フランスの風刺新聞の記者や画家が襲撃され、無抵抗な人たちが殺害されました。
そのニュースを聞いた後、異例の早さで犯人が指名され、公の場に報道されるのを目の当たりにしながら、
わたしはあの、同時テロの日のことを思い出していました。
あの時も、どうしてこんなに早くわかったのだろうと首を傾げながら、どの局のニュースキャスターも一斉に、濃い髭面の男たちの名前を連呼するのを聞いていました。
旅客機がビルに追突するシーンを観ると、体全体が震え、泣こうとも思わないのに涙があふれ出てしまうので、テレビをつけずにラジオの報道を聞いていました。
あの時のニュースキャスターも、そして町に出て怒りの声を上げる人たちも、まるで何かに酔ってでもいるように、あるいは取り憑かれてでもいるように、
イスラムに対する怒りを丸出しにして、さあみんなで悪に立ち向かおう、正義を貫こうと叫んでいました。
そういうことを言う、そういうことをする自分たちは絶対に正しく、力を合わせて悪を封じ込めなければならないと言わんばかりに。
同時テロから3日目の夕方に、そんな社会の降って湧いたような興奮に違和感を覚えながら、自分が目にした光景から逃げられずに、暗い洞窟のようになった心の中にこもっていたわたしは、
外から見たら格好のカモだったのでしょう、スーパーの駐車場でカージャックに遭ってしまいました。
要求される額を交渉しながら、相手を助手席に乗せて、30分もの間言われるままに車を走らせました。
その間、相手の顔を何回か盗み見て、濃いヒゲを蓄えていたこと、男を降ろした場所に、やはり同じような風貌の男性が数人居たことを、後で警察に行って話すと、
皆が一斉に殺気立ってきて、すぐに2階の部屋に連れて行かれ、アラブ系の男性の写真が何百枚も載っているアルバムを見せられました。
同時テロが起こってからの数週間はだから、アラブ系の人たちにとっては、とても居心地の悪い、いやそれ以上に、自分にもいつ危害が加えられるかわからないぐらいの恐怖を感じる、辛い日々だったと思います。
そして米国は、全国一斉に沸き立って、戦争をすることが正しいという世論を市民自らが作り上げるように仕組まれた罠に、すっかり囚われていきました。
その勢いたるや、恐ろしいものでした。
マスコミの先導の凄さを目の当たりにして、それでもなお、その洗脳に抗おうと必死に訴えていた人たちの姿を目の当たりにして、
テロ行為が起こった際に生じる社会の反応と、それを煽るマスコミの動きを、一歩引いて見ること、考えることが大切だと、あの時以来思うようになりました。
テロ=悪者=制裁=正義
この、単純だからこそ刷り込まれやすい図式の罠に、今はとりあえず危害から免れているわたしたちがかかってしまうと、世界はますます奴らの思うままになってしまいます。
言いたいことはある。山ほどある。
伝えなければならないこともある。山ほどある。
それを見事に書き表してくださった守田さんの、3回にわたる記事を、ここに紹介させていただきます。
守田さんは毎日、膨大な量の考察を、とてもわかりやすい言葉でまとめてくださっていて、わたしにとっては先生のような方です。
ここに転載することを、いつも快く承諾してくださるので、お言葉に甘えて転載させていただいているのですが、
日々の記事はどうか、守田さんのブログ『明日に向けて』の読者になり、読まれることをお勧めします。
では、以下に、3回に分けて紹介された記事『フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か』を転載させていただきます。
フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か-(年頭に世界を俯瞰する-5)
2015年1月11日
守田です。
これまで「年頭に世界を俯瞰する」と題して、現代社会に大きな矛盾を作り出している新自由主義が、
それ以前のケインズ主義にも共通した、「儲かればそれで良い」とする価値観の上に、弱肉強食の資本主義を作り出してきたことを見てきました。
僕の意図では、前回の内容に続いて、新自由主義のもとで、さらにどのような矛盾が作られてきたのかを詳述しようと思っていましたが、
そんな中で、現代世界の矛盾を凝縮したような事件が起こってしまいました。
フランスの新聞社襲撃事件です。
どうしてもこれには触れざるを得ないと考えて、少し歴史的な説明の順番を反転して、現代のこの問題をどう捉えるのかを論じてみたいと思います。
大前提として語らなければならないことは、今回シャルリー・エブドに対して行われた殺人襲撃は、断じて認めることのできないことだということです。
理由は、無抵抗な人々を、一方的に殺害したからです。
僕は、人の命を奪う、こうしたあらゆる暴力的試みに、絶対に反対です。
ただし、「表現の自由」を侵害したからだということには、保留したいものを感じます。
現代世界のあり方の中で、ヨーロッパの新聞社がムスリムの人々を侮蔑するのも、一つの暴力であるとも感じるからです。
この点について、非常に共感できる記事がネット上に載っていたので、ご紹介しておきます。
国際政治学者の六辻彰二さんという方が、書かれています。
フランスの新聞社襲撃事件から「表現の自由」の二面性を考える-サイード『イスラム報道』を読み返す
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20150109-00042123/
僕が今回、書かねばならないと思っているのは、現代世界を俯瞰した時に見えてくる、「イスラム」と「イスラム過激派」の位置性です。
ちなみに、「イスラム過激派」という言葉自身も、西洋的な一方的文脈のもとにある言葉であることに、注意を促したいと思います。
イスラムという思想の中の過激派というより、イスラムを信じる人の中に持ち込まれた暴力思想、と言った方が僕は良いと思います。
その点も、サイードの『イスラム報道』などに触れていただくと、見えてくるものが大きいと思いますが、
ともあれ、イスラムという信仰が「過激」なのではない、ということを強調したいです。
現実には、キリスト教徒にも「過激派」はたくさんいるし、世界で一番過激で一番たくさん人を殺してきた国家はアメリカです。
さて、新自由主義が、1970年代のケインズ主義的資本主義の行き詰まりの中で登場してきたことを、これまで見てきました。
そのときに、社会主義が十分な対抗軸になれなかったと、僕が考えていることも明らかにしてきました。
とくに、既存の社会主義国家は、対抗軸足りえないどころか、1980年代にどんどん衰退していき、同年代末から1990年代初頭に、次々と倒れて行きました。
歴史的に見た場合、あたかもこれと入れ替わりに、資本主義的矛盾と鋭く対決する大きな潮流としてイスラムが台頭してきたことに、注目する必要があります。
その一つは、1979年に勃発したイラン革命でした。
それまでのイランは、パーレビ国王が統治する独裁国家でした。
しかもパーレビ王政は、「アメリカの中東の憲兵」と言われた政体でもありました。
これを倒したのは、イスラム教シーア派を中心に結集した、イランのムスリムの人々でした。
いや、ここにも、初期には、フェダイン・ハルクなどの社会主義グループも参加していました。
しかし、革命イランは、次第に社会主義勢力を排除し、イスラムの理念のもとに歩み始めました。
「中東の憲兵」を失って狼狽したアメリカは、同じく貧困層に支持されるシーア派の台頭に脅威を抱いたアラブの王族たちの思惑も受けつつ、
イラク・フセイン体制を軍事的に強化して、イランにぶつけました。
かくして、イラン・イラク戦争が勃発しました。
ちなみにフセイン政権は、バース党という社会主義政党によって成り立つ、世俗主義の政権でした。
一方で、イスラム勢力の台頭を作り出したのは、旧ソ連邦でした。
同じく1979年。
ソ連寄りだったアフガニスタンの共産党政権に、ムスリムの反発が強まり、武装抵抗がはじめられたことに対して、ソ連が軍事侵攻を開始しました。
これに対して、アラブ世界を中心に、世界のイスラム教徒が怒りを覚え、たくさんの義勇兵がアフガニスタンに向かいました。
アメリカはここでも、ソ連の勢力をそぐために、反ソ武装闘争派のムスリムを軍事支援。
訓練キャンプなども作って、さまざまな軍事スキルを伝授しました。
ここに参加して、後に大きな影響を持った一人が、ウサマ・ビン・ラディンであったことは有名です。
アメリカがイラク戦争で「打倒」したフセインも、パキスタンで非合法的に処刑したウサマ・ビン・ラディンも、もともとはアメリカが育てた人物でした。
今、「イスラム過激派」と称される人々、とくに「アル・カイーダ」などと呼ばれるネットワークなどは、
もともとアメリカが軍事的に育成したものであることを、私たちは見ておく必要があります。
その意味で、これらの人々を「イスラム過激派」というのは正しくない、と僕は思うのです。
イスラム教徒の中に持ち込まれたアメリカの暴力思想、ないし、「イスラムの中のアメリカ的テロリズム」こそが、これらの人々を巨大化させてきたのです。
ではなぜ、アメリカが育てたイスラムを名乗る暴力主義者たちが、アメリカに牙を向いたのでしょうか。
それ自身も、アメリカの都合によるものでした。
1980年代、それまでアメリカと最も鋭く軍事的に対立していたソ連邦が、どんどんその力を落としていきました。
一つには、アフガニスタン侵攻後、ムスリムの頑強な抵抗にあい、戦線が膠着して疲弊を深めたことが理由でした。
この点で、ソ連のアフガン侵攻は、アメリカのベトナム侵攻と同じだった、と指摘されています。
さらに決定的だったのは、1986年4月26日に、チェルノブイリ原発事故が起きたことでした。
当時のソ連邦書記長ゴルバチョフは後に、「チェルノブイリの前と後で私の人生は変わった」と述べ、ソ連邦崩壊の大きな要因が、この原発事故であったと指摘しています。
最も頑強なソ連邦が崩壊していく・・・。
それは、アメリカにとって喜ばしいことであるはずでしたが、実は、アメリカ軍を総べるペンタゴンは、呆然たる状態になっていたことが、今日明らかになっています。
ソ連軍との対抗の必要性がなくなれば、アメリカ軍も大幅に縮小されてしまうと思われたからでした。
その意味で、ソ連邦とソ連軍の崩壊を、実はアメリカ軍は、喜ぶどころか深刻な危機の到来と捉えたのでした。
アメリカ軍、及びその後ろに控える巨大な軍需産業は、次の敵を探しました。
そして、格好の標的とされたのが、イラク・フセイン政権だったのでした。
このときフセイン政権は、アメリカの後押しのもとに、イランの革命政権と闘ってきていました。
当初は、軍事力で圧倒的に上回るイラクが優勢でしたが、正義感で上回るイランは、革命防衛隊を軸に、頑強に抵抗。
結局、この戦いも戦線が膠着し、1988年に停戦を迎えました。
イラクには、戦争を通じて作った多額の借金が残り、債権の多くが、アメリカやヨーロッパ諸国にありました。
こうした中でクウェートが、イラク国境付近で油田開発を始めました。
イラクは、自国の権益が脅かされると考えて激怒、クウェートへの軍事侵攻を行いました。
このとき実は、イラク・フセイン政権は、アメリカに、クウェート侵攻に関する打診を行っていたと言われています。
イラクとしては、アメリカが反対しないことを確認してから、クウェートに攻め入ったのでした。
ところが、イラクがクウェートに到達するや、アメリカは激怒しました。
さらに、クウェートの看護師による、「イラク軍兵士が病院に攻めてきて、保育器から子どもたちを取り上げて殺した」という証言を、何度もテレビで流しました。
こうしてアメリカは、湾岸戦争に殺到していきました。
実は、これは完全なやらせでした。
証言したのは、クウェートのアメリカ駐在大使の娘で、アメリカ在住の女性だったのでした。
アメリカは他にも、メディアで虚偽の情報をたくさん流して、全世界を湾岸戦争に巻き込もうとしました。
ここには、アメリカの、ベトナム戦争の戦略的な捉え返しがありました。
ベトナム戦争では、従軍記者たちが、かなり自由に戦場の実態を報道していました。
その中から、アメリが軍が行っていた残虐行為が世界中に流れることになり、世界中をベトナム反戦運動が吹き荒れるようになりました。
アメリカの中でも反戦運動が大高揚し、結局アメリカは、撤兵を余儀なくされました。
アメリカ政府とアメリカ軍は、このことへの捉え返しを強め、この湾岸戦争では、完全にメディアをコントロールし、
それどころか、虚偽の内容を次々とプロパガンダすることで、戦争を思うように進めました。
戦史上、広告会社が戦略上の重要な位置をしめた、初めての戦争でした。
ところが、アメリカは大きな誤算を犯してしまいました。
イラクへの侵攻をできるだけ大規模に行うために、ムスリムの聖地に、大量のアメリカ軍を投入したことでした。
とくに、メッカとマディーナというイスラムの2大聖地のあるサウジアラビアに、膨大な異教徒の軍隊が入り込み、
そこから、ムスリムでもあるイラクの人々への大規模攻撃を行ったことが、多くのイスラム教徒の心を傷づけました。
アメリカはメディアを使い、ジャーナリストを完全に統制することで、西欧メディアのコントロールはできたものの、
他ならぬアラブの人々、イスラムの人々がどう思うかへの配慮を、全く欠いていたのでした。
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フランス新聞社襲撃事件の背後を考察しています。
今回は、「フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か」の続きです。
アルカイーダというイスラム義勇兵たちが作りだしたネットワークが、ソ連の力を削ぎたかったアメリカの軍事支援のもとでできあがったことを述べてきましたが、
それが反米に転換していったのは、湾岸戦争の時でした。
中でも問題なのは、アメリカが、メッカとマディーナというイスラムの2大聖地のあるサウジアラビアに、膨大な軍を送り込んだことでした。
湾岸戦争が勃発した時、アフガニスタンに集ってソ連軍と闘った多くの国際義勇兵たちは、目的を達して自国に帰っていました。
ウサマ・ビン・ラディンも、ちょうど出身国であるサウジアラビアに戻っていました。
これらの人々は、今度は、アメリカのイスラムの大地での無謀な振る舞いに激怒し、やがて反アメリカネットワークを形成していきました。
かくして1990年代に、アメリカ貿易センタービル爆破事件(911事件はもっとあと)など、さまざまな軍事攻撃が行われるようになりました。
アメリカが仕込んだ「過激派」が、その暴力をアメリカに向け出したのでした。
このことに、新自由主義のもとでの世界の混乱が、大きく関連していきます。
なぜかと言えば、イスラム教は利子による儲けを禁止しており、過度な儲け主義を戒めているからです。
利子を禁ずる理由は、神のものである時間を利用した儲けだからです。
実は中世キリスト教も、利子を禁止していました。
キリスト教も、もともとは儲け主義を戒めているのです。
しかし、取引の活発化と共に、現実には必要とされたため、「守銭奴の行う下劣な仕事」として、ユダヤ人が携わっていたのでした。
ユダヤ人が共同体と共同体の外におかれ、またがる位置にいたからでした。
その後、商業が発達し、資本主義が成熟する中で、西欧社会は利子を合法化していきましたが、
イスラム世界では今も、経典に反する行為として禁じているのです。
現実にはいろいろな抜け道があり、利子に変わる利潤の回し方があるのですが、
それでも、イスラム教が今なお、「儲かればそれで良い」という価値観に否定的であることは、間違いありません。
それだけに、弱肉強食の新自由主義のもとで貧富の格差が開けば開くだけ、イスラムの教えによる強欲な社会への批判が高まってくる構造を持っています。
それがまさに、新自由主義の時代のもとで、イスラム教が独自の光を放っている所以です。
しかし、だからイスラム教徒が「過激化」しているのでは、断じてありません。
これまで見てきたように、そのような地盤の上に、アメリカによってトレーニングされた武装集団が結合したとき、「過激派」が生まれてきたのだということです。
しかもアメリカは、911事件後、アフガニスタン戦争でもイラク戦争でも、ムスリムの国に、明らかなる侵略戦争を行いました。
アフガン戦争の場合は、時のタリバン政権が、ウサマ・ビン・ラディンの引き渡しを拒んだのが理由とされたわけですが、
タリバンは、「彼が911事件の犯人だと言うなら、証拠を見せよ」と言っただけでした。
2003年からのイラク戦争に至っては、「大量破壊兵器」をイラクが隠し持っていることを理由に全土が占領されましたが、
実際にイラクは、大量破壊兵器など持っていませんでした。
しかもこの戦争の過程で、ものすごくたくさんの民間人が、「誤爆」の名の下に殺害されました。
実際には、兵器産業と一体のものとしてあるアメリカ軍は、この二つの戦争で、核兵器をのぞくあらゆる兵器を使い、たくさんの「誤爆」を生み出したのでした。
新型兵器の見本市、と言われたほどでした。
ものすごく大量の爆弾、弾薬が使われました。
しかも湾岸戦争以降、アメリカ軍は劣化ウラン弾も多用してきました。
劣化ウランがもたらす健康被害も、甚大にイラクや周辺国を襲っています。
湾岸戦争以降、そのイラクに、アメリカは国連を通じて、医療品をはじめとしたさまざまな物品の禁輸措置をとり続け、2003年に全面侵攻したのでした。
こうした大義なき戦争が繰り返されてきたこと。
あとになって、開戦理由が間違っていたことが判明してすら、誰も罰せられもしないあまりに酷いありさま。
それでどうして、イスラムの人々の怒りが高まらない理由があるでしょうか。
しかも、これらの戦争に、ヨーロッパ各国は度々追従しました。
もっとも熱心にアメリカを支持し、攻撃に参加したのはイギリスでした。
フランスは、イラク戦争には反対しましたが、アフガニスタンには攻め込みました。
これらすべての戦争行為が、多くの血気盛んな若者を、イスラムの武装闘争派に惹きつけてきたのではないでしょうか。
しかもアメリカは、これらの軍事戦闘の中で、常に最も強いのは、無慈悲に、良心の呵責なく人を殺すことであることを示してきました。
それが、アメリカ軍の強さでもありました。
例えば湾岸戦争の時、クウェートからイラクに逃げ戻る戦車や兵員輸送車などの車列を、アメリカ軍は後方から襲い、何万もの兵士を殺害しました。
戦闘ではなく、一方的なであったと言われています。
イラク軍は逃げ帰る途中だったのですから、殺害する必要などなかったのです。
しかもこのときイラクは、たくさんのクウェート人を人質にとったので、アメリカは攻撃をためらうだろうと考えたのですが、
そんなことはまったくおかまいなく、徹底した殺戮が行われました。
残虐さを見せつけるような攻撃でした。
軍事戦闘と言うものは、いや、そもそも暴力と言うものはですが、それを受けた側に、強烈な印象を刷りこみます。
虐待を受けた子どもが、親になって虐待をしてしまいやすいように、意識下に暴力の凄さが刷りこまれ、同じ暴力に相手を誘う性質があるのです。
このため、あらゆる戦争において、やられた側はやった側を模倣する傾向を、強く持っています。
しかも卑劣な攻撃ほど被害が甚大なため、コピーされやすい。
こうして、やった側は多くの場合、同じ戦術で攻撃されることにもなります。
戦争の愚かさです。
その点でアメリカは、アフガンでもイラクでも、徹底的に無慈悲な攻撃を行うことで、無慈悲でなければ勝てないという思いを相手の側に作り出してしまってきたのです。
今、イラクとシリアで暴れている「イスラム国」についても、同じことが言えると思います。
この点で、参考になる記事が、NHKのウェブサイトに載ったのでご紹介します。
「イスラム国」指導者に迫る NHK NEWS web 1月6日 18時20分
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0106.html
記事の中でNHKは、謎の人物とされている「イスラム国」の指導者、アブバクル・バグダディに触れています。
それによると、この人物は、もともとはフセインのバース党(世俗主義)の党員で、穏健な人物だったそうです。
しかし、アメリカ軍のイラク進攻に対して武装抵抗し、アメリカ軍に補足されてクウェート国境の「キャンプ・ブッカ」に収容され、そこで「過激思想」に感化されたというのです。
NHKの記事では、これらのキャンプは、「まるで過激派の学校のようだった」とされています。
しかし、見過ごしてはならないのは、アメリカ軍がイラク戦争当時、これらの収容施設の中で、さまざまな拷問を行ったことです。
アブグレイブ刑務所が有名ですが、キャンプブッカも、これと同様の施設でした。
例えば、受刑者に、大音響のロックを一日中聞かせるなど、精神崩壊を狙った行為が繰り返されました。
さまざまな性的拷問も行われました。
男性受刑者に、他の男性受刑者とのセックスを強要したり、女性看守が男性受刑者をもてあそんだりという蛮行が、繰り返されました。
女性受刑者に対するレイプや、子どもに対する性的虐待も行われました。
そのどこまでがアメリカ軍の正式作戦だったかは分かりませんが、このような人権のかけらもない収容者アメリカの姿こそが、多くの「穏健」で「世俗的」だった収容者を、「過激派」に変えていったと思われます。
だからこそ「キャンプ・ブッカ」は、「過激派の学校」になったのです。
まさにこれらの人々は、アメリカの理不尽な戦争を目撃し、その上で、監獄における極度の虐待を受けて、暴力的な思想に染まっていったのです。
残虐なアメリカ軍に抗う中で、残虐さを徹底的に刷りこまれてしまったのです。
イスラム国は、IT機器の操作などがうまく、英語の情報発信能力にも長けていると言われていますが、
そうした現代的なITスキルと、粗野な暴力性の同居のあり方に、アメリカ軍との強い親近性を、僕は感じます。
その意味で、「イスラム国」の獰猛な暴力性も、イラク戦争におけるアメリカの理不尽さの中で生み出されたもの、と言わざるを得ないのです。
しかも、アメリカの主導する新自由主義が、さらに矛盾を拡大し、人々の怒りに火を注ぎ続けてきたことを、忘れてはなりません。
とくに資本主義のもとでも長い間、投機の対象にすることを避けられてきた食料品など、人々の生活に直結するさまざまなものまで、新自由主義はマネーゲームの対象にし始めました。
この中で、アラブ諸国に、次々と大きな政変が起こりました。
西欧はこれを、「民主主義の進捗」「アラブの春」などと捉えましたが、僕の友人の国連職員は一言、「あれは食糧暴動だよ」と、怒りを込めて僕に指摘してくれました。
このように考えるならば、今回のフランスにおける新聞社へのまったく許しがたい暴力行為は、
そもそもこの間、アメリカにおける理不尽な軍事戦闘と、新自由主義における世界中の人々の生活破壊によってこそ、生み出しているものであることが分かります。
だからこそまた、イスラムへの信仰をもった過激主義者にも、僕は言いたいのです。
アメリカに屈するなと。
暴力に心を奪われるなと。
アメリカが行ってきたような理不尽な暴力を、自己解放の手段にしてはいけないと。
それではどんな解放も実現しないと。
そうすると必ず、こういう答えが返ってくるでしょう。
「日本こそアメリカに屈しているではないか。
アメリカに基地を貸し、アメリカの子分になっているではないか。
自衛隊までだそうとしているではないか。
おまえたちにとやかく言う資格はない」と。
そうなのです。
まさに日本は、そこに位置しているのです。
僕はこう言い返すでしょう。
「確かにそれはそうだけれども、僕はあくまで暴力に反対だ。
とくに、アメリカの理不尽な暴力に反対だ。
だから、あなたたちの殺人行為にも、全面的に反対なのだ。
ただ、それを言う限り、僕はこの日本の地で、命をかけて、日本の戦争協力や参加を止めるために奮闘する」と。
こう返すしかない。
そうは思いませんか?
テロに屈しないことは、暴力思想に屈しないことです。
だとしたら、アメリカの暴力思想、連綿たる戦争犯罪こそが、真っ先に批判されなければならないのです。
フランスでは、数百万の人々が、今回の殺人事件を悼んでデモ行進をしました。
そこに、「テロに屈しない」というスローガンが、たくさん見られました。
そうです。
テロに屈してはいけない。
だから私たちは、世界の中でもっとも大規模かつ卑劣なテロを繰り返し、たくさんのテロリストを養成してきたアメリカをこそ批判し、
世界の人々に、「アメリカのテロを真似るな」と叫ばなければなりません。
フランスの人々が、そのことにこそ目覚め、真の反暴力、平和の道を歩むことを、心から願いたいと思います。
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フランス新聞社襲撃事件に触れながら、この数十年間、アメリカを中心とする大国が、アフガニスタンやイラクなどに、どれほどひどい暴力的な戦闘を仕掛けてきたのかを指摘してきました。
またその中で、「アルカイーダ」などの「過激派」は、もともとアメリカが育成してきたことも指摘しました。
今回の襲撃事件も、こうしたアメリカの残虐さを真似たものであり、だからこそ僕は、許してはならないと強く思います。
こうした殺人事件をなくすためには、もっとも大規模な殺人を繰り返しているアメリカを中心とした列強国の戦争政策をこそ、止めていく必要があります。
その点でもう一つ、非常に大事なことは、パレスチナに繰り返し行われきた、残虐な大量殺人です。
大人も子どもの区別なく、居住地にミサイルを撃ち込む本当に非道な攻撃が、イスラエルによってこれまで何度も繰り返されてきました。
アメリカは、このイスラエルの殺人攻撃を最も強くバックアップし、かばい続けてきました。
「アメリカの中東の憲兵」と言われた、イランのパーレビ王政を失ってからは、なおさらでした。
アメリカは、イスラエルに加担しながら、中東への影響力を誇示してきたのでした。
アメリカの影響を受けた西側の多くのメディアは、イスラエルが人々が普通に暮らしている地域を一方的に攻撃しても、「テロ」とは言いません。
いや、イスラエルがパレスチナの特定の誰かを殺した時も、テロとは言わずに「暗殺」などと言う。
明らかに非合法的な殺人なので、「暗殺」と言いながら、「テロ」とだけは絶対に言わないのです。
理不尽きわまるこの殺人攻撃の指導者、昨年夏に、子どもたちを含む何千人もの命を奪った責任者であるイスラエルのネタニヤフ首相が、
今回のフランスのデモで、オランドフランス大統領らと並んで行進していました。
「テロ」に反対しているはずの、あのデモにおいてです。
どう考えたってこれはおかしい。
昨年の夏、あれだけの、なんらの罪もない人々、多数の子どもを含む人々が、白昼堂々と、この首相のもとに次から次へと殺されていったというのに、
フランスも、ドイツも、停めようとはしませんでした。
そうして今回、戦争犯罪人であるネタニヤフ首相が、デモに参加しているのです。
私たちは、こういう理不尽さをこそ批判し、覆していかなければなりません。
表現の自由は、そのためにこそ行使されなくてはならない。
そうでなければ、絶望した人々の武装反撃を、どうして止められるでしょうか。
フランスの事件に胸を痛めているすべての方に、
・今だからこそパレスチナに目を向けること、
・昨年夏の、イスラエルによる連続殺人を振り返ること、
・昨年夏だけではなく、長い間繰り返されてきた暴力の歴史を捉えることを、強く訴えたいと思います。
そのための良い企画が、大阪と三重で行われるので、ご紹介します。
朗読劇・ガザ希望のメッセージです。
京都大学の岡真理さん演出・脚本で、友人たちで構成されている「国境なき朗読者たち」が出演します。
お近くの方はぜひご参加下さい。
また参加できない方も、ぜひホームページなどをご覧下さい。
パレスチナを身近に感じてこそ、本当の暴力反対、何としても平和を紡ぎ出す決意が沸いてきます。
みなさん。ぜひとも今、パレスチナに近づいてください!
朗読劇に興味を持たれた方はまずこのショートビデオを!
the Message from Gaza ガザ 希望のメッセージ
いくたび破壊と殺戮に見舞われようと それでも わたしたちは立ちあがる
いまだ訪れぬ 美しい明日を信じて・・・
今夏、またもや繰り返された破壊と殺戮 ガザのために・・・鎮魂の祈りを込めて
国境なき朗読者たちが いま贈る 魂の朗読
https://www.youtube.com/watch?v=Gmnbz-W8SK8
以下、朗読劇の案内を転載します。
*****
朗読集団 国境なき朗読者たち
<朗読劇>
2014年の夏、パレスチナのガザ地区は、イスラエルによる、言語を絶する大量破壊、大量殺戮に見舞われました。
攻撃は51日間に及び、2200名もの命が奪われました。
その大半が民間人、500名以上が子どもです。
50万もの人々が、家を追われました。
ガザに対する大規模軍事攻撃は、これが初めてではありません。
6年前の2008年12月、ガザ地区全土に対し突如、イスラエル軍による一斉攻撃が始まりました。
完全封鎖され、逃げ場のない150万の住民たちの頭上に、22日間にわたり、ミサイルや砲弾の雨が降り注いだのです。
世界がクリスマスの余韻に浸り、新年を祝っていたそのとき、ガザの人々は、一方的な殺戮と破壊にさらされていました…。
私たちの朗読劇「The Message from Gaza ガザ 希望のメッセージ」は、この出来事に対する応答として、2009年に誕生しました。
この朗読劇は、4つのテクストから構成されています。
一つ目は、空爆下のガザから連日連夜、世界にメールを発信し続けた、サイード・アブデルワーヘド教授の『ガザ通信』、
二つ目は、1972年、36歳の若さで爆殺された、パレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーの短編「ガザからの手紙」。
三つ目は、2003年、占領下のパレスチナ住民の人権擁護活動のため、ガザに赴いたアメリカ人女子大生レイチェル・コリーが、ガザからアメリカの家族に書き送ったメール、そして攻撃のさなか、ガザで活動を続けた「インターナショナルズ」と呼ばれる、世界の若者たちの証言です。
私たち、平和をめざす朗読集団「国境なき朗読者たち」は、この朗読劇を上演するため、つばめクラブのプロデュースにより、2009年、京都の市民・学生有志をメンバーに結成されました。
以来、京都を中心に、広島、東京などで、上演を重ねてきました。
停戦になり、一時に大量に人が殺されるという事態がなくなると、マスメディアは報道しなくなります。
しかし、ガザでは依然、封鎖が続いています。
家を失った何十万もの人々が、瓦礫の中で、冬の寒さを耐え忍んでいます。
「過ちは二度と繰り返しませんから」という、私たちの誓いをあざ笑うかのように、繰り返されるジェノサイド……。
いくたび破壊と殺戮に見舞われようと、生を愛し、「人間の側に踏みとどまり続け」ようとするガザの人々の闘い。
不正と暴力に抗するために、ガザと私たちを、「想像力」という人間の力によって架橋します。
肉声を通して語られるガザの声に触れ、今もなお、完全封鎖のもとに置かれているガザへの思い、
そして、私たちが生きるこの世界への思いを、新たにしてください。
岡 真理(演出・脚本)
2015年2月1日 大阪公演
会場:
大阪ドーンセンター
時間:
1. 14:00 開演(13:10受付開始、13:30開場、15:45終演)
2. 18:00 開演(17:10受付開始、17:30開場、19:45終演)
2015年2月8日 津公演
会場:
津中央公民館ホール
時間:
1. 14:00 開演(13:10受付開始、13:30開場、15:45終演)
事前予約:1500円(障がいのある方及び介助の方・学生ー800円)
当日 :2000円(同1300円)
大阪/三重公演のチラシ>> ダウンロードしてお使いください。(表面、裏面)
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制作:ふぇみん大阪、ガザ朗読劇三重公演実行委員会、つばめクラブ
協賛:市民社会フォーラム
国境なき朗読者たち ホームページ
http://readers-without-borders.org/
そのニュースを聞いた後、異例の早さで犯人が指名され、公の場に報道されるのを目の当たりにしながら、
わたしはあの、同時テロの日のことを思い出していました。
あの時も、どうしてこんなに早くわかったのだろうと首を傾げながら、どの局のニュースキャスターも一斉に、濃い髭面の男たちの名前を連呼するのを聞いていました。
旅客機がビルに追突するシーンを観ると、体全体が震え、泣こうとも思わないのに涙があふれ出てしまうので、テレビをつけずにラジオの報道を聞いていました。
あの時のニュースキャスターも、そして町に出て怒りの声を上げる人たちも、まるで何かに酔ってでもいるように、あるいは取り憑かれてでもいるように、
イスラムに対する怒りを丸出しにして、さあみんなで悪に立ち向かおう、正義を貫こうと叫んでいました。
そういうことを言う、そういうことをする自分たちは絶対に正しく、力を合わせて悪を封じ込めなければならないと言わんばかりに。
同時テロから3日目の夕方に、そんな社会の降って湧いたような興奮に違和感を覚えながら、自分が目にした光景から逃げられずに、暗い洞窟のようになった心の中にこもっていたわたしは、
外から見たら格好のカモだったのでしょう、スーパーの駐車場でカージャックに遭ってしまいました。
要求される額を交渉しながら、相手を助手席に乗せて、30分もの間言われるままに車を走らせました。
その間、相手の顔を何回か盗み見て、濃いヒゲを蓄えていたこと、男を降ろした場所に、やはり同じような風貌の男性が数人居たことを、後で警察に行って話すと、
皆が一斉に殺気立ってきて、すぐに2階の部屋に連れて行かれ、アラブ系の男性の写真が何百枚も載っているアルバムを見せられました。
同時テロが起こってからの数週間はだから、アラブ系の人たちにとっては、とても居心地の悪い、いやそれ以上に、自分にもいつ危害が加えられるかわからないぐらいの恐怖を感じる、辛い日々だったと思います。
そして米国は、全国一斉に沸き立って、戦争をすることが正しいという世論を市民自らが作り上げるように仕組まれた罠に、すっかり囚われていきました。
その勢いたるや、恐ろしいものでした。
マスコミの先導の凄さを目の当たりにして、それでもなお、その洗脳に抗おうと必死に訴えていた人たちの姿を目の当たりにして、
テロ行為が起こった際に生じる社会の反応と、それを煽るマスコミの動きを、一歩引いて見ること、考えることが大切だと、あの時以来思うようになりました。
テロ=悪者=制裁=正義
この、単純だからこそ刷り込まれやすい図式の罠に、今はとりあえず危害から免れているわたしたちがかかってしまうと、世界はますます奴らの思うままになってしまいます。
言いたいことはある。山ほどある。
伝えなければならないこともある。山ほどある。
それを見事に書き表してくださった守田さんの、3回にわたる記事を、ここに紹介させていただきます。
守田さんは毎日、膨大な量の考察を、とてもわかりやすい言葉でまとめてくださっていて、わたしにとっては先生のような方です。
ここに転載することを、いつも快く承諾してくださるので、お言葉に甘えて転載させていただいているのですが、
日々の記事はどうか、守田さんのブログ『明日に向けて』の読者になり、読まれることをお勧めします。
では、以下に、3回に分けて紹介された記事『フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か』を転載させていただきます。
フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か-(年頭に世界を俯瞰する-5)
2015年1月11日
守田です。
これまで「年頭に世界を俯瞰する」と題して、現代社会に大きな矛盾を作り出している新自由主義が、
それ以前のケインズ主義にも共通した、「儲かればそれで良い」とする価値観の上に、弱肉強食の資本主義を作り出してきたことを見てきました。
僕の意図では、前回の内容に続いて、新自由主義のもとで、さらにどのような矛盾が作られてきたのかを詳述しようと思っていましたが、
そんな中で、現代世界の矛盾を凝縮したような事件が起こってしまいました。
フランスの新聞社襲撃事件です。
どうしてもこれには触れざるを得ないと考えて、少し歴史的な説明の順番を反転して、現代のこの問題をどう捉えるのかを論じてみたいと思います。
大前提として語らなければならないことは、今回シャルリー・エブドに対して行われた殺人襲撃は、断じて認めることのできないことだということです。
理由は、無抵抗な人々を、一方的に殺害したからです。
僕は、人の命を奪う、こうしたあらゆる暴力的試みに、絶対に反対です。
ただし、「表現の自由」を侵害したからだということには、保留したいものを感じます。
現代世界のあり方の中で、ヨーロッパの新聞社がムスリムの人々を侮蔑するのも、一つの暴力であるとも感じるからです。
この点について、非常に共感できる記事がネット上に載っていたので、ご紹介しておきます。
国際政治学者の六辻彰二さんという方が、書かれています。
フランスの新聞社襲撃事件から「表現の自由」の二面性を考える-サイード『イスラム報道』を読み返す
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20150109-00042123/
僕が今回、書かねばならないと思っているのは、現代世界を俯瞰した時に見えてくる、「イスラム」と「イスラム過激派」の位置性です。
ちなみに、「イスラム過激派」という言葉自身も、西洋的な一方的文脈のもとにある言葉であることに、注意を促したいと思います。
イスラムという思想の中の過激派というより、イスラムを信じる人の中に持ち込まれた暴力思想、と言った方が僕は良いと思います。
その点も、サイードの『イスラム報道』などに触れていただくと、見えてくるものが大きいと思いますが、
ともあれ、イスラムという信仰が「過激」なのではない、ということを強調したいです。
現実には、キリスト教徒にも「過激派」はたくさんいるし、世界で一番過激で一番たくさん人を殺してきた国家はアメリカです。
さて、新自由主義が、1970年代のケインズ主義的資本主義の行き詰まりの中で登場してきたことを、これまで見てきました。
そのときに、社会主義が十分な対抗軸になれなかったと、僕が考えていることも明らかにしてきました。
とくに、既存の社会主義国家は、対抗軸足りえないどころか、1980年代にどんどん衰退していき、同年代末から1990年代初頭に、次々と倒れて行きました。
歴史的に見た場合、あたかもこれと入れ替わりに、資本主義的矛盾と鋭く対決する大きな潮流としてイスラムが台頭してきたことに、注目する必要があります。
その一つは、1979年に勃発したイラン革命でした。
それまでのイランは、パーレビ国王が統治する独裁国家でした。
しかもパーレビ王政は、「アメリカの中東の憲兵」と言われた政体でもありました。
これを倒したのは、イスラム教シーア派を中心に結集した、イランのムスリムの人々でした。
いや、ここにも、初期には、フェダイン・ハルクなどの社会主義グループも参加していました。
しかし、革命イランは、次第に社会主義勢力を排除し、イスラムの理念のもとに歩み始めました。
「中東の憲兵」を失って狼狽したアメリカは、同じく貧困層に支持されるシーア派の台頭に脅威を抱いたアラブの王族たちの思惑も受けつつ、
イラク・フセイン体制を軍事的に強化して、イランにぶつけました。
かくして、イラン・イラク戦争が勃発しました。
ちなみにフセイン政権は、バース党という社会主義政党によって成り立つ、世俗主義の政権でした。
一方で、イスラム勢力の台頭を作り出したのは、旧ソ連邦でした。
同じく1979年。
ソ連寄りだったアフガニスタンの共産党政権に、ムスリムの反発が強まり、武装抵抗がはじめられたことに対して、ソ連が軍事侵攻を開始しました。
これに対して、アラブ世界を中心に、世界のイスラム教徒が怒りを覚え、たくさんの義勇兵がアフガニスタンに向かいました。
アメリカはここでも、ソ連の勢力をそぐために、反ソ武装闘争派のムスリムを軍事支援。
訓練キャンプなども作って、さまざまな軍事スキルを伝授しました。
ここに参加して、後に大きな影響を持った一人が、ウサマ・ビン・ラディンであったことは有名です。
アメリカがイラク戦争で「打倒」したフセインも、パキスタンで非合法的に処刑したウサマ・ビン・ラディンも、もともとはアメリカが育てた人物でした。
今、「イスラム過激派」と称される人々、とくに「アル・カイーダ」などと呼ばれるネットワークなどは、
もともとアメリカが軍事的に育成したものであることを、私たちは見ておく必要があります。
その意味で、これらの人々を「イスラム過激派」というのは正しくない、と僕は思うのです。
イスラム教徒の中に持ち込まれたアメリカの暴力思想、ないし、「イスラムの中のアメリカ的テロリズム」こそが、これらの人々を巨大化させてきたのです。
ではなぜ、アメリカが育てたイスラムを名乗る暴力主義者たちが、アメリカに牙を向いたのでしょうか。
それ自身も、アメリカの都合によるものでした。
1980年代、それまでアメリカと最も鋭く軍事的に対立していたソ連邦が、どんどんその力を落としていきました。
一つには、アフガニスタン侵攻後、ムスリムの頑強な抵抗にあい、戦線が膠着して疲弊を深めたことが理由でした。
この点で、ソ連のアフガン侵攻は、アメリカのベトナム侵攻と同じだった、と指摘されています。
さらに決定的だったのは、1986年4月26日に、チェルノブイリ原発事故が起きたことでした。
当時のソ連邦書記長ゴルバチョフは後に、「チェルノブイリの前と後で私の人生は変わった」と述べ、ソ連邦崩壊の大きな要因が、この原発事故であったと指摘しています。
最も頑強なソ連邦が崩壊していく・・・。
それは、アメリカにとって喜ばしいことであるはずでしたが、実は、アメリカ軍を総べるペンタゴンは、呆然たる状態になっていたことが、今日明らかになっています。
ソ連軍との対抗の必要性がなくなれば、アメリカ軍も大幅に縮小されてしまうと思われたからでした。
その意味で、ソ連邦とソ連軍の崩壊を、実はアメリカ軍は、喜ぶどころか深刻な危機の到来と捉えたのでした。
アメリカ軍、及びその後ろに控える巨大な軍需産業は、次の敵を探しました。
そして、格好の標的とされたのが、イラク・フセイン政権だったのでした。
このときフセイン政権は、アメリカの後押しのもとに、イランの革命政権と闘ってきていました。
当初は、軍事力で圧倒的に上回るイラクが優勢でしたが、正義感で上回るイランは、革命防衛隊を軸に、頑強に抵抗。
結局、この戦いも戦線が膠着し、1988年に停戦を迎えました。
イラクには、戦争を通じて作った多額の借金が残り、債権の多くが、アメリカやヨーロッパ諸国にありました。
こうした中でクウェートが、イラク国境付近で油田開発を始めました。
イラクは、自国の権益が脅かされると考えて激怒、クウェートへの軍事侵攻を行いました。
このとき実は、イラク・フセイン政権は、アメリカに、クウェート侵攻に関する打診を行っていたと言われています。
イラクとしては、アメリカが反対しないことを確認してから、クウェートに攻め入ったのでした。
ところが、イラクがクウェートに到達するや、アメリカは激怒しました。
さらに、クウェートの看護師による、「イラク軍兵士が病院に攻めてきて、保育器から子どもたちを取り上げて殺した」という証言を、何度もテレビで流しました。
こうしてアメリカは、湾岸戦争に殺到していきました。
実は、これは完全なやらせでした。
証言したのは、クウェートのアメリカ駐在大使の娘で、アメリカ在住の女性だったのでした。
アメリカは他にも、メディアで虚偽の情報をたくさん流して、全世界を湾岸戦争に巻き込もうとしました。
ここには、アメリカの、ベトナム戦争の戦略的な捉え返しがありました。
ベトナム戦争では、従軍記者たちが、かなり自由に戦場の実態を報道していました。
その中から、アメリが軍が行っていた残虐行為が世界中に流れることになり、世界中をベトナム反戦運動が吹き荒れるようになりました。
アメリカの中でも反戦運動が大高揚し、結局アメリカは、撤兵を余儀なくされました。
アメリカ政府とアメリカ軍は、このことへの捉え返しを強め、この湾岸戦争では、完全にメディアをコントロールし、
それどころか、虚偽の内容を次々とプロパガンダすることで、戦争を思うように進めました。
戦史上、広告会社が戦略上の重要な位置をしめた、初めての戦争でした。
ところが、アメリカは大きな誤算を犯してしまいました。
イラクへの侵攻をできるだけ大規模に行うために、ムスリムの聖地に、大量のアメリカ軍を投入したことでした。
とくに、メッカとマディーナというイスラムの2大聖地のあるサウジアラビアに、膨大な異教徒の軍隊が入り込み、
そこから、ムスリムでもあるイラクの人々への大規模攻撃を行ったことが、多くのイスラム教徒の心を傷づけました。
アメリカはメディアを使い、ジャーナリストを完全に統制することで、西欧メディアのコントロールはできたものの、
他ならぬアラブの人々、イスラムの人々がどう思うかへの配慮を、全く欠いていたのでした。
***********************
フランス新聞社襲撃事件の背後を考察しています。
今回は、「フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か」の続きです。
アルカイーダというイスラム義勇兵たちが作りだしたネットワークが、ソ連の力を削ぎたかったアメリカの軍事支援のもとでできあがったことを述べてきましたが、
それが反米に転換していったのは、湾岸戦争の時でした。
中でも問題なのは、アメリカが、メッカとマディーナというイスラムの2大聖地のあるサウジアラビアに、膨大な軍を送り込んだことでした。
湾岸戦争が勃発した時、アフガニスタンに集ってソ連軍と闘った多くの国際義勇兵たちは、目的を達して自国に帰っていました。
ウサマ・ビン・ラディンも、ちょうど出身国であるサウジアラビアに戻っていました。
これらの人々は、今度は、アメリカのイスラムの大地での無謀な振る舞いに激怒し、やがて反アメリカネットワークを形成していきました。
かくして1990年代に、アメリカ貿易センタービル爆破事件(911事件はもっとあと)など、さまざまな軍事攻撃が行われるようになりました。
アメリカが仕込んだ「過激派」が、その暴力をアメリカに向け出したのでした。
このことに、新自由主義のもとでの世界の混乱が、大きく関連していきます。
なぜかと言えば、イスラム教は利子による儲けを禁止しており、過度な儲け主義を戒めているからです。
利子を禁ずる理由は、神のものである時間を利用した儲けだからです。
実は中世キリスト教も、利子を禁止していました。
キリスト教も、もともとは儲け主義を戒めているのです。
しかし、取引の活発化と共に、現実には必要とされたため、「守銭奴の行う下劣な仕事」として、ユダヤ人が携わっていたのでした。
ユダヤ人が共同体と共同体の外におかれ、またがる位置にいたからでした。
その後、商業が発達し、資本主義が成熟する中で、西欧社会は利子を合法化していきましたが、
イスラム世界では今も、経典に反する行為として禁じているのです。
現実にはいろいろな抜け道があり、利子に変わる利潤の回し方があるのですが、
それでも、イスラム教が今なお、「儲かればそれで良い」という価値観に否定的であることは、間違いありません。
それだけに、弱肉強食の新自由主義のもとで貧富の格差が開けば開くだけ、イスラムの教えによる強欲な社会への批判が高まってくる構造を持っています。
それがまさに、新自由主義の時代のもとで、イスラム教が独自の光を放っている所以です。
しかし、だからイスラム教徒が「過激化」しているのでは、断じてありません。
これまで見てきたように、そのような地盤の上に、アメリカによってトレーニングされた武装集団が結合したとき、「過激派」が生まれてきたのだということです。
しかもアメリカは、911事件後、アフガニスタン戦争でもイラク戦争でも、ムスリムの国に、明らかなる侵略戦争を行いました。
アフガン戦争の場合は、時のタリバン政権が、ウサマ・ビン・ラディンの引き渡しを拒んだのが理由とされたわけですが、
タリバンは、「彼が911事件の犯人だと言うなら、証拠を見せよ」と言っただけでした。
2003年からのイラク戦争に至っては、「大量破壊兵器」をイラクが隠し持っていることを理由に全土が占領されましたが、
実際にイラクは、大量破壊兵器など持っていませんでした。
しかもこの戦争の過程で、ものすごくたくさんの民間人が、「誤爆」の名の下に殺害されました。
実際には、兵器産業と一体のものとしてあるアメリカ軍は、この二つの戦争で、核兵器をのぞくあらゆる兵器を使い、たくさんの「誤爆」を生み出したのでした。
新型兵器の見本市、と言われたほどでした。
ものすごく大量の爆弾、弾薬が使われました。
しかも湾岸戦争以降、アメリカ軍は劣化ウラン弾も多用してきました。
劣化ウランがもたらす健康被害も、甚大にイラクや周辺国を襲っています。
湾岸戦争以降、そのイラクに、アメリカは国連を通じて、医療品をはじめとしたさまざまな物品の禁輸措置をとり続け、2003年に全面侵攻したのでした。
こうした大義なき戦争が繰り返されてきたこと。
あとになって、開戦理由が間違っていたことが判明してすら、誰も罰せられもしないあまりに酷いありさま。
それでどうして、イスラムの人々の怒りが高まらない理由があるでしょうか。
しかも、これらの戦争に、ヨーロッパ各国は度々追従しました。
もっとも熱心にアメリカを支持し、攻撃に参加したのはイギリスでした。
フランスは、イラク戦争には反対しましたが、アフガニスタンには攻め込みました。
これらすべての戦争行為が、多くの血気盛んな若者を、イスラムの武装闘争派に惹きつけてきたのではないでしょうか。
しかもアメリカは、これらの軍事戦闘の中で、常に最も強いのは、無慈悲に、良心の呵責なく人を殺すことであることを示してきました。
それが、アメリカ軍の強さでもありました。
例えば湾岸戦争の時、クウェートからイラクに逃げ戻る戦車や兵員輸送車などの車列を、アメリカ軍は後方から襲い、何万もの兵士を殺害しました。
戦闘ではなく、一方的なであったと言われています。
イラク軍は逃げ帰る途中だったのですから、殺害する必要などなかったのです。
しかもこのときイラクは、たくさんのクウェート人を人質にとったので、アメリカは攻撃をためらうだろうと考えたのですが、
そんなことはまったくおかまいなく、徹底した殺戮が行われました。
残虐さを見せつけるような攻撃でした。
軍事戦闘と言うものは、いや、そもそも暴力と言うものはですが、それを受けた側に、強烈な印象を刷りこみます。
虐待を受けた子どもが、親になって虐待をしてしまいやすいように、意識下に暴力の凄さが刷りこまれ、同じ暴力に相手を誘う性質があるのです。
このため、あらゆる戦争において、やられた側はやった側を模倣する傾向を、強く持っています。
しかも卑劣な攻撃ほど被害が甚大なため、コピーされやすい。
こうして、やった側は多くの場合、同じ戦術で攻撃されることにもなります。
戦争の愚かさです。
その点でアメリカは、アフガンでもイラクでも、徹底的に無慈悲な攻撃を行うことで、無慈悲でなければ勝てないという思いを相手の側に作り出してしまってきたのです。
今、イラクとシリアで暴れている「イスラム国」についても、同じことが言えると思います。
この点で、参考になる記事が、NHKのウェブサイトに載ったのでご紹介します。
「イスラム国」指導者に迫る NHK NEWS web 1月6日 18時20分
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0106.html
記事の中でNHKは、謎の人物とされている「イスラム国」の指導者、アブバクル・バグダディに触れています。
それによると、この人物は、もともとはフセインのバース党(世俗主義)の党員で、穏健な人物だったそうです。
しかし、アメリカ軍のイラク進攻に対して武装抵抗し、アメリカ軍に補足されてクウェート国境の「キャンプ・ブッカ」に収容され、そこで「過激思想」に感化されたというのです。
NHKの記事では、これらのキャンプは、「まるで過激派の学校のようだった」とされています。
しかし、見過ごしてはならないのは、アメリカ軍がイラク戦争当時、これらの収容施設の中で、さまざまな拷問を行ったことです。
アブグレイブ刑務所が有名ですが、キャンプブッカも、これと同様の施設でした。
例えば、受刑者に、大音響のロックを一日中聞かせるなど、精神崩壊を狙った行為が繰り返されました。
さまざまな性的拷問も行われました。
男性受刑者に、他の男性受刑者とのセックスを強要したり、女性看守が男性受刑者をもてあそんだりという蛮行が、繰り返されました。
女性受刑者に対するレイプや、子どもに対する性的虐待も行われました。
そのどこまでがアメリカ軍の正式作戦だったかは分かりませんが、このような人権のかけらもない収容者アメリカの姿こそが、多くの「穏健」で「世俗的」だった収容者を、「過激派」に変えていったと思われます。
だからこそ「キャンプ・ブッカ」は、「過激派の学校」になったのです。
まさにこれらの人々は、アメリカの理不尽な戦争を目撃し、その上で、監獄における極度の虐待を受けて、暴力的な思想に染まっていったのです。
残虐なアメリカ軍に抗う中で、残虐さを徹底的に刷りこまれてしまったのです。
イスラム国は、IT機器の操作などがうまく、英語の情報発信能力にも長けていると言われていますが、
そうした現代的なITスキルと、粗野な暴力性の同居のあり方に、アメリカ軍との強い親近性を、僕は感じます。
その意味で、「イスラム国」の獰猛な暴力性も、イラク戦争におけるアメリカの理不尽さの中で生み出されたもの、と言わざるを得ないのです。
しかも、アメリカの主導する新自由主義が、さらに矛盾を拡大し、人々の怒りに火を注ぎ続けてきたことを、忘れてはなりません。
とくに資本主義のもとでも長い間、投機の対象にすることを避けられてきた食料品など、人々の生活に直結するさまざまなものまで、新自由主義はマネーゲームの対象にし始めました。
この中で、アラブ諸国に、次々と大きな政変が起こりました。
西欧はこれを、「民主主義の進捗」「アラブの春」などと捉えましたが、僕の友人の国連職員は一言、「あれは食糧暴動だよ」と、怒りを込めて僕に指摘してくれました。
このように考えるならば、今回のフランスにおける新聞社へのまったく許しがたい暴力行為は、
そもそもこの間、アメリカにおける理不尽な軍事戦闘と、新自由主義における世界中の人々の生活破壊によってこそ、生み出しているものであることが分かります。
だからこそまた、イスラムへの信仰をもった過激主義者にも、僕は言いたいのです。
アメリカに屈するなと。
暴力に心を奪われるなと。
アメリカが行ってきたような理不尽な暴力を、自己解放の手段にしてはいけないと。
それではどんな解放も実現しないと。
そうすると必ず、こういう答えが返ってくるでしょう。
「日本こそアメリカに屈しているではないか。
アメリカに基地を貸し、アメリカの子分になっているではないか。
自衛隊までだそうとしているではないか。
おまえたちにとやかく言う資格はない」と。
そうなのです。
まさに日本は、そこに位置しているのです。
僕はこう言い返すでしょう。
「確かにそれはそうだけれども、僕はあくまで暴力に反対だ。
とくに、アメリカの理不尽な暴力に反対だ。
だから、あなたたちの殺人行為にも、全面的に反対なのだ。
ただ、それを言う限り、僕はこの日本の地で、命をかけて、日本の戦争協力や参加を止めるために奮闘する」と。
こう返すしかない。
そうは思いませんか?
テロに屈しないことは、暴力思想に屈しないことです。
だとしたら、アメリカの暴力思想、連綿たる戦争犯罪こそが、真っ先に批判されなければならないのです。
フランスでは、数百万の人々が、今回の殺人事件を悼んでデモ行進をしました。
そこに、「テロに屈しない」というスローガンが、たくさん見られました。
そうです。
テロに屈してはいけない。
だから私たちは、世界の中でもっとも大規模かつ卑劣なテロを繰り返し、たくさんのテロリストを養成してきたアメリカをこそ批判し、
世界の人々に、「アメリカのテロを真似るな」と叫ばなければなりません。
フランスの人々が、そのことにこそ目覚め、真の反暴力、平和の道を歩むことを、心から願いたいと思います。
***********************
フランス新聞社襲撃事件に触れながら、この数十年間、アメリカを中心とする大国が、アフガニスタンやイラクなどに、どれほどひどい暴力的な戦闘を仕掛けてきたのかを指摘してきました。
またその中で、「アルカイーダ」などの「過激派」は、もともとアメリカが育成してきたことも指摘しました。
今回の襲撃事件も、こうしたアメリカの残虐さを真似たものであり、だからこそ僕は、許してはならないと強く思います。
こうした殺人事件をなくすためには、もっとも大規模な殺人を繰り返しているアメリカを中心とした列強国の戦争政策をこそ、止めていく必要があります。
その点でもう一つ、非常に大事なことは、パレスチナに繰り返し行われきた、残虐な大量殺人です。
大人も子どもの区別なく、居住地にミサイルを撃ち込む本当に非道な攻撃が、イスラエルによってこれまで何度も繰り返されてきました。
アメリカは、このイスラエルの殺人攻撃を最も強くバックアップし、かばい続けてきました。
「アメリカの中東の憲兵」と言われた、イランのパーレビ王政を失ってからは、なおさらでした。
アメリカは、イスラエルに加担しながら、中東への影響力を誇示してきたのでした。
アメリカの影響を受けた西側の多くのメディアは、イスラエルが人々が普通に暮らしている地域を一方的に攻撃しても、「テロ」とは言いません。
いや、イスラエルがパレスチナの特定の誰かを殺した時も、テロとは言わずに「暗殺」などと言う。
明らかに非合法的な殺人なので、「暗殺」と言いながら、「テロ」とだけは絶対に言わないのです。
理不尽きわまるこの殺人攻撃の指導者、昨年夏に、子どもたちを含む何千人もの命を奪った責任者であるイスラエルのネタニヤフ首相が、
今回のフランスのデモで、オランドフランス大統領らと並んで行進していました。
「テロ」に反対しているはずの、あのデモにおいてです。
どう考えたってこれはおかしい。
昨年の夏、あれだけの、なんらの罪もない人々、多数の子どもを含む人々が、白昼堂々と、この首相のもとに次から次へと殺されていったというのに、
フランスも、ドイツも、停めようとはしませんでした。
そうして今回、戦争犯罪人であるネタニヤフ首相が、デモに参加しているのです。
私たちは、こういう理不尽さをこそ批判し、覆していかなければなりません。
表現の自由は、そのためにこそ行使されなくてはならない。
そうでなければ、絶望した人々の武装反撃を、どうして止められるでしょうか。
フランスの事件に胸を痛めているすべての方に、
・今だからこそパレスチナに目を向けること、
・昨年夏の、イスラエルによる連続殺人を振り返ること、
・昨年夏だけではなく、長い間繰り返されてきた暴力の歴史を捉えることを、強く訴えたいと思います。
そのための良い企画が、大阪と三重で行われるので、ご紹介します。
朗読劇・ガザ希望のメッセージです。
京都大学の岡真理さん演出・脚本で、友人たちで構成されている「国境なき朗読者たち」が出演します。
お近くの方はぜひご参加下さい。
また参加できない方も、ぜひホームページなどをご覧下さい。
パレスチナを身近に感じてこそ、本当の暴力反対、何としても平和を紡ぎ出す決意が沸いてきます。
みなさん。ぜひとも今、パレスチナに近づいてください!
朗読劇に興味を持たれた方はまずこのショートビデオを!
the Message from Gaza ガザ 希望のメッセージ
いくたび破壊と殺戮に見舞われようと それでも わたしたちは立ちあがる
いまだ訪れぬ 美しい明日を信じて・・・
今夏、またもや繰り返された破壊と殺戮 ガザのために・・・鎮魂の祈りを込めて
国境なき朗読者たちが いま贈る 魂の朗読
https://www.youtube.com/watch?v=Gmnbz-W8SK8
以下、朗読劇の案内を転載します。
*****
朗読集団 国境なき朗読者たち
<朗読劇>
2014年の夏、パレスチナのガザ地区は、イスラエルによる、言語を絶する大量破壊、大量殺戮に見舞われました。
攻撃は51日間に及び、2200名もの命が奪われました。
その大半が民間人、500名以上が子どもです。
50万もの人々が、家を追われました。
ガザに対する大規模軍事攻撃は、これが初めてではありません。
6年前の2008年12月、ガザ地区全土に対し突如、イスラエル軍による一斉攻撃が始まりました。
完全封鎖され、逃げ場のない150万の住民たちの頭上に、22日間にわたり、ミサイルや砲弾の雨が降り注いだのです。
世界がクリスマスの余韻に浸り、新年を祝っていたそのとき、ガザの人々は、一方的な殺戮と破壊にさらされていました…。
私たちの朗読劇「The Message from Gaza ガザ 希望のメッセージ」は、この出来事に対する応答として、2009年に誕生しました。
この朗読劇は、4つのテクストから構成されています。
一つ目は、空爆下のガザから連日連夜、世界にメールを発信し続けた、サイード・アブデルワーヘド教授の『ガザ通信』、
二つ目は、1972年、36歳の若さで爆殺された、パレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーの短編「ガザからの手紙」。
三つ目は、2003年、占領下のパレスチナ住民の人権擁護活動のため、ガザに赴いたアメリカ人女子大生レイチェル・コリーが、ガザからアメリカの家族に書き送ったメール、そして攻撃のさなか、ガザで活動を続けた「インターナショナルズ」と呼ばれる、世界の若者たちの証言です。
私たち、平和をめざす朗読集団「国境なき朗読者たち」は、この朗読劇を上演するため、つばめクラブのプロデュースにより、2009年、京都の市民・学生有志をメンバーに結成されました。
以来、京都を中心に、広島、東京などで、上演を重ねてきました。
停戦になり、一時に大量に人が殺されるという事態がなくなると、マスメディアは報道しなくなります。
しかし、ガザでは依然、封鎖が続いています。
家を失った何十万もの人々が、瓦礫の中で、冬の寒さを耐え忍んでいます。
「過ちは二度と繰り返しませんから」という、私たちの誓いをあざ笑うかのように、繰り返されるジェノサイド……。
いくたび破壊と殺戮に見舞われようと、生を愛し、「人間の側に踏みとどまり続け」ようとするガザの人々の闘い。
不正と暴力に抗するために、ガザと私たちを、「想像力」という人間の力によって架橋します。
肉声を通して語られるガザの声に触れ、今もなお、完全封鎖のもとに置かれているガザへの思い、
そして、私たちが生きるこの世界への思いを、新たにしてください。
岡 真理(演出・脚本)
2015年2月1日 大阪公演
会場:
大阪ドーンセンター
時間:
1. 14:00 開演(13:10受付開始、13:30開場、15:45終演)
2. 18:00 開演(17:10受付開始、17:30開場、19:45終演)
2015年2月8日 津公演
会場:
津中央公民館ホール
時間:
1. 14:00 開演(13:10受付開始、13:30開場、15:45終演)
事前予約:1500円(障がいのある方及び介助の方・学生ー800円)
当日 :2000円(同1300円)
大阪/三重公演のチラシ>> ダウンロードしてお使いください。(表面、裏面)
重要⇒〇予約・お問合せ ※メール、またはお電話でお願いします。
大阪 080-5314-1539(つくい)、tsubamegekidan@gmail.com (つばめ劇団)
三重 059-229-3078(FAX兼)、090-1239-1410(宮西)、syashinten@za.ztv.ne.jp
制作:ふぇみん大阪、ガザ朗読劇三重公演実行委員会、つばめクラブ
協賛:市民社会フォーラム
国境なき朗読者たち ホームページ
http://readers-without-borders.org/