月
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スッポン
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↑これらの写真は、親友わかちゃんが、Facebookのページに載っけてくれてたものです。
櫻井さんはいつから、どんな理由で、こんなスッポンに成り果ててしまっていたのでしょうか。
櫻井さんの変わり様に(もしかしたら元々だったのかもしれませんが)、驚いたのはいつのことだったか…もうあまり覚えていませんが、
どうして驚いたかというと、下記のチェルノブイリ特集を、わたしも観て覚えていたからです。
それが25年も経つと、こんなことを言うようになって、
↓
人間の考え方などというものは、このように変貌するのですね…。
彼女がまともな人の心を持っていた頃の言葉を、広河さんの取材ビデオの中で聞いてみてください。
↓以下、文字起こしはじめ
チェルノブイリ特集 第1回 潜入!最悪汚染ゾーン(93.5)
ースタジオー
櫻井:
史上最悪のチェルノブイリ原発事故から7年経ちました。
公の機関は、住民への被害は無かったなどと発表していますが、事実は全く違います。
4回に渡って特集します。
取材したのは、フォトジャーナリストの広河隆一さんです。
広河隆一:
この汚染地図の中の、紫色の部分、つまり汚染の激しい北側ルートから、原発に近づいていったんです。
櫻井:
そして広河さんはこの、放射能検知器を持って行かれたわけですね。
広河:
ここのスィッチを入れまして、これがこのスタジオの汚染なんですが、
櫻井:
あ、かなり音がしますね。
広河:
これがまあ普通なんですけれども、ここでは0.01ミリレントゲン程度ですね。
で、もしこの針が振り切れたら、これをさらに10倍、そしてさらにまた振り切れた場合には100倍にセットするわけです。
ーVTRー
案内人:
ウラーシはすぐだ。
広河:
100倍にセットしました。
1ミリレントゲン。
ナレーター(井田由美):
原発から17キロ北の地点ウラーシ村。
この村の農場に、かつて働いていた36人を、広河さんが尋ね歩いたところ、9人がガンにかかり、そのうち6人はすでに死亡していました。
事故直後の避難民の数は、13万5千人と言われています。
その人たちに何が起こっているのか、全く分かっていません。
いえ、誰が住んでいたのかさえ明らかにされていないのです。
広河さんは、住民の戸籍簿を探しあてました。
調査の糸口になりそうです。
次はカルテ。
ところが、事故後病院に収容されたおよそ5万人のカルテが、なぜか消えてしまったのです。
最後の数千枚が保管されていたという倉庫からも、すべてのカルテが盗まれていました。
広河:
立ち入り禁止区域に入ります。
うわあ…すごい…。
村全体が焼け落ちているという、異様な光景に出くわしました。
勝手に戻ってきた村人が、前途を悲観して自暴自棄になり、放火したそうです。
比較的汚染の度合いが低い原発の西側地域に立ち寄ると、避難命令を無視して住み続ける老人たちを、かなり見かけます。
汚染の度合いが低いといっても、ここで生活するのは自殺行為です。
おばあさんに、ここでどんなものを食べているのか、聞いてもらえますか。
住人:
食べ物は自分たちで作るしかないんだ。
苦労してるのよ。
死ぬまでここにいてやるわよ!
<汚染が最も激しい原発北ルート>
広河:
道は非常に荒れてます。
<ぬかるみで車が動けなくなった>
広河:
通る車がほとんど無いため、道は予想以上に酷い状態でした。
助けを呼ぼうにも電話など無いし、もちろんこの周辺に住む人などひとりも居ません。
ここの放射線を測ります。
すぐに振り切れました。
10倍にして、100倍、2、3、4、4ミリレントゲン(=日本の約400倍)
チェルノブイリには何度も来ましたが、こんなに高い数値は初めてです。
同行した地元の人たちの顔色が、しだいに青くなってきました。
こんな所で夜を明かすことになれば、大量のプルトニウムとストロンチウムを浴びてしまいます。
地元民:
よかった!助かったわ!
<事故処理作業のトラクターが通りかかった>
広河:
現場に2時間いただけですが、この後わたしたちは、頭と喉が痛くなり、吐き気をもよおし、息苦しくなりました。
トラクターが通りかからなかったらと思うと、ゾッとします。
<事故を起こした4号炉が、かすかに見える>
<10キロ圏 汚染管理所>
最近になってようやく、原発10キロ地点に、放射線を管理する施設が造られました。
広河:
すごいね、原発の中みたいだね。
中でわたしたちは裸になり、もうひとつの建物で別の服を着なければなりません。
靴下から上着とズボン、そして靴まで置いてあります。
10キロメートルゾーンの出口。
問題の4号路を覆う建物には、至る所に亀裂が入り、そこから大量の放射性物質が漏れ続けています。
原発の従業員が住んでいたこのアパートは、少なくともあと100年近く、人が寄り付くことさえできません。
ナレーター:
広河さんのもとへ、カルテに関する情報が寄せられました。
ある医師が、858人分のカルテを病院から別の場所に移して、盗難を免れていたのです。
事故直後、当局は、急性放射線障害は無かったことにしろと、命令を出していました。
しかし、カルテにははっきりと書き込まれています。
別の患者は、喉に、2000マイクロレントゲンの放射線を浴びていました。
2年前、国際原子力機関IAEAは、住民に放射線の被害は出ていない、と発表しました。
カルテは、その発表を、根底からくつがえします。
ースタジオー
櫻井:
広河さん、発見されたカルテには、2000マイクロレントゲンとありましたけども、人間の喉がこの、原子炉近くと同じくらいの放射線を帯びてたわけですね。
大変なことですね。
誰がこのカルテを盗んだんですか?
広河:
住民の健康が無茶苦茶にされたっていことを証明する、唯一の物証はカルテなんですね。
だから、
住民に被害が無かったっていうふうに言っていた当局にとっては、カルテは都合が悪いわけです。
だから、人々の大部分は、当局が没収したんではないかと、そういうふうに言ってますね。
櫻井:
IAEA国際原子力機関も、住民に被害は無かった、というふうに発表しましたね。
広河:
ええ、あれは全く違うということが、このカルテで証明されたわけです。
事故後、住民の被害が拡大したのは、専門家の安全宣言だったということを、肝に銘じるべきだと思いますね。
櫻井:
そうですね
チェルノブイリ特集 第2回 子供に何が起きたか(93.5
ースタジオー
櫻井:
チェルノブイリの事故直後の被災者のカルテによって、恐ろしい放射能被害の実態が初めて明らかになったことを、昨日お伝えいたしました。
取材したフォトジャーナリストの広河隆一さんに、今夜もおいでいただきました。
広河:
実際に、住民の体に何が起こっているのかを、直に見て撮影してきました。
特に、子どもたちがどういう目に遭っているのか、それを見てください。
ーVTRー
ナレーター:
事故から7年が過ぎました。
昔のこととして忘れてしまうのに十分長い年月です。
しかし、事故後何年も経ってから、本当に恐ろしいことが始まりました。
事故から1週間の間に、13万5千人の住民が、急に危険を告げられて、慌てて家を離れました。
まさかその後、ずっと家に帰れないとは、考えてもいませんでした。
放射能は現在、表土から20センチまでの所に溜まり、ゆっくりと地中に降りています。
被災者の数の推計、原発関係者と消防士1000人、事故処理の作業員60万人、汚染地の住民550万人、
当局の発表、死者30人…。
地中20センチに溜まった放射能は、植物の根から吸い上げられ、人間や動物の体に蓄積されていきます。
放射能障害の潜伏期間はそろそろ終わり、白血病と甲状腺ガンのかたちで牙を剥き始めました。
<ミンスク 小児血液病センター>
広河:
わたしは去年もこの病院を取材し、入院している子どもたちを撮影しました。
しかし、その子たちに、ひとりも会うことはできませんでした。
大半は亡くなっていたのです。
白血病の治療は、何段階もあります。
その段階に応じて、必要な薬があります。
患者が突然に増えたので、薬の量が追いつきません。
薬が切れると、子どもの容態は急激に悪化します。
<去年の9月に撮影した、元気だった頃の写真>
11月12日から入院。かかとには床ずれが発症している。
この男の子は14才です。
わたしが撮影した次の日、亡くなりました。
ホイニキ中央病院・コルツォフ副院長:
事故後、5年から8年で、甲状腺ガンの発病が増え、次に乳ガンの発病が、その次に骨のガンの発病が、といった具合に、ガンは増えていくでしょう。
甲状腺ガンが増えている段階が、現在です。
ナレーター:
3年前、国際原子力機関IAEAの調査団が、汚染地を訪れました。
代表の重松委員長は、住民の健康障害は全く無い、と発表しました。
広河:
この子は5才、甲状腺ガンです。
自分の身に何が起きているのか全く知らないまま、手術室に連れていかれます。
医学の常識では、甲状腺ガンは大人の病気です。
子どもがかかる率は、50万人にひとりと言われています。
しかし、
チェルノブイリ周辺では、事故後4年を過ぎてから、子どもの甲状腺ガンは爆発的に増え始めました。
喉にレーザーメスが入れられ、白い煙が上がります。
ナレーター:
原発の北のホイニキ地区では、352人中27人の子どもが要注意と診断されました。
このうち、
甲状腺ガンは2割に上るとみられ、平均発病率の7800倍です。
放射線医療研究所・ドロズド医師:
子どもの健康状態は、放射線に影響されています。
放射性ヨウ素の分布図を見れば、一目瞭然です。
IAEAの調査責任者・重松委員長は、私たちの調査の全てを知っているわけではありません。
ナレーター:
甲状腺に続いて乳ガン、骨のガン、そして白血病の爆発的増加の時期が来るという医師の予言は、現実のものとなり始めています。
ースタジオー
櫻井:
広河さん、こうして見ますと、国際原子力機関が、住民の健康に問題無いと発表したのは、いったい何だったんでしょうかね。
広河:
VTRの中にも名前が出てましたけれども、
調査団長は重松さんっていって、広島の学者なんですね。
国連の機関、しかも広島の医学者がリーダーになっているから、公正な調査があると信じていたのに、安全だと発表したので、現地の人々は啞然としていました。
櫻井:
ただ、調査団の人たちは、現地の状況を観たんですか?
広河:
現地のお医者さんたちの話では、
汚染の酷い所には入ってないそうなんですね。
しかも、
遠くから食料を持参して、現地の物を口にしないで、それでいて安全宣言をしたことで、すごい怒ってたんですね。
恐かって、それで食べられないんだったら、危険だと言うべきなんです。
櫻井:
もうこの、
国際原子力機関の信用性そのものが、深刻に問われているわけですね。
広河:
丁度、
旧ソ連の原子力産業と、アメリカを始めとする原子力産業が、ビジネスの取り引きを始めた頃から、
チェルノブイリの被害を小さく見せることで利害が一致したんではないかっていう声があります。
チェルノブイリ特集 第3回 原発汚染 死の生活(93.5
ースタジオー
櫻井:
先週に続いて、チェルノブイリ原発事故の傷跡を特集します。
現地で取材したフォトジャーナリストの広河隆一さんにおいでいただきました。
広河:
事故から7年経ちましたけれども、放射能汚染は何十年何百年経っても消えないんですね。
しかし、人々はそこで暮らしていく他は無いわけです。
VTRを観てください。
ーVTRー
ナレーター:
チェルノブイリ原発事故はもう終わった、過去の出来事でしょうか?
地元住民:
朝早くトイレに行ったら、庭に白い灰のようなものが降ってました。
<1986年4月26日 午前1時23分 事故発生>
4号炉の炉心が溶け、大量の放射性物質が飛び散った。
地元住民:
夜は雷のような音がして、原発の方から霧みたいな物が近づいてきたの。
<原発周辺30キロ圏内だけは、危険地帯として封鎖された>
死者の数 不明
被災者の数 不明
地元住民:
あの事故があったからかどうかわからないけど、女房は死んじまったよ。
骨のガンでね。
<ホイニキ産院>
ナレーター:
原発の北のホイニキ地区では、毎日ひとりの割合で赤ちゃんが誕生しています。
一時は、放射能に不安を感じた人が中絶をした時期もありましたが、今はほとんどの母親が子どもを産みます。
しかし、
母体が放射能の晒されている以上、胎児が被ばくする可能性はつきまといます。
広河さんたちの『チェルノブイリ子ども基金』は、この3月末に、救援物資9トンを被災地に届けました。
特に喜ばれたのは、赤ん坊用ミルクとビタミン剤です。
食物が汚染されているため、妊婦が栄養不足になり、母乳が出ない人が多いのです。
この農場は、放射能汚染地帯ですが、乳牛を飼育しています。
もちろん、牛の体内に放射能が蓄積されている可能性は高く、搾り取られるミルクも当然危険です。
事故直後は、住民はミルクをそのまま飲み、放射性ヨウ素が喉から住民の体に入りこみました。
現在は、さすがに、ミルクとして販売することは禁止されています。
しかし、
加工すれば放射能の量が減少するとして、ミルクは工場に運ばれ、バターとヨーグルトに加工されます。
そして
住民は、毎日それを食べています。
放射能のうち、セシウムだけは検査が行われています。
ところが、
体内に入るともっと恐ろしい、ストロンチウムとプルトニウムの検査は、全くされていません。
広河:
彼女(検査技師)は、
それで安全だと思っていますか?
検査技師:
いいえ、危険です。
広河:
取材を通じて3年近く付き合いが続いている、ニーナさん一家を訪ねました。
事故後、ニーナさんは、不安に怯えながら、二人の子を出産しました。
家族全員元気そうで、ホッとしました。
料理が得意なニーナさんは子どものために、美味しいケーキをよく作ります。
しかし乳製品には、ストロンチウムとプルトニウムで汚染されている危険があるのです。
放射性物質は、食べ物から消化器へ吸収され、長い時間をかけてゆっくりと、体内に蓄積されていきます。
事故直後は、ウォッカの一気飲みをすれば放射能は大丈夫という話が本気で信じられ、町全体が酔っぱらっていたという、笑えない話があります。
ホイニキの市場、日曜の朝です。
市場では、トウモロコシや野菜の種が、出店に並んでいました。
復活祭が近いせいか、子豚もたくさん売られていました。
豚はすべて汚染地域で飼育されたもので、もちろん放射能検査は受けていません。
ナレーター:
広河さんが産婦人科の病院で取材中、ひとりの女性に陣痛が始まりました。
広河:
あ、生まれた!男の子。
赤ちゃんが生まれました。
子どもを産み育てるには、汚染地を離れるべきなのですが、旧ソ連の経済危機の中で、人々は避難先を見つけることすら困難なのです。
このベラルーシで80人の母乳を検査したところ、全員から、セシウムとストロンチウムが検出されています。
ースタジオー
櫻井:
広河さん、あの子どもたちがこれから先、どうなってしまうのかを考えると、本当に心配ですね。
広河:
ええ、胎児とか乳児が放射線を被ばくすると、大人と比べものにならないくらい大変な影響を受けるわけですね。
だから、白血病とかガンが心配です。
櫻井:
広河さんの『チェルノブイリ子ども基金』が、ミルクとか薬を届けるシーンがありましたけれども、もちろんあれでは全く足りないわけですね。
広河;
ええ、ある病院に届けたんですけど、その時彼らが、
「7年間で救援物資が来たのはこれが初めてだ」と涙を流して言ってたんです。
アナウンサー:
その救援活動なんですけど、一時はもう少し世界的に盛り上がってたはずですよね。
広河:
ええ、
2年前に、IAEA国際原子力機関が、「被害は大したことがない」というふうに発表しました。
ろくに調べもしないで、安易にそういう発表をしたことが、救援物資の動きに水を差したんですね。
櫻井:
そういう意味で、
IAEAの責任は極めて重い、ということも言えるわけですね。
チェルノブイリ特集 福島の子供達の5年後、10年後は?
このビデオは、子どもたちの実際の映像を見ていただきたいと思います。
なので、文字起こしはせず、最後の櫻井さんと男性アナウンサーのコメントだけを載せておきます。
そしてお詫びですが、この動画だけは、上方に流れるうるさいコメントを消すことができませんでした。
すみません。無視して観ていただけたらと思います。
男性アナウンサー:
放射能というものは目で見えないだけに、口でいくら危ないと言っても、彼女たちはなかなか理解できないんですよね。
それが問題をいっそう深刻にしてると思います。
櫻井;
あの、今ご覧いただきました小児の甲状腺ガンは、これまでは、汚染の酷い地域の子どもたちに目立ってたわけなんですが、
この1年間でなんと、
原発からかなり離れたポーランドからさえも発症しているという報告が出ているんですね。
男性アナウンサー:
放射能の汚染地域を離れて、療養が必要とされている子どもたちが、今40万人いると言われているんですね。
櫻井:
その子どもたちは、圧倒的に、栄養とかビタミンが足りないわけで、広河さんは、現地で不足している子ども用のミルクやビタミン剤を送り続けています。
↑文字起こしおわり