8月24日は、次男の誕生日で、そしてそれは26回目のお祝いでした。
長男の20才の誕生日に、成人した記念にと、それまでの彼の写真をスキャンしてアルバムを作り、それをCDにまとめたりしたのに、
次男の20才の誕生日には、それをうっかり忘れてしまい、さらに翌年も後になって思い出し、さらにさらにその翌年は、すっかり忘れていたのです。
その後の3年間は、パソコンの型が古過ぎて、もうそういったアルバム作りのオーダーができなくなり、
次男がそのことに気づかないでいる(あるいは気づいていないふりをしている)のをいいことに、わたしも知らんぶりをしていました。
今年、やっと新しいのに買い替えたので、今年こそはと張り切っていたのに、グズグズしているうちに気がついたらもう手遅れ。
結局、誕生日当日には間に合いませんでした…。
同じ、宝物のように大切で、すご~く愛しているのに、どうしてこんなふうに、まるで違うことをしてしまうのか…。
この、ふたりめの子に対する油断と、余裕という言葉で包んだ怠慢さに、これまでも彼はきっと、傷つけられてきたことがあったに違いありません。
かんにんやで。
次男は、パックリと切った子宮の中から、医者が二人がかりで、手術台に足をかけて、引っ張り出した赤ん坊でした。
子宮壁は、陣痛極期の緊張で、メスを入れる前からすでに裂け始めていて、早急に出さなければいけなかったのに、
臍帯が3重に彼の首に巻き付いていて、だから彼は、窒息寸前でおまけに冷えきっていたからか、薄紫色のロウのような皮を全身にまとって出てきました。
長男の際の難産は、医者の怠慢と無策が呼んだ、地獄としか言い様のない3日間だったのですが、
次男の際の難産はそれとはまた違う、良いケアを受けたけれど、やはり自然では無理だったというもので、
とりあえず、生まれたばかりの彼を自分の腕の中で抱く、ということはできました。
生まれた直後はうんともすんとも泣かず、医者たちもわたしもドキッとしたのですが、
彼の夜泣きがとても激しく、病院での1週間は、ほとんど一睡もできずに、点滴のチューブに血を逆流させながら、抱っこしていました。
小さな頃は、こけしのような可愛い顔で、どの年代の女の人もメロメロ。
旦那の日本語の先生でもありました。
ある日突然「『エリーゼのために』が弾きたい」と言い出して、
「音符読めへんのにどないすんの?」と聞くと、「おかあさんが弾いてくれたんを覚える」と言うので、
まあちょっとぐらい、と始めてしまったのが運のつき。
それから、とんでもなく面倒くさい毎日が始まりました。
いったい何回、同じ小節を弾かされたことか…。
けれども、結局、全曲真似っこ奏法で、音も指遣いも表現も、すべて覚えてしまいました。
何曲か同じような方法で弾けるようになったのですが、彼自身、真似っこすることに疲れてきた様子で、
もともと、楽譜を読むことの大切さ、大変さ、そして楽しさを、コツコツ教えているのを見聞きしていたこともあり、
もうそろそろ自分で読みたくなってきたんちゃうの?と誘いをかけ、わたしももう疲れた、やめようと言うと、
とうとう観念したのか、独学で音符を読めるようになったようです。
その方法については、全く知らないのですけれども…。
そうやって自分で弾けるようになった『メイプル・リーフ・ラグ』は、彼の十八番になり、
中学の音楽会などでそれを弾き、やんややんやの大喝采を受け、もしかしてこの子は…と、儚い期待を抱いたりしたこともありました。
ドラムを叩けばそれもうまくなり、
運動をすればそれもそこそこ人よりうまくでき、
あれこれと妄想しがちな親たちを尻目に、ゲーマー道をまっしぐら!
会社勤めがとても忙しく、練習がほとんどできなくなった今は、試合を勝ち進むことが難しくなったのですが、
なぜか人気投票の世界ランキングでは、10位以内を保っているそうで…、
まあ、この話はブログに書かない約束をしたので、これ以上は書けませ~ん!わ~ん!
どこでも寝る子でもありました。
会社員とゲーマーの、ふたつの顔を持つ26才。
自分を大事にできる、だから自分以外の人も大事に思える、優しき男になりました。
誕生日、おめでとう!
20才記念アルバム、多分明後日には届くからね。
長男の20才の誕生日に、成人した記念にと、それまでの彼の写真をスキャンしてアルバムを作り、それをCDにまとめたりしたのに、
次男の20才の誕生日には、それをうっかり忘れてしまい、さらに翌年も後になって思い出し、さらにさらにその翌年は、すっかり忘れていたのです。
その後の3年間は、パソコンの型が古過ぎて、もうそういったアルバム作りのオーダーができなくなり、
次男がそのことに気づかないでいる(あるいは気づいていないふりをしている)のをいいことに、わたしも知らんぶりをしていました。
今年、やっと新しいのに買い替えたので、今年こそはと張り切っていたのに、グズグズしているうちに気がついたらもう手遅れ。
結局、誕生日当日には間に合いませんでした…。
同じ、宝物のように大切で、すご~く愛しているのに、どうしてこんなふうに、まるで違うことをしてしまうのか…。
この、ふたりめの子に対する油断と、余裕という言葉で包んだ怠慢さに、これまでも彼はきっと、傷つけられてきたことがあったに違いありません。
かんにんやで。
次男は、パックリと切った子宮の中から、医者が二人がかりで、手術台に足をかけて、引っ張り出した赤ん坊でした。
子宮壁は、陣痛極期の緊張で、メスを入れる前からすでに裂け始めていて、早急に出さなければいけなかったのに、
臍帯が3重に彼の首に巻き付いていて、だから彼は、窒息寸前でおまけに冷えきっていたからか、薄紫色のロウのような皮を全身にまとって出てきました。
長男の際の難産は、医者の怠慢と無策が呼んだ、地獄としか言い様のない3日間だったのですが、
次男の際の難産はそれとはまた違う、良いケアを受けたけれど、やはり自然では無理だったというもので、
とりあえず、生まれたばかりの彼を自分の腕の中で抱く、ということはできました。
生まれた直後はうんともすんとも泣かず、医者たちもわたしもドキッとしたのですが、
彼の夜泣きがとても激しく、病院での1週間は、ほとんど一睡もできずに、点滴のチューブに血を逆流させながら、抱っこしていました。
小さな頃は、こけしのような可愛い顔で、どの年代の女の人もメロメロ。
旦那の日本語の先生でもありました。
ある日突然「『エリーゼのために』が弾きたい」と言い出して、
「音符読めへんのにどないすんの?」と聞くと、「おかあさんが弾いてくれたんを覚える」と言うので、
まあちょっとぐらい、と始めてしまったのが運のつき。
それから、とんでもなく面倒くさい毎日が始まりました。
いったい何回、同じ小節を弾かされたことか…。
けれども、結局、全曲真似っこ奏法で、音も指遣いも表現も、すべて覚えてしまいました。
何曲か同じような方法で弾けるようになったのですが、彼自身、真似っこすることに疲れてきた様子で、
もともと、楽譜を読むことの大切さ、大変さ、そして楽しさを、コツコツ教えているのを見聞きしていたこともあり、
もうそろそろ自分で読みたくなってきたんちゃうの?と誘いをかけ、わたしももう疲れた、やめようと言うと、
とうとう観念したのか、独学で音符を読めるようになったようです。
その方法については、全く知らないのですけれども…。
そうやって自分で弾けるようになった『メイプル・リーフ・ラグ』は、彼の十八番になり、
中学の音楽会などでそれを弾き、やんややんやの大喝采を受け、もしかしてこの子は…と、儚い期待を抱いたりしたこともありました。
ドラムを叩けばそれもうまくなり、
運動をすればそれもそこそこ人よりうまくでき、
あれこれと妄想しがちな親たちを尻目に、ゲーマー道をまっしぐら!
会社勤めがとても忙しく、練習がほとんどできなくなった今は、試合を勝ち進むことが難しくなったのですが、
なぜか人気投票の世界ランキングでは、10位以内を保っているそうで…、
まあ、この話はブログに書かない約束をしたので、これ以上は書けませ~ん!わ~ん!
どこでも寝る子でもありました。
会社員とゲーマーの、ふたつの顔を持つ26才。
自分を大事にできる、だから自分以外の人も大事に思える、優しき男になりました。
誕生日、おめでとう!
20才記念アルバム、多分明後日には届くからね。