昨日の水曜日、うちから車で1時間ぐらい走った所にお住いの催眠療法士のひろこさんに、極度のステージ恐怖症の治療をしてもらった。
心の問題を診てもらうとき、これまではずっと英語だったので、嬉しいはずなのに何だか緊張して、前の晩はよく眠れなかった。
突然酷い風邪ひきの症状が出て苦しんでる夫に、親切にしてあげられないくらいに、妙に混乱していた。
というか、あんな風邪には絶対にかかりたくない!と思うような有様だったので、ついつい避けて、それが夫には冷たい奴だという印象を与えたらしい。
でも、わたしなりに心配したり気を遣ったりしてたんだけどな…喉に良さそうな食材使って料理したり、みかん湯作ったり…。
とにかく、ずっと前からお願いしていて、やっと決心がついて予約をしたのだから、風邪なんかにかかっていられない。
そう思って頑張ってたけど、じわじわと喉の辺りにいや〜なイガイガが発生してくるし、まるで寝付けないしで、当日の朝はボロボロ…。
朝のストレッチ体操&リンパマッサージとシャワーで元気づけして、車に乗り込んだ。
自宅兼治療所のひろこさんの部屋はほんわかと温かで、催眠やなくて睡眠になってしもたらどないしょ…と、一瞬心配になったけど、
もちろんそんなことには全然ならなくて、治療の一環の問診で、自分自身のことを話すのに精一杯。
ひろこさんも、あまりにもトンデモな出来事が多過ぎて、メモをするのに大変な様子だった。
でも、ああ、やっぱり楽だ、日本語で説明するのは。
何回かインタビューを受けたのだけど、英語の時はほぼ半日、日本語の時も約6時間、我ながらなんという人生なのだろうと思う。
今回はずいぶんと端折って話したのだけど、ステージに立つのが怖い、人前で演奏するのが怖い、というわたしを治療するのに充分な話を聞いてもらい、催眠療法が始まった。
前に一度、英語で受けたことがあるのだけど、やっぱりこの治療はおもしろい。
起きているし、周りの音や空気や匂いもちゃんと感じているのに、別の世界にいることもわかる。
ひろこさんの言葉の一つ一つが、わたしの心の奥深いところでゴリゴリに固まっている何かを、優しく揉みほぐしてくれているのもわかる。
そんなふうに、ひろこさんの言葉に受け答えしているうちに、わたしの長い長い(けれども怪我や病気や家庭環境のために何度も中断を余儀なくされた)ピアノ人生の中で、
たった一度だけ、気持ちよく人前で弾けた、そしてそのことに驚いたり喜んだりしながら、一番聞いて欲しかった母親がいないことを悲しんでる13歳だったわたしが、
2メートルほど離れた、階段の踊り場のようなところに立って、今のわたしを戸惑ったように上目遣いで見ていた。
わたしのことを43年後の自分だなどとは知る由もなく、あんた誰?みたいな顔をして、内股の足をにょっきり出した13歳のわたしは、紺色のワンピースを着ていた。
わたしも彼女もずっと黙っていたけれど、彼女の瞳が話し始めた。
「なんて言ってますか?」
「辛い。ほんとは辛いって」
母親が家を出てまだ1年も経っていなかった。
両親の離婚に際し、どちらの親と暮らすかを迫られた時、わたしたち姉弟二人を養うのに有利な条件を有する父の元に残ると答えた。
それなのに、母が家にいなくなった途端、働こうとしなくなった父に失望し、何の前触れもなく再婚することを告げ、あれよあれよという間に義理の母と弟と妹を家族にした父に憤っていた。
辛くないふりしてるけど辛い。
元気なふりしてるけどしんどい。
でも、しっかりせんとあかんねん。
わたし、おねえちゃんやから。
わたしが決めて、弟を巻き込んでしもたんやもん。
辛いなあ、しんどいなあ。
けど、よう頑張ってるなあ、えらいなあ。
わたしはじわじわと彼女に近づいていって、そしてツヤツヤのおかっぱ頭を腕に抱き、何度も何度も撫でた。
わたしの閉じた目から涙があふれた。
でも、13歳のわたしは泣いていなかった。
映画や本の話などでは簡単に泣くのに、降りかかってくる災難(ほとんどが人災だったけど)に泣くことを許さなかった時期があった。
そんなことを思い出した。
人前でも、ピアノを楽しく、充実した気分で弾けた時の気持ちを、色と形で表してみてください。
ええと、困ったなあ…。
時間がかかってもいいですよ。
だんだんと、萌黄色の立方体が見えてきた。
それは、両方の手のひらで抱えられるほどの大きさで、割って見たわけでもないのに、真ん中がクリーム色をしていた。
外側はどちらかというとツルツルした感じだけど、手触りは柔らかい。
ほんとに綺麗な萌黄色だった。
それで13歳のあなたを包んであげてください。
そして、今のあなたの体の中に、ゆっくりと抱き入れてあげてください。
わたしが今こうして、またピアノに向かえるようになったこと、大曲に挑めるようになったこと、そしてその練習の成果を発表する機会を持てること、それらすべてのことに心から感謝しているけれど、
ひろこさんはそこからもう一歩進んで、舞台の床も、壁も、ドアも、ライトも、音響装置も、そしてもちろんピアノも、
すべてがわたしを温かく受け入れ、わたしがそこに行き演奏するのを待ってくれていると、何度も繰り返し話してくれた。
作曲者のフォーレだって、自分の曲をこんなにも努力して練習し、良い演奏にしようと頑張っているわたしたちを、嬉しそうに見守ってくれている。
みんなまうみさんの味方なんですよ。
治療が終わり、気がつくと3時間も経ってしまっていて、本当に申し訳なかったのだけど、ふつふつとわいてくる勇気と安堵感に包まれて、とても幸せな気持ちになった。
どんな場所にせよ、ステージに上がる前に、ピアノもホールもみんな仲間で味方なんだから、同化するイメージを持つ。
萌黄色の立方体のシンボルから、愛をすべてに送ってから舞台に上がる。
弾く前に、フォーレさんにアクセスして、見守ってもらえるように頼む。
これがひろこさんから送られてきた追加メッセージ。
できたらどんなに楽しいだろうと思う。
だからやってみる。
******* ******* ******* *******
次の日、エリオットとの合わせ練習を、マンハッタン在住のとしちゃんに聞いてもらうため、ミドルタウンのリハーサルスタジオの一室を借り、約束の時間の7時に間に合うよう街の中をてくてく歩いていたら、
「すごく大変なことを言わなければならない」と、深刻な声でエリオットが電話をかけてきた。
「どないしたん?」
「楽譜が見つからない。多分、今まで家にいて今日出てった友人が、間違えて持ち出したと思う」
「ハァ〜?!」
「そのことを友人に何度も何度も、メールや電話で伝えてるんだけど、返事が全然来ない」
「そりゃ困ったな…」
「それに朝から風邪をひいて、ずっと寝てて、ついさっき6時過ぎに起きた」
「えっ?」
「とにかく、楽譜が無いと弾けない」
「バイオリン用の楽譜は家に置いてきたけど、わたしのピアノ譜の上にちっちゃい音符やけど、バイオリンパートが書いてあるから、それ読んで弾くってのはどう?」
「指使いとか弓使いの注意書きが無いと無理」
「う〜ん…」
「やっぱり申し訳ないけど、今夜はキャンセルしたい」
多分彼は、ギリギリのギリギリまで、風邪の様子を見ながら、なんとかして行こうと思ってたんだろう。
でも、楽譜が見つからないとわかった時点で、気持ちがプツッと切れたんだろう。
けど、それでもやっぱり、もうちょっと早く連絡してくれてたらと思って怒りがわいてきた。
だって、わたしもギリギリの体調だったんだもん。
でもまあ、二人して無理して、結局もっとこじらせてしまう、ってなことになるのも困るもんな。
なんとか気持ちを取り直して、聴きに来てくれる予定だったとしちゃんに、今夜はこういうことになったから、わざわざ来てもらうのは申し訳ないので、と電話した。
そしたら超親切なとしちゃんは、独りだと寂しくありませんか?などと言ってくれて、結局はわたしの個人練習に付き合ってくれた。
彼女はエリオットの長年のパートナーで、というより、どちらかというとエリオットのコーチで、彼の持っている良い部分を引き出して育ててきた人。
その数々の逸話や経験談を、たくさん話してくれた。
彼女の音楽に対する情熱、愛情が、そこかしこにほとばしる、とても楽しくそして有意義な話だった。
わたしが今だに悩んでいる曲の最初のソロ部分を、この曲が好きで何度も何度も聞いたというとしちゃんが、彼女のイメージで話してくれた。
「爽やかな草原を駆け巡るわたしの心、あるいは魂。
だから自由にどこにでも行ける。
重くない。
歓びに満ち溢れていて、幸せな感じがする」
わあ〜、そんなふうに感じたことがなかった。
それに、細かいところを細かく考えすぎていて、いちいち重たくなってしまっていた。
録音して聞いたら、なんか前に進まない、重苦しい感じがして困っていた。
「だからこの曲のイメージは緑。草原の緑です」
え?萌黄色とつながったよ!
ドレスリハーサルは2週間後。
萌黄色の立方体と一緒の初めての舞台。
もちろん緊張するだろうけど、なんだかちょっと楽しみ。
心の問題を診てもらうとき、これまではずっと英語だったので、嬉しいはずなのに何だか緊張して、前の晩はよく眠れなかった。
突然酷い風邪ひきの症状が出て苦しんでる夫に、親切にしてあげられないくらいに、妙に混乱していた。
というか、あんな風邪には絶対にかかりたくない!と思うような有様だったので、ついつい避けて、それが夫には冷たい奴だという印象を与えたらしい。
でも、わたしなりに心配したり気を遣ったりしてたんだけどな…喉に良さそうな食材使って料理したり、みかん湯作ったり…。
とにかく、ずっと前からお願いしていて、やっと決心がついて予約をしたのだから、風邪なんかにかかっていられない。
そう思って頑張ってたけど、じわじわと喉の辺りにいや〜なイガイガが発生してくるし、まるで寝付けないしで、当日の朝はボロボロ…。
朝のストレッチ体操&リンパマッサージとシャワーで元気づけして、車に乗り込んだ。
自宅兼治療所のひろこさんの部屋はほんわかと温かで、催眠やなくて睡眠になってしもたらどないしょ…と、一瞬心配になったけど、
もちろんそんなことには全然ならなくて、治療の一環の問診で、自分自身のことを話すのに精一杯。
ひろこさんも、あまりにもトンデモな出来事が多過ぎて、メモをするのに大変な様子だった。
でも、ああ、やっぱり楽だ、日本語で説明するのは。
何回かインタビューを受けたのだけど、英語の時はほぼ半日、日本語の時も約6時間、我ながらなんという人生なのだろうと思う。
今回はずいぶんと端折って話したのだけど、ステージに立つのが怖い、人前で演奏するのが怖い、というわたしを治療するのに充分な話を聞いてもらい、催眠療法が始まった。
前に一度、英語で受けたことがあるのだけど、やっぱりこの治療はおもしろい。
起きているし、周りの音や空気や匂いもちゃんと感じているのに、別の世界にいることもわかる。
ひろこさんの言葉の一つ一つが、わたしの心の奥深いところでゴリゴリに固まっている何かを、優しく揉みほぐしてくれているのもわかる。
そんなふうに、ひろこさんの言葉に受け答えしているうちに、わたしの長い長い(けれども怪我や病気や家庭環境のために何度も中断を余儀なくされた)ピアノ人生の中で、
たった一度だけ、気持ちよく人前で弾けた、そしてそのことに驚いたり喜んだりしながら、一番聞いて欲しかった母親がいないことを悲しんでる13歳だったわたしが、
2メートルほど離れた、階段の踊り場のようなところに立って、今のわたしを戸惑ったように上目遣いで見ていた。
わたしのことを43年後の自分だなどとは知る由もなく、あんた誰?みたいな顔をして、内股の足をにょっきり出した13歳のわたしは、紺色のワンピースを着ていた。
わたしも彼女もずっと黙っていたけれど、彼女の瞳が話し始めた。
「なんて言ってますか?」
「辛い。ほんとは辛いって」
母親が家を出てまだ1年も経っていなかった。
両親の離婚に際し、どちらの親と暮らすかを迫られた時、わたしたち姉弟二人を養うのに有利な条件を有する父の元に残ると答えた。
それなのに、母が家にいなくなった途端、働こうとしなくなった父に失望し、何の前触れもなく再婚することを告げ、あれよあれよという間に義理の母と弟と妹を家族にした父に憤っていた。
辛くないふりしてるけど辛い。
元気なふりしてるけどしんどい。
でも、しっかりせんとあかんねん。
わたし、おねえちゃんやから。
わたしが決めて、弟を巻き込んでしもたんやもん。
辛いなあ、しんどいなあ。
けど、よう頑張ってるなあ、えらいなあ。
わたしはじわじわと彼女に近づいていって、そしてツヤツヤのおかっぱ頭を腕に抱き、何度も何度も撫でた。
わたしの閉じた目から涙があふれた。
でも、13歳のわたしは泣いていなかった。
映画や本の話などでは簡単に泣くのに、降りかかってくる災難(ほとんどが人災だったけど)に泣くことを許さなかった時期があった。
そんなことを思い出した。
人前でも、ピアノを楽しく、充実した気分で弾けた時の気持ちを、色と形で表してみてください。
ええと、困ったなあ…。
時間がかかってもいいですよ。
だんだんと、萌黄色の立方体が見えてきた。
それは、両方の手のひらで抱えられるほどの大きさで、割って見たわけでもないのに、真ん中がクリーム色をしていた。
外側はどちらかというとツルツルした感じだけど、手触りは柔らかい。
ほんとに綺麗な萌黄色だった。
それで13歳のあなたを包んであげてください。
そして、今のあなたの体の中に、ゆっくりと抱き入れてあげてください。
わたしが今こうして、またピアノに向かえるようになったこと、大曲に挑めるようになったこと、そしてその練習の成果を発表する機会を持てること、それらすべてのことに心から感謝しているけれど、
ひろこさんはそこからもう一歩進んで、舞台の床も、壁も、ドアも、ライトも、音響装置も、そしてもちろんピアノも、
すべてがわたしを温かく受け入れ、わたしがそこに行き演奏するのを待ってくれていると、何度も繰り返し話してくれた。
作曲者のフォーレだって、自分の曲をこんなにも努力して練習し、良い演奏にしようと頑張っているわたしたちを、嬉しそうに見守ってくれている。
みんなまうみさんの味方なんですよ。
治療が終わり、気がつくと3時間も経ってしまっていて、本当に申し訳なかったのだけど、ふつふつとわいてくる勇気と安堵感に包まれて、とても幸せな気持ちになった。
どんな場所にせよ、ステージに上がる前に、ピアノもホールもみんな仲間で味方なんだから、同化するイメージを持つ。
萌黄色の立方体のシンボルから、愛をすべてに送ってから舞台に上がる。
弾く前に、フォーレさんにアクセスして、見守ってもらえるように頼む。
これがひろこさんから送られてきた追加メッセージ。
できたらどんなに楽しいだろうと思う。
だからやってみる。
******* ******* ******* *******
次の日、エリオットとの合わせ練習を、マンハッタン在住のとしちゃんに聞いてもらうため、ミドルタウンのリハーサルスタジオの一室を借り、約束の時間の7時に間に合うよう街の中をてくてく歩いていたら、
「すごく大変なことを言わなければならない」と、深刻な声でエリオットが電話をかけてきた。
「どないしたん?」
「楽譜が見つからない。多分、今まで家にいて今日出てった友人が、間違えて持ち出したと思う」
「ハァ〜?!」
「そのことを友人に何度も何度も、メールや電話で伝えてるんだけど、返事が全然来ない」
「そりゃ困ったな…」
「それに朝から風邪をひいて、ずっと寝てて、ついさっき6時過ぎに起きた」
「えっ?」
「とにかく、楽譜が無いと弾けない」
「バイオリン用の楽譜は家に置いてきたけど、わたしのピアノ譜の上にちっちゃい音符やけど、バイオリンパートが書いてあるから、それ読んで弾くってのはどう?」
「指使いとか弓使いの注意書きが無いと無理」
「う〜ん…」
「やっぱり申し訳ないけど、今夜はキャンセルしたい」
多分彼は、ギリギリのギリギリまで、風邪の様子を見ながら、なんとかして行こうと思ってたんだろう。
でも、楽譜が見つからないとわかった時点で、気持ちがプツッと切れたんだろう。
けど、それでもやっぱり、もうちょっと早く連絡してくれてたらと思って怒りがわいてきた。
だって、わたしもギリギリの体調だったんだもん。
でもまあ、二人して無理して、結局もっとこじらせてしまう、ってなことになるのも困るもんな。
なんとか気持ちを取り直して、聴きに来てくれる予定だったとしちゃんに、今夜はこういうことになったから、わざわざ来てもらうのは申し訳ないので、と電話した。
そしたら超親切なとしちゃんは、独りだと寂しくありませんか?などと言ってくれて、結局はわたしの個人練習に付き合ってくれた。
彼女はエリオットの長年のパートナーで、というより、どちらかというとエリオットのコーチで、彼の持っている良い部分を引き出して育ててきた人。
その数々の逸話や経験談を、たくさん話してくれた。
彼女の音楽に対する情熱、愛情が、そこかしこにほとばしる、とても楽しくそして有意義な話だった。
わたしが今だに悩んでいる曲の最初のソロ部分を、この曲が好きで何度も何度も聞いたというとしちゃんが、彼女のイメージで話してくれた。
「爽やかな草原を駆け巡るわたしの心、あるいは魂。
だから自由にどこにでも行ける。
重くない。
歓びに満ち溢れていて、幸せな感じがする」
わあ〜、そんなふうに感じたことがなかった。
それに、細かいところを細かく考えすぎていて、いちいち重たくなってしまっていた。
録音して聞いたら、なんか前に進まない、重苦しい感じがして困っていた。
「だからこの曲のイメージは緑。草原の緑です」
え?萌黄色とつながったよ!
ドレスリハーサルは2週間後。
萌黄色の立方体と一緒の初めての舞台。
もちろん緊張するだろうけど、なんだかちょっと楽しみ。