ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

分け隔てなく愛しているのに

2014年08月25日 | 家族とわたし
8月24日は、次男の誕生日で、そしてそれは26回目のお祝いでした。

長男の20才の誕生日に、成人した記念にと、それまでの彼の写真をスキャンしてアルバムを作り、それをCDにまとめたりしたのに、
次男の20才の誕生日には、それをうっかり忘れてしまい、さらに翌年も後になって思い出し、さらにさらにその翌年は、すっかり忘れていたのです。
その後の3年間は、パソコンの型が古過ぎて、もうそういったアルバム作りのオーダーができなくなり、
次男がそのことに気づかないでいる(あるいは気づいていないふりをしている)のをいいことに、わたしも知らんぶりをしていました。

今年、やっと新しいのに買い替えたので、今年こそはと張り切っていたのに、グズグズしているうちに気がついたらもう手遅れ。
結局、誕生日当日には間に合いませんでした…。

同じ、宝物のように大切で、すご~く愛しているのに、どうしてこんなふうに、まるで違うことをしてしまうのか…。
この、ふたりめの子に対する油断と、余裕という言葉で包んだ怠慢さに、これまでも彼はきっと、傷つけられてきたことがあったに違いありません。
かんにんやで。

次男は、パックリと切った子宮の中から、医者が二人がかりで、手術台に足をかけて、引っ張り出した赤ん坊でした。
子宮壁は、陣痛極期の緊張で、メスを入れる前からすでに裂け始めていて、早急に出さなければいけなかったのに、
臍帯が3重に彼の首に巻き付いていて、だから彼は、窒息寸前でおまけに冷えきっていたからか、薄紫色のロウのような皮を全身にまとって出てきました。
長男の際の難産は、医者の怠慢と無策が呼んだ、地獄としか言い様のない3日間だったのですが、
次男の際の難産はそれとはまた違う、良いケアを受けたけれど、やはり自然では無理だったというもので、
とりあえず、生まれたばかりの彼を自分の腕の中で抱く、ということはできました。
生まれた直後はうんともすんとも泣かず、医者たちもわたしもドキッとしたのですが、
彼の夜泣きがとても激しく、病院での1週間は、ほとんど一睡もできずに、点滴のチューブに血を逆流させながら、抱っこしていました。

小さな頃は、こけしのような可愛い顔で、どの年代の女の人もメロメロ。


旦那の日本語の先生でもありました。


ある日突然「『エリーゼのために』が弾きたい」と言い出して、
「音符読めへんのにどないすんの?」と聞くと、「おかあさんが弾いてくれたんを覚える」と言うので、
まあちょっとぐらい、と始めてしまったのが運のつき。
それから、とんでもなく面倒くさい毎日が始まりました。
いったい何回、同じ小節を弾かされたことか…。
けれども、結局、全曲真似っこ奏法で、音も指遣いも表現も、すべて覚えてしまいました。


何曲か同じような方法で弾けるようになったのですが、彼自身、真似っこすることに疲れてきた様子で、
もともと、楽譜を読むことの大切さ、大変さ、そして楽しさを、コツコツ教えているのを見聞きしていたこともあり、
もうそろそろ自分で読みたくなってきたんちゃうの?と誘いをかけ、わたしももう疲れた、やめようと言うと、
とうとう観念したのか、独学で音符を読めるようになったようです。
その方法については、全く知らないのですけれども…。
そうやって自分で弾けるようになった『メイプル・リーフ・ラグ』は、彼の十八番になり、
中学の音楽会などでそれを弾き、やんややんやの大喝采を受け、もしかしてこの子は…と、儚い期待を抱いたりしたこともありました。


ドラムを叩けばそれもうまくなり、


運動をすればそれもそこそこ人よりうまくでき、


あれこれと妄想しがちな親たちを尻目に、ゲーマー道をまっしぐら!
会社勤めがとても忙しく、練習がほとんどできなくなった今は、試合を勝ち進むことが難しくなったのですが、
なぜか人気投票の世界ランキングでは、10位以内を保っているそうで…、
まあ、この話はブログに書かない約束をしたので、これ以上は書けませ~ん!わ~ん!

どこでも寝る子でもありました。




会社員とゲーマーの、ふたつの顔を持つ26才。
自分を大事にできる、だから自分以外の人も大事に思える、優しき男になりました。

誕生日、おめでとう!
20才記念アルバム、多分明後日には届くからね。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「加美町も含め、普通の方々が核のゴミを引き受けるというような事は、決してしないで頂きたい」小出氏

2014年08月25日 | 日本とわたし


京都大学原子炉実験所 小出裕章さん

こんにちは、京都大学の小出です。
加美町のみなさんにメッセージをということで、しばらくお話をさせていただきます。

指定廃棄物という、みなさんはもう十分ご存知の放射能のゴミが、加美町にも押し付けられるということで…、
大変不条理な事だと、私は思います。
その、放射能のゴミという物…いったいどこから来たのかといえば、もともと東京電力福島第一原子力発電所の原子炉の中にあった物です。
れっきとした東京電力の所有物であったわけであって、それが、ウソをついた東京電力のおかげ(?)で、みなさんの住んでいる場所等にばらまかれてしまいました。
それを今みなさんは、せっせと集めて、指定廃棄物という形になろうとしているわけですけれども、
もともと東京電力のばらまいた、東京電力の所有物ですから、
みなさんがそのゴミを引き受けるなんていうことは、決してやってはいけない
ことです。
東京電力の物は、東京電力に返す、ということが一番いいことなのであって、
私自身は、元からあった場所、東京電力福島第一原子力発電所に返すというのが、物の道理だと思います。

ただし、残念ながら、福島第一原子力発電所の敷地の中では、今、たくさんの労働者たちが、放射能を相手に戦っている、戦場です。
その戦場に、新たに、放射能のゴミを返すということは、できないだろうと思います。

私の、一番正直な気持ちを言って良ければ、私は東京電力の本社ビルに、それを返したいと思っています。
でも…それを言うとみなさん、何を恍けたことを言っている、というふうに受け取られて、相手にしていただけませんので、
私は次の策、というのを思っています。
それは、東京電力福島第二原子力発電所の広大な敷地がありますので、そこに返すべきだと思います。
東京電力は、福島第二原子力発電所を再稼働させる、というようなことを言っているわけですけれども、
冗談を言わないでほしいと、私は思います。
自分の所有物たるゴミを、たくさんの人々の上にばらまいて、たくさんの苦難を与えながら、自分だけは無傷で生き延びて、
原子力発電所を再稼働させるなんてことは、到底許すべきことではない
と思いますので、
福島第二原子力発電所を、放射能のゴミ捨て場にするということが、私はいいと思いますし、
もちろん再稼働もさせない、ということがいいと思います。

そして、それでも足りない、というのであれば、東京電力柏崎刈羽原子力発電所というのが、新潟県にあります。
世界最大の原子力発電所です。
新潟県の方には、多分怒られると思いますけれども、私は、責任のある会社にきっちりと責任を取らせるためには、
福島第二原子力発電所の敷地で足りないというのであれば、柏崎刈羽原子力発電所の敷地も、核のゴミ捨て場にするという方策がいいだろう
と思います。

加美町も含めて、普通の方々が、このゴミを引き受けるというようなことは、決してしないでいただきたいと思います。

以上です。
よろしくお願いします。

↑以上、文字起こし終わり


文字起こししながら、考えていました。
小出氏が予め予想しておられるように、柏崎刈羽の敷地に核のゴミを、という意見に対しては、異論を持つ方が出てくるかもしれません。
けれども、3年以上も経った今もなお、責任を取るべき者が取らないままに時間が過ぎている、という異常な状態は、
何かこう、とても厳しい、思い切った決断をしなくては、打開できないのではないか、という思いをわたしは持っています。

今、2013年9月半ば以降に実現した「原発ゼロ」の状態が、ほぼ丸1年続いています。
この17カ所、48基の原発をすべて廃炉にし、原発はどこも広大な敷地を持っているので、それぞれの電力会社が、それぞれの所有物である核のゴミを、それぞれの原子力発電所の敷地内に集める。
一言で廃炉といっても、その作業を完了するには、数十年の月日がかかります。
その間、そのゴミ収集所となった敷地内で作業をされる方々の、必要以上の被ばくをどうしたら防げるのか、その知恵をわたしは持ち合わせていません。
けれども今、電力会社に認識させなければならないことの一つとして、
原子力発電所を造るということは、そしてそれを稼働させ利潤を得るということは、こういうこと一切をすべて引き受けなければならない、ということがあると思います。
電力会社だけでなく、原発で利潤を得ている団体、金融機関、自治体、住人すべてが、そのことを押し付けられたとしたら、
いったい誰が、こんな不安定で、やたらと費用がかかる上に、極めて危険で大きな被害を及ぼす可能性がある物に、関わりたいと思うでしょうか。


核のゴミ、核汚染された食べ物、核汚染された土を、みんなで集めて、食べて、燃やして、分け合っていこう…。
わたしの周りには、違う国からやって来た人がたくさんいますが、
このことに関してはそろって皆が、絶対に理解できない、そんなことが実際に起こっているのか?と言います。

「普通の方々が、核のゴミを引き受けるというような事は、決してしないでいただきたい」

普通の方々が、核のゴミを引き受けるというような事を、決して考えてはいけない。やってはいけない。
そんなことをしようとしている者が、ご自分の暮らす町や村の首長であれば、必死に抵抗し、反対し、阻止しなければならない。

そういったことがどれほど困難で、体力気力を消耗させ、日常の暮らしに響きかねないことであるか。
それでもやらなくてはならない、今はそういう時なのだと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする