今日はちゃ~んと家の鍵を左のポケットに入れて出かけた。
えっへん!
失敗は成功のもと!(そういうのは成功言わへんねん!当たり前のことやねん!と心の中で叫んでるあなた、まあまあ、そっとしといたってください)
ピラテスのインストラクターメリッサ、ここ数週間、ずっと調子が悪そうだった。
いつもポーズの見本をおもしろ可笑しく見せてくれるのに、それも無く、どうも左側の脇から肋骨辺りにかけて問題が生じたみたいだった。
2年前も同じ箇所を痛めて困っていた彼女に、わたしは旦那の鍼を勧めたのだけど、未経験の彼女はもうあと一歩踏み出せないでいた。
そんなこともあって、押し売りになったらイヤだしなあ……と躊躇していたのだけど、彼女の、ふとした動きをした時の痛々しい姿を見ているとたまらなくなって、ダメもとでいいから、一回でもいいから、とにかくビルのオフィスに行くように強く勧めた。
「まうみ、わたしも丁度、そのことを考えてたのよ。医者に行っても検査だけ。くれるのは痛み止めの強い薬でしょ。その強い副作用でひどい下痢しちゃって……それで違う方面の治療をと思ってたの。手術をしなくても治るけど、それには2ヶ月以上の時間がかかるって。でも、この刃物で刺されるような強烈な痛みを、あと2ヶ月もなんて我慢したくないの」
旦那よ、なんとか助けてやっておくれ~!
さて、今日はわたし的に、すご~く興味深いことがあったのでそれを書き留めておこうと思う。
少し前に、あさこのブログの記事で、斎藤一人さんという方が提唱されている『天国ことば』についての話を見つけた。
なんのこっちゃ?と思い、ネットで調べてみた。
あさこは常日頃から、スピリチャルな世界についていろいろと洞察している人で、なにかと重っ苦しくなるわたしの心を、ヒョイヒョイッと軽くしてくれる。
この1年、彼女が近くに居てくれたおかげで、わたしの心の中のヘドロのように溜まった負の思いが、ずいぶんと減ってきたような気がする。
で、この斎藤さんの『天国ことば』なのだが、とにかくなんでもいいから、今から言う八つの言葉(愛してます・ついてる・嬉しい・楽しい・感謝してます・幸せ・ありがとう・許します)を、繰り返し、ゆっくりと、声に出して言ってみてください、というのである。
わたしはこういう、なんでもいいからとにかくやってみろ、後で必ずいいことがあるから、という事を本気で信じている。
どうしてかというと、そう言われてとにかくやってみたら、必ず後でいいことがあったからだ。
その中でも一番強烈に覚えているのは、超~うまくいってなかった(というより、彼女はわたしを殺したいに違いない、などと思い込むほどに悪化していた)継母との関係に悩んでいた18才のわたしが、その頃入信していたある新興宗教の教祖に、そのことを相談した時のことだ。多分、前にも記事に書いたことがあると思う。
切々と窮状を訴えるわたしの話を、しばらくじっと聞いてくださっていた教祖が、おもむろにわたしの話を中断して、そしてゆっくりこう言われた。
「まうみさん、これからおかあさんになにかイヤなことを言われたりされたりしたら、その時その場所で、必ず3回、おかあさんありがとう、と言いなさい」
気でも狂われたかと、あまりのことに唖然と見返したわたしに、さらに教祖は、
「口に出して言えない間は、心の中でもいいから、必ず3回、そう言いなさい。心がこもってなくてもいい。機械の声みたいなのでもいい、とにかく言ってみなさい。以上」と告げて、席から離れて行かれた。
ああ、彼にはわたしの状況など、まるで理解できないのだろう。
なんてこった。せっかくわざわざこのスケジュールに合わせるために、いろんなことに都合つけて来たのに……と、心の中は不満でいっぱいだった。
けれども、教祖のことはとても好きだったし尊敬していたので、ものすごく抵抗はあるけど、とりあえず言われたようにやってみようと思った。
今でもはっきりと、初めて心の中で「おかあさんありがとう、おかあさんありがとう、おかあさんありがとう」と言った時のことを覚えている。
心がグニャリとねじれてしまいそうなぐらいの激しい葛藤だった。
ところがその最初の3回の後、だんだんに慣れてきて、気がついたら反射的に、癖のように言うようになった。
そしてある日、なんの時だったかすっかり忘れたけれど、いつも心の中でしか言わなかったありがとうが、ひょいっと声に出て、それを聞いた彼女が目をまん丸くしていたこともあった。
そしてまたある日、かなり長い時間が経ってからだと記憶しているが、わたしが差し出した母の日のプレゼントを、にっこり笑って受け取ってくれたのだ!
ものすごく驚いて、心臓をドキドキさせながら、ありがとう、ありがとう、ありがとう、と、いつもとは全く違う気持ちで、心の中でくり返した。
それから劇的にわたし達の関係が良くなったのかというと、そうでもなく、結局は一家離散となって家族ごっこどころではなくなったので、良い結果が得られたかどうかは定かではないけれど、少なくともわたしにとってはいい思い出が残った。
それで、今回の『天国ことば』
もちろん、あさこの記事を読んだ一週間前から、始めてまっせ~!
最初はやっぱり、なんかぎこちなくて、気持ちも入らなくて、なにやってんねやろわたし?みたいな空気が充満してたけど、
最近は慣れて、ちょっとしたチャンスを見つけたら無意識に言い始めている。
そして今日のちょっとした事件が発生した。
わたしは運転をしている時、いつもより気が短くなる。
荒っぽい運転、トロい運転、非常識な運転を見るとカッとして、相手にかなり酷い言葉を投げ掛けたりする。(もちろん直接ではなく)
今日も、わたしの目の前で、とんでもないスピードで交差点に飛び出してきて、左折するや否や、強引に車線に割り込もうとした車があった。
「危ないなあ……どうぞ事故とかを起こさんように、無事に運転し続けられますように」
そう心の中で思った自分に仰天した。
だって、いつものわたしなら絶対、「おまえみたいなんは、他人に迷惑かからんようなとこで曲がり損ねて、事故にでも遭うて痛い目に遭え!」と言っているはず。
もしかしてわたし、いい感じに進化し始めてるん?
えっへん!
失敗は成功のもと!(そういうのは成功言わへんねん!当たり前のことやねん!と心の中で叫んでるあなた、まあまあ、そっとしといたってください)
ピラテスのインストラクターメリッサ、ここ数週間、ずっと調子が悪そうだった。
いつもポーズの見本をおもしろ可笑しく見せてくれるのに、それも無く、どうも左側の脇から肋骨辺りにかけて問題が生じたみたいだった。
2年前も同じ箇所を痛めて困っていた彼女に、わたしは旦那の鍼を勧めたのだけど、未経験の彼女はもうあと一歩踏み出せないでいた。
そんなこともあって、押し売りになったらイヤだしなあ……と躊躇していたのだけど、彼女の、ふとした動きをした時の痛々しい姿を見ているとたまらなくなって、ダメもとでいいから、一回でもいいから、とにかくビルのオフィスに行くように強く勧めた。
「まうみ、わたしも丁度、そのことを考えてたのよ。医者に行っても検査だけ。くれるのは痛み止めの強い薬でしょ。その強い副作用でひどい下痢しちゃって……それで違う方面の治療をと思ってたの。手術をしなくても治るけど、それには2ヶ月以上の時間がかかるって。でも、この刃物で刺されるような強烈な痛みを、あと2ヶ月もなんて我慢したくないの」
旦那よ、なんとか助けてやっておくれ~!
さて、今日はわたし的に、すご~く興味深いことがあったのでそれを書き留めておこうと思う。
少し前に、あさこのブログの記事で、斎藤一人さんという方が提唱されている『天国ことば』についての話を見つけた。
なんのこっちゃ?と思い、ネットで調べてみた。
あさこは常日頃から、スピリチャルな世界についていろいろと洞察している人で、なにかと重っ苦しくなるわたしの心を、ヒョイヒョイッと軽くしてくれる。
この1年、彼女が近くに居てくれたおかげで、わたしの心の中のヘドロのように溜まった負の思いが、ずいぶんと減ってきたような気がする。
で、この斎藤さんの『天国ことば』なのだが、とにかくなんでもいいから、今から言う八つの言葉(愛してます・ついてる・嬉しい・楽しい・感謝してます・幸せ・ありがとう・許します)を、繰り返し、ゆっくりと、声に出して言ってみてください、というのである。
わたしはこういう、なんでもいいからとにかくやってみろ、後で必ずいいことがあるから、という事を本気で信じている。
どうしてかというと、そう言われてとにかくやってみたら、必ず後でいいことがあったからだ。
その中でも一番強烈に覚えているのは、超~うまくいってなかった(というより、彼女はわたしを殺したいに違いない、などと思い込むほどに悪化していた)継母との関係に悩んでいた18才のわたしが、その頃入信していたある新興宗教の教祖に、そのことを相談した時のことだ。多分、前にも記事に書いたことがあると思う。
切々と窮状を訴えるわたしの話を、しばらくじっと聞いてくださっていた教祖が、おもむろにわたしの話を中断して、そしてゆっくりこう言われた。
「まうみさん、これからおかあさんになにかイヤなことを言われたりされたりしたら、その時その場所で、必ず3回、おかあさんありがとう、と言いなさい」
気でも狂われたかと、あまりのことに唖然と見返したわたしに、さらに教祖は、
「口に出して言えない間は、心の中でもいいから、必ず3回、そう言いなさい。心がこもってなくてもいい。機械の声みたいなのでもいい、とにかく言ってみなさい。以上」と告げて、席から離れて行かれた。
ああ、彼にはわたしの状況など、まるで理解できないのだろう。
なんてこった。せっかくわざわざこのスケジュールに合わせるために、いろんなことに都合つけて来たのに……と、心の中は不満でいっぱいだった。
けれども、教祖のことはとても好きだったし尊敬していたので、ものすごく抵抗はあるけど、とりあえず言われたようにやってみようと思った。
今でもはっきりと、初めて心の中で「おかあさんありがとう、おかあさんありがとう、おかあさんありがとう」と言った時のことを覚えている。
心がグニャリとねじれてしまいそうなぐらいの激しい葛藤だった。
ところがその最初の3回の後、だんだんに慣れてきて、気がついたら反射的に、癖のように言うようになった。
そしてある日、なんの時だったかすっかり忘れたけれど、いつも心の中でしか言わなかったありがとうが、ひょいっと声に出て、それを聞いた彼女が目をまん丸くしていたこともあった。
そしてまたある日、かなり長い時間が経ってからだと記憶しているが、わたしが差し出した母の日のプレゼントを、にっこり笑って受け取ってくれたのだ!
ものすごく驚いて、心臓をドキドキさせながら、ありがとう、ありがとう、ありがとう、と、いつもとは全く違う気持ちで、心の中でくり返した。
それから劇的にわたし達の関係が良くなったのかというと、そうでもなく、結局は一家離散となって家族ごっこどころではなくなったので、良い結果が得られたかどうかは定かではないけれど、少なくともわたしにとってはいい思い出が残った。
それで、今回の『天国ことば』
もちろん、あさこの記事を読んだ一週間前から、始めてまっせ~!
最初はやっぱり、なんかぎこちなくて、気持ちも入らなくて、なにやってんねやろわたし?みたいな空気が充満してたけど、
最近は慣れて、ちょっとしたチャンスを見つけたら無意識に言い始めている。
そして今日のちょっとした事件が発生した。
わたしは運転をしている時、いつもより気が短くなる。
荒っぽい運転、トロい運転、非常識な運転を見るとカッとして、相手にかなり酷い言葉を投げ掛けたりする。(もちろん直接ではなく)
今日も、わたしの目の前で、とんでもないスピードで交差点に飛び出してきて、左折するや否や、強引に車線に割り込もうとした車があった。
「危ないなあ……どうぞ事故とかを起こさんように、無事に運転し続けられますように」
そう心の中で思った自分に仰天した。
だって、いつものわたしなら絶対、「おまえみたいなんは、他人に迷惑かからんようなとこで曲がり損ねて、事故にでも遭うて痛い目に遭え!」と言っているはず。
もしかしてわたし、いい感じに進化し始めてるん?