4人。残念ながら、そのうち3人は亡くなりましたが、病気を理由に肩をたたくことはありませんでした。

 この4人には、闘病中も在宅勤務など、働きやすいスタイルで仕事を続けてもらいました。

 病状が進行し、働けなくなったときも、欠勤扱いにはしません。
 雇用が守られているからこそ、治療に専念できるからです。

 実際には仕事をしていなくても、「仕事をしている」とみなして、給料や賞与を通常どおり払い続けたのです。

 当社の社員だった方(ほう)は、中国出身の女性です。
 彼女は非常に早い段階で幹部になり、次長として将来を嘱望される人材でした(2012年に夫と息子とともに帰化)。

 私やほかの社員と一緒に中国へ出張し、蘇州でご両親とも会食したのですが、帰国直後に膵臓ガンが見つかり、余命2ヵ月の宣告を受けてしまいます。

 すぐに在宅勤務に切り替え、「療養することがあなたの仕事だ」と伝え、欠勤にはせず給料を払い続けました。

 しかし、とても残念なことに、方は宣告されたどおりに、2ヵ月間の闘病後、2016年、42歳の若さで亡くなりました。

 彼女には、8歳の息子(Yくん)がいるのですが、現在、大阪支店では、週に一度、Yくんを預かっています。

 学校が終わってから父親が迎えにくるまでの間、Yくんは、母親が使っていたデスクに座って自習をしています。社員が算数を教えることもあります。

 病気で働けなくなった社員に給料を支払っているのも、亡くなった社員の子の面倒を見続けているのも、日本レーザーが、

 「社員を主語にする会社」=「人を大切にする会社」

 だからです。

 社員の中に、「何があっても、どんな状況に陥っても、この会社は自分と家族を守ってくれる」という実感があるからこそ、
安心して力を発揮できる。私はそう思っています。


近藤 宣之(Nobuyuki Kondo)
株式会社日本レーザー代表取締役社長。1944年生まれ。慶應義塾大学工学部卒業後、
日本電子株式会社入社。28歳のとき異例の若さで労働組合執行委員長に推され11年務める。
そこで1000名のリストラに直面した後、取締役米国法人支配人、取締役国内営業担当などを歴任。
1994年、その手腕が評価され、債務超過に陥り、主力銀行からも見放された子会社の株式会社日本レーザー代表取締役社長に就任。
人を大切にしながら利益を上げる改革で、就任1年目から黒字化させ、現在まで23年連続黒字、10年以上離職率ほぼゼロに導く。
社員数55名、年商約40億円の会社ながら、女性管理職が3割。2007年、社員のモチベーションをさらに高める狙いから、
ファンドを入れずに役員・正社員・嘱託社員が株主となる日本初の「MEBO」(Management and Employee Buyout)を実施。
親会社から完全独立する。現役社長でありながら、日本経営合理化協会、松下幸之助経営塾、ダイヤモンド経営塾、
慶應義塾大学大学院ビジネス・スクールなどでも講師を務め、年間50回ほど講演。その笑顔を絶やさない人柄と、
質問に対する真摯な姿勢が口コミを呼び、全国から講演依頼が絶えない。
東京商工会議所1号議員。 第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の「中小企業庁長官賞」を皮切りに、
経済産業省の「ダイバーシティ経営企業100選」「『おもてなし経営企業選』50社」「がんばる中小企業・小規模事業者300社」、
厚生労働省の「キャリア支援企業表彰2015」厚生労働大臣表彰、東京商工会議所の第10回「勇気ある経営大賞」、
第3回「ホワイト企業大賞」など受賞多数。
【日本レーザーHP】 http://www.japanlaser.co.jp/ 【夢と志の経営】 http://info.japanlaser.co.jp/


以上です。


 昔は何としても雇用を守るという会社が多かったように思います。
それだから社員も安心して会社に勤めることができ、愛社精神も育まれたと思います。
今はこの(株)日本レーザーのような会社は少ないでしょうね。
こんな会社に勤めたいです。(笑)

 私が勤めていた会社は、毎年リストラをしているようです。(苦笑)
会社が傾いているならまだしも理解できますが、年度の利益を出したいとして毎年リストラをするようです。
どうしてリストラが利益を生むのか私には理解できませんが、会計上利益が生まれるんでしょうか?
例えば人件費が少なくなるという効果で?

 リストラしておいて、愛社精神を求める。
こんな矛盾したことを言う経営者がいます。
今の東芝の経営者も愛社精神を社員に求めているように思えます。
自分たちの経営の失敗を社員に押し付けて大規模なリストラをしているのに。
リストラをしているのに、新卒の採用を考えているようです。
これじゃ、リストラされた人間が浮かばれない。
また新卒で東芝へ入りたいと思う学生がいるんでしょうか?

先日テレビで見た「リーダーズ」。
トヨタ自動車創業者、豊田喜一郎さんをモデルにしたドラマ。
このドラマには、感激しました。
1600人の人員整理を何としても阻止しようとした社長の姿。
こんな経営者なら、社員も喜んでついていくでしょうね。
リストラと言う言葉が世間に広がってから、雇用を守ろうとする経営者が少なくなったように思います。(苦笑)
昔は家族的な雰囲気で、雇用を守ろうとする会社がたくさんあったような気がします。









H264-07 ほおずき (1976.4.5 長崎市民会館 グレープ解散ライブ収録)
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誕生日プレゼントの帽子を買ってもらいました。(笑)

2017-04-11 05:13:26 | 日記
昨日は、私の誕生日のお祝いの帽子を買いに、JR名古屋高島屋へかみさんと行きました。
もちろんかみさんのおごりです。(笑)
誕生日祝いの食事は、以前ご馳走になりました。

 売り場が一昨年と変わっていましたので、お店を見つけるのに苦労しました。
私は頭が大きいので、Lサイズです。
良い帽子だと思いますとMサイズですので、あれこれ女性店員さんに帽子を見せてもらいました。



サイズは59で、綿で出来ているハンチング帽にしました。
これなら夏も使えそうです。(笑)
昼近くになりましたので、名古屋地下街で食事しました。
JRゲートタワーが4月に開業しましたが、エレベーター前に列をなしていましたので、
これは当分ここでの食事は無理と思い、やめました。
地下街にある定食屋さんに入りました。


私はステーキ定食を食べました。
とても薄い肉でしたが、味は良かったです。(笑)

 かみさんがデパートめぐりをするというので、私は別の地下街にあるコメダで待つことにしました。


 今日は新聞休刊日でしたが、さすが名古屋駅ですね。
今日のスポーツ新聞がありました。
駅売りのスポーツ新聞なのかな。
1時間ぐらいスポーツ新聞と雑誌を読んでいますと、かみさんから買い物が終わったと
電話が入りましたので、1FJR名古屋駅にある金の時計の場所へ向かいました。
名古屋駅にある金の時計の場所は、待ち合わせ場所で有名です。(笑)

かみさんとJR名古屋高島屋地下1階にあるグラマシー・ニューヨークのケーキ屋さんへ
寄りました。
どれも美味しそうでしたが、私はイチゴのショート・ケーキにフルーツ・ケーキ。
かみさんは同じくイチゴのショート・ケーキにチョコレート・ケーキを買いました。


 3時すぐに家に着きました。
早速イチゴのショート・ケーキを食べました。(笑)

 帽子のプレゼントも、名古屋で買うと高いものにつきますね。(笑)








すてきな16才/ニール・セダカ
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