ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

あんた誰?

2011年02月05日 | ひとりごと


なぜだか右目の目頭から鼻にかけて思いっきり腫れてしまっていた。
朝起きて、トイレに行き、おしっこしてから鏡を覗いて仰天した。
アバター顔の自分……思わず緑色の絵の具で顔塗ったろか、などと考えるほどの立派なアバター。

いやあ、ほんの少しのことが違うだけで、こんなにもビックリできるのもおもろい。
こりゃもう、数日間の頭部右側の痛みは、インフェクションに決定!
となりゃ、はい、お灸ね。

ということで、腕の肘の近く、足の親指と人差し指(人なんか指さへんけど)の付け根辺り、それと小指と薬指(別に薬塗ったり溶かしたりせえへんけど)の付け根辺りにお灸するべし!という指令が出た。
今や、お灸エキスパートとなったわたし、へいへ~い!とばかりに、ボールペンで印をつけられた所に灸を据えていく。


今日は朝から、雪のせいで来られなかった生徒達を教え、それからすぐ後に、ブルックリンから来てくれたポーレットと3曲合わせをした。
彼女とは来週末のコンサートで演奏する予定。
ヴァレンタインデーにちなんで、愛の歌を3曲歌うというのに、なんと彼女は一昨日の木曜日に、恋人から「別れて欲しい」といきなり言われたらしい。
なんてこった……と思いながら彼女の話を聞いた。
彼女は33才、彼は30才。育った境遇がとてもよく似ている。
彼らの父親はどちらも83才。父親は息子、娘を溺愛するあまり、ほぼ家の中に閉じ込めるようにして育てた。
怪我や事故を心配するあまり、自転車にも乗せず、旅行にも行かせず、学校でも運動クラブには入らせなかった。
だからふたりとも、自転車をこぐことはできない。家の周りから外に出たことがない。泳ぐこともできない。車の運転もだめ、という状態で大人になった。
お互いの、少し変わった境遇に惹かれ合ったのか、彼らは二年半前から付き合うようになったのだけど、
そういう境遇から抜け出そうとするポーレットに対して、彼はそのまま、ほぼ引きこもり(親公認の)のような状態をまだ続けていて、彼女は「今になって思い返すと、彼の世話ばかりをしていたような気もする」、と言った。
突然話を聞いただけのわたしが、なにも言える立場ではないけれど、もしかしたらこれは一時的に、彼自身が彼自身の力で変わろうとしていて、そのためには、すぐそばで居るとつい甘えてしまうポーレットから離れる方が懸命だと思ったのではないか?
そしてもし、距離を置いたことで彼が本当に変わることができたなら、外に向かって生きる気持ちを強く持てたなら、その彼と今度は、世話のためではなくて、愛するために一緒に居ることができるかもしれないよね、などと、勝手な考えを言った。
その話をしている間、彼女は涙ぐむこともなく、淡々と、まるで遠い昔にあった話のように落ち着いている。
彼女の母親はジャマイカ出身で、長い間イギリスの統治下に置かれていたことから、昔のイギリス人魂が心身ともに深くしみ込んでいて、だから母親はどんなことがあっても、人前で涙を流したりすることはいけないことなんだと教え込まれていて、それは彼女の娘であるポーレットにも引き継がれていた。
わたしもまた、違う理由で、ただの一回として目の前で泣かなかった母に13才まで育てられ、その後も、何があっても平気なふりをして生きることがせめてもの意地になってしまい、ビルと出会うまではちゃんと泣くことができない人間だった。
ビルが、わたしの悲しむ様子を見て、それがものすごく異様だったので、普通に泣けるように、何年もかけて、根気良く教えてくれた。
わたしもポーレットにその話をして、泣くことは決して恥ずかしいことでも弱いことでもないよ、と一所懸命伝えようとしたけど、こればっかりは時間がかかることなので、彼女自身がこの先、いいパートナーを見つけられることを祈るしかない。
 


夜は、ネットでインスタントに観られる映画を、旦那とふたりで観た。
今夜は英語を聞いたり読んだりするのが面倒な気分だったので、邦画の『母べえ』を観た。
山田洋次監督、吉永小百合主演の、静かな静かな反戦映画だった。
今では全く自由に、思うことを言える世の中だけど、少し、ほんの少し、時代がずれたことで、あんなふうに、辛い思いをして生きなければならなかった人達は、たくさんいたんだろうなあ、と思う。
何度も悲しくなって、たくさん泣いた。
珍しく、旦那も少し泣いた。
あ~あ、また明日の朝も目が腫れてるわ……。



コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする