ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

お風呂場狂想曲エピローグ

2015年01月17日 | お家狂想曲
ケビンは、ふたりの友人から勧められた大工さんでした。
今回の修繕にあたり、図面を描いてくれた、これもまた友人の設計士からは、別の人を複数勧められてたのですが、
それぞれに家に来てもらい、見積もりを出してもらったところ、ケビンが破格の安さだったので、評判も良いのなら大助かりだとばかりに、即行でお願いすることにしました。
そしていよいよ工事が始まるという時になって、「ボクは、平日の夕方と週末しか仕事できないから」と言うので、旦那とわたしはびっくりしたのですが、
ああ、だからこんなに安かったんだなと納得し、できないのなら仕方がない、まあ、あんなにちっちゃい部屋だし、ケビンも一ヶ月もかからないと言うし、と承諾しました。

仕事が始まり、夕方から始まるレッスンと重なって、特にその時は発表会の二週間前だったりしたので、生徒たちにはとても申し訳なかったけれども、
子どもながらに、自分たちにも経験があるからと、反対に同情してくれたりしてありがたかったのですが、
発表会の後、日本に帰省した10日間の留守中だけは、とりあえず仕事を中断してもらうことにしました。
その頃すでに、仕事の成り行きをいちいち見ておかないと、ちょっとヤバいという感覚が芽生えていたのです。

日本から戻って来たのは11月末で、その時は、少なくともクリスマスまでには終わると、誰もが信じていました。
ところが、ケビンが雇っている配管工が、来たり来なかったり、来ても何かが足りないとか見つからないとか言って、途中で帰ってしまったりと、かなりいい加減で、
洗濯機からの排水管とつながっているパイプの蓋をし忘れてたりして、大量の水漏れが何度も発生し、1階の台所の天井がふやけてしまいました。
おまけに、いったい誰がやったのかわからないのですが、新品の浴槽に瓦礫をガンガンと放り込み、何筋もの深い傷がついたり
ケビンはケビンで、設計図を無視して自分のやりたいことをやってしまってたりするので、やり直しや付け直しが続いて、予定がどんどん遅れてきてしまいました。
昼間の仕事(オリンピック招致のプロジェクトマネジャー)との掛け持ちなので、彼としては1日でも早く、ここの仕事にケリをつけたい。
もちろん我々も、心身ともに落ち着かないし、やり直しなどという、相手にとってものすごくイヤなことを承知で頼むという慣れない行動には、いつも以上に神経を使うし、
特に、浴槽の交換という大事件が起こった後は、ケビン側にその費用の弁償がのしかかり、かなり落胆しているのがわかったので、
弁償するからと言ってくれた直後に始まったタイル貼りの、まだ下から数段しか貼っていない時点で、表面が平らではなく波打っているのに気づき、
額縁がちょっとでもずれていると直したくなるような性質のわたしには、それがもう目について、気になって仕方が無かったのですが、
言えませんでした…タイミング的にどうしても…。

さらに、板やタイルを切る作業は二階の中の間でやっていたのですが、カバーが十分でなく傷だらけ、資材を置いていた部屋の床も凹みや傷がたくさんついてしまいました。


いい人なんです、ほんとに。
でも、プランの組み立て、他の職人との連絡、そして図面に従う、従いたくないにしても施主に相談してからにするというようなことが、今回の場合だけかもしれないけれど、とても苦手な人だった…。
そしてそれは、仕事の進行に致命的なダメージを与えたし、そのことで皆が疲れ果て、だんだんと気持ちが落ち込んできていました。

そして…、

木曜日の夕方に、ケビンから電話がかかってきて、仕事の終了時に払うことになっていた残金もいらないから、この仕事から降りたいと言われ、旦那とわたしはびっくり仰天。
土曜日に、道具のすべてを回収に行くと言って、その電話は切れました。
図面を描いてくれた友人に相談したら、辞めるも何も、町から工事の許可をもらった当人なんだから、その当人は最後まで仕事をしなければならないのよ。
辞めるなんてもっての他!と言います。
わたしはわたしで、頭の中がブワーッとなって整理がつかず、今まで抑えていた不満がフツフツと湧き上がってきて、金曜日の朝の瞑想中もそのことで頭の中がいっぱい。
我慢しきれなくなって相談したら、そこに居た7人中6人が、びた一文払ってはいけないと言い、その中のひとりは、わたしは裁判で訴えたことがあるのよ、と話してくれました。
いやはや…なんてこった…と思いつつも、まあここではよくあることなんだと、少しは慰めにもなったりしたのですが、
家に戻ると旦那が、ケビンは土曜日ではなくて、今夜来て話したいと言ってると言うので、またまた胸の中がざわざわしてきました。
わたしはもうすっかり覚悟を決めていて、未完のままの、専門家でないとできない仕事を誰に頼むか、
壁のペンキ塗りは元から工程外の作業なので、旦那がするか、はたまた友人のペンキ職人に頼むか、
そんなことをあれこれと考えながら、とにかくお風呂に入れるようになってるかどうか調べておこうと旦那が言うので、まず水の出方を見てみました。
すると…、
待てど暮らせど、お湯がぬるいままで熱くなりません。
え…あかんやん…。

その日のレッスンが終わり、一息つく間もなく、約束の6時半より10分早く、彼はやって来ました。
何やら書類を抱え、表情も固いままです。
とにかく話を聞こう。なにもかもそれからだ。そう腹を決めて彼の前に座りました。
すると、どうやら原因は、旦那が返信したEメールだったようです。
ケビンは、『そろそろ終了するので、残金を支払ってほしい』というメールを、旦那に送ったのでした。
旦那はその返事として、これまでの仕事へのお礼をまず言い、その後に、
『支払い残金(前金として費用の半分を払ってあるので、その残り)は、その額から浴槽の代金(税金と配達料を含む)を引いて支払います。
その前に、以下のことを確認して欲しいです。
高く付けすぎた手すりの下に、もう一本の手すりを付けられるかどうか
タオル掛けの位置
床のタイルの目地の欠けている部分の補修
目地の防水
ラジエーターのペンキ塗り』
という、前々から決まっていたことで、まだ終わっていないことを、確認のつもりで箇条書きにしたのでした。

そうしたら、浴槽代は支払うけれども、税金と配達代まで払うのはイヤだ。
それに、あの書き方は冷ややかで固い。
そう言うのです。

なるほど、そういうことだったのかと理解はしたのですが、浴槽にかかった費用のうち、税金と配達料をどうして我々が負わなければならないのか、それが納得できずにいると、
どうも、配管工も電気技師も、自分は知らない、やってないと言い張っているらしく、だからケビンは誰にも払わせることができずに、自腹を切ることになったようなのです。

では、その費用は我々が払いましょう。
メールで書いたことは、別に余計なことをお願いしているわけでも、不快な気持ちで書いたものでもなかったけれど、
やはりEメールというものは表情が見えず、往々にして誤解を招く性質を持っているので、
そんなつもりは毛頭無かったけれども、印象を悪くしたのなら申し訳なかった、と言いました。

すると、みるみる表情が和らいで、話も弾み、いつものケビンに早変わり。
やる予定だったことは全部する、と言うので、3人で二階に行って、タオル掛けの場所を決めたり、ウォシュレットのリモコンで冗談を言い合ったり、すっかり元気を取り戻したところで、
「そりゃそうと、浴槽の水が熱くならないんだけど」と言いながら、実際に全開で出し、彼にも確かめてもらいました。
「温水器が壊れてるんじゃないの?」
「そんなはずはないよ。だって、洗面台の水はほら、アチアチになるでしょ」
「いや、多分、配管か温水器の故障だよ」
「温水器は数年前の洪水で取り替えたばかりだし、おんなじ部屋の、それもすぐ近くの蛇口から、別々の温度の水が出てくるわけないっしょ?」
「そうかなあ」
「家は古いけど、この部屋の水温で問題になったことは一回も無いんだから!」
というわけで、やっとのことで配管工に来てもらうよう、頼むことができました。

緊張の糸が緩んでホッとしたのも束の間、ケビンが使っていたカバー代わりの古い布団に、空と海がおしっこをしていたのを発見!
夜中から洗濯開始です。
そしてこれ。
二度と浴槽に傷をつけられないように、昔、息子たちのおねしょ対策に使っていたビニールを、浴槽にペタペタと貼り付けて、


でもやっぱり思います。なんでこんなことをせにゃならんのか、なんでこんな心配をせにゃならんのかと…。

そして今日、朝8時から、ペンキ職人のナイジェルとケビンが上機嫌でやって来て、ドアや網棚、タオル掛けなどの小物の取り付け、ラジエーターの下の穴塞ぎなどをし、
浴槽つながりの、シャンプーなどを置く棚は、また別の日に来てやるからと言って、帰って行きました。
壁のペンキ塗りと目地の防水仕上げ、それからレンガの柱のコーティングなどの細々とした仕事は、ナイジェルに別払いでお願いすることにしました。
もちろん、風呂の水を熱くしてもらわないと入れないので、我々が最も信用できないままでいる配管工に、再び登場願わなければなりませんが…。

とまあ、自分のための記録として、ここまで長々と書き綴りました。
ここまでお付き合いしてくださったみなさん、うだうだと長ったらしい愚痴話を聞かせてしまい、申し訳ありませんでした。
今回のことでは、たくさん学ぶことができました。
何事も初めてのことというのは、その当事者にとっては大変なものです。
家の改装などというものは、そんなに再三できるものではありませんが、それでもやはり必要に迫られた時は、この経験を活かしたいと思います。
幾晩も眠れなかったのですが、そのうちの何日かは、波打つタイルや、洗面台の下の棚に空いた不必要な穴に不満を感じているのに、それを伝えられないままでいることにイライラしたのが原因で、
そんなことにイラついて眠れなかったりする自分が、またまた情けなくてイヤになり、その都度さらに落ち込みました。
旦那は、そういったことに気づいているし、不満もあるけれども、そんなことに囚われず、良い方に考えを切り替えることができる人で、
それでまた、より一層、自分のアホさ加減を思い知らされて、悶々としながらここまで来ました。
贅沢言ってんじゃないよ。
ほんとにそう思います。
床板が剥がれた所では、100年以上も前からの尿と埃と油が染み込んだ古板がむき出しになっていて、なんとも言えない不快な臭いを漂わせていました。
波打ってはいるものの、さっぱりとした白いタイルで囲まれた浴室の変身っぷりを、わたしが喜ばなくて誰が喜ぶ!
良いところを見つけよう。
見つかったら喜ぼう。
喜んでいる自分こそが自身なのだ。
それこそが生きているということなのだ。

お風呂に浸かった最初の瞬間に、わたしはもしかしたら泣くかもしれません…。
コメント (4)
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