多分、想像では、ぽんちゃんと同じではないか…(自信があまり無いのだけど)と思われる桜の木の赤ちゃんが、うちにやって来た。
これは夫からの、誕生日のプレゼント。
どこに植えるかで、かな~りもめたが、今回は夫の意見を尊重することにした。
植える前に、根っこにお水をたっぷり飲ませてあげる(3時間から6時間)。
この見た感じかなり弱々しい桜の赤ん坊…散々リスにかじられたボロバケツに馴染んでる。
ずっと雨降りだったり寒かったりの、5月だなんて全く思えないお天気が続いている。
ベッドの足元にはまだ、湯たんぽが!
そんな鬱陶しい毎日の中のこの晴れ間!
逃してなるものか!
それにしても、うちのはほんとに庭ではなくて原っぱだ。
今年はたんぽぽが大にぎわい。
そして、毎年顔ぶれが変わる野草の、今年の顔は?
去年はこの方々だった。(今年は隅っこの方でちらほら生えている)
どこを撮ってもたんぽぽ。
すみれの群生にもたんぽぽ。
控えめに咲いてた白い花。
いやもう、うさぎさんには天国だろう。
夫がせっせと穴掘りをして、説明書通りに植えてくれた。
土は、特別に用意しない方が良いのだそうだ。肥料もいらない。植えた後、木に直接触れないように、薄っすらと木屑を撒いて終わり。
水やりは1週間に1回。それも、ジャアジャアと勢いよくかけてはいけない。
なのに、その後ずっと雨続きなので、根腐れしないか心配しながら、窓からずっと眺めている。
今日からまた、伴奏バイトが始まった。
毎日一クラスずつ、8つの曲を練習する。
ディレクターのダリルはメールで、「今回で引退しようと思っている」と書いてきた。
これまでにも何度も、特にここ数年は毎年のように、もう辞めたい、もう辞めると、ブツブツ言っていたので、やっと決められてよかったと思う。
校長が変わるたびに、芸術に対する学校の方針や彼に対する待遇が変わり、わたしが伴奏を引き受けた頃(もう10年以上も前になる?!)からすると、練習や本番までの段取りに、彼の不満は積もりに積もっていた。
彼はとにかく、音楽を通していろんなことを学ばせたいと思っていて、コーラスだけではなくて、ミュージカルのようなものの台本も書いて、生徒たちを指導してきた。
使う楽器や曲のジャンルは様々、そして彼が書く台詞はユーモアたっぷり。
毎年、観客は、泣き笑いをしながら、大いにショーを楽しんだ。
わたしの50代の始めから終わりまで、年に2回、それぞれ2ヶ月を、太鼓腹のダリルと一緒に過ごしてきた。
ダリルが教えるのは、心や体に問題を抱えている子(こちらではギフティッド、神さまから贈られたというふうに呼ばれる)たち。
だから指導中、いろんなハプニングが生じる。
顔を真っ赤にして怒ったり、肩を抱いて慰めたり、その子その子に応じた臨機応変な接し方から、学んだことは少なくない。
彼の指揮そのものは、テンポは変わるわ楽譜は読み間違えるわで、伴奏者からするとありがたくないタイプなのだけど、
彼の音楽の好みと歌心が、なぜかとても合うところが多くて、だから伴奏の練習が楽しかったりした。
ダリルは、前にわたしが伴奏を担当していた学校の、コンサート会場にやって来て、弾き終わったピアノを片付けているわたしの横にスッと立ったかと思うと、
「いい伴奏だね。こんなとこで弾いてないで、うちの学校に来ないか?払いはここよりいいことを約束するから」と、いきなり引き抜き屋のようなことを言った。
確かに彼が言う時間給は前の学校よりかなり多い額だったし、音楽なんてどうでもいいような指揮をする教師にも辟易していたので、けっこうすぐにオッケーの返事をした。
毎年のように参加した合唱の学校別コンクールでは、出るたびに最優秀賞をもらった。
本番になると突如、練習とは全く違う顔つきで、すごい歌声を出す生徒たちのおかげだったが、ダリルはいつも、まうみのピアノが点を稼いでくれたと、全然ありがたくなさそうな顔つきで言った。
へそ曲がりで強情っぱり、人情家で怒りんぼ。
終わりは必ずいつかやってくるのだけれど、やっぱりちょっと寂しい。
まあ、彼のことだから、「あ、そんなこと言ったっけか?」なんてことを言い出すかもしれない。
いずれにせよ、いつもと同じように、心を込めて弾くことに専念しよう。
これは夫からの、誕生日のプレゼント。
どこに植えるかで、かな~りもめたが、今回は夫の意見を尊重することにした。
植える前に、根っこにお水をたっぷり飲ませてあげる(3時間から6時間)。
この見た感じかなり弱々しい桜の赤ん坊…散々リスにかじられたボロバケツに馴染んでる。
ずっと雨降りだったり寒かったりの、5月だなんて全く思えないお天気が続いている。
ベッドの足元にはまだ、湯たんぽが!
そんな鬱陶しい毎日の中のこの晴れ間!
逃してなるものか!
それにしても、うちのはほんとに庭ではなくて原っぱだ。
今年はたんぽぽが大にぎわい。
そして、毎年顔ぶれが変わる野草の、今年の顔は?
去年はこの方々だった。(今年は隅っこの方でちらほら生えている)
どこを撮ってもたんぽぽ。
すみれの群生にもたんぽぽ。
控えめに咲いてた白い花。
いやもう、うさぎさんには天国だろう。
夫がせっせと穴掘りをして、説明書通りに植えてくれた。
土は、特別に用意しない方が良いのだそうだ。肥料もいらない。植えた後、木に直接触れないように、薄っすらと木屑を撒いて終わり。
水やりは1週間に1回。それも、ジャアジャアと勢いよくかけてはいけない。
なのに、その後ずっと雨続きなので、根腐れしないか心配しながら、窓からずっと眺めている。
今日からまた、伴奏バイトが始まった。
毎日一クラスずつ、8つの曲を練習する。
ディレクターのダリルはメールで、「今回で引退しようと思っている」と書いてきた。
これまでにも何度も、特にここ数年は毎年のように、もう辞めたい、もう辞めると、ブツブツ言っていたので、やっと決められてよかったと思う。
校長が変わるたびに、芸術に対する学校の方針や彼に対する待遇が変わり、わたしが伴奏を引き受けた頃(もう10年以上も前になる?!)からすると、練習や本番までの段取りに、彼の不満は積もりに積もっていた。
彼はとにかく、音楽を通していろんなことを学ばせたいと思っていて、コーラスだけではなくて、ミュージカルのようなものの台本も書いて、生徒たちを指導してきた。
使う楽器や曲のジャンルは様々、そして彼が書く台詞はユーモアたっぷり。
毎年、観客は、泣き笑いをしながら、大いにショーを楽しんだ。
わたしの50代の始めから終わりまで、年に2回、それぞれ2ヶ月を、太鼓腹のダリルと一緒に過ごしてきた。
ダリルが教えるのは、心や体に問題を抱えている子(こちらではギフティッド、神さまから贈られたというふうに呼ばれる)たち。
だから指導中、いろんなハプニングが生じる。
顔を真っ赤にして怒ったり、肩を抱いて慰めたり、その子その子に応じた臨機応変な接し方から、学んだことは少なくない。
彼の指揮そのものは、テンポは変わるわ楽譜は読み間違えるわで、伴奏者からするとありがたくないタイプなのだけど、
彼の音楽の好みと歌心が、なぜかとても合うところが多くて、だから伴奏の練習が楽しかったりした。
ダリルは、前にわたしが伴奏を担当していた学校の、コンサート会場にやって来て、弾き終わったピアノを片付けているわたしの横にスッと立ったかと思うと、
「いい伴奏だね。こんなとこで弾いてないで、うちの学校に来ないか?払いはここよりいいことを約束するから」と、いきなり引き抜き屋のようなことを言った。
確かに彼が言う時間給は前の学校よりかなり多い額だったし、音楽なんてどうでもいいような指揮をする教師にも辟易していたので、けっこうすぐにオッケーの返事をした。
毎年のように参加した合唱の学校別コンクールでは、出るたびに最優秀賞をもらった。
本番になると突如、練習とは全く違う顔つきで、すごい歌声を出す生徒たちのおかげだったが、ダリルはいつも、まうみのピアノが点を稼いでくれたと、全然ありがたくなさそうな顔つきで言った。
へそ曲がりで強情っぱり、人情家で怒りんぼ。
終わりは必ずいつかやってくるのだけれど、やっぱりちょっと寂しい。
まあ、彼のことだから、「あ、そんなこと言ったっけか?」なんてことを言い出すかもしれない。
いずれにせよ、いつもと同じように、心を込めて弾くことに専念しよう。