ぺんぎんさんとおっしゃる方のブログ『ぺんぎんの台所から』から、記事を紹介させていただきます。
その1【8.6ヒロシマー広島・平和の夕べー 近藤紘子さんとABCC】 8月13日
本当に盛りだくさんのイベントだった。
小出さんのお話の後に、ドイツ『緑の党』の方がスピーチをされた。
「ドイツも日本と同じように、原子力ムラが、メディアや経済、政治を牛耳っていたけれど、
市民の力でそれを変えることができたのだから、日本だってきっと出来る!」という力強いお話しだったが……、
そんな風に言われて、明日にでも世の中が変わる!なんて思えない。
ドイツは原爆落とされなかったじゃないさ、と、ちょっと冷めた頭で聞いていた。
ドイツ人のゴツいオバちゃんの後に演台に立ったのは、最前列のわたしからは、演台の影に隠れて顔が半分くらいしか見えない、小柄な女性だった。
わたしは正直、被爆者の体験談なんかあまり聞きたくない。
戦争はいけない、核兵器はけしからん、というのは当たり前のことだもの。
まるで、落合恵子さんのような語り口。
この方は、生後8ヶ月で被爆なさったのだから、原爆の日の話はされない。
子供の時に、髪を梳いてくれて、優しくしてくれたお姉さん(自宅の教会に出入りしていた被爆者)たちの畏敬、原爆を落としたパイロットへの恨み。
わたしは、被爆者にABCC(現放射線影響研究所)が何をしたのかということを、
小出さんの講演では、「治療は一切せずに調査だけした」と語られ、
肥田瞬太郎さんの映画『核の傷』で語られ、
福島菊次郎さんの写真、『郷地秀夫さんのお話』では、被爆死した者の80%を解剖して、サンプルを取ったという話を聞き知っているだけで、
実際に、ABCCでの検査に通っていた、という話を聞いたのは初めてだった。
近藤さんは、あの日のことを忘れようとしていた。
ABCCからは、毎年呼び出しがある。
特に、子供のデータが欲しかったらしい。
ABCCに行くと、着ているものを全部脱いで、ふんどしのような下着に、木綿のガウンのようなものに着替えさせられる。
名前を呼ばれて、元気良く返事をすると、「こっちへ来い」と呼ばれる。
そこは、講堂のような大きな部屋で、人がたくさん集まっているのは分かる。
だが、ステージの上にいる近藤さんには、強いライトに照らされていて、観客の様子はわからない。
が、各国の言葉が聞こえるので、世界中の“お医者様”が集まっておられるのだろう、と思った。
舞台の真ん中に立って、服を脱げと命令される。
彼女の後ろには、10センチ方眼のボードがあり、その前に立たされる。
膨らみかけた胸を隠すことも出来ず、涙を落とす。
「あの日、広島にいただけなのに、どうしてわたしは、こんな目にあわなければいけないの?」
それほど長い時間じゃなかったかもしれない、とおっしゃる。
だけど、この経験から、彼女は広島を逃げ出すことになる。
高校は東京に、大学はアメリカに。
彼女のデータは、30センチほどの厚さがあったらしい。
チェルノブイリ事故の後に、そのデータが、かの地で治療に活かされた、と語っておられた。
ICRP(国際放射線防護委員会)は、原発推進側が作った組織だと言われているが、日本政府も、ICRPの勧告に従って、一般公衆の被爆限度は年間1ミリシーベルト、と決めている(た?)。
緩いと言われるICRPの基準は、どこから得られたデータかというと、
ABCCが、広島や長崎の被爆者を、一切の治療もせずに毎年呼び出して、放射線を当てたり、何だりと検査だけし、
被爆死した人の80%を、解剖して得られたデータだ。
だって他に、こんなに分かり易く放射線に当たった人が、大量にいるところなんかないんだもの。
世界で初めて落ちたウラニウム型の原爆は、広島で、世界で一番最初に落ちたプルトニウム型の原爆が、長崎なんだから。
こんな風に、少女の心に深い傷を残し、死者を冒涜して得られたデータ、一般公衆の被爆限度量というのは、
なんとしても死守しなければいけないんじゃないか?
福島で、「子供も含めて20ミリまで何の問題もないですよ」と言いながら、癌の病院を建てるだのなんだの、オカシな話じゃないか?
広島のABCCに、モルモットにされた人たちは、どうして声をあげなかったんだろう?
チェルノブイリの時に、本当に、近藤さんの資料は活かされたんだろうか?と、疑問に思う。
だって、チェルノブイリに、国連の代表として、重松だかなんだかという人が広島から出掛けて行って、
「放射線の影響はみられない」とかなんとか、報告したというではないか。(注1)
実際に調べて、問題提起をしているのは、市民グループだったんじゃなかろうか?
福島の20ミリというのは、除染したとしても、これ以上下げるのは無理だから、20にしておこう、ということらしいと何かで読んだ。
田中俊一の発言かなにかだったと思う。
正直でよろしい。
だけど、20ミリというのは、放射線業務従事者の限度量だろう。
子供はそもそも、無理じゃないか。(注2)
1年間1ミリシーベルトを守れ!と言われると、政府は困るらしい。(注3)
なぜなら、大量に移住させなければいけないから。
ならば、移住させればいいじゃないか、補償すればいいじゃないか。
東日本を諦めるのが嫌なのと、人を再びモルモットにするのとは、話が違うと思う。
考えてみてほしい。
一般公衆の被爆限度量、年間1ミリシーベルトという数字が、どうやって得られたものか。
広島と長崎の、たくさんの被爆者の苦しみ、悲しみ、恥辱という、犠牲の上に得られたもので、
研究室の電卓で、はじき出されたものじゃないってこと。
近藤さん、貴重なお話、ありがとうございました。
以下(↓)のふたつの記事は、以上(↑)の記事の中に書かれている『核の傷』と『郷地秀夫さんのお話』です。
『核の傷』 5月21日
夫が、今日しか時間がないというので、『核の傷』という映画を観に行ってきた。
肥田先生の講演はustで見てるし、岩上安身さんのインタビューも2本聞いているし、ご著書も読んでいるので、大体の話は知っていると思っていた。
大きく違うのは、ABCCが、広島長崎の人たちに何をやったか、記録映像付きで説明される。
この監督は、フランス人なのだけど、よくこれだけの映像を探してきたものだ。
被爆後の、ガレキの広島市。
ガレキの中から、金目のものを探して拾う原爆浮浪児。
バケツに入れられた、胎児のホルマリン漬け。
被爆者の身体から取り出された、ホルマリン漬けの瓶。
一切の治療をせずに、経過だけ調べて、死者の遺体は切り刻み、全て標本にし、
はじめのうちは、遺体の腹の中にワラクズなどを詰めて、遺族に返していたけれど、それもだんだんと返さなくなり、焼いたんだか埋めたんだか。
ABCC研究が、被曝治療の、いったい何に活かされたのか?
権威に騙されちゃいけない。
映画の後に、アップリンク製作の、肥田さんの講演のオマケがついている。
被曝はもう、仕方がない。
身体に入った放射能は、取り出すことは不可能だから、病気が出ないように気をつけなければいけない、とおっしゃる。
その過程で出て来る“ブラブラ病”は仕方がないと。
で、病気にならない生き方というのは、
・早寝早起き
・三食決まった時間に腹八分目に食べる
・30回噛む
・朝ちゃんとトイレに行く(トイレに座ると、スポンと出るような人は、ちゃんとした生活をしていることになる)
・身体を動かす
つまり、普通の健康法だ。
福島事故がなくても、大気中核実験やらチェルノブイリやらで、核の傷から逃れられる人はいない。
放射能は、身体を老化させるのだという。
肥田さんも、40歳になる前に腰痛になって、「ああ、放射能の影響が出てきた」と思ったらしい。
骨が老化すると、腰や膝が痛くなるという。
老化なら、ナチュラルハイジーンにはお馴染みの相手だ。
放射能だと考えずに、ナチュラルハイジーンと適度な体操をセットでやって、気をつけてわざわざ汚染されたものを食べなければ、かなり防ぐことができるのだと思った。
わたしは、癌で死ぬのはまあ、仕方がないように思っている。
癌は、脳梗塞のように、生きたまま思考や身体の自由を奪わないで、期限付きの自由を与えてくれる病気なので、優しい病気だと思う。
それでも、肥田さんは、ご自分の患者を、癌死から守っている。
きちんと生活しなさい、という指導をして、患者さんを守っておられる。
きちんと生きればいいということだ、と、この映画は、肥田さんは、教えてくれる。
それにしても、原爆被爆者がどんな目にあってきたのか……知らなければ、また同じ目に合います。
機会があれば、是非ご覧になってください。
映画『核の傷』
『放射能汚染と医療』@神戸 5月13日 郷地秀夫さん編
神戸でのフォーラムの続きです。
小出さんの発表に続いて、広島出身で、長年兵庫県で、広島・長崎の、原爆被爆者の治療に当たっておられる、郷地さんのお話です。
兵庫県には、約4700人の、原爆被爆者がお住まいなのだそうです。
ICRPの、放射線被曝の基準はすべて、広島・長崎の、原爆被爆者のデーターから作られているのだそうです。
つまり、平たく言えば、広島と長崎の人の、人柱の上に、今の一般人年間1ミリシーベルト、
放射線業務従事者年間20ミリシーベルト、という基準が決められたってことですね。
そうやって考えたら、1ミリシーベルトの基準は、どんなことがあっても、死守しなければいけないラインのように思えてきますが、
とんでもない事態になっている、ということです。
そういえば、広島でも、
「10ミリくらいはいいんだ。少々浴びた方が健康にいい」などと、放射能の研究者などが口走っているというウワサを耳にしますが、
よくそんなことが言えるものです。
話がそれてしまいました。
郷地先生は、「小出さんの話とは違う」と、最初におっしゃいます。
小出さんは、原子炉から、被曝の問題を見ている。
郷地先生は、原爆被爆の立場から、今回の原発事故を見ているので、ちょっと見方が違うとおっしゃっていた。
なるほど。
さて、ICRPが論拠としている、広島長崎の被爆者のデータが、どうやって集められたか、
それは先日記事にした、『核の傷』でも詳しく語られるけれど、郷地先生は、すごいデータを教えて下さった。
ABCCは、被爆者の遺体を集めて解剖していたのだけれど、その割合がすごい。
「家で死んだものの80%、病院死の100%を解剖した」
つまり、解剖されずに済んだのは、たったの20%だったってことだ。
家族は喜んで、「研究のため」と、ABCCに遺体を渡したのだろうか?
そんなことはない。
あるものは、葬儀の費用にも事欠いていただろうし、あるものは脅されて、遺体を差し出したのだろう。
わたしは広島に住んでいるけれど、こんな話はだれからも聞いたことがない。
わずかに、映画や、菊次郎さんの著作から、窺い知るだけである。
写らなかった戦後 ヒロシマの嘘 写らなかった戦後 ヒロシマの嘘
(2003/07)
福島 菊次郎
さて、郷地先生の話は、内部被曝と外部被曝の違いなどについて語られるけれども、
この講演の数日前に、新しい研究成果が発表されて、それについての話が主なものとなった。
それは、米国放射線影響学会の公式月刊学術誌 Radiation Research誌の第14報、ex-skfさんのサイトで要約されています。
放射線の癌死への影響に、しきい値はないんじゃないかな?
でも、よくわかんないけど、直線グラフを書けなくもないんだよね。という曖昧な感じだったのが、
やっぱり直線グラフになったから、しきい値はないってことですよ、ということが、発表された報告だったのです。
だから、郷地先生は、大変ホットに、この問題について語って下さいました。
そして、被曝による癌の影響ですが、長い長い時間がかかります。
今、被爆後67年ですが、癌死は、これから本格的に増えて行くのだといいます。
うーん……、ということは、今67歳の人は、乳児の時に被曝してるわけで、それより若い人は、胎児の被曝か、被曝2世になるわけで、
67歳以上の人も、これから癌で死んでゆくのだろうけれど、それは被ばくと関係があるかどうかよくわからないけれど、
被ばくしてない人に比べたら、優位に癌死が多い、ということになるんだろう。
でも、広島・長崎の人でなくても、癌になるのは予定してるんじゃなかろうか?
それは、原発事故もあるし、大気中核実験もあるし、原発の運転もあるので、だれしもが核の傷を受けているわけだから。
それでも尚、癌死が多いとすれば、やはり大変なことなのだと思う。
そういう郷地先生は、「福島は福島!他とは比較できない」と強くおっしゃる。
広島はピカーっときたけれど、絶対量も少なかったし、キノコ雲で成層圏に吹き上げられたものが多かった。
チェルノブイリとも違う。(格納容器がなかったからか?)
東海村の臨界事故ともちがう
これから何が起こるのか、全力で見守って行かねばならない、と。
なんかお話しが大変に内容が濃く、また重かったので、上手にまとめられませんでした。
以上、転載終わり。
以下↓の(注)は、わたしが個人的に付け加えました。
*注1
1991年5月:国際チェルノブイリプロジェクト報告会
放射能汚染対策を求める運動に、手を焼いたソ連政府が、IAEAに対し、「調査と勧告」を求めた。
重松逸造委員長のもと、国際チェルノブイリプロジェクトが、1年間の調査を行い、「汚染に伴う健康影響は認められない」とされた。
ベラルーシやウクライナの、専門家の抗議は、無視された。
*注2
東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授は、すでに、2010年に刊行された、金子勝氏との共著(『新興衰退国ニッポン』講談社、2010年)で、
「他の国では、100万人の子供に1人しか発症しないはずの小児甲状腺ガンに、4000人以上の子供が次から次へと罹患しているにもかかわらず、
世界から集まった研究者は、「この地域での甲状腺ガンの発生と、チェルノブイリの事故の関係を示す証拠はない」としか議論ができなかった」(p.8)と述べていた。
*注3
首相官邸は『チェルノブイリ事故と福島原発事故の比較』を公表
1. 原発内で被ばくした方
*チェルノブイリでは、134名の急性放射線傷害が確認され、3週間以内に28名が亡くなっている。
その後、現在までに、19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない。
*福島では、原発作業者に、急性放射線傷害はゼロ、あるいは、足の皮膚障害が1名。
2. 事故後、清掃作業に従事した方
*チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった。
*福島では、この部分はまだ該当者なし。
3. 周辺住民
*チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は、50ミリシーベルト以上、
低線量汚染地の500万人は、10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない。
例外は、小児の甲状腺がんで、汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で、6000人が手術を受け、現在までに、15名が亡くなっている。
福島の牛乳に関しては、暫定基準300(乳児は100)ベクレル/キログラムを守り、それを超える牛乳は流通していないので、問題ない。
*福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない。
一般論として、IAEAは、
「レベル7の放射能漏出があると、広範囲で確率的影響(発がん)のリスクが高まり、確定的影響(身体的障害)も起こり得る」としているが、
各論を具体的に検証してみると、上記の通りで、福島とチェルノブイリの差異は明らかである。
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html
その1【8.6ヒロシマー広島・平和の夕べー 近藤紘子さんとABCC】 8月13日
本当に盛りだくさんのイベントだった。
小出さんのお話の後に、ドイツ『緑の党』の方がスピーチをされた。
「ドイツも日本と同じように、原子力ムラが、メディアや経済、政治を牛耳っていたけれど、
市民の力でそれを変えることができたのだから、日本だってきっと出来る!」という力強いお話しだったが……、
そんな風に言われて、明日にでも世の中が変わる!なんて思えない。
ドイツは原爆落とされなかったじゃないさ、と、ちょっと冷めた頭で聞いていた。
ドイツ人のゴツいオバちゃんの後に演台に立ったのは、最前列のわたしからは、演台の影に隠れて顔が半分くらいしか見えない、小柄な女性だった。
わたしは正直、被爆者の体験談なんかあまり聞きたくない。
戦争はいけない、核兵器はけしからん、というのは当たり前のことだもの。
まるで、落合恵子さんのような語り口。
この方は、生後8ヶ月で被爆なさったのだから、原爆の日の話はされない。
子供の時に、髪を梳いてくれて、優しくしてくれたお姉さん(自宅の教会に出入りしていた被爆者)たちの畏敬、原爆を落としたパイロットへの恨み。
わたしは、被爆者にABCC(現放射線影響研究所)が何をしたのかということを、
小出さんの講演では、「治療は一切せずに調査だけした」と語られ、
肥田瞬太郎さんの映画『核の傷』で語られ、
福島菊次郎さんの写真、『郷地秀夫さんのお話』では、被爆死した者の80%を解剖して、サンプルを取ったという話を聞き知っているだけで、
実際に、ABCCでの検査に通っていた、という話を聞いたのは初めてだった。
近藤さんは、あの日のことを忘れようとしていた。
ABCCからは、毎年呼び出しがある。
特に、子供のデータが欲しかったらしい。
ABCCに行くと、着ているものを全部脱いで、ふんどしのような下着に、木綿のガウンのようなものに着替えさせられる。
名前を呼ばれて、元気良く返事をすると、「こっちへ来い」と呼ばれる。
そこは、講堂のような大きな部屋で、人がたくさん集まっているのは分かる。
だが、ステージの上にいる近藤さんには、強いライトに照らされていて、観客の様子はわからない。
が、各国の言葉が聞こえるので、世界中の“お医者様”が集まっておられるのだろう、と思った。
舞台の真ん中に立って、服を脱げと命令される。
彼女の後ろには、10センチ方眼のボードがあり、その前に立たされる。
膨らみかけた胸を隠すことも出来ず、涙を落とす。
「あの日、広島にいただけなのに、どうしてわたしは、こんな目にあわなければいけないの?」
それほど長い時間じゃなかったかもしれない、とおっしゃる。
だけど、この経験から、彼女は広島を逃げ出すことになる。
高校は東京に、大学はアメリカに。
彼女のデータは、30センチほどの厚さがあったらしい。
チェルノブイリ事故の後に、そのデータが、かの地で治療に活かされた、と語っておられた。
ICRP(国際放射線防護委員会)は、原発推進側が作った組織だと言われているが、日本政府も、ICRPの勧告に従って、一般公衆の被爆限度は年間1ミリシーベルト、と決めている(た?)。
緩いと言われるICRPの基準は、どこから得られたデータかというと、
ABCCが、広島や長崎の被爆者を、一切の治療もせずに毎年呼び出して、放射線を当てたり、何だりと検査だけし、
被爆死した人の80%を、解剖して得られたデータだ。
だって他に、こんなに分かり易く放射線に当たった人が、大量にいるところなんかないんだもの。
世界で初めて落ちたウラニウム型の原爆は、広島で、世界で一番最初に落ちたプルトニウム型の原爆が、長崎なんだから。
こんな風に、少女の心に深い傷を残し、死者を冒涜して得られたデータ、一般公衆の被爆限度量というのは、
なんとしても死守しなければいけないんじゃないか?
福島で、「子供も含めて20ミリまで何の問題もないですよ」と言いながら、癌の病院を建てるだのなんだの、オカシな話じゃないか?
広島のABCCに、モルモットにされた人たちは、どうして声をあげなかったんだろう?
チェルノブイリの時に、本当に、近藤さんの資料は活かされたんだろうか?と、疑問に思う。
だって、チェルノブイリに、国連の代表として、重松だかなんだかという人が広島から出掛けて行って、
「放射線の影響はみられない」とかなんとか、報告したというではないか。(注1)
実際に調べて、問題提起をしているのは、市民グループだったんじゃなかろうか?
福島の20ミリというのは、除染したとしても、これ以上下げるのは無理だから、20にしておこう、ということらしいと何かで読んだ。
田中俊一の発言かなにかだったと思う。
正直でよろしい。
だけど、20ミリというのは、放射線業務従事者の限度量だろう。
子供はそもそも、無理じゃないか。(注2)
1年間1ミリシーベルトを守れ!と言われると、政府は困るらしい。(注3)
なぜなら、大量に移住させなければいけないから。
ならば、移住させればいいじゃないか、補償すればいいじゃないか。
東日本を諦めるのが嫌なのと、人を再びモルモットにするのとは、話が違うと思う。
考えてみてほしい。
一般公衆の被爆限度量、年間1ミリシーベルトという数字が、どうやって得られたものか。
広島と長崎の、たくさんの被爆者の苦しみ、悲しみ、恥辱という、犠牲の上に得られたもので、
研究室の電卓で、はじき出されたものじゃないってこと。
近藤さん、貴重なお話、ありがとうございました。
以下(↓)のふたつの記事は、以上(↑)の記事の中に書かれている『核の傷』と『郷地秀夫さんのお話』です。
『核の傷』 5月21日
夫が、今日しか時間がないというので、『核の傷』という映画を観に行ってきた。
肥田先生の講演はustで見てるし、岩上安身さんのインタビューも2本聞いているし、ご著書も読んでいるので、大体の話は知っていると思っていた。
大きく違うのは、ABCCが、広島長崎の人たちに何をやったか、記録映像付きで説明される。
この監督は、フランス人なのだけど、よくこれだけの映像を探してきたものだ。
被爆後の、ガレキの広島市。
ガレキの中から、金目のものを探して拾う原爆浮浪児。
バケツに入れられた、胎児のホルマリン漬け。
被爆者の身体から取り出された、ホルマリン漬けの瓶。
一切の治療をせずに、経過だけ調べて、死者の遺体は切り刻み、全て標本にし、
はじめのうちは、遺体の腹の中にワラクズなどを詰めて、遺族に返していたけれど、それもだんだんと返さなくなり、焼いたんだか埋めたんだか。
ABCC研究が、被曝治療の、いったい何に活かされたのか?
権威に騙されちゃいけない。
映画の後に、アップリンク製作の、肥田さんの講演のオマケがついている。
被曝はもう、仕方がない。
身体に入った放射能は、取り出すことは不可能だから、病気が出ないように気をつけなければいけない、とおっしゃる。
その過程で出て来る“ブラブラ病”は仕方がないと。
で、病気にならない生き方というのは、
・早寝早起き
・三食決まった時間に腹八分目に食べる
・30回噛む
・朝ちゃんとトイレに行く(トイレに座ると、スポンと出るような人は、ちゃんとした生活をしていることになる)
・身体を動かす
つまり、普通の健康法だ。
福島事故がなくても、大気中核実験やらチェルノブイリやらで、核の傷から逃れられる人はいない。
放射能は、身体を老化させるのだという。
肥田さんも、40歳になる前に腰痛になって、「ああ、放射能の影響が出てきた」と思ったらしい。
骨が老化すると、腰や膝が痛くなるという。
老化なら、ナチュラルハイジーンにはお馴染みの相手だ。
放射能だと考えずに、ナチュラルハイジーンと適度な体操をセットでやって、気をつけてわざわざ汚染されたものを食べなければ、かなり防ぐことができるのだと思った。
わたしは、癌で死ぬのはまあ、仕方がないように思っている。
癌は、脳梗塞のように、生きたまま思考や身体の自由を奪わないで、期限付きの自由を与えてくれる病気なので、優しい病気だと思う。
それでも、肥田さんは、ご自分の患者を、癌死から守っている。
きちんと生活しなさい、という指導をして、患者さんを守っておられる。
きちんと生きればいいということだ、と、この映画は、肥田さんは、教えてくれる。
それにしても、原爆被爆者がどんな目にあってきたのか……知らなければ、また同じ目に合います。
機会があれば、是非ご覧になってください。
映画『核の傷』
『放射能汚染と医療』@神戸 5月13日 郷地秀夫さん編
神戸でのフォーラムの続きです。
小出さんの発表に続いて、広島出身で、長年兵庫県で、広島・長崎の、原爆被爆者の治療に当たっておられる、郷地さんのお話です。
兵庫県には、約4700人の、原爆被爆者がお住まいなのだそうです。
ICRPの、放射線被曝の基準はすべて、広島・長崎の、原爆被爆者のデーターから作られているのだそうです。
つまり、平たく言えば、広島と長崎の人の、人柱の上に、今の一般人年間1ミリシーベルト、
放射線業務従事者年間20ミリシーベルト、という基準が決められたってことですね。
そうやって考えたら、1ミリシーベルトの基準は、どんなことがあっても、死守しなければいけないラインのように思えてきますが、
とんでもない事態になっている、ということです。
そういえば、広島でも、
「10ミリくらいはいいんだ。少々浴びた方が健康にいい」などと、放射能の研究者などが口走っているというウワサを耳にしますが、
よくそんなことが言えるものです。
話がそれてしまいました。
郷地先生は、「小出さんの話とは違う」と、最初におっしゃいます。
小出さんは、原子炉から、被曝の問題を見ている。
郷地先生は、原爆被爆の立場から、今回の原発事故を見ているので、ちょっと見方が違うとおっしゃっていた。
なるほど。
さて、ICRPが論拠としている、広島長崎の被爆者のデータが、どうやって集められたか、
それは先日記事にした、『核の傷』でも詳しく語られるけれど、郷地先生は、すごいデータを教えて下さった。
ABCCは、被爆者の遺体を集めて解剖していたのだけれど、その割合がすごい。
「家で死んだものの80%、病院死の100%を解剖した」
つまり、解剖されずに済んだのは、たったの20%だったってことだ。
家族は喜んで、「研究のため」と、ABCCに遺体を渡したのだろうか?
そんなことはない。
あるものは、葬儀の費用にも事欠いていただろうし、あるものは脅されて、遺体を差し出したのだろう。
わたしは広島に住んでいるけれど、こんな話はだれからも聞いたことがない。
わずかに、映画や、菊次郎さんの著作から、窺い知るだけである。
写らなかった戦後 ヒロシマの嘘 写らなかった戦後 ヒロシマの嘘
(2003/07)
福島 菊次郎
さて、郷地先生の話は、内部被曝と外部被曝の違いなどについて語られるけれども、
この講演の数日前に、新しい研究成果が発表されて、それについての話が主なものとなった。
それは、米国放射線影響学会の公式月刊学術誌 Radiation Research誌の第14報、ex-skfさんのサイトで要約されています。
放射線の癌死への影響に、しきい値はないんじゃないかな?
でも、よくわかんないけど、直線グラフを書けなくもないんだよね。という曖昧な感じだったのが、
やっぱり直線グラフになったから、しきい値はないってことですよ、ということが、発表された報告だったのです。
だから、郷地先生は、大変ホットに、この問題について語って下さいました。
そして、被曝による癌の影響ですが、長い長い時間がかかります。
今、被爆後67年ですが、癌死は、これから本格的に増えて行くのだといいます。
うーん……、ということは、今67歳の人は、乳児の時に被曝してるわけで、それより若い人は、胎児の被曝か、被曝2世になるわけで、
67歳以上の人も、これから癌で死んでゆくのだろうけれど、それは被ばくと関係があるかどうかよくわからないけれど、
被ばくしてない人に比べたら、優位に癌死が多い、ということになるんだろう。
でも、広島・長崎の人でなくても、癌になるのは予定してるんじゃなかろうか?
それは、原発事故もあるし、大気中核実験もあるし、原発の運転もあるので、だれしもが核の傷を受けているわけだから。
それでも尚、癌死が多いとすれば、やはり大変なことなのだと思う。
そういう郷地先生は、「福島は福島!他とは比較できない」と強くおっしゃる。
広島はピカーっときたけれど、絶対量も少なかったし、キノコ雲で成層圏に吹き上げられたものが多かった。
チェルノブイリとも違う。(格納容器がなかったからか?)
東海村の臨界事故ともちがう
これから何が起こるのか、全力で見守って行かねばならない、と。
なんかお話しが大変に内容が濃く、また重かったので、上手にまとめられませんでした。
以上、転載終わり。
以下↓の(注)は、わたしが個人的に付け加えました。
*注1
1991年5月:国際チェルノブイリプロジェクト報告会
放射能汚染対策を求める運動に、手を焼いたソ連政府が、IAEAに対し、「調査と勧告」を求めた。
重松逸造委員長のもと、国際チェルノブイリプロジェクトが、1年間の調査を行い、「汚染に伴う健康影響は認められない」とされた。
ベラルーシやウクライナの、専門家の抗議は、無視された。
*注2
東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授は、すでに、2010年に刊行された、金子勝氏との共著(『新興衰退国ニッポン』講談社、2010年)で、
「他の国では、100万人の子供に1人しか発症しないはずの小児甲状腺ガンに、4000人以上の子供が次から次へと罹患しているにもかかわらず、
世界から集まった研究者は、「この地域での甲状腺ガンの発生と、チェルノブイリの事故の関係を示す証拠はない」としか議論ができなかった」(p.8)と述べていた。
*注3
首相官邸は『チェルノブイリ事故と福島原発事故の比較』を公表
1. 原発内で被ばくした方
*チェルノブイリでは、134名の急性放射線傷害が確認され、3週間以内に28名が亡くなっている。
その後、現在までに、19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない。
*福島では、原発作業者に、急性放射線傷害はゼロ、あるいは、足の皮膚障害が1名。
2. 事故後、清掃作業に従事した方
*チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった。
*福島では、この部分はまだ該当者なし。
3. 周辺住民
*チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は、50ミリシーベルト以上、
低線量汚染地の500万人は、10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない。
例外は、小児の甲状腺がんで、汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で、6000人が手術を受け、現在までに、15名が亡くなっている。
福島の牛乳に関しては、暫定基準300(乳児は100)ベクレル/キログラムを守り、それを超える牛乳は流通していないので、問題ない。
*福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない。
一般論として、IAEAは、
「レベル7の放射能漏出があると、広範囲で確率的影響(発がん)のリスクが高まり、確定的影響(身体的障害)も起こり得る」としているが、
各論を具体的に検証してみると、上記の通りで、福島とチェルノブイリの差異は明らかである。
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html