今年のゴーヤは、隣の州で日本野菜を栽培してはる鈴木さんちからいただいた苗ゴーヤ。
去年の初ゴーヤくんとは違い、ワイルドさに欠ける。
けれどもやっとやっと、おっきく成長してくれたのを見っけた。
今回の収穫。
この突起を見るたびに、ほうれん草を食い過ぎたピグモンを思い出してしまうのはわたしだけか?
さて、最近ご近所では、ストリートミーティングが盛んに行われている。
うちの通りは、丘からの下り坂で、その突き当たりはT字路になっていて、トーマス・ストリートと繋がってる。
うちの裏庭と、そのトーマス・ストリートの家の4軒の裏庭とが接してて、だからうちも、トーマスの人達とは仲がいい。
というか、ストリート・ミーティングがある時は必ず、おいでよ~と呼ばれる。
トーマス・ストリートには、複数の家族が住む家が増えてきた。
一軒家に一家族しか住めない、という規則が無いからだ。
通りごとに、いろんな細かい規則があって、皆それに従って引っ越ししたり、家を建てたりする。
トーマスも以前は、どの家も、一家族が住んでいたらしい。
ところが、少しずつ、1階と2階、さらに、3階にもまた違う家族が暮らしている家が増えてきたらしい。
それで、そうなると、車が増えてくる。
一軒の家を建てる時、4台の車が家の敷地内に停めることができる、というのが規則なので、それ以上の車は当然、道路沿いに駐車することになる。
道幅は、小さな町であっても、車が4台並列に並べる幅はあるけれど、両側にズラリと駐車されるとやはり走りにくい。
そしてなにより、なぜか複合家族の家ではトラブルが多く、警察が何度も何度も駆けつけるようになってしまった。
これは困ったということで、カウンセラーや警察関係の人達も一緒に、通りのための会議を開くことになったらしい。
そのトーマス・ストリートの問題解決のための会議になんと、うちの家の隣の空き地を、なんとかして守ろうではないか、という議題を入れてくれた。
うちの隣の土地のオーナーも、あそこに複合家族のための家を建てる計画をしているからだった。
あの土地のサイズから考えて、とてもじゃないが、車を4台も置けるようには見えないし、
あの大きな、まだまだ豊かな緑を茂らせているカエデの木を、切るだなんてナンセンスだ。
ああいう、膨大な年月を過ごしてきた木は特に、守られるべき存在である。
けれども、役所のカウンセラーや法律の関係者は揃って、規則を変えることの難しさを繰り返して話す。
それを言われるとなにも言えなくなるけれど、それでも自分達の思いを伝えることは大事。
向こうも、聞くことがなにより大事だと、本当に親身になって聞いてくれる。
もしかしたら間に合わないかもしれない。
いや、間に合わないという公算の方が大きい。
けれども、町のみんながああやって、膝を突き合わせながら、少しでもいい町にしようと必死で考えたり話したりしてる姿はとてもいい。
いい町に引っ越した。
いい人に恵まれた。
ストリート・ミーティングが何回も行われていく間に、町のどこでどんな問題が発生しているのか、それが逐一話し合われていく。
それを寄せ集め、今度はタウン・ミーティングへと流れていく。
初めて行ったタウン・ミーティングは、近くの大学の大教室で行われた。
たくさんの人が集まっていてびっくりした。
こうやって、通りに、町に、自分がだんだん馴染んでいく。
そして、自分が馴染んだ通りや町が、少しでも良く、楽しく、幸せになるように、自分達の頭と体を使って奉仕する。
他人事にはもうしない。
カエデ爺さん、うれしいね。
わたしもうれしいよ。
去年の初ゴーヤくんとは違い、ワイルドさに欠ける。
けれどもやっとやっと、おっきく成長してくれたのを見っけた。
今回の収穫。
この突起を見るたびに、ほうれん草を食い過ぎたピグモンを思い出してしまうのはわたしだけか?
さて、最近ご近所では、ストリートミーティングが盛んに行われている。
うちの通りは、丘からの下り坂で、その突き当たりはT字路になっていて、トーマス・ストリートと繋がってる。
うちの裏庭と、そのトーマス・ストリートの家の4軒の裏庭とが接してて、だからうちも、トーマスの人達とは仲がいい。
というか、ストリート・ミーティングがある時は必ず、おいでよ~と呼ばれる。
トーマス・ストリートには、複数の家族が住む家が増えてきた。
一軒家に一家族しか住めない、という規則が無いからだ。
通りごとに、いろんな細かい規則があって、皆それに従って引っ越ししたり、家を建てたりする。
トーマスも以前は、どの家も、一家族が住んでいたらしい。
ところが、少しずつ、1階と2階、さらに、3階にもまた違う家族が暮らしている家が増えてきたらしい。
それで、そうなると、車が増えてくる。
一軒の家を建てる時、4台の車が家の敷地内に停めることができる、というのが規則なので、それ以上の車は当然、道路沿いに駐車することになる。
道幅は、小さな町であっても、車が4台並列に並べる幅はあるけれど、両側にズラリと駐車されるとやはり走りにくい。
そしてなにより、なぜか複合家族の家ではトラブルが多く、警察が何度も何度も駆けつけるようになってしまった。
これは困ったということで、カウンセラーや警察関係の人達も一緒に、通りのための会議を開くことになったらしい。
そのトーマス・ストリートの問題解決のための会議になんと、うちの家の隣の空き地を、なんとかして守ろうではないか、という議題を入れてくれた。
うちの隣の土地のオーナーも、あそこに複合家族のための家を建てる計画をしているからだった。
あの土地のサイズから考えて、とてもじゃないが、車を4台も置けるようには見えないし、
あの大きな、まだまだ豊かな緑を茂らせているカエデの木を、切るだなんてナンセンスだ。
ああいう、膨大な年月を過ごしてきた木は特に、守られるべき存在である。
けれども、役所のカウンセラーや法律の関係者は揃って、規則を変えることの難しさを繰り返して話す。
それを言われるとなにも言えなくなるけれど、それでも自分達の思いを伝えることは大事。
向こうも、聞くことがなにより大事だと、本当に親身になって聞いてくれる。
もしかしたら間に合わないかもしれない。
いや、間に合わないという公算の方が大きい。
けれども、町のみんながああやって、膝を突き合わせながら、少しでもいい町にしようと必死で考えたり話したりしてる姿はとてもいい。
いい町に引っ越した。
いい人に恵まれた。
ストリート・ミーティングが何回も行われていく間に、町のどこでどんな問題が発生しているのか、それが逐一話し合われていく。
それを寄せ集め、今度はタウン・ミーティングへと流れていく。
初めて行ったタウン・ミーティングは、近くの大学の大教室で行われた。
たくさんの人が集まっていてびっくりした。
こうやって、通りに、町に、自分がだんだん馴染んでいく。
そして、自分が馴染んだ通りや町が、少しでも良く、楽しく、幸せになるように、自分達の頭と体を使って奉仕する。
他人事にはもうしない。
カエデ爺さん、うれしいね。
わたしもうれしいよ。